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トリトニアの伝説 外伝6 恋人たちのララバイ

作者: 由美忽子

この作品はトリトニアの伝説の外伝です。


これまでのあらすじ

地上で生まれた海人との混血児一平は、人魚であり王女であるパールと添い遂げるために、国の三代柱のひとつ、青の剣の守人になるべく励んでいる。

修錬所で勉学に励む傍ら、軍籍に身を置いて武道の修練に勤しんでいて、居候をしている王宮を離れることも少なくない。

癒しの力があるパールも、近頃では医師派遣団に参加して施術行に出ていくことが頻繁になり、二人が共にに過ごす時間は少なくなる一方だった。

だがその分、一緒にいられる時間は貴重であり、王宮の三の庭で会える時は二人の大切なひとときであった。

その日も…。


詳しくは本編をお読み下さい。

 三の庭で、パールはいつものように一平を待っていた。

 医師派遣団の一員として、三日間の施術行から戻ったところだった。家族での晩餐を終え、眠りにつくまでのひとときを恋しい人と過ごすのだ。

 一平とは、この三日間顔を合わせていない。先程の晩餐も、いつもなら共に摂ることができるのだが、生憎と今日の一平は将校の会議に出席しなければならず、同席することは叶わなかった。だが、八時(はちとき)には戻れるということだったので、パールはこうして待っている。


 お気に入りの磨き上げられた岩の腰掛けに座り、一平の到来を今か今かと心待ちにしている。

 身体の方はかなり疲れていた。オスカーやシルヴィアも施術の後の娘の身を気遣い、早めに休むようにと指示を出していたが、せっかく王宮に戻れて一平に会えるというのに、それを放り出すような真似はパールにとっては愚行であった。

 一平に会いたい一心からか、不思議と眠気は襲ってこない。興奮して寝付けない。身体の中はそんな感じだ。待ち遠しかったが退屈ではなかった。それまでの一平の行動や言葉を思い返していると、時の経つのも忘れてしまう。特に三日前の別れ際の出来事が、胸に焼き付いて離れない。



 施術行に出る直前、やはり多忙で勤めに出なければならない一平を引き止めたパールを、一平は何も言わずに抱き締め、熱い口づけで満たしてくれたのである。決して世間で言うような激しいものではなかったが、何度も何度も啄み、精気を吸い尽くすかのようなキスを与えると、パールをその胸に抱え込み髪を弄った。

 それら一つ一つがパールには心地よく、いつものおねだりをするのを忘れてしまうほどだった。

「…しっかりな…」

 最後にそう言って励ますように見つめる一平は、何かを必死に堪えているようにさえ見えて、パールは急に切なくなった。


「うん…」

 そう答えるのが精一杯だった。身を離されて去っていく一平の姿を見送りながら、『いってらっしゃい』をしていないことに気づく。パールは慌てて叫んだ。

「一平ちゃん!いってらっしゃい‼︎」

「ああ…」

 振り返り、手を挙げる一平が、なぜか泣きそうな顔をしているように見えた。



 それがパールはずっと気にかかっていた。

(何だったんだろう、あれは?)

(パールの見間違いだったんだろうか?)

(そうだよね。あんなことで一平ちゃんが泣くはずないもんね)

(帰ってきたら聞いてみればいいんだ)

 そう思っていたが、いざ顔を見たら忘れてしまった。

 一平の匂いがしたと思ってすぐ彼は現れた。一平が急ぎ足で来たためか、海流の向きのせいか、いつもより早く感じられた。

 パールの姿を認め、一平は一層早足になる。


「一平ちゃん!」

 一平がそばへ来るのを待つまでもなく、パールは飛び出した。よく知る温かい腕がパールを迎え入れ、包み込んだ。心なしかいつもより熱を帯びて感じられる。

「お帰りなさい!」

 これだけは一番先に言おうと思っていた。別れた時の挨拶がとってつけたようだったから。

 己の胸にむしゃぶりついてくるパールの重みと温かさと柔らかさを現実のものとして感じながら、一平は言った。

「ただいま。どうだった?今度の施術行は?」

 腕を掴み直して顔を上げさせ、顔色を見る。パールの両親と同じく、彼女の体調を憂慮したのだ。二泊とは言え、行程は旅に等しい。しかも施術という著しく体力を消耗する仕事を毎日手がけていたはずなのだから。他人より体力や丈夫さが共に劣るパールにとっては難儀なことと思われるのだ。


 だが、一平の懸念など一笑に付したかのような笑顔をパールは見せた。

「うん、小さい子がいっぱいね。胸を押さえててかわいそうだった。パールも小さい時のことを思い出しちゃった」

 幼い頃、床に伏すことが極めて日常的だったというパール。特別重大な病を抱えていたわけではなかったらしいが、体力が著しく乏しく、ちょっとしたことですぐ熱を出し、頭痛、腹痛を起こしたと聞いている。胸が苦しくなるのは心臓に欠陥があるせいではないかと思うが、医術に素人の一平には判断のしようがない。

「おまえも…胸が⁉︎…」

 初めて聞くので急に不安になり、一平は尋ねた。

「うん、でもこの頃は全然平気。一平ちゃんと会ってからは一回もないよ」

 一平の方にも思い当たる節はなかった。

「そうか…。それは何よりだが…胸の病というと大変なのだろう?幼いうちは命に関わる率が高いと聞いているが」


 トリトニアの南部地方には、そういう子を集めて療養する施設があると聞いたことがある。一平も多少は国内のあれこれに通ずるようになってきているのだ。

「そうなの。でも大丈夫。死相が見えるような子はいなかったから。みんなパールの歌を聞いてすやすや寝てくれたよ。それがとっても可愛いの。生まれて三ヶ月の赤ちゃんもいてね。泣いてばっかりいたんだけど、パールの顔見て笑ってくれたの。それでパールうんと張り切っちゃった。赤ちゃんてほんとに可愛い。パールも早く…」

 ―赤ちゃんが欲しい。一平ちゃんの赤ちゃんが―と、いつものごとく続く繰り言を、一平は一部上の空で聞いていた。それよりもおまえの笑顔の方が可愛いじゃないかと思いながら。



 おしゃべりに夢中になって、パールはいつもなら必ずすることを忘れていた。そのことに先に気づいたのは一平の方だった。

「何か…忘れてないか?パール…」

 意味ありげな瞳がそう問うた。

「え?」

 思わずきょとんとするパールに考える暇を与えず、一平は行動に出た。優しい目が細められ、唇がパールの唇を求めて近づいてきた。

 パールの方に異存のあるはずもない。無条件に受け入れた唇は思った以上に熱く潤っていた。


(一平ちゃんだ…。帰ってきたんだ、パールも…)

 安心したら、急に力が抜けた。

 脱力して一平の胸に寄りかかったパールを、彼は気遣わしげに見下ろした。

「パール⁉︎」

 もう満足してしまったのか?今までなら昨日の分、一昨日の分、としつこく約束のキスをねだるパールなのに。元気そうに見えたが、よほど疲れているのだろうかと、一平はパールの顔を覗き込む。


 表情は柔らかい。安らいでいる。顔色もまずまずだった。

「眠いの…か?」

 思いついたことを口にしてみる。

「…うん。…少し…」

「無理はだめだぞ。送ってってやるから、部屋で休め」

 一平の進言にパールは首を横に振る。

「一平ちゃんといる…」

 かわいいやつだ、と一平の頬がニヤける。

「いてやるから。おまえが眠るまで」

 返事を待たず抱き上げる。

 パールの私室に入ると、中でフィシスが寝台を整えていた。

 一平がパールを抱えているのに気づくと速やかにその身を控えた。


 眠ってしまったパールをこうして一平が運んでくるのは珍しいことではない。事情を察し、フィシスは王女の就寝の準備に動き出した。そのフィシスの背中に向かって一平は言う。

「よろしければ、オレがしばらくついていますが…」

「まあ…。そのようなこと一平さまにやらせては…」

 侍女の分である。咎められるのはフィシスの方だ。

 だが、フィシスは言った。

「でも、どうせ姫さまがそうお望みなのでしょう?よろしいですわ。外の用事を済ませて参りますので、私が戻るまでお願いできますかしら」 


 自室に王女を男性と二人きりにするなど、侍女としては気違い沙汰だが、今ではフィシスも一平を充分すぎるほど信用している。まかり間違っても、何の準備もないパールにいかがわしいことなどしない人間だと太鼓判を押すことができる。フィシスは目だけで一平にそういう念押しをしてきた。

「はい」

 少しばかりの照れを含んだ穏やかな微笑みを持って一平は答えた。

 一平の腕の中でパールはやった、と心の中で快哉を叫んでいた。

「寝巻きを頂戴、フィシス」

 一平の腕からするりと降り、パールは言う。

 一平は一旦部屋の外に出た。フィシスに呼ばれて室内に戻った時には、パールは既に着替えて寝台の中だった。



 フィシスが退室すると、パールは言った。

「トントンして…」

「おまえな…」

 大洋を旅していた頃、まだパールが六つか七つだと一平が思い込んでいた頃、寝かしつけるために度々背中を優しく叩いてやったものだった。とっくの昔に卒業し、成人した今頃になってそんなことを言ってくるとは。一平は呆れた。甘ったれるのにもほどがある。

 パールはいたずらっぽい目をして一平を見上げている。

「…今日だけだから…」

 パールにしてもわかっているのだ。自分がいかに子どもっぽいことをしているのか。それでも一平の前だとしてしまう。ちょっと止めるのは難しい。


 一平にしても、何もせずにただパールが眠るのを見ているだけなのは、正直ちょっと辛い。退屈なわけでも、気づまりなわけでもないのだが、年頃の男としては、愛しい娘の寝顔を見てムラムラ来ない方が不思議なのだ。そういう子どもっぽいことをしていた方が、却って変な気を起こせなくなっていいかもしれないと思い直した。とにかくパールを早く寝かせるのが先決なのだ。

「今日だけだから…」

 嬉しそうに頷き、パールは笑顔を返す。

「おやすみ」

「おやすみなさい、一平ちゃん」

 そう言って目を閉じたにもかかわらず、しばらくするとパールはまた目を開けた。

「こら」

「もう少し一平ちゃんのお顔見ててもいい?」

「パール」

 咎めるがパールは屈しない。

「だって三日も会ってなかったんだもん。いいでしょう?」

「眠いんだろうが、おまえは」

「ちゃんと寝るから…」

 

 しょうがないやつだと思いながらも、一平はだめだと言い切れない。パールの気持ちがわかるからだ。自分が逆の立場だったら同じように思ったに違いない。今自分の方は気のすむまでパールの姿を眺めていることができるのだから、考えようによっては不公平この上ないのだ。

「おまえは自分で思ってるより疲れてる。志は立派だが、やはりもう少し自重したほうがいいぞ。力のコントロールは難しいと思うが、その後の休み方を自分でしっかり配分しないと」

 説教などしたくなかったが、心配のあまりつい口を出てしまった。

「おまえは夢中になると後先を考えられなくなるからな」

「うん…」

「だけど、無理はだめだ。また倒れでもしたらどうする?」

「トリトニアに帰ってからは倒れてないよ⁉︎」

 それは自慢のひとつらしい。目を輝かせてパールは言う。

「確かに、かなり丈夫になった。油断はできないがな」

 ムラーラでのことを思い出したのか、一平は少し深刻な表情をした。


 あんな思いはもうしたくなかった。意識を失ったパールを前に胸が潰れそうなほどはらはらすることも、間近に生気移しの術を施されるパールを見るのも…。

「パールは…偉いな…」

「?」

「オレにはできない…。できそうもない。あんな…どんな人にも、動物にも…妖物に対してさえ…優しい労りの情を惜しげもなく降り注ぐことなど…」

「……」

 いつしか一平の手はパールの頬を撫でつけていた。

「それこそが癒しの力の源なんだろうな、きっと…」


「……」

「贅沢な話だが…オレは時々その力が疎ましくなるよ。誰にも…おまえの心を向けて欲しくない…。オレだけのために…オレだけを見つめていて欲しいって…」

「一平ちゃん…」

「狭量だろう?オレはこんな人間なんだ。おまえの心を独り占めしておきたい…」

「パールは一平ちゃんだけが好きだよ。一平ちゃんが一等好きなの」

 両頬に添えられた一平の手に己の手を重ね、大事そうに握ってパールは言う。

「ああ…」

 意識を絡め取られてしまったように一平は応える。


 パールがそう言うのを今まで幾度となく耳にしてきた。疑う余地など少しもないのに一平は不安だ。自分に向けられるまっすぐな思いをいつか失うことになるのではないかと恐れている。

 手中にしているからこそ生まれる故のない不安。

 至高の言葉であるが故の、失うことへの恐怖。

 何がもたらすのかわからない。死か、病か、一平以外の誰かの存在か。事故か暴力か己の不始末か。いずれにしろ来て欲しくはない。パールの心を失いたくない。


「パールをお嫁さんにしてね。赤ちゃんを頂戴ね」

 そんな一平の不安を取り除くかのごとくパールが囁いた。

「パールはずっと一平ちゃんが好きだから。ずっと前から。これからもずっと…」

「ああ…」

「だからパールのそばにいてね。どこへも行かないでね」

「ああ…」

(頼まれたって行くもんか。たとえ陛下に命令されたって…。オレはパールを離さない)


 静かに静かに繰り返される一平の(いら)えを子守唄に、いつしかパールは寝入っていた。

 この声がパールに安心感を与えた。一平の優しい眼差しが、パールを安らがせる。掌から伝わる彼の鼓動がパールを心地よい眠りへと誘う。

 一平の傍らで、その腕の中で、眼差しの下で、彼の魂に寄り添いながら眠ることがパールにとって至高のひとときであった。今までも、そしてこれから先も……。


     (トリトニアの伝説 外伝6 恋人たちのララバイ 完)

 

いくつになっても甘ったれのパール。

筆者自身は第一子長女のためか、人に甘えるのが得意ではありません。

だからパールの性格は、こうありたかったという密かな願望なのかもしれないとこの頃思います。


次回からは第七部「守人讃歌」をお届けします。

一月の下旬くらいには連載を開始できるといいのですが。


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