第9話風の噂によると
だんだん暖かくなってきた春の夜。
整形外科の入院棟の診察室で、兄貴に診察されるのも、ついに最後になった。
「よ~し。ゴールデンウィーク前には、退院できるぞ」
「そうだな……」
本当は喜ぶべきところだ。でも、どうしても、春川さんのことを考えてしまう。
「春川さんと会えなくなるから、寂しいんでしょ」
「べ、別に……どうせ、ただの患者と看護師だし……な……うん……」
さすが、神童と呼ばれた我が兄貴。読心術にも長けている。
そして、来る、深海よりも深いため息。
「……言っとくけど、退院後なら、ご飯に誘うのもアリだから」
「マジか……ってえ!」
思わず、身を乗り出して、骨折部分に体重をかけてしまった。ああ、もう、またやられた。
やっぱり、俺は、兄貴には勝てない。
「退院日は、俺が家族として、付き添う。やるなら、うまくやれよ」
「わ、わかった……ってか、やっていいのかよ」
「風の噂によると、春川さんフリーらしいし~」
「なっ……!」
「ま、風の噂だから、真偽はわからないけどね……」
「そうかよ……」
平静を装っているけど、本当は気が気じゃない。そんな豪華なニンジンをぶら下げるなんて、ずるすぎるだろ。
「よし。診察終了……じゃ、退院日を楽しみにしてるから」
兄貴がニヤニヤしながら、去っていく。あれは、成功しても、失敗しても、酒の肴にしてやろうという顔だ。
「……ったく。他人事だと思って」
まあ、兄貴には世話になった。たまには、肴になってやるのも悪くないかもしれない。
そして、何より、後悔する人生なんて、もうごめんだ。




