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2章
13/28

12 言い訳

「お、じゃま、します……」

 聡美に連れられて顔を見せたリビングには、柚樹の家族全員が揃っていた。

 慣れない空気に気圧されながら、挨拶をした。

「あれ、柚樹さん、どうしたんすか?」

 聡美の弟の聡史が、首を傾げた。聡美の家には何度か来たことがある。聡美の父以外とは顔見知りだ。

「先に部屋に行ってて」

 聡美の言葉に甘えて、軽く頭を下げてから、リビングを辞した。

 階段を上がって聡美の部屋に行く。真っ暗だったので、電気傘からぶら下がる紐を探しあて、電気を点けた。

 足元には脱ぎっ放しの洋服、お菓子の空袋、携帯ゲーム機、散乱した漫画があった。ちょうど、人一人が寝そべることのできる空間だけがぽっかりと空いている。そこに寝転がって漫画を読んでいる聡美の姿が目に浮かぶようだった。

 聡美から借りていたコートを脱いで、ハンガーに掛ける。

「だらしないな……」

 脱ぎ散らかされた洋服を畳んで一か所に集め、お菓子の空袋を一か所に集め、ゲーム機を勉強机の上に置き、散乱した漫画を拾い集めて一か所に積み上げた。

 そして散乱していた漫画の下に、いくつかの絵の下書きと、メモ書きと、シャープペンシルが落ちていた。絵の一つを手に取ると、学校の銀杏並木が鮮やかな筆致で描かれていた。

 こんな綺麗な絵を、こんなところに……。踏んだりして皺だらけになったら、どうするんだか。

 溜息を吐きつつ、勉強机の上にまとめておこうと思って手に取る。メモ書きのほうも拾い集めていたら、たまたま、一つが目に入ってしまった。慌てて裏返す。

 しかしその中に一瞬見えた、『ゆず』という文字が気になった。悪いとは思いつつも、表に向け直した。

『あや……無気力。部活にも行っていない。授業中、ノートを取っている様子もない。いつもどこか遠くを眺めている。対処法不明。

 なお……あれから一度も学校に来ない。一番深い傷はたぶん、あやに疑われたこと。あやが家を訪ねて謝れば、少しは復活する可能性。くらもとたちが何かやってきても、四人で対抗すればなんとかなる。けど、家庭の事情はどうにもならない。一番慎重に対応が必要。

 ゆず……相変わらず、強情。一度も本心を見せてくれない。でも何となく、辛そう。助けてほしそうにしてる。どうにか本心を吐きだしてもらいたい。そうすればどうにかできるかも。

 くらもと……バカ やすい……アホ くらた……妖怪猫又』

「くっ」

 妖怪猫又、で思わず噴き出した。

「何か変な所あった?」

「ね、猫又って……あははっ。ぴったり。確かに倉田の猫かぶりの技術、は、妖怪、並み……」

 途中まで笑いながら言って、慌てて振り向く。メモを見ながら一人で笑っていたはずが、いつの間にか後ろに聡美がいた。手にはご飯、味噌汁、魚の煮付け、コールスローサラダ、カップめんが載せられたおぼん。

「ご、ごめっ、勝手に、見てっ……」

「いいよ、別に、メモくらい。片付けてくれてありがとう」

 聡美はお盆をフローリング張りの床に直接置いた。勉強机の上は色々なもので雑然としていて、置き場がない。

 聡美が座ったので、お盆を挟んだ正面に、柚樹も、座る。

「あ、え……ん? どういたし、まして?」

「さあ、どうぞ」

「う、うん」

 柚樹がカップめんに手を伸ばそうとすると、聡美が先んじてカップめんを取ってしまった。

 そのまま視線を上げ、聡美の顔を見つめていると、不思議そうに首を傾げられた。

 いちいち、さりげない、よなぁ……。

 また涙腺が緩みかけ、柚樹は、制服のスカートの裾を思い切り掴んだ。

「あのさ……」

「どうかした?」

「いま、話、聞いてもらっても、いいかな。食べながら、片手間で聞いてくれた方が楽だから」

「いいよ」

「たぶん気持ち悪い話だけど、我慢してね」

 ブレザーのポケットから、この間見つけたものを、指で摘んで取り出した。

「これ、何だと思う」

 カップめんのスープを啜っていた聡美は、少し目を細めた。

「小型カメラ?」

「当たり。私の家の風呂場の脱衣室には、洗面台があって、鏡が開閉して、裏側に物が収納できるようになってる。その鏡がたまに、少しだけ開いてることがあって。私は使わせてもらえない場所だから気にしてなかったんだけど。気まぐれで閉めようとしたら、中に、これがあった。中の映像を確かめてみたら、私の着替えの様子だけが、映ってた」

 少し間を開けると、ずるずると、めんを啜る音だけがした。

「たぶん、盗撮。で、親が弟の塾の送り迎えしてる間に、少しずつ弟のパソコンをチェックしていったら、どうやって撮ったのか、部屋の着替え、トイレの映像もあった。売ってたんだよ。あいつは。掲示板とかで適当に見繕った奴に、メールで。ただの着替えは三百円、風呂場のは五百円、トイレのは千円、ってね」

 自嘲の笑いが零れる。

 客観的に見れば、家族の恥、なのだろう。けれどそんな感慨はどこにもなかった。

 カメラを少し眺めてから、ブレザーのポケットに戻した。

「なんかもう、弟のイカレ具合とか、家の中のごちゃごちゃしたことに、うんざりしてて。どうすればいいのか途方に暮れてたら、そこでちょうど、綾が……自殺未遂、して。私、弟が優秀なせいで劣等感、酷いからさ、綾に対しても当然、持ってた。劣等感の塊みたいもの。だから、急に、恥ずかしくなってきて。なんで綾みたいなのが自殺未遂して、自分が生きてるんだろうって……。自殺未遂なんかされたら、ゴミみたいな私が生きてるのなんて、馬鹿らしいでしょ。それにさあ、それに……」

 スカートの裾をさらに強く、握り締めた。

「蔵本が怖かった。あいつ、私に、言うんだよ。四人の中で、一番、言うこと聞きそうな私を捕まえて。あいつを無視したらお前には手を出さないって。澤山に見てるよう頼んだから、余計なことしないでね、って。

 あいつ、矢崎に……。矢崎の腕にいっぱいあったリスカの傷、矢崎がやってたんじゃないんだよ。あいつがやってたんだよ。矢崎が泣き叫んでるの押さえつけて、ちゃんと大きい血管は避けて、傷の深さや方向まで計算してるみたいな口ぶりで、安井や倉田と話してた。矢崎、矢崎はさあ、自分でつけたわけでもない傷を隠して、隠しきれなくて、おかしくなんてないのに、家族にも、友達にも、そんな傷があるのはおかしいおかしいって言われて、本当におかしくなっていったんだよ。私はそれを見てた。見てたのに何もしなかった。蔵本が、怖かったから!」

 それなのに。

「それなのに、直は、立ち向かうんだよ。あいつに。それで、私を嘲けるような目を向けてきた」

 直の視線に射られる度、心臓が早鐘を打った。

 ……私だって綾の事、助けたい。助けたいけど、怖い。

 言い訳ばかりが渦巻いた。

「結局、直は、蔵本に勝てなかった。でも、戦わなかった私より、良い。家の中では、居ても居なくても同じみたいな存在で、学校でも、友達を助けようともしないで、臆病な自己保身しか考えてない。自分の馬鹿さ加減に気付かないふりをしてたけど、もう限界だった」

 カップめんの容器を聡美が、床に置いた。中身は空になっていた。

「そんな時に、聡美が……。聡美が、優しく、してくれる、から。涙なんか、馬鹿みたいに……」

 今まで、他人からの優しさは、沼のようだと思ってきた。優しくされると、底に沈んだ泥と水草に、感情が絡め取られそうになる。けれどその沼は、透明で澄んでいて、よく目を凝らすと、ひどく浅い。絡め取られても、すぐに落ち着きを取り戻せる。

 聡美の場合は、水深は同じはずなのに、水が濁って泥の層が厚く、底が見えなかった。一度足を取られたら、どこまでも引きずり込まれ、感情が自分の意志とは関係なしに絡め取られてしまうような気さえしていた。吐き出さないように、必死に溜め込んできた感情までもが。だから、怖かった。

 しかし聡美の優しさは、沼ではなかった。足を取られてパニックになっているこちらへ向かって、「慌てないで」と叫び続け、沼の(へり)から、必死に手を差し出してくれていた。

 溺れかけている時になってようやく気付くことのできた、その手。

 思わず掴んでしまった。


 また、嗚咽が零れ出す。嫌だ、子供みたいだ、我慢しないと。そう思ったって、止まらない。自然に出てしまう。

「言い訳はそれで終わり?」

 言い訳、と断じられたことに、どきりとする。

「ゆずは、私を介して、蔵本に脅されてることを綾に伝えるべきだったんだよ。ゆずなら、そのくらいの頭は回るはず。それもやめて全思考停止っていうのは……ちょっと、共感できないな」

 聡美の言い回しが少しきつめだったので、涙腺が余計に緩んだ。

「共感はできないけど、ね。ゆずのそういう弱さ、聞かせてもらえて良かったなあ、と思った。今、すごく、嬉しいよ。ゆずが、初めて私を、頼ってくれたから」

 目を擦っても擦っても涙が溢れて、霞んでしまう視界の中、聡美が笑った。

「復活したら、いろいろやってもらわないとね。私一人じゃちょっと、大変だし」

 でも今は、と聡美が呟く。

「ゆっくり、休んで」

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