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1章
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00 プロローグ

長編4作目です。よろしくお願いします。



「大丈夫?」

 阪井直(さかい なお)は、放課後、部活を休んで家に帰ろうとする飯原綾(いいはら あや)を呼び止めた。

 三年生が引退して二ヶ月ほどが経った今、綾は、バスケ部の新キャプテンを務めている。普段なら、風邪気味だからという、曖昧な理由で部活を休むことは、絶対にしない。他の部員からは、多少、煙たがられるほど練習に熱心だと聞く。

「ん? 何が?」

 最近まで女子校だったこの高校では、一日の終わりのざわつく教室の大部分を、女が占めている。その中で綾は、微笑みながら、首を傾げた。

「調子、悪そう」

 朝、会ってからずっと、綾の様子がおかしいと感じていた。論理的に説明できるかと問われたら、いつもと雰囲気が違う、としか答えられないが、気になって一日中、目で追っていた。

「うん。風邪気味だって言ったでしょ」

「そういうことじゃなくて。精神的に」

「平気だよ。心配してくれてありがとう」

 綾は鞄を肩に提げ、歩いていく。

「直」

 教室を出て行く際に、人好きのする明るい笑顔で振り返り、手を振ってくれた。

「またね」

 直は、釈然としないながら、本人が大丈夫と言っているのだからと無理に自分を納得させた。


 だが、陸上部の練習に参加している間も、ずっと、綾の事が頭から離れなかった。練習が終わると、どうしても堪え切れなくなった。

 引っ越してからの綾の家には、一回だけ、招待されたことがある。綾の話によれば、父親の暴力が酷いので、裁判をして別居することになり、綾の母親が知り合いから借りた家に移った、とのことだった。綾は、父に居場所を嗅ぎ付けられたくないから、直以外の誰にも、ここにいることは教えていない、というようなことを、言っていた。

 自転車で住宅街の一角に辿りついたのは、夜の八時を少し回った所だった。冬の足音が聞こえてきそうな寒さが辺りを包み、陽が落ちるのは早い。だというのに、電気が点いている様子はなかった。直は玄関に立ち、インターフォンを鳴らした。反応はなかった。

 風邪気味と言っていたから、眠っているのかもしれない。そう思い、玄関に背を向けかけたが、部活中からずっとまとわりついてくる茫洋とした不安が、足を止めさせた。

 五回、インターフォンを押した後で、玄関扉の取っ手に、手をかけた。

 ……大丈夫。自信を持て。何年、綾の友人をやってきたと思ってる。

 鍵はかかっていなかった。取っ手を引いて入ると、まず、異臭。鞄から、部活で使ったタオルを取り出し、鼻にあてた。こんな臭いの中で、生活しているのか、綾は。

 靴を脱いでフローリングに足を載せた。確かすぐ右側に、途中で直角に折れ曲がった、二階へ上る階段がある。そこを上る綾についていき、部屋に案内されたのは、半年近く前だったか。微かな記憶を頼りに、階段の上り口にある電気のスイッチを押した。天井にぶらさがっている電灯に明かりが点いた。

 照らされた玄関近くは、物という物で溢れ返っていた。ごみの袋がいくつもいくつも転がっている。臭いの発生源の一つは、恐らく、これだ。

「綾、いるの?」

 階段を上りながら名前を呼ぶが、返事はない。心臓の音が慌ただしい。どうしてだろう。根拠なんて、何もないのに。

 二階についてすぐ左に折れ、廊下を少し歩くと、ドアに突き当たった。ノックする。返事はない。ごめん、綾、と心の中で呟きながら、そのドアも開ける。

 綾の部屋は、真っ暗だった。酒くさい。階段の電気をつけた時と同じように、手探りで、電灯のスイッチを探した。どうにか見つけ、押す。

「綾?」

 綾は、部屋の中央にある、こたつ机に、身体を突っ伏させていた。思わず眠ってしまったという格好だった。

 なんだ、と軽く息を吐いた。途端、根拠もなしに勝手に家に入ってきたことが、とてつもなく失礼なことに思えてきた。……どうしよう。明日、謝れば許してくれるかな。そう思って、もう一度、綾を見る。

 突っ伏した綾の頭の向こうには、ビールの缶が何本か置いてあった。そして足もとには、見慣れない薬剤の包装紙が散乱している。いくつかの錠剤が入っているらしいそれを、拾って、名前を見た。

 母が、医者に処方されているものと、同じ錠剤だった。先程、息とともに吐き出した不安が、また、沸き上がってきた。

「綾」

 拾った薬剤を床に放り、綾の体を揺すった。何度か揺すっても、起きる気配はない。

 直は、綾の体を強引に引き起こした。左手で綾の首を抱え、目を閉じたその顔に、右手を近づける。鼻に目一杯近づけても、微々たる風量しか手に感じられない。

「綾!」

 綾の頬を強く叩く。

「からかってるなら早く起きて、綾!」

 しかし、起きない。

 体から血の気が引いていく。その表現通りの悪寒が、全身を貫いた。

 呼ばないと。

 ……何を?

「き、救急車っ!」

 綾の体を床に横たえた直は、持っていた鞄のファスナーを全開にし、逆さまにした。鞄を激しく振った。文房具や部活用品に混じり、鈍い音を立てて床に落ちた携帯電話を拾い、開く。

「何番だっけ。何番だっけ。何番だっけ!」

 携帯電話を、苛立ちとともに揺らす。

 そして十秒くらい考えたあと、ようやく頭に思い浮かんだ一一九番を押して、発信した。

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