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届いてください  作者: SET
1章
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03 眠れない

 夕食は、作り慣れたカレーにした。多めに作っておいたので、明後日までは使い回しが出来る。

 米を研いで炊飯器にセットし、ついでに冷やしておいたタオルを、手に取った。カレーの入った鍋に蓋を被せ、台所の電気を消す。台所と繋がった居間の、隅にあるソファの上に、寝転ぶ。膝を立てて楽な姿勢になったあと、タオルを目に被せた。冬に近い寒さが部屋を支配しているので、気持ちよくはない。肌寒さが増しただけだ。

 直だって、聡美だって、こんな自分の味方でいてくれる。自殺原因がいじめにある、と決めつけた方法論のまずさには憎しみすら抱いたが、教師だって、優しい言葉をかけてくれた。学校中のすべてが敵に回ったわけではない。こんな状況で泣くなんて、甘えてる。こんなことで泣くくらいなら、最初から、自殺企図なんてしなければいい。それか、苦しくても確実に死ぬ方法を選べばよかったのだ。自殺のための方法も甘えなら、生き残ってからの行動も甘え。

 玄関の扉が開く音がして、ただいま、という声が聞こえた。

「おかえり」

 大きめの声で返してから、タオルを外して、のろのろと起き上がる。

 居間に入ってきた母は、疲れ切った様子でバッグを置き、先程まで綾の座っていたソファーに体を沈めた。

「夜ごはんは何ですか?」

 母は、人にものを頼んだりする時には、必ず敬語になる。

「カレーです」

 台所に行ってコンロに火をつけ、コップいっぱいに水を注いで居間に戻り、母に渡す。

 母はそれを一気に飲み干した。それにアルコールを一息に飲み下す父の姿がだぶり、目が逸らせなくなった。母と父の性格は正反対だが、所作は、忌々しいほど似ている。

「ありがと」

 コップを置き、母は部屋を出て行った。それからやっと体の自由が利くようになり、母がパジャマに着替えて帰ってくるまでに、夕食の支度をした。

 午後十時を過ぎる遅めの夕食を済ませたあとは、母と二人でぼうっとテレビを眺めていた。母は、CMの間などに、ぽつぽつと仕事の苦労話を零した。仕事は在宅介護を行う家庭のヘルパーだ。それぞれの家を車で回り、家族では対応しきれない部分を母たちヘルパーで補う形になる。ニュースで、介護を苦にして殺人を犯した、などという話題があると、母はその度に重々しい溜息をつく。

 各家庭の軋轢(あつれき)に巻き込まれたり、仕事上の人間関係で躓いたりしながらも、高齢化社会の前線で戦っている母が、大好きだ。幸せになってほしい、と思っている。それは、本心。けれど、母の所作には、父の影がちらつく。その影に、母の姿が、からめ取られてしまう。さっきのように。

 特に目を惹く番組もやっていなかったので、母に、おやすみ、と声をかけ、自分の部屋の布団に潜った。

 明日が来ることへの不安に押し潰されそうで、眠れない。それでも、無理矢理、目を閉じる。今まで、自分で保管してきた睡眠導入剤と安定剤は、母が管理することになった。まして今日は、母を心配させたくないと、学校へ通い出したばかりだ。自殺をやり直すような気概は、どこにも残っていなかったが、使いたいと、言い出す勇気はなかった。

 

 直と誰かの言い合う声が聞こえてきた。

 全く眠っていないのに眠くない、という気持ちの悪い徒労感を引きずりながら、俯き加減に廊下を歩いていた時だった。言葉はうまく聞き取れないけれど、内容は察しがついた。教室へ入るには勇気が要ったが、口論がおさまった後、素知らぬ顔で入ることができるほど、神経が太くもなかった。

「しつこい。裏切るも何も、最初から友達なんかじゃない、あんな奴と」

「残念。青野は、引き込めなかったね」

「人を遊び半分で追い詰めるのって、楽しい?」

「ねえ、阪井。あんまり、はしゃがないほうがいいよ。後で後悔するから」

「何その言い方。脅してるつもり? 私は、矢崎みたいにはならない」

 綾が前の扉から教室に入っても、真ん中の列の最後尾、柚樹の座席の近くで行われている言葉の応酬は止むことがなかった。

「直」

 精いっぱいの勇気を込めて、その名前を呼ぶ。

 クラスメイトの蔵本と安井と倉田、それに柚樹、直が、こちらを向いた。

 そこで初めて気づく。直は、一対四の構図で口論を行っていた。

「ほら、ぐちゃぐちゃ言ってる間に、愛しの綾ちゃんが来たよ。慰めてもらえば? 一線超えてるっぽいしね。阪井と飯原って」

「え? 違うの? ずっとそうだと思ってたけど。阪井さんが飯原さん以外に笑顔を向けるの、見たことない」

「消えてくんねーかな。吐きそう」

 蔵本と柚樹は、直への追い討ちには参加していなかった。蔵本は笑顔を浮かべているだけ。柚樹は黙って、窓の外を眺めている。

 柚樹に気を取られている間に、直が、蔵本たちに背を向け、こちらに歩いてきた。

「おはよう」

 別に気にしていない、とでもいうような、作り笑いを、直は見せた。

 直とは、小学校の五年生の時、直が転校してきてからの仲だ。そのせいで、笑みが明らかに取り繕ったものであるとすぐに分かってしまった。

 綾は直の手首を取り、教室の外に連れ出した。この行動に、また後ろから揶揄が聞こえた。

 廊下は、登校してくる生徒たちであふれかえっていた。邪魔にならないように隅に移動した。

「ごめん」

「何で綾が謝るの? 私が勝手に喧嘩してただけだよ」

 教室の中での強気な表情はすっかり消え失せ、直は、小さな声で、言った。直はそんなに、弁が立つ方じゃない。きっと、慣れない口論をした疲れが、その表情を見せているんだろう。

「でも、僕への陰口が原因じゃ」

 直は自分の浮かべている表情に気付いたのか、すぐに顔を引き締めた。

「そのくらいでわざわざ……あの蔵本に、突っかかったりしないよ」

 あの蔵本に。

 そう。気に入らないというだけで、一人のクラスメイトを、退学にまで追い込んだ、あの蔵本に……。

「本当に、やめてね。僕が標的にされるくらいならいいけど、直まで巻き込みたくないから」

「自分が標的にされるならいいとか、そんな風に言わないで。哀しくなる。綾が悪いわけじゃないのに」

「悪いよ。いろんな人が、疑われたんだから」

「疑ったのはバカな教師たちでしょ。それに、矢崎の前例があったから、教師たちだって動いた。結局は蔵本のせいだよ」

 そこで、ホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴った。

「直。とにかく、蔵本たちには口を出さないで。無視してれば、そのうち飽きるよ、蔵本たちも。あいつらは本当に……危ないし、巧い。関わらないほうがいい」

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