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2章
14/28

13 ひとつの布団

 今はもう絶滅しかけた公衆電話ボックスの中で、柚樹は戦っていた。明け放たれたボックスのドアを押さえながら、聡美はその後ろ姿を見据える。

「とっ……友達の家に、し……ばらく、泊まる、から。そ、それだけっ!」

 柚樹はどもりながらも、言い切り、受話器を乱暴に置いた。

 柚樹の自宅の電話機にはナンバーディスプレイ機能があるということなので、聡美の家に迷惑をかけたくないと、自分で公衆電話を探してきた。しかし一人で電話を掛ける勇気はないので、怖気づかないようについて来てほしいと言われ、今こうしている。

「頑張ったね」

「ありがとう」

 覇気のない柚樹の顔は、血色が非常に悪かった。それだけでも柚樹の置かれている状況が垣間見える気がした。よほど険悪な仲でなければ、母親と話すだけでこんな疲れきった顔は見せない。

 昨日の柚樹は結局そのまま、聡美の家に泊まった。汚い部屋を一緒に片付けて、ひとつしかない布団で一緒に寝た。仰向けで寝ようとしていて、遠慮がちに体を寄せてきた柚樹に左腕を抱きしめられた時は、女同士とはいえさすがに焦ったけれど、柚樹は人肌で温まって安心したかっただけらしく、そのまま何もせず眠りに落ちた。そんな風に甘えられても、身長差が二十もあっては、こちらが子供みたいだった。

「帰ろっかー」

 聡史がことあるごとに話題を振ったり、乃亜が遊べ遊べとまとわりついたりしているが、柚樹は意外にも、嬉しそうに顔を綻ばせて受け答えをしている。たぶん柚樹は、家族という存在に飢えている。

 柚樹の家に行った昨日、柚樹の母に電話番号を渡してしまったから、折り返しかかってくるのも時間の問題だ。だけどこちらには、柚樹の弟が盗撮して小銭を稼いでいたという事実がある。これを上手く使えばしばらくは、柚樹の事を、あの家から遠ざけることが出来る。

 しかしあくまで、しばらくは、だ。家族との関係を修復しようにも、相手にその意思がないのだから、柚樹の置かれている立場は変わらない。

「明日、おばあちゃんの家に行こうと思う」

 聡史に借りた男物の服を着ている柚樹が呟き、聡美は考えていたことをとりあえず脇によけた。聡史の服を着ていることに特に意味はなく、聡美のものは小さくてサイズが合わないだけだった。

「おばあちゃんは息子夫婦……私から見て叔父夫婦と住んでるから、迷惑かもしれない迷惑かもしれないって、そればっかり考えてて、何も相談してなかったんだけど……。私がね、人並みに生活できるのは、おばあちゃんからお金を貰ってるおかげなの」

「いいおばあちゃんだね」

 柚樹がはにかんで、笑う。

「うん……。とっても、優しい人。だから、相談だけでもしてみる。私の両親は、おばあちゃんと叔父夫婦のことをいつも馬鹿にして、悪口ばっかり言ってるから、親権が弁護士がって持ち出して、簡単にいかなそうだけど」

「やってみる価値はあると思う」

「そうするつもり」

「でも、ゆずって、おばあちゃん、なんだ。うちの祖母が、とか言いそうなのに」

「おばあちゃんは、おばあちゃんだし……」

 少し不機嫌な様子で、柚樹が呟く。

「怒るなってー。かわいいとこもあるって意味だよ」

 肩を、柚樹の腕にぶつける。

「いたっ」

 更に不機嫌な呻きが聞こえたが、体のつくりの違いのせいで、よろけたのはこちらだった。柚樹が手首を掴んでくれたので、転ぶことはなく、どうにか踏みとどまれた。

「少しは運動したら? ただでさえ色白で、モヤシに見えるんだから」

 柚樹は手を離し、呆れを隠そうともせずに言った。

 ……久しぶりだね、その表情。

 口には出さずに、そう思った。べたべた甘えてくる柚樹も可愛いけど、やっぱり柚樹はこうじゃないと。

 自宅へ戻り、夕方になると、弟の聡史が部活から帰ってきた。一階の居間で、母の料理する音を聞きながら、柚樹と一緒に神経衰弱をやっていた聡美は、場所を取るそれを片付けた。なぜかトランプ全般は得意なので、綾に似て、負けることが大嫌いの柚樹には、フラストレーションを与えただけだったかもしれない。

 付け加えておくと、今日は土曜日なので、無断欠席ではない。高校に入学してから、遅刻や欠席は一度もなかったりする。だから英語の先生にも、あれほどひどい成績を取ることを不思議がられるんだけど。

「今日、仕事組は遅いらしいから。ごはん早くする」

 母がテーブルを拭きながら、声をかけてきた。

「やった。お腹空いたー」

「何か手伝いましょうか?」

 柚樹の提案に対し、母は首を横に振った。そのまま、台所に引っ込んだ。

「ごめん、うちの親、料理が趣味だから。手伝おうとすると、邪魔、の一言で片づけられる」

「なんだか……変わってるね。聡美のお母さん」

「今さら気付いたの?」

 聡美が答えると、母がさっそく食卓に料理を並べ始めた。聡美が父親の席に座り、柚樹は聡美の席に座った。聡史も席について、柚樹は、まだお邪魔してます、と軽く頭を下げた。

「気にしないでくださいよ。人数が多い方が楽しいし」

「ありがとう、聡史くん」

「いえ」

 聡史は少し照れくさそうに笑った。

 箸やご飯、野菜スープ、大根ときゅうりとわかめのサラダ、といった品を先に並べていた母は、今日のメインのおかずを台所から運んできた。

 それはハンバーグだった。まだ暖房は入れていないが、それなりに寒いなかで、勢いよく湯気が立ち上っている。

「うわぁ~」

 とても無邪気に喜ぶ声が聞こえた。空腹をこじらせた聡史が裏声でも使ったのかと思って一瞥したが、聡史は、柚樹の方を見ている。

「今の、ゆず?」

 訝りながら口にしてみると、柚樹の顔がみるみるうちに赤くなっていった。

「わ、悪い? おいしそうなものに素直に反応しただけだよ」

「ゆず、昨日から隙が多くて、可愛い」

 聡美は、笑みを浮かべた。なかなか普段の無愛想な柚樹のイメージと合致しない行動が多いけれど、それがいちいち楽しい。

 柚樹は聡美のからかいにはそれ以上応じず、赤い顔のまま、ハンバーグを一心に見つめている。

「あ、そういえば」

 と、聡史が言ったので、そちらに首を向けた。

「聡美ごめん、来週土曜の映画、マネージャーの勘違いとかで急に練習が入って、無理んなった」

「あー、薄々そんな気はしてた。休みなんてないもんね」

「申し訳ないっす」

「いいよ、もう、大丈夫。映画なんて見たくもないのに……気ぃ遣ってくれて、ありがとう。お姉ちゃん、もうちょっと頑張ってみる」

 わざとらしく握り拳を作って見せると、聡史がくすりと笑った。

「お姉ちゃん、頑張ってみる、か。懐かしーなー。鉄棒で逆上がりができない時も、自転車を上手く乗りこなせないときも、掛け算九九が覚えられない時も、いっつも言ってたよな」


 夕食を食べ、乃亜の相手をしたり交代でお風呂に入ったり歯を磨いたりしたあと、柚樹と二人で部屋に戻った。

 夜十時を過ぎた所で電気を消し、それからまた、ひとつの布団へ一緒に入った。

「昨日は、ごめん。気持ち悪いことして」

 聡美と反対方向の左側に体を向けている柚樹が、ぽつりと、呟いた。

「ううん。全然予想してなかったから、ちょっと焦ったけど、気持ち悪くはないよ。私も暖かかったし」

「寝る前は、いっつも、余計なことばっかり考える。昨日は、ここがばれて、すぐに連れ戻されるんじゃないか、聡美の家に迷惑かけるんじゃないか、って思ってたら、怖くてしょうがなかった」

 はぁ、と柚樹が溜息を吐いた。

「今は、昨日、なんであんなことしたんだろうって、自己嫌悪。聡美に甘えすぎてて、自分でも気持ち悪い」

 聡美は寝返りを打って柚樹のほうに向き直り、

「腕まくらー」

 とふざけて言いいながら、柚樹の首と布団の間に、右手を突っ込んだ。

「うあっ」

 柚樹がまたも意外な、可愛らしい悲鳴を上げた。

 ついでに左手も首もとに回し、柚樹を背後から抱きしめる格好にしてみた。柚樹の髪からシャンプーの香りが漂ってくる。

「女子校に友達以上恋人未満の過剰なスキンシップはつきものだぜー柚樹さんよぉ」

「誰からの情報よ、それ!」

 叫ぶようにして言った柚樹が、首を縮めて固まったまま動かないので、こちらから離れた。そこまで緊張されると、もっと悪戯したくなるけど。

「私には乃亜がいるから、甘えられるのは慣れてるし、結構、好き。そのくらいで自己嫌悪なんてしなくていいよ」

 柚樹は今まで、誰にも頼らないで……いや、誰にも頼れないで、生きてきたのだろう。

 毎日、そんなに楽しい空間は共有していなくても、顔を突き合わせているだけで、ちょっと安心する。家族がいっぱいいて、そんな空気に慣れ親しんできた自分だからこそ、分かる。家族という存在の大きさが。家族という存在の包容力が。それらが全くなく、むしろ(かさ)にかかって柚樹の存在を否定してくるのなら、それは、とても……。とても、耐えがたいことだ。

 柚樹に聞いた話からは、柚樹が、家で笑っている様子が全く想像できない。映像として浮かんでこない。家での圧迫が、四六時中、気を張り詰めているような、硬い表情を強いているのだとしたら。ここで寝泊まりして知った柚樹の側面を、意外だなあ意外だなあと思って、そんな目で見ているけれど、本当は、驚くようなことではないのかもしれなかった。

「それでもやっぱり、甘えてばっかりは、やだよ。私も、私なりに、できることから、やっていくから。聡美も、何かあったら、私に、相談して」

 柚樹が反対側を向いたまま、そう零した。

 ……やばい。嬉しい。

 聡美は照れ隠しに、目の前にある柚樹の背中に、頭突きをした。

 柚樹は小さく呻いてから、振り向きもせず、肘でこちらの脇腹を突いてきた。

 手加減されてはいるのだろうが、もろに入った。

「いったぁ……」

 柚樹と同じように呻きつつ、鈍く広がる痛みに、軽く体を丸めた。

 けど、なぜだか、楽しくてしょうがなかった。柚樹の背に額を預けたまま、笑みを浮かべたまま、目を閉じた。

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