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届いてください  作者: SET
1章
3/28

02 立ち尽くす

「私の事、疑ったでしょ」

 一時間目の授業が終わってすぐ、綾の近くにやってきた直は、不機嫌な声で、言った。

 図星だったが、慌てて首を横に振った。

「すぐ分かる嘘、つかないで」

「う、嘘じゃ……」

「昼休み、空けておいてね。話しがあるから」

 直が席に戻ってからも、綾は、自分の席でじっとしていた。いつもだったら周りの女子と他愛ないおしゃべりをして潰す休み時間なのに、何をどうすればいいのか分からなかった。何か声をかけようとするたび、朝、下駄箱で会った女子のことが頭によぎった。なんだか迷惑そうだった、それだけのことなのに、誰かに口を塞がれているような感覚が、ずっと、ついてまわった。

 結局、昼休みまでに会話を交わしたのは、直と柚樹だけで、他は、小早川聡美(こばやかわ さとみ)が優しく挨拶をしてくれただけだった。

 昼休みになり、綾と直は、いつも昼食を食べる四人のグループのひとり、聡美の机に集まった。教室の左隅。綾と聡美は弁当を広げ、直はコンビニで買ったと思しきパンを取り出した。

 今日は、一人、足りない。柚樹が、違うグループと食事を共にしていた。

「ゆず」

 聡美が柚樹を呼んだ。しかし柚樹は、聡美の呼びかけを無視した。

「綾。初めに言っておくけど。今回のこと、無事では済まないと思うよ」

 直は、険しい目つきで柚樹のほうを睨みつけながら、呟いた。

「綾がいない間ね、綾に対するいじめがなかったか、頭の回らない教師たちが聞き取り調査、したの。クラスでも、バスケ部でもね。何もしてないのに疑われたから、何人かは反発して、蔵本とか、安井とか、あの辺のグループが、綾のこと、嫌い始めてる。綾が休んでる間、陰口も結構聞いた」

「直、そんなあからさまに……」

「変に隠したってしょうがないでしょ。事実なんだから。柚樹も同じ。あいつはああいう奴だったんだよ」

「綾、ゆずは、違うよ。ゆずは、綾のこと、嫌ったりしないよ」

 聡美は、直ではなく、綾に向かって、言った。

 聡美と柚樹は、よく一緒にいる。聡美は、美術部で絵ばかり描いていて、身だしなみにも特に興味がない。加えて運動も勉強も人並外れて不得意だから、ときどき、柚樹は聡美のことを馬鹿にしている節もある。ただ、大らかな聡美はそれを知っていても気に留めないし、柚樹も自分から進んで一緒に過ごす事が多いのだから、仲はいいのだろう。

「うん。分かってる。でも、もし嫌われたとしても、僕に原因があるんだし、気にしてないよ」

 自分のせいで、柚樹は怒っている。自分が自殺企図なんてしたせいで。

 あの冷たい声音を、思い出す。今は取り付く島がなさそうだが、そのうち、仲直り、できるのだろうか。

「またそうやって、優等生ぶる」

 直は苛々を滲ませた言い方をして、メロンパンの包装を破り捨てた。

 直の言葉があまりに的を得ていたので、綾は何も、答えられなかった。

 そう。家でも学校でもいい顔をしようとして、自滅したんだ、自分は。ぐちゃぐちゃしたわけのわからないものを、後生大事に抱きかかえながら、それと一緒に心中しようとした。


 いつもだったら、柚樹と一緒に向かう部室には、一人で、向かった。

 部室では既に、何人かの部員が着替えていた。振り返った部員の一人に声をかけようとしたが、すぐに顔を背けられた。開きかけた口を、黙って閉じる。また、顔が熱くなる。誰にも見られていないのに、耐えられないくらい、恥ずかしかった。

 自殺未遂したことを、周りの人間のほとんどに知られていると言うのは、本当に、恥ずかしい。呼吸をして、日常の生活を営んでいることそのものが、自分の不始末を四六時中、曝け出しているようで、人の顔がまともに見られない。誰も自分の事なんて気にしてない、と思いたいが、やっぱり、今までとは、空気が、違う。

 新キャプテンという立場もあり、このところ、部員とは、広く浅く、付き合ってきた。うまくやれていた自信があった。それをわざわざ、自分で壊した。

 誰とも喋らずに制服を脱ぎ、膝丈までの黒ジャージを履く。汗止めの細いヘッドバンドをつけ、白いTシャツの上から、練習用のビブスを被った。背番号は四番。最後に、バッシュへと履き替えた。

 体育館を使う部活は、バレー部と、男女のバスケ部だけだ。バスケ部は男子と女子で、それぞれハーフコートを分け合っている。バスケ部とバレー部とは、網目の大きめな薄緑の防護ネットで区切られている。防護ネットは、体育館のちょうど中央で区切ることができる。簡単なレバーを操作し、三つの部の一年生たちが日替わりでネットを引いておくのが慣例だ。

 正面の入口もちょうど半分に分断する防護ネットを押し退け、中に入る。

 すでに柚樹は来ていた。他の部員と話している。不意にこちらを見たと思うと、他の部員と共に笑いあった。なんだか自分が笑われたような気がした。

 誰にも聞こえないように、柚樹、と呟いた。それから、マネージャーが来て練習予定をホワイトボードに書き込むまで、ずっと一人で、立っていた。

 練習は、どの部員も、身が入っていなかった。休憩時間はきちんと設定されているのに、練習のあいだもずっと、喋っている女子がいた。しかも、一年生の手本になるはずの、二年生。それまで真面目にやっていた一年生にも、その空気が伝播した。

「ちょっと、澤山(さわやま)、いつまでも喋ってないで。一年生、見てるよ」

 しばらく様子を見ていたが、あまりにも練習そっちのけで私語を続けるので、綾は注意した。

 普段は不服そうに口を尖らせて練習に戻る澤山が、今日は、綾の言葉がまるで聞こえていないかのように、喋り続けた。視線すら寄越さない。

「タイマー、止めて」

 マネージャーに言って、基礎体力を養う練習を、中断させた。

 綾にとって部活は、多少なりとも本音を吐き出せる、唯一の場所だった。あくまでも部活なので、練習を強制するわけにはいかないものの、練習の邪魔をする人間には、強く注意してきた。同学年にしっかり注意することが出来るから、新キャプテンに選ばれたとも、思っている。そのため、ふざけてばかりの澤山たちとはあまりそりが合わない。

「お願いだから、静かにしてよ。練習する気分じゃないなら、早退していいから」

 澤山たちは、体育館のステージに座り、喋り続けている。

「ねえ!」

 全くの、無視。

 ふと、視線を感じて、周りを見回す。

 騒いで練習を邪魔しているのは澤山たちだったが、なぜか、綾に視線が集中していた。

「え……なに?」

 思わず、誤魔化すような苦笑を零してしまう。

 途端、呆れたような視線が、綾の全身に突き刺さる。いつもだったら、白い目を向けられるのは、澤山たちのほうなのに。

 誰も何もが動かず、澤山たちの声だけが聞こえる。時間が止まったような錯覚を覚えた時、柚樹が、こちらに向かって歩いてきた。

「練習、再開させて」

 柚樹は、綾の横を通り過ぎ、マネージャーにそう言った。

 マネージャーは頷き、タイマーの一時停止を解いた。

 練習が、再開された。喋り続ける澤山たちと、立ち尽くす綾を置いて。


 後片付けが終わった後も、体育館に残った。

 居残り練習をするのは、良くあることだったので、誰も疑問には思っていないようだった。というよりも、まるで綾のことはどうでもいい、といった風情が、部員の間に蔓延していた。

 自殺を試みたことによって、少しは浚われたかに思えた澱みが、また底に沈み始める。澤山がきっかけで泣くのは絶対に嫌だったので、折り畳まれたバスケットゴールの下で、床と目を合わせ続けていた。革張りのバスケットボールを、手もとでいじる。

「なあ」

 ああでもやっぱり、駄目かもしれない。泣こうか。そう思った所で、右斜め後ろから声がした。

 驚いて振り返ると、綾の居る場所から一番近い出入り口に、男子バスケ部の部員、芝原一浩(しばはら かずひろ)が立っていた。この学校で、一割にも満たない男子の一人。

「今日、ワンオンワン、やるか?」

「ううん。遠慮、しとく」

「そっか」

 バスケ部員の中で、居残り練習をするのは、この芝原と、綾だけだ。基本的にはお互い、不干渉でそれぞれの練習をやっているが、仕上げに、一対一の勝負をすることがある。綾は百六十三センチで、芝原は百七十センチ。身長差も控えめで、高校からバスケを始めた芝原には技術の甘さもあるから、一応、勝負にはなった。

「男子のほうに来ればいいのに。男子に交じっても、飯原なら、出来るよ」

 男子とはハーフコートを分け合っている。今日のちょっとした騒動も、見ていたんだろう。女子部員全員がよそよそしい態度を取っていたことを考えると、きっと、芝原も、自殺未遂のことを、知っている。

 芝原にまで、知られているんだ。そう思うと、情けなくなって、恥ずかしくてたまらなくなって、我慢していた涙が零れそうになった。

「部があんな状態になった理由、後で、聞かせてもらっていい? 根本的な原因は、分かってるけど」

 綾はボールを掴んで、扉が開いたままの用具入れに放った。

「ごめん、後片付け、お願いね」

 そのまま芝原の顔を見ずに、家へ逃げ帰った。自転車を漕ぎながら、目元を何度か拭った。

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