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1.異種との取り引き

 許せない者に対して生殺与奪の権利を得たとき、どんな選択をするだろうか。


 例えば、銃をこめかみにつきつけた状態から、引き金を引くだけで殺せるとしよう。

 しっかりと弾は入っている、また至近距離であるため外す可能性はない。


 怒りや憎しみに身を任せ、人差し指に力を入れるのか。

 それとも理性や良心、罪悪感に従ってその銃を手放すのか。

 だがこの二択は、自分の潜在的な性格だけで決まるとは限らない。


「お願いします、助けてください」

「命乞いなどしない、さっさとやれ」


 ……といったように、相手の反応という要素もある。

 相手の言い分次第で、こちらの気分が変わることだってあるだろう。

 他にも過去の行いや世論等、様々な要素が絡み合って決断というものは行われる。


 ここで、前提を変えてみよう。

 この話をしたとき、ほとんどの場合は人間と人間の関係を思い浮かべる。

 一方は銃を向けられ、もう一方は銃を手にしているといった形で。


 しかし、この片方が人間ではなかったとしたらどうなるだろうか。

 例えば銃を向けられている方が人の言葉など話しようがない動物だとしたら、我々は人と同じ扱いをすることができるだろうか。

 もしくは、人の言葉を理解している人ではないものだとしたら。

 種族という線引きを超え、人らしくふるまうことができるのだろうか?


 ―――僕は今、綺麗な月の下でそれを試されていた。


 目の前で力なく倒れているのは、大きな翼が目立つワイバーン。

 ワイバーンという種族はドラゴンと似ているが、僕はすぐにワイバーンだと分かった。

 尻尾の細さや、体のスケール感が明らかにドラゴンとは違う。

 そもそも、ドラゴンほど格の高い生き物がこんなところで倒れるなんてことはないだろう。

 ここは何の変哲もない川の下流、美しい場所ではあるが、ドラゴンが似合うような神聖さまでは感じられない。

 

 そしてなにより、僕はワイバーンが嫌いだ。

 嫌いだからこそ、はっきりとわかるものもある。

 僕には、ワイバーンの群れによって住処と家族を奪われた過去がある。

 もうずっと前の出来事だというのに、未だ忘れられず乗り越えられないあの記憶が、ずっと自分を縛り付けている。

 

 湧き上がる怒りとわずかな冷静さを持ち、武器である槍を手にして少しずつ近づいていく。

 夜のこの場所は危険が多く、本来はこの時間に来るようなものではないのだが「最近町を困らせているミノタウロスがいるから人が少ない時間に討伐してほしい」とギルド長から指令があったため、生息地と言われたここまで足を運ぶことになった。


 端くれではあるが一応ギルド所属であるため、戦闘には多少自信がある。

 ギルドからもそれなりの評価を得ることができているようで、ある程度の任務であれば単独で任されている。

 というのも僕が使える魔法は治癒や防壁などの生存に向いているものが多く、それが何かあっても最低限生きて戻ってこれるという信頼に繋がっているようだ。


 槍を向けた状態で、一歩ずつ前に進む。

 ワイバーンは僕のことには気づいているようだが、威嚇といった敵意を見せるような行動は一切してこない。

 その首をゆっくりと動かしてはいるものの、ブレスを吐くような気配は感じられない。

 いや、それができないほど傷ついているということか。


 やがて、細かい特徴も目でわかるぐらいの距離まで近づくことができた。 

 ワイバーンにここまで近づいたのは人生でも初めてのことだったので、少し心拍が早くなる。

 万が一暴れられると困るので、念のため首元に槍の穂先を近づけた。

 

 一番目立っている翼は、一目で分かるほどボロボロである。

 飛行能力を失って、ここに不時着したのだろうか。

 体はアメジストのような神秘さを感じさせる紫色をしているが、その一部は焦げたように黒ずんでいて、壮絶な出来事があったことを想像させてくる。

 体を覆っているはずの鱗もところどころ抜け落ちており、本来見えるはずのない皮膚が晒されている。


 ここで、ある疑問が浮かぶ。

 なぜ僕は、このワイバーンに近づいたのだろうか。

 ワイバーンが危険だと分かっていて、その上で近づくなど理にかなっていない。


 やはり過去の怒りから、このワイバーンの息の根を止めるためだろうか。

 もしくは、こんなところにワイバーンがいるという物珍しさだろうか。


「……人間よ、私を殺したいのか?」


 考えていると、ワイバーンの方から話しかけてきた。

 人間と意思疎通できる種族は珍しくないが、まさかワイバーンが人間と会話を試みるとは思わず、少し驚いた。

 だがその声はか細い、やはり無事ではないようだ。


「ああ、悪いけどワイバーンには恨みがある」


 そう返し、僕は手元に力をこめる。

 その気になれば、1秒程度で首元に槍を刺すことができる状態だ。

 いくら生態系で中堅の格を持つワイバーンとはいえ、ここに攻撃を食らえばただでは済まない。


「そうか、今となっては私を殺すも生かすも君の自由だ……だが、生かしてくれるのであれば君のことを助けよう」

「どういうことだ」

「君が私を助ける義務はない……だが権利はある。そして私が君を助けることもまた同じ、だが見ての通り私はこの有様だ。私が君を助けるために、まずは君がその権利を行使してほしい」


 ワイバーンの言っていることがすぐに理解できず、言葉に詰まる。

 川の流れる音が空間を包む。

 一瞬風が強くなり、それに流されてきた葉が体に当たる。

 それだけの時間がたってもなお、完全な理解には及ばなかった。


 ただ、このワイバーンが「自分を助けろ」と言っている事だけは分かる。

 僕が治癒魔法を使うことができることを見抜いているのだろうか。

 しかし、これは人を助けるために覚えた魔法だ。

 人間以外に効くかどうかは分からないし、なにより嫌いなワイバーンを治癒する必要がどこにある。

 

「ふざけるな! なんで僕がそんなことをしなきゃならないんだ!」


 僕の反抗にワイバーンは言葉を返さない。

 ただただ、何かを悔やんでいるような表情をしているだけだった。

 だがそれはひどく印象的で、僕は無意識に手の力を弱めてしまった。

 槍の穂先が川石に当たり、その音を最後にまた静寂が訪れる。


 ―――ドスン!

 突然、槍の穂先が跳ね上がる。

 足に残っているジーンとした感覚から、地響きによるものだとすぐに分かった。

 

 遠くを見ると、そこには討伐対象のミノタウロス。

 しかし、ギルドから与えられた情報よりも明らかにサイズが大きい。

 通常、ミノタウロスは大きい個体でもせいぜい3メートル程度だが、今目の前にいるのは大木と比べても劣らない大きさの個体だ。

 明らかに僕が無傷で倒せる相手ではない。

 僕があれほどの巨体に気が付かないことは基本ないはずだが、ワイバーンに気を取られていたせいでそれが遅れてしまったようだ。

 向こうはちょうど今こちらの存在に気が付いたようで、視線が合ってしまう感覚がした。


「来たか……人間よ、決断するのだ」


 このワイバーンは、僕より早くミノタウロスの気配を感じ取っていたらしい。

 だから、お互い助かるためにあんな取引をもちかけてきたということか。


「ここでお互い死ぬか……生き延びるか」


 ミノタウロスがこちらを凝視している。

 やつは獰猛だ、こうなればたいていの場合は敵と判断し襲い掛かってくる。

 もしそうなれば、10秒もしないうちにこちらまでたどり着き、暴虐の限りを尽くすだろう。


 確かに、ここでワイバーンを治癒すればあのミノタウロスを倒してくれるかもしれない。

 ワイバーンの戦闘能力が高いことを、僕は知っている。

 だが、ワイバーンが僕を裏切る可能性も十分にある。

 治癒した瞬間に飛び去り、僕を見殺しにするなんてことも考えられる。

 そうなれば、魔力を無駄にしてしまったという最悪の結果が残る。


「信じてほしい、私は君を―――たい」


 ワイバーンの言葉がミノタウロスの咆哮にかき消される。

 怖気が体中を震わせ、命の危機を感じる。


 「ウオオオオオオオ!!」


 咆哮を上げたミノタウロスが、一歩こちらに近づいてきた。

 同時に先ほどとは比べ物にならないような地響きが起こる。

 今までに感じたことのない迫力、そして仲間がいないことへの孤独感。

 不安と恐怖に動悸が起こる。


 損得、目的、意地、憎悪といった打算的、感情的な考えが流されていった。

 そんなもの張っている余裕などとうに無かった。


 もう、耐えられない。

 今はただ、助かりたかった。


治癒!(ヒール)

 

 右手を倒れているワイバーンに向け、ありったけの魔力をこめた。

 魔法名を口にしてから間もなく、ワイバーンの周りをうっすらとした光が包む。


「……そうだ、それでいい……」


 ワイバーンの体が少しずつ修復されていく、どうやら治癒魔法は効いたらしい。

 だが十分に回復するにはもう少し時間がかかりそうだ。

 しばらくは、僕が時間を稼がなければならない。

 震える手で槍を構え、重い足をなんとか勇気づけミノタウロスの方へと歩く。


 仇である種族、ワイバーン。

 その一体を助けてしまったことで、プライドはすっかり折れていた。

 さっきまで、ワイバーンが僕に命乞いをしていたような気もしたが、今となってはすっかり僕がワイバーンに命乞いをしてしまっている。

 だが腕を上げてこちらに走ってくるミノタウロスを前にした今、そんなことはもはやどうでもよかった。


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