第一話
例えば、今壇上に上がって新学期の挨拶をしている校長。その長話の中で彼が『えー……』とどもる回数は五十七回だ。ひょっとしたら、プラスマイナス一の数え間違いはあるかもしれないが。
例えば、俺の斜め隣でべらべらとお友達とお喋りをしている尾崎光希は、この一か月後には原チャリを盗んだ上に無免許運転がバレて一か月の謹慎処分を受ける。
例えば、俺の目の前で居眠りしている西岡春子は、尻の少し上にある大きなホクロを気にしている。
コンプレックスってやつか? 実際に見た時にそう本人が言ってたから間違いない。
……何故そんなことが分かるかって? まるで未来が分かるかのようだって?
別に、そんな大層なことじゃない。物語でも映画でも何でもいい、使い古された、お約束の話だ。
むしろ逆に俺から一つ、質問しておこう。
――――今のこの世界、一体何週目だと思う?
答え合わせは、少しだけここまでのいきさつを語ってから。
もっとも、正解は期待してないけども。
◆◆◆
一週目の高校一年生の生活は、なんてことない、つまらない日常だった。
共働きの母親が作り残した朝飯を食べ、学校で授業を受け、時間になれば下校。帰宅部である以上放課後にやることも無く、掃除当番が無ければすぐに帰る。夕飯は自炊。
それを一年。正確には土日祝日長期休暇の休みを差っ引いて二百日以上、ずっとその繰り返し。中学の頃と、何も変わらなかった。
友達はいない。そのせいで休憩時間と昼休みと体育の時間は億劫なものだった。いつも眠たいふりをして机に寝そべっていた。それでいいと思っていた。
結果、イジメられることはなくても、誰かと親しく関わることはなかった。話に入れなかった。いつも寝てることしか特徴のない、つまらない人間だと失笑を買っていた。
俺はずっと、一人で生き続けた。誰かと交わらないだけの独自性が俺にはあるのだと、そんな安っぽい見栄があった。
当然と言えば当然だが、誰も、そんな俺を助けようなんて思う人間はいなくて。
俺を間違ってるとも正しいとも言ってくれる人間さえいなかった。
もう既に、この生き方は直しようもなかった。今更笑みを浮かべて近づいても気持ち悪がられるに決まっていたから。人と深く関わらないまま、きっかけもつかめず、いつもの調子で振る舞うことを暗に強要され続けていた。
そうやって、俺は『カシコク』生きることが出来ず、不器用に、そして非効率に生きていた。
「……嘘だろ」
〝あの日、四月一日が再び始まるまでは〟。
最初は、何の冗談かと思った。
変なドッキリで困惑する俺を、目に映る全員が笑っているのかとさえ思った。もっとも、他のクラスのリア充にならさておき、俺みたいな空気野郎を騙して意味があるとは思えなかったが。
だって実際、その方がまだ現実味があったから。それ以上に信じ難い、可笑しな変化があった。
何か変だとは、起きてからずっと思っていた。
朝部屋の自分の制服を見ると、妙に新品らしく、折り目がきっちりと整っていた。カバンも、壊れていたはずのファスナーが直っていたし、冷蔵庫の残り物も少しだけ変わっていた。
それでも、気のせいだろうと思っていた。なにせ、『同じ』四月一日だったから。
自分がいかに視野が狭いか思い知らされた。朝のニュースもしっかり見ておいてこのざまだったのだから。
前置きが長くなったが、俺はいつものように校門前にいた。クラス振り分けが公開された看板を見ていた。
が、それからはいつものように、とはいかなかった。
――――無い。俺の名前がどうしても見つからなかったのだ。
今となっては、当たり前といえば当たり前だったが、
見つからない自分の名前にやきもきしていたところを、近くで見ていたらしい男教師に声を掛けられた。
「どうした? 名前が見つからないのか?」
「ああ、まあ……」
先生という人間は嫌いだ。子供相手だからか、変に威圧的過ぎる。
「名前は?」
「……相川拓二。相談の相に、川」
「相川、か……学年は」
「二年、ですけど……」
それだけ言うと、彼は目線を看板に向ける。
俺も一緒に、自分の名前を探した。が、やはり見つからない。
そんな折、教師が声を上げた。
「おい、あれは違うのか?」
その太い指先が差し示したところは、俺が見ていた二年生の枠から少しずれていて。
まさに『やり直した』かのように、一年生の枠にぽつりと、一字一句間違いなく俺の名前がそこにあった。
◆◆◆
それが、『ムゲンループ』の始まりだった。
しかし二周目の世界のことは、正直あまり思い出したくない。
この後、結局状況を受け入れられなかった俺は教師とひと悶着を起こして悪目立ち。たったそれだけで、変人というレッテルは呪いのようにこびりつき、イジメられ、学校にも行かずに引きこもり……典型的なクズニートに成り下がった。精神病院に行かされなかっただけマシとも言えるが。
何時まで経っても、長い長い悪夢が続いた。
唐突に訪れた二周目の世界を憎みながら、毎朝毎朝、起きるたびに夢であることを期待して、落胆した。物に当たり、部屋の中を荒らしてからひたすら泣き続けた。
暴れて、泣いて、暴れて、また泣いて。
そして、何時しか。
何時しか俺は、薄暗い部屋の中で、三週目の四月一日を望んだ。
俺を滅茶苦茶にした元凶である『ムゲンループ』を望んでいた。
一周目と二周目の世界を経験して、俺は知った。
俺は間違っていたのだと。
もし何事もなく世界が一周目のままであれば、今頃はちょうど進路について悩み始めるところだ。そして大学に行くのであれば、試験を受ける。それから数年すれば就職し、結婚もするかもしれない。そして数十年働いて、引退して、老後を迎えて――――
人生は、あまりにも長い。長すぎる。
そしてその全てを成功させ続けるのは、俺にはあまりにも困難だ。何か一つ失敗すれば、二週目の時と同じ轍を踏むことになる。
失敗はもう御免だ。今のままの生き方では何時か必ず間違える。
だったら、ここにずっといればいい。ここでずっと、『カシコク』生きていればいい。
勉強もするだろう。運動もするだろう。人とも仲良くするだろう。
犯罪だろうが何だろうが、興味のあることは何でもするだろう。
失敗しても、またやり直せるんだから。
ループから何とかして脱出しようとか、そんなことは全く考えなかった。
というかやだよ、もったいない。
だって考えてもみろ、一年毎に一からやり直せるなんて、夢のような話だ。しかも、前の周の記憶を引き継げるのは俺だけだ。
俺のためだけに、この世界が時間を与えているのだと、本気で思った。
この時はまだ、三周目があるのかどうかさえ分からないのに。今ならそれが、その時点ではただの現実逃避の妄想でしかないのだと思えるのに、あの時は本気でこう思っていた。
リセットを繰り返し、俺は何もかもを極めよう、と。
もう二度と、何も後悔しないために。
そして妄想は、現実のものとなった。
訪れた三周目の『四月一日』を確認し、俺は一人、歓喜の涙を流した。
◆◆◆
そう。これが、始まりだった。
今の俺がいる、そのきっかけ。
『ムゲンループ』がどのようにして発生したのか。どうして俺だけが、前の世界からやり直せるのか。本当に、現実で起こっていることなのか。
俺自身、分からないことが多い。
でも、それでいい。
俺はこのぬるま湯のような『ムゲンループ』の中で、『カシコク』生きる。
俺はこっそりとほくそ笑んだ。
さて、今度は何をしようか。
校長の長ったらしい薫陶が始まって、三分十三秒。あと三十秒で話が終わるはずだ。これも全部、『ムゲンループ』の賜物だ。
……え?
この世界が何周目か? 答え合わせ?
さあ?
〝そんなこと、もうとっくに覚えてないに決まっている〟。
答えなんてハナから用意しちゃいない。だから言ったろう、『正解は期待してない』ってな。
多分、五十周はしてると思うけど。
初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。最低週一投稿を目指していますが、都合で出来ない際は逐一報告いたします。
【追加:十一月二十五日】加筆修正しました。