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2章
9/28

08 飯原綾

 綾が自殺未遂をした、と直から聞いたときは、意味が分からなかった。

 成績は毎回学年で五位以内、部活でも大学から視察対象になっているほどで、そのうえ人望があって、芝原にも好かれている。

 自殺の原因を考えれば考えるほど、分からなかった。

 何が、気に入らない?

 その状況で自殺するなら、全ての面においてあんたに劣っている自分は、何なんだ?

 あんたより劣る自分は、生きている価値がないとでもいうのか?

 理由はどうでもいい。一瞬でも激しい嫌悪を抱いただけで、人は人を嫌いになれる。そのことを、柚樹は初めて知った。

 そして、高校生活のほとんどを一緒に過ごしてきた人間が、見るからに調子を崩していくなか、一瞬の嫌悪に身を任せて人を嫌い続けると言うことが、案外、辛いことだということも。


 昨日の着替え中に、澤山が、綾のバッシュの隠し場所を、部員に対して喋っていた。もう廃棄していたのかと思ったが、オークションに出品して小金を稼ぐつもりらしい。家に置いていたら母に見つかったので、今年廃部となった剣道部の部室に移したということだった。母親に言い訳できない程度で隠すなんて、小悪党の澤山らしい。蔵本だったらそんなこと、意にも介さないだろう。

 昼休みに元剣道部の部室に行ってみると、その入口はドアノブが取られていた。少し考え、野球部のグラウンド側に回った。すると枠だけになった窓があった。そこから中に入った。

 ガラスをなるべくよけて歩く。部屋の隅に、確かに、綾のバッシュがあった。入学して間もないころ、二人で、買いに行ったバッシュだ。綾は、一年の頃は、体育館シューズをボロ雑巾にしてから、中学時代のバッシュを使っていた。二年生から履き始めたこのバッシュは本当に大事に使われているが、そろそろ寿命も近づいている。

 柚樹はバッシュを持ち上げた。


 飯原綾の名前は中学時代から有名だった。自分と同じ高校に入ると聞いて、自分なんかとは住む世界の違う人間だろう、と思いながら、クラス発表の掲示板を眺めた。

 出席番号一番の青野柚樹のすぐ下、出席番号二番が、飯原綾だった。教室に入ると、すぐ後ろに、飯原綾がいた。

 最初の退屈なホームルームをやり過ごし、少し部活を見て帰ろう、と思って鞄を持ち上げると、後ろから声をかけられた。

「ごめん、ちょっといい? ……ですか」

 取ってつけたような敬語を使い、飯原綾が声をかけてきた。口調がなれなれしかった。飯原綾に対しては、僻みみたいな気持ちも最初から抱いていたので、そう感じただけかもしれないけれど。

「うん」

 戸惑いながら返事をすると、

「青野さんって、バスケ部志望?」

 意外な問いが返ってきた。

「そうだけど……どうして?」

「えっと、覚えてない? 青野さんの中学と、一回、試合したんだけど」

 忘れるも何も……と思ったのを覚えている。

 飯原綾を中心に作られたあのチームは、県内では常勝無敗だった。柚樹の中学も他に漏れず完敗だった。

 そのことを話すと、

「チームメイトに恵まれただけだよ」

 と苦笑いして、

「青野さんのことは、あの中学で一人だけ良い動きしてたから覚えてた。みんなが、大差つけられて、勝てる訳ないって感じで、苦笑いしながらだらだら走ってたのに、一人だけ、集中力を切らさないで、声を出し続けて、チームメイトを鼓舞してる人がいて。同じポジションだし、私も負けてられないって思って、あの試合はすごく良い動きが出来たんだ」

 "あの"飯原綾に誉められて、悪い気はしなかった。そのときは、少し、嬉しさが表情に出てしまったかもしれない。

 そしてそのあと、体育館での部活を一緒に覗いてから、帰りにスポーツショップへ寄り、バッシュを買った。


 蔵本の狙いはきっと、初めから、直だった。途中まで、追い詰められていたのは、綾だったから、気付けなかった。

 直が狙いだったら、止めていた。綾ならば、構わないと思っていた、はずだった。

 けど、と、綾の大切なバッシュを抱えながら、思う。綾がいじめられるのは構わないと思ってきたはずなのに、綾がバスケ部でいじめられているのを見ても、すっきりしなかった。嫌みの一つを言ってみても、楽しくなんてないことに、すぐ、気付いた。そして間の悪いことに、綾が、直を信じきれなかった瞬間から、いつも自信に満ちあふれ、周りから一目おかれていたはずの「飯原綾」は、ただの「2年A組の飯原さん」という存在に成り代わった。

 バッシュを右手に持ち替え、苛々しながら剣道部の部室を出て、教室棟へ歩いた。

 ……違うだろ。そうじゃないだろ? あんたを嫌悪したのは、「2年A組の飯原さん」が自殺未遂をしたからじゃない。すべてにおいて自分の能力を凌駕する、あの「飯原綾」が自殺未遂をしたからだ。這い蹲ってる人間を顧みもしないで、自分から、その才能を打ち捨てるような真似をしたからだ。

 そんな、周囲の視線ばかり気にして、おどおど目線を泳がせているような奴を……どうやって嫌い続けろって言うんだよ。 

 柚樹は、澤山に気付かれないよう、放課後までどこかにバッシュを隠しておこうと思い、体育館に向かった。体育館には、昼休みを利用して遊んでいる学生がいっぱいいた。一番ステージに近い入口から入って、裏手に潜り込んだ。そこは陽が届かずに薄暗く、掃除用具がごちゃごちゃと突っ込んである。そのステージ裏の隅、モップの上に、綾のバッシュを二足揃えておいた。

 何やってんだろ、今更。軽くため息をつき、柚樹は引き返した。ステージ裏から出ると、そこに、芝原が立っていた。

 あまりに唐突だったので、何も言えず、ただただ立ち尽くした。

 すると芝原が先に口を開き、笑いかけてきた。

「青野が昼休みに来るなんて、珍しいね。練習?」

「芝原のほうは? 練習?」

 あからさまに話題を逸らしたが、芝原はさして気にする風もない。

 他の部員に見られていたって言い訳できないのに、芝原の前では、余計だ。顔が熱くなっていくのがわかる。

「そうそう。高校から始めたばっかりの下手くそは、練習しないと」

「頑張ってるよ、ね、いつも」

「こんなにやってても、飯原には敵わないんだけどさ。まだ一回も勝ったことない。負けてばっかりは悔しいから、とりあえず、練習」

「綾は半端じゃないから。しょうがないよ」

 柚樹はそこで芝原に背を向け、会話を放棄した。

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