第九十八話
第九十八話、投稿しました。いつの間にか、現実の時間もこの物語の時期に追いついて、すっかり秋めいてきましたね。皆様は三年前の今頃は何をなさっていましたでしょうか?
マイクを持つ手を上げた暁の宣言で、ステージの照明が一旦途絶えた。
パフォーマンス性の濃さを表すかのように眩かった今までとは打って変わって、静かな暗闇から旋律が流れ出す。
最後だというその歌は、静かな楽曲だった。
がなり立てていたようだったドラムもエレキもベースも、全てが鳴りを潜めて暁の歌を包み込むためにそっと囁いているかのようだった。
そして、ふっと暖かな明かりが灯るとともに、佇む暁の姿だけが現れた。
『……「これくらい普通だよ」 そう迷いなく笑うんだ 君は強くて まるで物語の主人公』
そして、あの腹の底から叫ぶような歌声も、今はとてもではないが聞こえない。あるのは、透き通ったカナリアのような、波のない控えめな────まさに暁の性格そのものを体現したかのような歌声。
『僕はいつもそんな君の背 君の足元ばかり追いかけて
見ていたものの大きさに 押し潰されまいと 堪える君の 辛い孤独さえ気付けなかったんだ』
だからこそ、人はその小さな言葉の並びを聞きたくて、心の中にそれを滑り込ませたくて、息を潜めてじっと聞き遂げようとする。
大音声に慣れた耳をすませようとする。そして気付けば、目が離せない。惹きつけられていく。
『あの日あの時間 何も知らなかった
口が動かなかった 手が伸ばせなかった それは君が強くて 僕が弱かった象徴』
果たして、この歌詞の意味を、真に理解出来る者はほとんどここにはいないだろう。誰も知らない、彼らだけのお話。
『止まってくれ 行かないでくれ
そう突き出した手は 埋まらない距離を掠めた』
情感を込めて物語る暁の姿から、それを汲み取ろうとしているかのように、空気さえもステージから音楽以外を受け付けないでいるようだった。
一番の歌詞の後、数十秒の間奏で暁はその喉を休ませる。
すると、スポットライトの当たる彼女の元に、ひとつの影がずいと飛び込んできた。
驚くように目を配る暁。その正体は、ソロパートを担う夕平が、 背中合わせになるところまで近付いてきたものだった。
これには暁もやや予想外だったのか、わずかな時間彼に顔を向けてから、やがて緊張がほぐれたように顔を綻ばせた。
『「そんなこと忘れたよ」と陰の浮かぶ笑顔
傷つく君の 必死な防衛本能』
そうして暁は、また歌い始める。
『「忘れちゃダメだよ」そう言うと 君は泣き出しそうに怒ってた』
肩で触れる夕平から力を貰っているかのように、一番の歌詞を歌う時よりも、その声にはどことなく伸びが増していた。
『全て背負うって決意は 自分一人以外を蹴散らして 麻痺した君は 暗い孤独さえ迷わなかったんだ』
サビ前の一瞬のタメ。
暁は、目を閉じ、マイク越しでも分かるくらいに大きく息を吸い込んで、
『────あの日あの時間 何も出来なかった
君に守られていた 僕は甘えていた それは君が強くて 僕が弱かった象徴
止めなくちゃ 止めなくちゃ 身軽になる君に「ダメだよ」って足を早めた』
────その瞬間のことを、その場にいた大勢が後にこう言う。
『ボーカル二人が、一緒に歌ってるのかと思っていた』、と。
おかしな話だが、暁の歌う姿に、夕平の虚像が重なったのだと、この時確かに空目した。
しかし、間違ってはいないのかもしれない。
これは、暁だけの歌ではないからだ。
彼女を支え、背中を押す存在が、すぐそこにいるのだから。
届けようとする想いの丈は、そばにいる夕平も同じ。例え声に出さずとも、彼も歌っているのだ。
『追いかけて 追い抜いて
その驚く目に向かってこう言うんだ』
そう、これが彼ら二人の、一番のメッセージ────。
『「一人なんかじゃないんだよ」って』
最後まで歌いきった暁がマイクから口を離し、万感の籠ったため息を上に吐く。
そして終わり際の演奏が、今、ゆっくりと────終わった。
静寂。
だが、何もないというわけではない。
形に無いだけで満ちる充足感と軽微な虚脱感以外は何もいらないのだ。満場一致で、皆同じであったろう。
そうして、次には地鳴りにも勝るとも劣らない程の万雷の拍手が沸き起こる。
老若男女問わず、生徒も教師も関係なく、最高の賛辞が四人へと注がれた。
『ジャカラン団』の最初で最後のライブは、こうして幕を閉じた────。
◆◆◆
「…………」
「…………」
「……あー……終わったなー……」
「うん……」
演奏が終わった直後、ステージから引っ込んだ夕平と暁は、真っ白な灰に燃えつきていた。
客席からの冷めやらぬアンコールの声を、スケジュールの都合で躱し(それでも息絶え絶えに応えようとした夕平を、暁含め三人で止めた)、取り敢えず楽器を一通り舞台裏を経由して屋根のある購買部前まで撤収させた。
そこまでやって初めて、身体が疲労を認めたのか、夕平と暁はその場で尻餅をつく勢いで座り込んでしまった。雨に当たるだとか、そういったことはまるで気にも留めなかった。
「今まで夕平と一緒にいて一番、はっちゃけたような気するよ……」
「へへっ……でも楽しかったよな! ぶっちゃけ勝負云々とか、途中ですっぽ抜けてたぜ」
「バカ。鳥頭」
赤髪のカツラをくるくると回しながらカラカラと笑う夕平に、元気なく、しかし充実感ある小さな微笑みで暁が返す。
そんな二人に、タオルを首に掛けた光輝が近付いて言った。
「おうご両人、後の片付けは俺らに任せな」
「え、でも悪いよ……」
「いーよいーよ、主役どもはでんと構えてろって」
光輝は上機嫌にこう続ける。
「でもなんか本当に大評判らしくてよー、下手すりゃガチ勢食っちまうかもよって言われちったぜ」
「ま、世辞でもそれだけのことが出来たってことだな」
エイジも光輝の後ろから、二人の元へやって来た。
「改まって面と向かって言うのも恥ずいが……ありがとなヘイユー、アッキー」
「おいおい、お前がそんなこと言うの珍しいなエイジ」
「まあな。……だが、人生で一番楽しかったのは間違いないしな。こんだけやれたのは、お前ら夫婦のおかげだ」
「ふ、ふうっ!? な、何でそんな……!!」
見てりゃ誰だって分かる、と慌てだす暁に言い残し、エイジは光輝を連れてさっさと楽器の片付けに向かっていってしまった。
「…………」
「いやあ……ははは」
「うう……私、もうみんなに顔合わせられない……」
「……あー、い、行くか? せっかくだし……」
「……うん……」
残された二人は、よく顔を合わせていた二人に気遣われたことで、流石に気まずく黙り込む。
が、それもすぐ気を改めて、大真面目な顔でかぶりを振って夕平が言う。
「……拓二は、一体何をしてくるんだろうな……」
「……そう、だね」
そう、拓二は、今日のパフォーマンスの内容をここに来て未だ何一つ明かしていない。
それが何とも不気味で、二人にとってやはり一番の気がかりだった。だから、こうして大成功と呼べる結果で終わったしても、手放しで喜べないのだ。
「いのりちゃんとこ、行くぞ」
ここからが、本当の勝負だ。
◆◆◆
夕平と暁の二人は、祈のいる体育館へとやって来た。
いや、戻ってきたというべきか。舞台の演者としてではなく、今度は一観客として。
夕平達の演目から、プログラムは進行はしているようで、今まさに拓二の登場の時間間近であった。
館内には、舞台からは分からない程に、人の数があった。こんな人数の前で本当にあんな演奏をしたのかと、自分達のことながら怪しくなってくる。
ちゃんと自分達の歌は聞こえていたか、この中の何人が雰囲気にノッてくれていたのか、終わったことなのに思わず頭の中で混ぜ返してしまう。
「本当に凄い人……いのりちゃんはどこかな」
祈と落ち合うならここなのだが、この人ごみでは見つけ出すのも一苦労だ。
「暁、どこいるか聞いてみてくれよ。そしたら────」
と、その時。
『────さて! 宴もたけなわ場もクライマックス!! 盛り上がってきた音楽祭も、いよいよ終わりが近づいてきました!! その大トリを務めますは、我が高校文化部の誉れ、例年の音楽祭の優勝候補!』
前からは、司会の依然としてハツラツとした声が聞こえてきた。
それで二人にはすぐに分かった、『もう間もなく』なのだ、と。
『で・す・が、その前に! なんとここで飛び入りの参加です! 猛者集うこの音楽祭にたった一人で乗り込んできた度胸あるダークホース! 高校一年生にして音楽祭を盛り上げてくれる有志にして有望株、相川拓二くんの登場です!』
盛り上げる司会の誘いのまま、舞台の幕は今上げられた。
そして────現れた彼の姿に、ここにいる一同があっと息を呑むこととなった。
『…………。あ……あれ、ええ……と、相川くん、ですか……?』
司会の困惑は、もっともなものであった。
あまりの呆然のために、喉で呼吸を引き止める者。唾を胃に流し込む際の音を立てる者。無意識に袖ごと手を握りしめる者。
反応は多種多様ながら、共通して何も言えずに言葉を失うばかりであった。
まずは、性の異なりを感じさせないその美貌に、瞬き一つもせずに見惚れていたから。
そして、ある者は────〝その姿格好に、とある一つの見覚えがあって、各々自分自身の目を疑っていたからだ〟。
「嘘……だろ? あれは……だって、あれは……」
うわごとのように、夕平の口が何度も同じ言葉をぼやく。
スポットライトに照らされた所にいるのは、相川拓二ただ一人────そのはずだ。
しかし、そこにいるのは。
「〝ち……千夜川……先輩……〟?」
艶やかな黒のドレスに身を包んだ、しなやかな美女。墨の流れるような黒髪。御霊の如き青白い瞳を細めて、品のある紅唇をくいと引き結び、笑んでいるとも睨んでいるとも取れない微笑を湛えている。
その、圧倒的存在感。扇情的にして蠱惑的なその佇まいには、まるで夢か現か定かでない境界線にいるかのような、はたまた美しい空想画を前にしたかのような儚げで神秘な雰囲気すら感じられた。
────あまりにも、あまりにも〝似過ぎている〟。生き写しとも言って差し支えないくらいに。
『彼女』を知る者からすれば、そして心のどこかで『彼女』の生存を諦めた者からすれば、それはゾッとするほどあり得ない、しかし目を釘付ける光景であった。
これから始まるのは、たった十分にも満たない『彼女』の時間。
この時のことを後に、彼らは口を揃えてこう語る。
『あれはまさしく、千夜川桜季そのものだった』、と。
感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は報告いたします。
【追記:十月二十七日】加筆修正しました。