番外第十一話:新旧、都市伝説ジャンクション!・前編
番外第十一話、投稿しました。今回の番外は、三部構成に分割したものを連日投稿する形となっております。夏の特別感を無理矢理出そうとするこの心意気を、生温かい目で見ていただければと思います。
p.s.いいの思いついたので、題名ちょっと変えました♨︎
ジャック・ザ・リッパー。
別名、切り裂きジャック。
十九世紀、イギリスは混迷を極め、国内には暗澹たる空気感が立ち込めていた当時。約二ヶ月(と、されている)間に起こった連続猟奇殺人事件の犯人の通称であり、そんな『彼』が起こしたこの事件は、ここで語らずとも名高く知られたものだろう。
いわゆる売春婦五名(こちらも、推定被害者人数とされている)を殺害した未解決事件であり、署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、いわゆる劇場型犯罪の元祖ともされている。
その犯人の正体については、現在も様々な説が唱えられている。
しかし、未だその結論は出ていない。────これが大まかな、イギリスで最も恐れられた猟奇殺人事件の概要である。
しかし、こうした一介の連続殺人が、こうも国を跨いだ一つの都市伝説的謎たらしめたのは、事件が未解決であることや、劇場型犯罪の先駆けであることとは別にあるのではないか。
論者達の推測の域を限定させない、曖昧模糊としたかつてのイギリスの時代背景が生み出したその範疇性にあるのではないだろうか。
そう、すなわち切り裂きジャックの正体は、当時のイギリスの夜霧が覆い隠し、宵闇が生み落とした偶像なのである。
────ある者は、医者の仕業だと言った。
────ある者は、犯人はユダヤ人だと言った。
────ある者は、犯行は一年にも及び繰り返されたと言った。
そして、ある者は────
◆◆◆
その影は、午前を迎えて数刻と経たない暗闇から現れた。
その日の夜は、寒暖差の激しいイギリスである上に、小雨に降られているせいもあってか、季節外れに肌寒かった。
人影は、通りの街灯から街灯を渡り歩くようにして靴を鳴らし歩いていた。
深々とフードを被り、全身を隠すかのように長いコートを纏っている。冷夏の夜と言えど、流石にその姿格好は時期的に違和がある。
まるで、傍目には不自然とまでは映られないように、人目に触れないようにしている風であった。
そして『彼』────便宜上、そう呼ばせてもらうが────は、まだ開いているパブや風俗店に目線を運ばせているようで、一つ一つを吟味して緩慢な歩行を続けていた。
そう、『彼』は品定めをしていた。
フードで隠れた陰から、自身の唇をベロベロ、ベロベロ……と舐め回す舌を覗かせて、じっくりと。
己の興奮を吐くような震えの息を、シィシィと鳴らして。
最後に────その手の中に、まだ乾ききっていない血糊がべっとりと張り付いた果物ナイフを忍ばせながら。
◆◆◆
イギリスでは今、一つの事件が世間を騒がせていた。
イギリス史上最大の謎────切り裂きジャックの〝再来〟。
過去の事件の余韻を忘れた人々に向けて、そして今なお大真面目にその謎の追及をする人々に向けて。
二世紀の時を経て、嘲笑うかのようにその犯行は始まった。
マゼンダ=バサールは、その第一の被害者。
酒場パブ『ルロイ』の娼婦であった彼女は、二階の大通りに面した部屋のベッドで、血の海に沈んでいた。
ズタズタの腸を引き抜き、子宮をゴミ箱に投棄するという凄惨な有様で、警察の眉を顰めさせる。
続いて間も置かず、ロンドンのSOHOにあるキャッチバーで、裸のまま全身を切り刻まれ、喉を裂かれた女性が、何人も次々と発見された。
その中で被害者の一人、オイマン=リドラーは、高慢な女性であったと同僚は語る。トラブルは絶えず、殺されたのも怨恨の線が濃厚とされていた。
しかし問題は、第一の被害者であるマゼンダとオイマンには、イギリス在住の売女という共通点以外、あらゆる接点が無かったということ。
すなわち、二人を殺す動機が無かったということである。共通点と言えば────両者共、売春行為を行っていたということだけ。
英国警察は、娼婦及び売春行為そのものに異常な嫌悪感・忌避感を抱く者の犯行とし、早い段階で捜査を始めた。
一方同時期、この売春婦を狙った無差別殺人事件を────オイマン死後、この件を嗅ぎつけたあるゴシップ誌が、誌面いっぱいの文字で面白おかしくこう煽ったのだ。
────まるで、ジャックが蘇ったかのようだ、と。
この連続殺人犯の存在は、瞬く間にイギリス全土に轟き渡った。
日が落ちた途端、ロンドンの人通りはピタリと途絶えた。
夜遅く営業するパブの売り上げは、その日を境に急激に下がった。
切り裂きジャックというイギリスの伝説的な恐怖の代名詞は、今なおかの国民にとっては脅威の対象として刻み込まれていたのだった。
多くの学者が、その正体を熱心に議論した。
多くの警察関係者が、その犯行を懸命に追求した。
しかし、こうして。
切り裂きジャックは、人々の闇夜の淵を縫うかのようにして、その姿を衆目には晒さない。
◆◆◆
『本番とフレンチで25ポンド。一時間だから110ポンドで135ポンドね』
ぶっきらぼうなパブの主人の案内を受け、『彼』は受付を通り過ぎた。足音無く、脇の階段を昇る。
シィシィと、その口笛のなり損ないのような音を鳴らして、一段、また一段と、買った女の元へと歩み寄っていく。
どうも奮わないのか店は酒場とは思えないほど静かで、客は自分だけのようであった。事実、外から一見しても十中八九、店仕舞いしたのかと思うことだろう。
まあそんなことは関係ないと、『彼』はやや急な階段を昇りきり、指示された部屋に向かった。
何の変哲のない部屋部屋の中、一つの扉に向かい、丁重なノックをした。
『……どうぞ』
鈴を鳴らしたかのような返事が返ってくる。瞬間、ほくそ笑むように、その口角を吊り上げた。
釣れた、と声なき忍び笑いを浮かべ、そのドアノブを回した。
やはり中は、どうということもない宿屋の部屋だった。飾り気は無く、置かれている娯楽も、適当に脇に置かれたテレビのみ。
好都合である。物で煩雑していないと、こちらとしてもやりやすい。
そして、ベッドに腰掛け、暗い窓の外を眺めているのかこちらに背を向ける女がいた。
ゆったりとした白いローブを羽織り、静かに佇んでいるすらっとした背筋。
その後ろ姿でまず目に留まるのが、女の黒髪だ。かなり珍しい、東洋人だろうか。
そんな流れるような髪から覗くうなじは、細く白い。正規の客からしたら、金額以上の上玉であろう。
『緊張でも、してるのかな?』
「…………」
優しく声をかけながら、『彼』は部屋を一瞥し────内線の固定電話と、おそらく携帯がしまわれているであろう女の持ち物であるバッグを見た。
外への連絡手段は、これで全部のようだ。ゆっくり女に近寄る振りをして、女とそれらの間にその身を滑り込ませる。
『……こっちを向いて? 恥ずかしがり屋のキティちゃん』
部屋の鍵は、声に紛れて掛けてあった。気取られないよう、『その時』が来るまで警戒の一つもされないよう、細心の注意を払っている。
そう、自分は獲物を狩る猟師だ。
女は最期の最期まで、自分に何が起こったのか、分からないだろう。────手練れは、獲物にすら自らの死を認識をさせないものなのだ。
『そうだ……ガムがあるよ。一緒に食べるかい?』
シィシィと擦れた息が垂れる。
その笑みに広げた並びの良い歯からは、かすかに見えるだろう。
その歯の隙間に挟まる、『肉』のようなもの。その『食べ残し』が、通りの良いはずの息を阻み、奇妙な音を立てさせている。
ただ、誰も分かるまい。
〝その食事後の食べカスが────元は人間の指の欠片だということに〟。
まさしく、ガムを噛むように。
『彼』は、人の屍肉を食べていたのだ。
『ほら……ねえ』
広げた両の手が、今まさに女の身に迫ろうとした────
『……こんばんは、〝切り裂きジャック〟』
『……!?』
その言葉に、ピクリと動きを止める。
驚愕からもあるが、それ以上に────その女から得体の知れない雰囲気を感じ取ったからだ。
『フン、あの切り裂きジャックがどんなものかと思えば……なんてことはない、ただのイカれた殺人鬼じゃねえか』
いや、違う。
この雰囲気は、違う。今自分の歯牙にかかろうとするか弱い者の声でも、〝ましてや男に買われる女のものでもない〟。
『いずれ警察が、お前を見つけるだろう。ただ、法の裁きじゃ物足りないというのが、「上」からのありがたーいお言葉ってやつでね』
立ち上がりざまに、その黒髪がパサリとベッドに落ちる。
まだ、年端もいかない東洋人の少年が、流暢な英語と共に横目で見下ろす。
混乱のさなかでも、これだけは分かる。
────これは、囮だ。
『────来いよ「ジャック」、支払いの135ポンド分、キッチリ楽しませてやるぜ?』
現代に蘇った切り裂きジャックは、真っ向からその少年の獰猛な笑みにぶつかり、シィシィと怨嗟の籠った息を大きく吐いた。
初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。
告知:八月中は一身上の都合で最低週一投稿のノルマを一時的に撤回させていただきます。ご了承ください。
【追記:八月二十九日】加筆修正しました。