第30話嵐の夜
優乃さんを自宅に招いた、あの日から一週間後。
俺は、いつもの大衆居酒屋に、兄貴から呼び出されていた。
「お疲れ、篝」
「……お疲れ」
しかも、通されたのはカウンターではなく、店の奥にある個室の座敷席。
こういう席、なんだか落ち着かない。そわそわして、変に姿勢が固まってしまう。
「今日は、朋美と春川さんも来るから」
「えっ!?」
嫌な予感しかしない。やっぱり、あの日のことで何かあったのか……?
「朋美が、色々と物申したいんだってさ」
「そう、か……」
早くも帰りたい気持ちがMAXになったところで、扉が勢いよく開いた。
「やっほ〜〜っ!!」
ともねえが、山頂からのテンションで登場する。ここは居酒屋だ。山じゃない。
たったひと言で、場の空気を完全に自分の色に染めてくるあたり、さすがだ。
「お、お疲れ様です……」
続いて、優乃さんが静かに入ってきた。
落ち着いたえんじ色のスカートに、茶色のブラウス。秋の空気によく馴染んでいて、目を奪われる。
かわいいな……。
そんなことを思っている場合じゃないのに、目が離せなかった。
「あ、優乃は篝の隣に座ってね〜」
ともねえが、わざとらしくニヤニヤしながら言う。あの顔、本当に腹が立つ。
優乃さんは、特に抵抗もせず、俺の隣に腰を下ろした。距離が近い。変に意識するなって、自分に言い聞かせる。
「生ビール4つで〜す!」
店員がタイミングよくやって来た。いつの間に注文されたんだ。ま、誰かが気を利かせたんだろう。
「じゃ、かんぱ~いっ!」
ともねえ発声のもと、グラスをぶつける。
「おいし~」
優乃さんが、嬉しそうにビールを口にしていく。にこにこしているその横顔が、今日も輝いて見えた。
「最近、優乃がいつも以上ににこにこしてるから、いいことあったんだろうな〜って思ってたのよね〜」
ともねえが、唐突に爆弾を投げ込んできた。まだ一杯目だぞ。
「だって……半年前に退院した元患者さんと、今も連絡取り合ってるなんて、言えなくて……」
優乃さんが、小さな声で答える。
すまない……ややこしくしている原因は、間違いなく俺だ。
「まさか、篝と付き合ってたとはねぇ〜」
「だ、だから! つ、付き合ってないってば!」
やばい。話が余計にこじれていく気しかしない。
「え? でも、篝の実家で、一緒に、寝――」
「ちょっ……! ともねえ、ストップ!」
本当に、やめてくれ。俺たちは健全だ。潔白だ。変な話を盛らないでほしい。
「も〜、恥ずかしいから、それ以上、暴露しないで……」
優乃さんが両手で顔を覆う。頬がうっすら赤い。かわいい。
こんな場面じゃなければ、じっくり眺めていたかった。
「ここは、酒の席なんだから、大丈夫よ〜! 明日になったら、み〜んな忘れてるって! ねぇ?」
ともねえがニヤリと俺を見る。
いや、それを忘れるのは、ともねえぐらいだろ……。俺は、多分、一生忘れない。
「ま、いいや! じゃんじゃん飲んで楽しも〜っ!」
ともねえがグラスを空けて、早くも全開モードに入っていく。
兄貴に目をやると、深いため息が返ってきた。谷より深い、絶望のため息だ。
「春川さん……従姉妹が面倒かけて、申し訳ない……」
兄貴が、真面目に謝っている。
「い、いえ……」
優乃さんが困ったように笑う。その表情がまた柔らかくて、場の空気を少し和らげていた。
こんな時まで気を使わせてしまっている気がして、申し訳なさが胸に広がる。
「よ〜し! 次は日本酒ターイム! いっくよ〜〜!!」
ともねえが壊れた機械のように、暴走を始めた。
今日の目標は、とにかく嵐から生き延びることだ。途中で沈没しないよう、気を引き締めるしかない。




