第百話
第百話、投稿致します。大変お待たせしました、今回は少し長くなってしまったので、区切りのいいところで第百話・第百一話に分割した連続投稿を行わせていただきました。まずはこちらの方からお読みくださいませ。
────思えば。
思えば、ここからが始まりだったのだろう。
音楽祭で、あいつらと勝負をするということになって。
お互いの全力策謀を尽くして、この日に臨んで。
〝それのなんとくだらない茶番だろう〟。
それに何の価値があった? それに何の意味があった?
何が音楽祭か。何が感動か。何が千夜川桜季か。
何が、何が何が何が何が何が何が何が何があああ、あああああ……。
これから起こることに比べれば、音楽祭のことなど……いや違う。これまでの俺の人生など、犬にも食わせられぬ茶番劇でしかない。
嗚呼、嗚呼。糞。
知っていれば────知ってさえいれば、こんなことには。こんなことには、ならなかったかもしれないのに。
だが愚かで、無様で、能天気な俺は、この時気付きもしなかった。
何も、何も知らなかったのだ。
……思えば、ここからが始まりだったのだろう。
ここが、最後の分岐点。最後の境界線。
ムゲンループを繰り返し続ける俺の運命を決定づけた、事の始まり────
◆◆◆
午後三時を回って、今日の音楽祭は円満のうちに終了した。今はその午前午後を含めた全てのプログラムの評価・投票の集計を待つばかりである。
一人一枚、生徒会の印と評価演目を書き記すための余白のある投票券が体育館の入り口で配られており、そこに他校生徒、一般人の別はない。
もちろん集計結果の反映を急ぐための枚数制限はあるものの、今回は例年以上の入場者数 に合わせて上限を増加したためか、かなり時間が掛かっているようだった。
雨量はいよいよ増してきて、体育館を含めた校舎内は、雨除けの為にか存外、人がまだ多く残っていた。
……いや、もしかすれば、ここにいる者達はじっと待っているのかもしれない。
自分達が見た、奇しく信じがたい降霊の時間。あれが果たして何だったのかを知ろうとするかのように、祭りも終わって他校の行事の結果など本来興味すら無いはずの部外者である、清上学園の関係者のそのほとんどがぐずぐずと居残っていた。
あるいはそうした事情を知らない身内よりも、より身内らしく、深刻にドギマギと動向に気を揉んでいたかもしれない。
「……拓二さん」
この柳月祈も、その中の一人。
一から十を、敢えて傍観以外に何もせずに見届けてきた。知っているからこそどうにかしたいと思う自分を抑え、一脇役として成り行きに委ねる選択をした。
「久しぶり……って感じは案外しないな。その前に数ヶ月会わなかったからか」
拓二は、あのような世にも稀な美しさに施した女装、そして神妙かつ突出した歌唱を数々披露した時が嘘のような気楽な様子で、一人群衆に逸れて佇んでいた。
近くまで寄っても特に何も言わなかったので、そのまま祈は前置くように話しかける。
「……私がここに来たのは〝たまたま〟です。私は、桧作先輩と立花先輩を見に来ただけですから」
「ああそうだな。〝たまたま〟他校の文化祭に来たら、〝たまたま〟俺がいたってことで。ま、こんな祭りでみみっちいことは言うまいよ……」
拓二はその言い振りをすぐに理解したらしく、今だけの許可という意を含めた会釈を返した。
あるいはもうすぐ、祈達の前から姿を消すことになると考えての、自身の勝利を予期した余裕の言葉なのだろう。
「それで? お前はもちろん、夕平達に入れたんだろ?」
「……公平に見て、桧作先輩と立花先輩達の発表の方が素晴らしいと思いましたから」
素晴らしい、という言葉の曖昧さから察する通り、祈を含めた大勢の思惑というのは、拓二の技巧そのものに気を惹かれているのに間違いなかった。
「ハハッ、いいさ別に。揚げ足を取る気はない。俺は────」
と、続く拓二の言葉を不意にばっさり遮るように向かってくるのは、メリーとエレンだ。
『タクジ、お疲れ様』
『お兄様おつかれーっ!』
エレンは車椅子から飛び出さんばかりに、元気よく拓二の身体に抱きつこうとする。
傾くバランスにメリーが慌てるが、先読みしていたかのように手早く拓二はその華奢な体躯を抱え上げた。
『凄かったよ、お兄様! 前にお父様に連れてってもらったオペラみたいだった!』
『そうか、ありがとな』
じゃれつくエレンの次に、メリーも続いて話しかける。
『あたし達は、アンタに入れたわよ。まあイノリの友達も良かったと思うけど、アンタのは……何ていうか、まあ……良いからとにかく喜びなさい!』
『そりゃどーも』
器量の華やかな欧州人二人を気にして、待ちぼうけている周囲の目があっちとこっちを行き来しているが、もはや慣れたのか当の本人達は気にも留めない。
拓二はエレンを人ごみの視線よりより高い肩車をしてやりながら、祈の方に改まる。
「────やるべきことはやった。あとは結果次第……だろ、いのり?」
きゅうと細まった視線は、静かな光を爛々と灯して祈を見据えた。
◆◆◆
「……ねえ、会わなくていいの? 相川くんと」
音楽祭が終わってから、ずっと腕組みして押し黙ったまま佇む夕平に暁が尋ねる。
あれからずっと、フローリングの掛かった床に思索の視線を落としながら、その場をぴくりとも動かない。
いつもの彼なら、今頃クラスの友達連中に混ざって、挙がる自分の話題に気恥ずかしくも嬉しそうに笑いながら騒いで結果を待っていたはずだ。
が、現在そうした様子もなく、仲間との喧騒も固辞している。
同じように、拓二とも会おうとしない。
普段が普段なので、その珍しい大人しさの奇妙と言ったら、付き合いの長い暁の記憶でも例の無いことだった。
「……いいや、やめとく」
「勝てるかな……私達」
「自信無いか?」
……もしこれが、純粋に技術の良し悪しを競うものであったなら、比べるのもおこがましい、足元にも及ばなかっただろう。
いや、だからと言って安堵はし得ない。内容の練度の差異は、評価と比例する。それが素人目から測れるほどなら、なおさらのこと。
そして────それ以上に────
「相川くん……真剣だった。相手が私達だからって、ちっとも油断もしてなくて……本気で千夜川先輩になりきってて、ちょっと怖いくらいだった」
「……俺は……」
夕平は何か言い掛けた口を一度閉ざし、大事なこと言い直すように唇を湿らせてから、
「……あいつは俺達に忘れた忘れたって言っといて、やっぱり忘れてなんかなかったんだ……いや、ひょっとしたら俺達の誰よりも一番苦しんでんのかも」
「うん……」
「全部、俺たちのためだったんだな」
そう、見て感じたことというのは、二人の中にも大きな鮮烈さで刻み込まれていた。
全てを背負うなら、その苦しみを見せられない。
罪を一人で抱えるなら、何もかもを忘れたような顔で振舞わなければならない。
その何と強靱で、もの哀れな精神か。
そしてその悲壮な決意は、全て、夕平と暁に向けられていたのだ。
「たった一人で、あそこまで抱え込んで……どうして……」
暁の声が、迷子の泣き出す手前みたく震える。夕平はぐっと歯噛みしながら、眉で押さえ込むようにして瞼を下ろした。
────『あの日』起きたことには、夕平にも、暁にもそれぞれ抱える罪悪がある。
自分達二人の存在が原因であること。桜季をああまで追い詰めたのは、紛れもなく自分達のせいであること。
しかしその罪の意識を背負わせまいと、拓二は一人悪人となり、身を消そうと告げてまでして、二人への献身────そう、献身。まさにそれは、己が身を尽くした献身なのだ────を留めない。
孤独の皮に人目をくらませ、闘い続ける拓二の、その精神的な強さは言い知れない。
その意思。その覚悟。その苦悩。
たった数分に込められた、そうした拓二の人知れぬ本心。
見たこともない拓二のあの姿を、こうもまざまざと見せつけられるまで……自分達のやることが正しいのか、所詮はただの欺瞞ではないかと一瞬分からなくなった。
万が一この勝負で勝ったとして────いや、この勝負そのものが、そうした拓二の想いを揺らがせることにならないか? より苦しめることにならないか?
「ほら、泣くなって暁。気持ちは分かるけど」
「な、泣いてなんか……」
「いいから。しゃんとしろ、拓二に失礼だろ」
全てが終わってからこんな有様で、なんと滑稽なことだろう。
しかしそれでも。
一人に全てを押し付けて逃げることなど、夕平達には出来なかった。その気持ちにに依然揺らぎは無い。
『あの日』の夕平の罪を、暁の罪をまとめて拓二が引き受けることが正しいと思わなかったからこそ、自分達の対立がある。
どう思ったかは知らないが、拓二はこの挑戦を是とした。
なら、それ以上のことは言うだけ無意味で、例えどんな口八丁だろうと浅ましい耳障りにすぎない。
「やるべきことは全部やったんだ。あとは結果次第……な、そうだろ?」
「……うん」
と、そんな折、前の方でついに動きがあった。
『あーあー。マイクテスマイクテスマイクテストー♪』
今まで音楽祭を盛り上げてきた司会兼生徒会長の軽快な声に、暁、そして夕平も目を薄く開きながら、背筋の伸びる緊張の心地を、心の臓すれすれに通過させた。
お互い、その胸の奥につっかえる熱いものを、生唾を飲んで押さえ込んだ。
『えー、皆さん! 大変長らくお待たせしました!! これより、第二十一回音楽祭の表彰式を行います!』
────因縁思惑を様々に巻きこんだ、結果発表の時間だ。
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