第10話 120度のお辞儀
後悔はしたくない。そう覚悟して、迎えた退院の日。俺は、兄貴と一緒に黙々と荷物の片付けをしていた。
「1ヶ月なのに、溜め込みすぎだろ……」
「悪い……そういうつもりじゃなかったんだが……」
春川さんに何を言うか、考えていたら、片付けが何も進まなかったとは言えない。ついでにいうと、今も片付けどころじゃない。
その時、勢いよく扉が開く音がした。
「ちょっ……! 兄貴っ……!」
びっくりして、振り向く。
春川さん、目をぱちくり。
「春川さん……」
「あ。そっか。今日は、退院の日でしたね」
よく見ると、優乃の後ろに、いつものパソコンを置いた台が見える。どうやら、俺が退院することを忘れていたらしい。
「お、おめでとうございます……」
「あ、ありがとうございます……」
こんなごちゃごちゃの修羅場を見られるとは、不覚だ。
でも、兄貴は、今日も、冷静だ。
「弟がお世話になりました」
いつも通り、春川さんと話している。
さっきまで、弟に文句を言っていたとは思えない。
「いえ。お元気になられたみたいでよかったです」
「じゃ、俺、先に、荷物積みに降りとくから」
「おう……」
兄貴は、大量の荷物をリュックサックとボストンバッグに詰め込むと、すっとどこかへ消えていった。
「じゃあ、私もこれで……」
続いて、春川さんも去ろうとする。
いや! ちょっと!待って!
「あ、あの……! お願いがあるんですけど……」
結局、全然、頭の中はまとまってない。
「え?」
引き留められた春川さんがきょとんとする。
もう、こうなったら、引き下がれない。
俺は深呼吸すると、春川さんをまっすぐに見た。
「俺とご飯に行ってもらえませんか?」
「ええっ!?」
「いっ、1回だけでいいですから……!」
「そんなこと、言われても……」
「お願いします!」
全身全霊で、120度のお辞儀をする。
こんな角度のお辞儀なんか、したことない。
それくらい、今の俺は本気だ。
「ちょ、ちょっと……! 頭を上げてください……!」
頭上で、優乃が戸惑う声が聞こえる。困らせて、申し訳ない。でも、今、言わなければ、もうその機会は、2度となくなってしまう。
「俺、事故に遭うまで、こんなこと、言ったことないんです。だからこそ、生かされたこの命を、真剣に使ってみたいなって、思って……」
こんな時に、恋愛経験ゼロですみたいなことを言わなくてもいいのに……兄貴みたいに頭がよくないから、スマートには言えない。
「わかりました……1回だけ……なら……」
観念したような春川さんの声が聞こえて、ぱっと顔を上げる。心なしか、顔が赤くなっている春川さんを、初めて見ることができた。
「ありがとうございます!」
こんな日が来るとは夢にも思わなかった。
ああ……本当に……生きてて、よかった……!




