表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

りんご庭園のグラニエス夫人〜炎侯爵の愛が強すぎて砂糖まで溶けそうなので遠慮してくださいませんか〜

作者: リーシャ

 魔法学園では、毎年必ず力の強いものが現れる。今年は侯爵家の子息らしい、と生徒たちが口々に上げていく。


「おい、あいつじゃ」


「しっ、バカ!初等部の授業で壁を溶かしたって有名だ。下手に言うな!」


 廊下で生徒たちは一人の男の子が通るのを怯えた顔で見た。ここは中等部。初等部の話はマンモス校となれば、なくなることはなく人づてに広がる。

 外部生にも同じ話が伝染していく。

 カツカツ、と厳つい顔をした男の子が通る場所はサァ、と人が引く。


 侯爵家の長男カルヴァ。炎属性の家系に生まれたものの、その力は過去も含めて一番強力と言われており、その強さに周りは誰も近付かず。


 ゆえに、カルヴァは一人になるための場所を常に探していた。視線が鬱陶しく、話しかけもしない。

 大人たちは将来有望な生徒に話しかけようとする下心で気は休まらないと、憂鬱。今日も、一人で放課後を過ごすために誰にも見つからない場所を探す。


 死角となるところを彷徨い歩いていると、どこからかカチカチ、カチカチと音がして体が震えた。

 怖いものがいるのかもしれない。強力な力を持つカルヴァだが、コントロールできているかと言えば、できていない。

 初等部の話も、あれも結局はコントロールできなかった末の事故。あれ以来、炎を出したくないと精神的に不安定になった。


 そのことを知らない生徒たちが好き勝手言うだけだ。カルヴァは息を吐き、音の居場所へと歩く。

 知らぬふりをしてもずっと気になってしまうから。恐る恐る、どんどん近くなるカチカチという音がついに知れる。カチカチ、カチカチ。


「はぁ、付かない。しけってるのかな?」


 声が高く、女の子だとその時知れる。女の子は火を起こす石をひたすらカチカチしていた。固い石を集めたものの真ん中に火を灯そうとしているらしい。

 正体が知れて安堵したとき、石を足が蹴ってしまう。

 カッ、コロコロ。


「し」


 しまった、と言い終わる前に女の子のところまで石は転がる。


「ん?」


 女の子はとうとうこちらへ気付く。

 振り返る瞳と目がしっかり合う。


「……」


「……」


 お互い、無言で過ごす。だが、女の子は閃いた顔をすると、石をこちらへ向ける。


「この火打ち魔石、使える?やってほしいなって」


「え」


 話しかけられるのなんて、何年振りかと驚く。が、こちらが躊躇しているとズンズン大股でこちらに来て、石をさらに近づけられ、片手で火を起こそうとしている地点に指をさされる。


「あそこに火がほしい。できる?できない?それとも、火を起こせるもの、持ってる?」


「!!!」


 己を炎侯爵の異名を持つ一族と、知っているのか?と、思ったが無駄に鍛えられた悪意の有無を感じ取れる勘は、なにも感じ取れず。


 女の子は不思議そうにまだ石を渡そうとしてくる。なぜか、自然とそれを受け取りサクサクと草を踏みつけて枝が集められている場所へ向かう。

 なにをやっているのかと、自分を叱責しても、行動は止まらない。火を起こす魔石を魔力を込めていく。しかし、うんともすんとも言わない。


「炎のエネルギー、の魔力がもう空、だ」


 学園で習った現象を述べた。すると、女の子は「落ちてたからそうかもって思ってた」とあっけらかんと言う。落ちていたものを使う雑さに絶句しかけたが、また問われる。


「なにか火を起こせるもの、持ってない?」


 ぎくり、となった。過去の光景がフラッシュバックする。


「そ、それは」


「あ!もちろん」


 断ろうとしたが、すかさず言葉を挟む女子生徒に驚く。こんなふうに話す子は、今までいない。


「タダじゃない。報酬あるから」


 アイテムボックスの袋をごそごそとすると、徐に手を出してそれを見せる。


「りんご?」


 見たことのある、最近話題の果物だ。


「私が育てたやつ。甘くて美味しいし、可愛い我が子」


「わ、がこ?」


 なにを言っているかと思えば、意味がわからなくて。目を白黒させた。そんなこちらの態度を気にせずに相手は、いそいそと艶々とした赤いりんごを何当分にも分け出す。


「火種、持ってるんだったら付けて」


 指差して催促してくる女子生徒にどうしたものかと、迷う男。そんなことを思っているがりんごを切る手は止まらない。


「火を待ってるんだけど」


 有無を言わせぬ瞳に、キュッと拳を握る。


「分かった」


 やめればいいのに、という思考は手から炎を出す。瞬間ボォっと手から炎が出て勢いが強く上に燃え上がる。


「く」


 抑えようとしたが、上手くいかない。言うことをきかない。


「火種って、そっちか」


 女子生徒が逃げるかもしれないと諦めていたが、向こうはなんてことないように枝を拾い上げて炎に突っ込む。


「な」


 驚いたのはこちらの方になる。恐れないなんて。


「もらうね」


 炎が枝に移り、そこから石の集まる場所に火が灯る。そうして、女生徒が炎がまだ出ているのを見て、座ったらとレンガを指差して仕方なく座った。

 まだ出ている。それを共になぜか眺めている。


 棒でりんごを切った物を刺し始めた女の子は、全くこちらが燃え続けていることを、懸念することなく。りんごをなんと、こちらの方の炎に当て出した。火種を向こうに移したのに?


「向こうでやるんじゃないのか」


 つい、言葉が口に出た。


「あっちはまだまだ低温だし、今から火を育てるより、そっちが燃えてるなら、こっちでやった方が合理的だし」


 焚き火よりも高い温度だから、と締め括った。


「向こうもやらないと。これ、持ってて、当てておいて」


「は、お、おい」


 りんごの刺さったものを押し付けられる。向こうへ移動する女の子は、アイテム袋から鍋を取り出して、白いものをザバザバと入れると石が集まったところへ、ドンと乗せる。

 かき混ぜて、こちらへ来てはりんごを観に来る。


「高温だから直ぐ焼ける」


 出来栄えに納得したのかりんごを、こちらから取り上げてクルクル見回すと、目の前で未だ手から炎が出ていることなどお構いなしに、焼けたものをこちらへ差し出す。


「はい。焼きリンゴ」


「え」


「報酬」


 確かに、タダではないと言っていたなと思い出す。ぼんやりしていると、シャクリと食べ出す相手。じっとこちらを見て、笑わない。だからこそ、よくわからない圧を感じちょっとだけ齧る。


 軽く、ほんの少しだけという程度の量が口内へ入った。その瞬間、あまりのうま味に立ち上がる。


「甘い……!」


 感動に似たものを感じていると下から「うちのりんごだからね」と淡々とした声が聞こえて、自分より早く食べていく子供が自慢げに言う。それに釣られて、美味しかった味を思い出し、勝手に手がりんごを口元に持っていく。

 気付くと咀嚼していた。口の中が甘くて、知らないのに幸せの味というものが頭にこびりついて離れない。美味しい、美味しいと脳が叫ぶ。


「あっちもできたかな」


 女の子が呟くと鍋を見に行き、焼いたりんごを中に入れて、手をクルッと回す。


「よし」


 中から取り出してみるとそこには艶々したりんごに透明なものが、さらにピカピカと皮を照らす。


「それは」


「りんごを溶かした砂糖で絡めたお菓子」


「お菓子?」


 頷き、見せつけるように掲げる。

 夕日に照らされたそれは、とても綺麗で思わず見惚れた。それを、ズイッと渡されて目を丸くする。


「唇やけどするから、齧るんだよ」


 注意を頭に入れながら鼻で嗅ぐと、甘さのある香りが漂う。砂糖である。

 齧るとまずはカリッという感触に、ついでりんごの食感、共にシャリという感触。共に口に入れた途端、身体がりんごの波に放り込まれる錯覚がした。

 りんごは硬いはずなのに、身体を受け止めるとそのまま中に入り込む。

 砂糖が液体として周りを浮かび、さらりと魚のように泳ぐ。

 熱いのに、それがよい。気付くと、手からりんごの砂糖を絡めたものが消えていた。


「消えた」


「食べたらなくなるに決まってるでしょ?はい、お代わり」


 もう会えないと思った幻が手渡される。


「また、いいのか」


「報酬だから、いくらでも食べてって。高温の炎なんて食べ放題にしても足りないくらい、貴重な能力だし」


 女の子は、くるりとりんごを次々砂糖に絡めてはサクサクと地面に刺す。

 それが、冷ます行為と知るのは少し後。カルヴァは能力のせいか、熱いのはそこそこ平気だ。


 女の子は熱いから、火傷するからと言ったがカルヴァに限っては無縁の症状だった。いや、いらない。

 二つ目を貰ったというのもあり、口にしたはずなのに、どうやら気持ちは違うらしく真逆の言葉を放つ。


「食べる」


 そうして、延々とその日はお腹がいっぱいになっても、無理してりんご飴と後に知る食べ物を詰め込んだ。


 *


 田舎の領地を一応体裁的に収める貴族の家に生まれたのは、運がよかった。

 親が朗らかで、細かいことは気にしない人たちというのが、一番の幸運だというのがグラニエスの見解だ。

 誰が何を言おうと。

 スゥ、ともぎたての赤い果実を近づけて吸い込む。


「いい香り」


「グラニエス様、これ、獲っていい?」


 名前を呼ばれて、下を見ると小さな子供が数人集まり、こっちを見ている。この子達は近くに住む子達や、近くにある孤児院の子達だ。


 今は、グラニエスの個人的な趣味である農園や庭園など、広さのある土地へバイトをしに来ているのだ。無駄に広さのある場所ゆえに、いつの間にか広がっていったから、一人ではどうにも収穫できなくなった。


「いいよ。赤かったら大体大丈夫だから」


 許可を出すと皆は嬉しそうに散らばっていく。報酬をここのフルーツにしているから、持ち帰りたいので張り切っているのだろう。

 最近、りんごの単価が上がっていると知り、価格を上げた甲斐がある。りんご、というのはグラニエスが命名した。


 倉庫の中で見つけた時に、適当に埋めたらそれがりんごだっただけ。そして、転生者として生まれた女がそれに目をつけるのは当然。

 倉庫にあったのは、先祖が未開の土地に行く度にそこの人達を助けるお人よしなので、その交流があって貰ったものなのだとは、聞いている。


 他にもいろんな種があり、おまけに土地になにがあった、という細かな冒険日記のようなものを、見つけたときは、明らかに知っている見た目や、味のものが記載されているのを知った。

 りんごの種を品種改良しながら時間をかけて、ここまで美味しくしてきたのも、今でも思い出される。りんごと知れた時の喜びは、一日中眠れなかったほど。


「グラちゃん!いるー?」


 突然、庭園から声が聞こえた。この呼び方は父だ。その日その日によって、呼び方が変わる。


「グラニエスちゃんのお父さん、こっちだよ」


 子供達もグラニエスの呼び方は色々ある。様つけ、様無し、ちゃん呼び、呼び捨て。お貴族様と言う子まで十人十色。

 それが許される緩い土地ということである。グラニエスも根っからの庶民な小物な性格なので、恭しく扱われるよりかは今のスローライフな空気がいい。


「お、ありがとうな。ここもいい色をしてるな」


「今日は収穫の日なんです」


 子供達が代わりに父に話しかける。父の見た目は、ラフな服を着ていて、メガネをかけているのでただの男性にしか見えない。

 よく一人で街中に行くので、皆も気心が知れているから、今更その装いに違和感を感じる人はいないだろう。


「なに、父さん」


「いや、こっちのセリフ!侯爵家のご子息が来たんだが?来るとか聞いてないけど?今やうちは大パニックだぞ?」


 急いでる顔をしてないので、てっきりりんごを齧りに来たのかと思ってたけど、そうか。来る?と頭を回転させていると、ポンと手を打つ。


「ああ、先ぶれの手紙きてた」


「え?僕の机にないけど」


「私の机の上」


「手紙の意味ないよ!?来たのはいつ?」


「うーん、二週間前」


「当主のお父さんに!渡さないといけなかった手紙なんじゃないか!?」


 グラニエスの手を握り込む父の手は汗ばんでおり、流石の楽観的な性格の彼も焦っているらしい。


「その手紙を取り敢えず、早くお父さんに渡して!グラニエスのお友達なんだから、グラニエスが対応しなさい!」


「え、まだ途中」


「今はりんごより、高位貴族の対応だ!王様が来ても、同じこと言いそうなのが怖い」


 グラニエスの父が、子供を抱えて走っていく。優雅に走っているのを子供達は手を振って見送る。


「グラニエス様の家は、ウチより賑やかだよ」


「お父さん達が、うちの領地は最高だから下手に出て行かない方がいいって」


「うちも言ってた」


「孤児院にも、りんごがたくさん届けられてて、院長先生喜んでたよ」


 子供達は立場の垣根なく、好き好きに言い合う。その間、作業の手は止めない。


「このりんご、今日いちばんだ」


「なら、グラニエス様達の家に届ける用の箱に入れるといい」


 子供だけではなく、大人もいる。子持ちの親も、時間の空いている普通の主婦も、老人もそこにはいた。園が広すぎてそこに何人いるかなど、もう誰も数えることはないのだ。


 領民たちがそんな話をしていることなど、知らない親子。二人は領主の館へ向かう。代々の家なので見た目は大きい。昔は親類達が、集まって暮らしていた名残だ。


「あ、グラニエス様、ルカ様」


 父と娘を呼ぶのはメイド長。お着せを着ている。ヴィクトリアンメイドな格好だ。


「こ、こちらです。お客様用の大きなお部屋にお通し、しております。お早くっ」


 メイドもおおわらわだ。


「あ、グラニエス様のドレスは」


「着せる時間などないから、なしで!」


 そのまま、音をさせずにカルヴァがいるとの部屋へ到着。深呼吸する父親に、大人って大変だなと他人事に見る。


「こほん。えー」


 ノックして、中にいる執事に扉を開けてもらう。普段は自分で開けてるけど。今回ばかりはね。中から開くと、二人はそろそろと入る。


「す、すみません。お待たせしてしまい」


「いや、構いなく」


 中にいたカルヴァはお茶に手をつけずグラニエスだけを見て、スゥ、と目を横にやる。


「あの、ご用件は」


「手紙にも書いたが、領地を見に来たらいいと言われた」


 簡素に告げる男の子に父がグラニエスに本気か?と娘へと目を向ける。基本的にこの領地には自然豊かなところしかなく、シティ的な遊び場はない。


「そう、でしたか」


「ああ。先ぶれの手紙にも書いているのだが」


 男の子は戸惑った顔をしている。


「すみ、ません。娘が机に置いたままだと、言うので知らなかったのです」


「はい?」


 父が正直に言うと今度はカルヴァからの(こいつなにやってんだ)な視線が突き刺さった。真実だけど無根なのだ。ただ、単に忘れていただけなんだ。


「そういうことなら、私が案内するから、気にせず父さんは戻って」


「そういうわけにもいかない」


「カルヴァは友達として来たし」


 そうでしょ?という目を向けると彼は頷く。


「よ、呼び捨てなのか?」


 流石に不味いんじゃ、という顔をする父を部屋から無慈悲に追いやることにした。いつまでも動けないではないか。


「なにかあれば、言うんだぞ」


 父は最後まで過保護なのか、怖いのか震えていた。そんなに震えるんなら、来なきゃいいのに。グラニエスは、とても他人事だと思った。


「いいのか。父親をあんな風に」


 彼は信じられない、という顔をしていた。仕方ない。うちはこういう方針なのだ。母も父を尻に敷いているので、我が家はこんなものなのだと、言っておく。


「うちじゃ考えられないな」


 見たものを受け入れがたいのか、難しいことを考える顔つきで呟く。


「うちは大雑把で、おおらかだし。社交も最低限。親類共に研究者、自由人気質だから、皆で当主毎年押し付けあってるし」


「……何を言ってるのか、さっぱりわからん」


 男の子は、やはり混乱しているらしく、息を吐く。グラニエスと椅子に座り出されている紅茶とお菓子を見る。


「これ、私が作ったケーキ」


「……作った?貴族令嬢が?」


「人間だから作るよ普通に」


「普通?」


「食べてみて。食べないと私が食後に食べるだけになる」


 彼は、りんごのことを思い出したのか、恐る恐る口に入れ、その瞬間、立ち上がるかのようにぴくりとなる。まるで、初めて会ったときのようだ。

 学園でりんごを食べようとその場でキャンプ飯をしようとした無謀さは、のちのち反省した。次からちゃんと火の魔石を補充しておこうという意味で。


 ところでさっきの「普通?」の部分を問い詰めておいた方がいいのかもされない。

 グラニエスほど普通の人などいない。それなのに、普通じゃありませんという発音は、聞き捨てならないなと思うんだ。


「美味い……りんごを入れ込んだのか」


「そう。試作品だけど、かなり形になってきてる」


「店で出せるな。いや、そうじゃない。聞きたかったのはそうじゃない。先ぶれの手紙を渡してなかったってどういうことだ」


「甘味で、記憶吹っ飛んでなかったか」


 ボソッと言うと「吹き飛ばしたくても無理だ」とツッコミを受ける。


「仕方ない。普段机も使わないし、先ぶれなんて、初めて貰ったし」


 手を上に上げ、お手上げのポーズをする。


「開き直るな!」


 この人、だんだんキャラ崩壊起きてる気がする。棚に上げて、自分のせいだと知らずにボーっとする。

 本気で怒っているというより、戸惑ってるらしい。当たり前か。こんなに杜撰な対応を、されたことないかも。皆、あたふたしてるし。雑なグラニエスにも、苦心してるし。


 りんごを食べさせてからすでに何度も野生の焚き火の食事を食べさせて、家にも招待したので、これは友達なのではないのか?と思う。


 聞いたところによると侯爵なのだとか。正直、ふーん、で?という感想しかない。貴族社会の縦社会は頭にあるけど、この土地で育っており、現代の感覚も持ち合わせる己からしたら、社長補佐かな、といった程度の感覚。


 それに、相手はあくまで子息。

 金持ちの子息であり、侯爵本人ではない。つまり、社長補佐でもないし。

 偉くないわけで、グラニエスとの家のつながりもない。系列でも分家でもないから、関係ない。

 父親が上司、部下でもないからやはり、なんの関連もなし。導き出した答えは、ただの同級生なだけだなというもの。


 貴族なのでそこで終わりではないことも、わかってはいる。しかし、りんごを食べ続けたところを見たら、この子も思春期の男の子なんだなと思ってしまうわけで。将来、道が分かれて会えなくなっても、今は同じ歳の子供。

 友達として家に招待する理由なんて、それでいい。


「お昼にまた違うの出すから、次はこっち行こう。今はりんごの収穫してたから」


「りんごっていつも持って来てるアレだよな。収穫をしてるのか?」


 ちょっとだけ驚いた顔をする男の子、カルヴァは年相応。軽く口元を上げて、こっちだと誘導する。


「グラニエス、馬車を使いなさい」


「徒歩で行くからいらないよ」


 父が扉の前にいたのか、聞き耳を立てていた。


「いや、しかし、ご子息を歩かせることになる」


「それもそうかも。子鹿みたいな細い脚、してるし」


「な!」


 本音が口からポンと出る。


「僕はそこまで言ってない」


 父が慌てて首を振る。そうして、馬車を用意するかと話すが、待ったをかけたのは子鹿子息。


「歩く」


「どうかな?私たちなら歩き慣れた距離だけど、成長途中の身体には負担が大きいし」


 なお、この発言に意図的な部分はない。普通に本音であり、事実を説明しただけなのだが、男の子としては黙ってられない発言の数々なのだ。


「歩く。案内しろ」


 肩をふっくらさせて、急にのしのしとうちの伝統的な床を踏み抜くカルヴァ。そんなに力んだら、外に出たときには息が上がるだろうに。


「あー、グラニエス。もっと労わらないと」


 父のルカが咎めたが、めちゃくちゃ労ってる。


「労ってる。人生、過去一番に」


「あ、あれでー!?」


 父は何か叫んだが、当然、耳は右から左に聞き流されて外へ向かう。

 歩くと言っていた男の子が外で待っているだろうから、休憩時間を取らないといけないのかな、とふと考えた。

 その前に、水を持っていってあげたほうがいいかもしれない。玄関前でへたり込んでいるかも。そこへ向かうと、馬車を用意している足音が屋敷からバタバタと聞こえる。


 この領地に置いて、馬車を使うなんて久々なので仕方ないことだろう。

 カルヴァは、今頃バテバテかなとゆったり時間をかけて向かう。外へ出るとちょっと目尻を上げたカルヴァが立って待っていた。


「出てくるのが少し遅すぎる」

「馬車に乗るんだから、外に出る時間が早くても意味ないし」


「歩くとおれは言ったのに」


「まぁ、たまにはうちの錆びついた馬車が動かせるってんなら、動かしてあげよう」


 どれだけ使用してないんだ、と呟くカルヴァ。だれも気にしてないので、気にならない。気にしたことなんてないもので。

 取り敢えず、我が家来訪一度目記念に馬車に乗ろうよと説得する。

 正直馬車に乗る意義をこれっぽっちも感じ得ない顔をしていたからか、ジト目で探るように見られながらも、用意されてしまった馬車へ乗る。

 久々に見た馬。絶賛放し飼いなので、慣れてなくて首を振っている。


「この馬、人を乗らせられ慣れてないが?」


「わかっちゃう?」


「おれじゃなくてもわかるだろ」


 目を三角にさせて、馬を指差す


「まあ、ほら、乗って」


 一瞬で着くけども、という顔をしつつ、面倒な対応を済ませたい。まだなにか言いたそうな子息を馬車に押し込めたまま、馬が慣れない足音をさせてパカパカする。

 お仕事を終わらせた馬にはりんごをたくさん食べさせねば。うちは、労働後の食事には特にうるさく言うので。馬も例外じゃない。


「りんご農園っていうか、りんご庭園をやってて」


「言ってたような気がする」


「範囲が広くなって庭園が農園になってるだけだから、いまだに呼び名に迷っててね」


「経営してるのか?」


「一応、私の気分で売り飛ばしてる」


「言い方どうにかしろよ」


「我が子を売ってるってなったら、売り飛ばすが正しい言い方になる」


「りんごはりんご、れっきとした売り物だろ?」


「まあ、今のは軽いジョーク」


「わかりにくい。無表情過ぎて」


 馬車の中は二人きりなので、会話も弾む。いつも、キャンプ飯というか、野生りんご飯の時も話すけど、時間が限られている中なので、こんなに無制限な時間は初めて。


「次来る時はウチに泊まりなよ」


 さすがに、とカルヴァは戸惑って断るので平気だと言う。


「女の家に泊まるのは」


「女の家にっていうより、うちを宿屋だと思えば気にならない。それに、泊まってる期間中は入れ替えトリック使うから」


 入れ替えトリックとは、グラニエスと父の所在を入れ替える方法。カルヴァがうっかり夜に部屋に来たりしたら大怪我する可能性あり。ということで、グラニエスだけの安全は保証される。


「うちは無駄に広いから。部屋余ってるし、考えておいて」


 グラニエスの軽い誘いにカルヴァは眉根を顰める。男の家の部屋にも泊まったことなんてないのに、と無理だと首を振った。

 しかし、この気持ちが大きく、百八十度変化することを男の子はまだ知らない。




 普段はここまで喋らないグラニエスも、説明することがあり過ぎていつもよりも多く話すことになっていた。

 忙しいかも知れない、ある意味で。

 特に口元とか。りんご園のことを話しつつ、他の話題にも言及していく。


 ほとんど学園で毎日のように話しているので、話題なんてないでしょうとなるかもしれないが、そんなことはなく二人はずっと話す。

 カルヴァはこんなに話して疲れないなんてと密かに、嬉しく思っていた。いつも学園では、一つの単語にも周りは反応するから、無口と思われているくらい話さない。

 それなのに、すでに何十分も話している。馬車がりんご園に辿り着いても、話は止まらない。


「こんにちは!グラニエスさんの学友様」


「あら、お友達?珍しいわぁ」


「グラニエスちゃーん、これどう?」


 子供から大人、お年寄りまでグラニエスに声をかけてはカルヴァにも挨拶していく。カルヴァは純粋に驚いた。


「ここにいる奴らは、領民だよな?」


 フレンドリーを超えた近さだから。


「うん。皆りんご園の手伝いしてくれてる」


「気さく過ぎないか」


「うちは貴族だけど低位だし、ここはがっつり都心から離れた田舎領地だし、畏まっても虚しいだけだし」


 言われてみればそうなのかもしれないが、夢のような信じられない光景にカルヴァは目を何度も瞬かせる。


「そっちの領地は大きそうだね」


「いや、そうでもない。うちは鉱山が主のところだから狭くても維持できてる」


「嘘でしょ、その歳でわかるの?高位貴族の勉強って、こわあ」


 グラニエスは転生という特異な体質ゆえに、理解できていることをわかっているから、彼の理解度と高位貴族の苛烈な詰め込み教育に恐怖した。


「いや、もっとあとの教育を済ませて欲しいと頼んでいる。別に誰かに強制されているわけじゃない」


 ふうん、とグラニエスはやはり興味を失いつつも別の話題を口にする。この手軽さが、話しやすいと彼は思っていた。


「りんご食べ放題だから食べてってね。これ、ウチ用」


 グラニエスの家のためだけに分けられている、一番美味しそうな可能性があると判断されたりんごがゴロゴロと、入っている。


「可能性ってことは」


「もちろん、食べてみないと糖度はわからないから」


 糖度計でもあればいいが、開発できそうにない。機材もないし、知識のある人材などいないしと、手を挙げでお手上げポーズする。


「じゃあ、剥くから食べようか。火種頼むね」


「おれか?」


「労働してないと食べられないよ。お客でもそこは例外なし。例え王族が来てもりんご収穫させるから私……りんご園の園長だから」


 深い意味はない、適当な言葉を投げつけられてカルヴァは慣れた仕草で炎を準備されている箇所に灯す。

 いつも、焼きリンゴを作るブースらしく整えられている。ボゥ、と相変わらず強火な火力が手から放たれるが、カルヴァは臆することなく、出したまま転がるりんごを炎の中で丸焼きする。


「あ、焼きリンゴだっ」


「炎が今日は違うね!」


 焼いていると、香りも相まって人が寄ってくる。


「!」


 カルヴァの顔つきがこわばる。それに気付いたグラニエスは立ち上がって皆の前に行き、大声で叫ぶ。


「まだ炎のコントロールができないから、怪我するかもしれないし近づかないでー、わかったー?」


 と、宣言していくと皆も「はーい!」と手を挙げて一メートル以上距離を開けていく。グラニエスは、焼き終えていくりんごを手にして、籠へ入れていくと次々人に渡していった。


「これ、持ってって」


「うん!」


「おにーさん!ありーがーとー」


「いいー、焼き加減ーですーねぇー」


 美味しそうですー、ありがとうー、という声を遠くから聞いてカルヴァは俯いた。ぐっとりんごを握る手は怯えでもなんでもなく、戸惑いに揺れる大きな感情の揺れだ。


「「美味しい〜」」


 焼き加減の良さにグラニエスは頷く。このりんご焼き職人は自分が育てた。後方監督面でりんごを食べ、シャリシャリと口を動かす。


「美味しい。焼き加減完璧」


「あれだけ焼かされたからな」


「その分、その胃袋に入ってるでしょ」


 笑みを浮かべてお互い、言い合う。その間も、職人みたいに彼は炎でりんごを焼きつつ会話をする。いつものことだ。

 相手曰く、精神が安定していると火の魔力が燃え上がらず、安定するらしい。


「安定してきた。よし、うまくいってる」


 彼が何度も確認するように呟くのは、なにかしらの魔法の問題を抱えていたらしいが、最近はコントロールできているらしい。

 よかったね、と言ったときのなんとも言えない彼の顔が、気にならないので先に進めていたのだがそれも何とも言えない顔をしていたから折り合いつけていこうじゃないか。


 グラニエスの性格に慣れないとなにもできなくなるからねと、頷く。カルヴァは炎をちょっと弱火にしていき、丁度いい具合にりんごをジュッと焼いていく。

 何度見てもいい火だなと思う。この火で色々できるようになるんだよねと、計画している。

 焼き芋、焼き豆腐、焼き餅、キャンプファイア。豆腐も餅も、まだないけど必ず見つける。

 芋はうちの先祖のノートにあったので、少し遠かったけれどなんとか見つけられたのだ。きっと、見つけて見せると拳を握る。


 炙らせるのもいいかもしれないなと、思案しているとりんご飴の準備が整い鍋に砂糖をガーッと入れていく。

 ここの農園には大きい鍋が常備してあり、砂糖もあるのでここぞとばかりに注文しておいた。


「もっと入れる」


「はーい!グラニエス様〜!」


「匂いが甘いなぁ。楽しみ!」


「いつもより、カリカリに焼かれてるね!」


 子どもたちがわくわくした顔でグラニエスとカルヴァの顔を交互に見ていく。その期待に濡れた目を見た男の子は慣れてない様子と視線に身体を身じろがせる。


「グラニエス様、この方はなんというお名前なのですか?」


 大人組が聞いてくるから名前を教えると、頷きながら彼へ寄って行き声かけを先にしてりんごをこちらへ持ってくる。

 砂糖を絡める作業をしていくのだろうとわかり、皆も声をかけて許可を貰うと次々りんごを焼いて貰ったり、水を差し出す。

 リンゴジュースも渡していくので、周りに飲み物が溢れる。なぜ飲み物だらけになるのかというと、火を扱っているので喉が渇くからといった理由だ。


 しかし、彼はまだ他人に緊張するのか首を振る。けれどそんなことで辞める人はいない。彼のそばにリンゴジュースを置いて無理矢理渡していた。

 やはり、水分補給は大切だからね。

 ウチの領は水分補給もかなり厳しく守らせているのだ。


 働いていても水分、何においてもブドウ糖みたいな感じでリンゴジュースを飲ませている。お金の有無なんて関係ない。辛いのはあってもなくても、同じだから。

 というウチの絶対的な方針で、年間の領民の健康は知られていないけど国土的に上位かもしれない。

 知られてもなんの報奨金も出ないから、データの提出はしてないけどね。


 紙で見るより、実際に見に来れば一瞬でわかることなので、文章化の意味はあまりないと思われる。

 カルヴァは人に世話を焼かれながらりんごをいつものように焼き、その後グラニエスにりんご収穫を体験するように熱望された。

 自分で収穫したら美味しさも上がるよと言われて、素直に頷いたのだ。

 この子はワシが育てた、と一瞬彼に言おうとしたが焼きりんごコースになりそうな予感がしたので、密かにやめておいた。もう少し温めておこう、このネタ、と頷く。


 グラニエスはカルヴァにりんごの取り方をかなり丁寧に教えて、りんごジュースも、その場で絞って見せて飲ませると美味しさが違うと一言言われる。

 当然、味は同じなので美味しさは変化しないというのは皆もわかっているし、彼もそのうち理解してくるだろうけど、それでも美味しいというプラシーボ効果を知っていたのでウンウンと賛同。

 彼は自分のもいだりんごを袋に入れると抱えて、馬車に乗る。領民達に見送られて手を振られるとチロチロと、よく見て見ないとわからいくらい極小の動作で指を動かして振り返していた。


 今の精一杯の返しなのだ、成長したのである。笑顔で手を振られるなんて人生で初めてみたいだったので、グラニエスが手を持ってブオンブオンと大きく降らせれば「な、おい!やめろって」と聞こえた。


 やめさせて、さらに大きい動作になる人たちの「さようなら」「またきてね」の言葉を恥ずかしそうに、嬉しそうに受け止める。


「よかったね」


「振らせたのは、やりすぎだったけどな」


「あんなの小手先だよ」


「小手先の使い方を、間違ってるっての」


 不貞腐れたように、りんごを大切そうに抱えた男の子に「まあまあ」と言った。怒らせたのはお前だろうという視線を感じたけれど、いつものようにスルーしておく。

 いつもいつも、怒ったり文句を言っても女生徒に響かないことを少しずつ理解してきたのか、長くは言い合いは続かない。これぞ相互理解だな。


 馬車は当然ながらあっという間に屋敷に辿り着き、二人はそのまま部屋へ行く。どこに行くのかとカルヴァはわからなかったが、適当な部屋に案内されるのかと思ったから、のこのこついて行ったら、キッチンに通されて目を丸くしていた。


「え、なんでキッチンに」


「今から作るから」


「は、おれ、もか?」


「おれもおれも」


「たまに思うが、おれのことを馬鹿にしてるのか?お前がアホなのか?」


「んー」


 アホと言われたのに怒ることなく腕を組み考え出すグラニエスにちょっと焦る。少しからかかう気持ちで、軽口を言ってみただけだから。本気で取られると困る。


「私たちが友達だからかな?」


「……友達……!?」


 遅ればせながら、ジワジワと言われたことを理解していく男子は驚きと喜びを同時に感じているのか、肩を跳ねさせた。


「友達って……お前は女だろ」


「今時、それは古い考え」


「今も昔もその考えだろ」


 少し何か言いたげに唇を尖らせる男児に笑うグラニエス。その笑顔を見て安堵したのか、安心したのか飲み込んだのか、彼はホッと息をつく。


「今から作るのは……アップルパイ」


「アップルパイ?」


 りんごは最近出回っているので、アップル、りんご、などと勝手にこの国だけで通用しそうになる名前をつけたのはグラニエス。当たり前だが、アップルの別名も浸透してない。ゆえにアップルパイも初耳となる。

 グラニエスの家では、すでに浸透して理解し合えていた。のちにカルヴァでも耳慣れして通じるようになるからといって、深く説明する必要はないと完結させた。酷い怠慢だとあとで、カルヴァに詰られる可能性が特大にありそう。


 そんな未来など未来の己に任せるとして、グラニエスとカルヴァはエプロンをつけて、もぎたてホヤホヤのりんご。すりつぶしていく。

 カルヴァが自ら、もいだりんごは持ち帰り用なのでそっちは使わない。そもそも本人が使われると思って紙袋を潰しそうなくらいギュッとしたので、キッチンにいた使用人たちの心もギュッと鷲掴んでいた。


「ワシが育てた」


 ムンっと胸を張っていると、パンを平たく綿棒で伸ばしていたカルヴァが「お前もやれよ」という視線を浴びせる。

 後方飼育者面ごっこをやっている中で、グラニエスらはせっせとたくさんのアップルパイの生地を仕上げてりんごと砂糖を入れ、シナモンも入れる。


 このシナモン、ご先祖様の資料にあったので見つけられた。この国では珍しいものを取り扱う商人を探したのだ。商人にも子供がいて、その子とも文通している。

 シナモンや他の香料を売っているので、ウチの専属並みの取り引き回数を誇っていた。


 やり取りする中で、こんなのがあるけどどう?というセールスがあるので、将来はよい後継ぎだと思いながら試しに一つ見せてよ。という返信を書くのがいつものこと。

 そんなことを思い出しながらアップルパイもどきをオーブンに投入。焼き上がるところを見たそうにしていたので、同じように張り付く。使用人達もその様子を微笑ましく見ていた。


「あら」


「おお」


 うちの父と母もこっそり見ていて、楽しそうにこちらを見ていたが、カルヴァが気にするかなと敢えて見られていることは言わない。

 オーブンから取り出して、皿に盛り付ける前に二つ貰う。それを咎めるように見る彼は正しくいいところの血筋だ。真面目というか、優等生。

 こちらは優等生ではないし、そんな気はさらさらないと彼にアップルパイを持たせる。アチアチ、と声に出しながら二つに割る。


「美味しそうでしょ?」


 それを見ながら彼も野生のりんご焼きを日々していたせいで、前よりも自然に真似をしていた。教育の賜物だ。目の前のアップルパイは、もはや上品なデザートではない。それは熱い獲物だ。


「ああ」


 一切れをフォークもナイフも使わず、そのまま素手で鷲掴みにする。熱い。熱いけれど、この熱さが、焼きたての証拠だ。一気に大きく、ガブリとかぶりつく。


「あっつ〜!ハフハフ!」


 まず、硬めに焼き上げられたパイの角が、唇と歯茎にちょっとだけ刺さるような感触。直後、幾層にも重なったパリッ、ザクッとしたパイ生地が豪快な音を立てて砕け散る。

 砕けた破片が口の周りに散らばるのも構わない。


「っん!」


 口の中は一瞬で、バターの焦げた香ばしさと、シナモンの濃厚な香りで満たされる。

 そして、熱をたっぷり蓄えた中のりんごが舌に触れる。トロリと甘く煮詰められたフィリングと、歯を押し返すシャキッとした果肉の感触が同時に襲いかかる。

 熱いフィリングが、口の中を火傷しそうなほどに温め、全身の感覚を覚醒させる。

 りんごの濃密な甘酸っぱい果汁が、パイ生地と混ざり合い、指の隙間からべっとりと溢れ出る。


「美味しい……!」


 手がベタベタになるのも気にせず、むしろその生々しさこそが最高のスパイスだ。夢中で齧りつくたびに、香ばしいパイとトロリとしたりんごが、口の中で最高のカオスを生み出す。

 これは、ナイフとフォークでは決して味わえない、本能を揺さぶる至福の味だ。

 食べ終わった後のベタついた指を、思わずぺろりと舐めてしまうほどの、野性的で濃厚な満足感に満たされる。


「ほら、指も美味しいから」


「さすがにそれは」


「そのセリフ、数年後が是非楽しみだよ。覚えてたまへ」


 どうせ、数年後には極々自然に舐めてるんだよ。わかってるわかってる。


「変なことを考えているな」


 カルヴァがシラッとした顔で言ったが、グラニエスは素知らぬ顔でおかわりをオーブンから取り出した。


 *


 グラニエスの領地での生活とは違うと、まざまざと見せつけられるのは、カルヴァが通う学園。相変わらず避けられており少し歩くと人並みが裂ける。

 授業の一環でまた炎の属性を引き出すためのことをしなければならなくなり、苦痛で仕方なかった。


 グラニエスとカルヴァのクラスは離れており、授業もクラス別なので見たことはなかったなと。今更になって思うのは、ストレスのせいだろうといつか、グラニエス本人が述べていた。

 そうは考えても炎を少しなら出せるかもしれないと力を込めずにいるが、生徒たちの視線が邪魔で仕方ない。

 ほんの少しならと、人から離れて発動してみる。だが。


「く、だめ、か!」


 失敗したときの魔力の高まり方にじわりと嫌な汗が背中を伝う。冷や汗が流れる中で止めようがなく轟々と炎が手から出てしまう。

 少し前まで穏やかだった炎は、コントロールの効かない危険な勢いを周りに教えてしまう。


「きゃあ!」


「逃げろ!」


「危ないっ」


「うわぁあ」


 生徒たちはキャア!と声を出して逃げる。教師は同じく目をこちらへ向けるだけの傍観者。いつものことだ。いつもの、こと。


「……こんな、もの」


 頭をもたげて、目を仄暗くさせていくカルヴァ。いらない、いらない。

 炎なんてなくなってしまえと。炎の家系の高位貴族だとしても、父親さえ、己を怯えた目で見る。こんなものいらない。


 目をふっと閉じたカルヴァは座り込む。心が折れたからか、意思を持つことを放棄したからか。どちらかなど、どうでもよかった。


『カルヴァ様〜またきてね〜』


 初めてグラニエスの領地に行って帰る時、わざわざ領民たちが見送りに来てくれた言葉や光景が瞼の裏によみがえる。


「また、行きたい……」


 泊まりなんて無理だと、馬車に乗ったときは行ったのにもう行きたくなってしまった。

 手をぎゅっと握り込み顔を膝に埋めて、炎の魔力を感じながら目頭にもなぜか熱を感じてしまう。


「き……た」


 ザッザッ、ザッザッ。

 耳に聞こえたのは凡そ三十秒後ほどのこと。足音よりも先になにか聞こえた。なにか、ソプラノの声音が。聞き覚えのあるようで、他の声も聞こえて。顔を上げるより先にザッザッという走り抜けていくような声が。


「?……な、んだ」


 思わず顔を上げて外の砂場に向けて見てみると、豆粒のなにかがこちらへ向けて駆けてくる。最初は馬だと思った。地面の土を巻き上げるほど走る生徒などいない。


「こう、おん」


 聞き取れていくうちに、足音も豆粒も見えて。それが人だと知った瞬間、誰だろうかなんて考えるまでもなく、誰かわかったカルヴァ。こんな破天荒なことをする生徒など。


「高温!来たー!」


 なぜか、一人だけではなく二人いたが、そんな細かいことなんて気にしている心の余裕はなくて。


「グラ……ニエス……?」


 少し、ほんの少し感動したところでの走り寄られたことでの胸の高鳴りは。忘れられそうにない。炎が相手に向かないような正反対の方向に向けたところで漸くここまで辿り着いた。


「ごめんごめん。処理に手間取ってて」


 ドガッと鈍い音を立てて置かれたそれは、見たことがあるものの、調理されたあとのものなのでカルヴァの知らないものとして目に写る。


「……は?」


 助けに来てくれた救世主かと思いきや、な展開にカルヴァはぽかんと口を開ける。高位貴族としての緩い失態に気づかないまま、二人の女子はそれを徐に金属のなにかに刺していく。


「グラニエスセンパイ!私がやるのでセンパイは、炙ってください!いつ消えるかわからないですし!」


 叫ぶ女子は初見である。カルヴァはその子を見つめながら「この生徒は?」と胡乱な瞳でみる。もう展開が読めて読めて、仕方ない顔をした。


「ん。わかった。じゃあ、やってくから」


 グラニエスはそれを高く上げて炎に入れる。それは、ジュワー!と音をさせて焼かれていく。その音を響かせていく中で、カルヴァはもう一度唱える。


「その隣にいる女子生徒は誰で、そして、お前は何をしてるんだ」


 声は平坦で、ありありと呆れの形をなしていた。さっきの涙返せよと言わなかったことを褒めて欲しいほどだ。


「え?ああ……この子は、ほら、前に言ったと思うけど。スパイスを買ってる商人親子の子の方。何日か前に編入してきた。次、りんご焼くときに紹介しようと思ってたんだけど」


 何食わぬ顔で言うことではない。と思っているとグラニエスの隣にいる女子生徒が挨拶した。ぺこりじゃない。挨拶しろと思ってないし、ここでやる場面じゃないだろとしか思わない。


「初めまして。ワタシは東の国から来ました。よろしくお願いします。侯爵子息センパイ」


「呼び方がなんだか、おかしくないか?」


「私が教えたから」


「ファーストネームでよくないか」


 グラニエスに冷えた目を向けるが、彼女はそれを焼くのに忙しそうでクルクル回している。職人みたいな顔をしてやってるんじゃない。


「いいじゃん。かなり応用効くし、言われたらまんざらでもない気持ちでお互い、心地よく過ごせるでしょ。ね?」


「はい!ありがとうございます」


「それと、これ」


 カルヴァはついにそれを指差して、指摘する。真っ赤なそれを。


「これって、ただのエビ以外のなにものでもないけど?なにか、変?」


「いえ、特に、どこにでも売ってる、エビですよ」


 二人はエビについて聞いていると思って進めている。そんなわけがない。カルヴァとてエビくらい物心ついたときから、当然知っているのでそんなわけがないだろと思う。

 しかし、二人はエビを焼いて、刺して、焼く。その間、炎は高温を維持して二人の顔は汗が流れている。けれど、棒を炎に向けていくことはやめない。


「ふうー。やっと海鮮類を焼けた」


「職人ぶるな!」


 呑気な女の子に怒鳴るのは、いつものことになっているとはいえ、今はどう見ても魔法的な事故の最中。因みに、高温で炎を吹き出している中で作業をしている二人を、遠巻きに見る教師陣。生徒たちは避難させられているのだろう。


「なにをしている!?離れなさい!」


 と、叫ぶ教師をありえないくらいの様子で無視する二人。


「人にはやらなきゃいけないときがある」


 キリッとした顔でエビを炙る女。エビに串を刺す留学生。お前、国に返されるぞと突っ込んだカルヴァは悪くない。


 *


「焼けた焼けた」


 職員室の先にある部屋に通された三人は、エビを食べていた。エビを焼いていたらいつのまにか普通の中火になっていき「もう少し頑張ってよ」と鼓舞したところ「魔力がもう、ない」と疲れた顔で言うから勘弁しておいた。


 何か聞いたそうだったのに、炎が鎮火する頃にはエビを渡したら無言で食べ出したのでやっぱり食べたかっただけなんだと思ったグラニエスは悪くない。

 グラニエスたちは炎が消えたからと今更先生っぽさを醸し出す教師陣に連れられて、この部屋に通された。

 ここがどこかなんて、どうでもいい。グラニエスと商人の子は談笑しながら焼き加減について話す。


「この香辛料、合う」


「高温で焼き上げることによって、中がとろりとなってますね」


「カルヴァはどの香辛料がいい?」


 さっきから、ハイライトが消えた瞳で咀嚼している。元気出せばいいのに。せっかく、美味しいエビをご馳走しているというのに。


「グラニエス、お前、ここがどこかわかってるのか?」


「ん?スタッフルームか……先生たちが賄いを食べるために気を利かせた部屋かなって」


「副校長室だ」


 間髪入れず、被せるように言われた。ジョークなのに。


「ふーん」


「ふーんじゃない。お前こそ休学を言い渡されるぞ」


「ワタシですか?平気です。推薦状は我が国の王からなので、そんなに簡単にいきませんから」


「は?王?」


 カルヴァは思っても見ない王侯貴族の言葉に目を剥く。


「この子、確かかなりの高位貴族だから。でも、遠い国だし、小さいっていうから親類縁者が貴族となると少ないんだって」


「ってことは、父親は当主か?当主がスパイス商人ってどういうことだ」


 どういうこともなにも、高位貴族だからこそ世界を回ったり、国を調べるために、ついでに商売をして馴染んでるだけだろうと首を傾げる。


「国が違えば、やり方も違うってことだよ、ね」


「はい!」


「その、さっきからのネ、をやめろ」


 息が合いすぎてグラニエスが二人以上になったようなもので、心の中のツッコミが間に合わない。グラニエスたちがのほほんとグルメについて語り合って。副校長が推薦状を確かめてからすっ飛んできたので、国に帰されることなんて万に一つもなかった。







「……エス」


 ふわり、と意識が急に引き戻される。

 ゆるりとゆすられて、また一つ深淵の中から揺り戻されていく。まるで夢から覚める前だ、と感じて。目をパッと開けた。


「……だれ」


「寝ぼけてるのか」


 ここは、どこだろうと周りを見ると高価な調度品が並ぶ豪華な部屋。


「ん……カルヴァの、お兄さん?」


「兄弟はいない。いたら喜んで爵位を譲ってたな」


 楽しげに笑う男はカルヴァを大人にしたらこうなるという、凛々しい顔をする。そこにきて漸く、あれが過去のことだったと思い出す。

 グラニエスとカルヴァはあのあと、色んなことがあって婚姻したのだ。今はこの侯爵邸に住んでおり、グラニエスはグラニエス夫人になっていた。


 寝ぼけてしまって、うっかり過去の夢を見たこともあって混乱したみたいだ。

 そこまで考えていると起きたてだからなのか、カルヴァが顔に優しく触れてきて、それがなにを意味するのかと伏せて思い出した。


「待って。私の中ではカルヴァはまだ学生だから。それは早い」


「そうか。おれはお前を結婚可能な妻と思ってるから、関係ない」


 笑みを浮かべて、彼は図太さを発揮してしまう。育てすぎた弊害だな、とよそ見をする。学生の時を夢で見た分、今の甘さが強い。


「今日は果樹園に行く日だろ」


 炎侯爵と呼ばれて久しい男が目を深くゆらめかせて、予定を教えてくる。そうだった。今日はもぎりに行く日だ。


「行かないと。あなたの焼きたてりんごを食べられる日でもあるし」


「はは……!ああ、学生のときよりうまく焼ける自信もあるから、任せておけ」


 カルヴァはちろりと指先で器用に炎を出す。学生のときには考えられないほどの絶妙な加減。


「りんご庭園まで徒歩で行くか?」


 昔のことを当てこすられて、流石に無茶と言うしかない。侯爵家にも移植したりんごなどがある庭園は広く、距離も遠い。

 仮にそこまで歩けても、見て回るのに一日中ずっと歩かなければいけなくなる。


「子鹿侯爵夫人って呼ばれるな。ふ」


 筋肉痛を示唆される。りんご夫人という異名でも呼ばれているので増えることになるなと、困った。

 歩き続けると周りも困るのでは?と偲ばれる。手を出されてエスコートされるグラニエスはそのまま起き上がると、伸びをした。


 りんご庭園に向かうと馬車から降りて、カルヴァの手に手を重ねて降りる。目に入るのは広大な敷地。すごい、本当にいつ見ても。あそこからあそこまで侯爵領の一部だ。


 鉱山を主にしていたけれど、安い土地を唸るほどの資産で買い取ってくれた。雇用も生まれるので黒字だ。鉱山だけではグラニエスを満足させられないと、カルヴァは張り切っていたことを思い出す。


「あ!」


「来たわ、夫人」


 雇用されている人たちがこちらに気付いて手を振るのでこちらも、振り返す。男爵家から移った人もいるし、あちこちから来た人もいる。そこに国の境目はない。

 カルヴァは相変わらず小さく振るのでグラニエスが甲斐甲斐しく手を取って振らせて上げる。恥ずかしがってはいなさそうなのに、いつになっても小さい幅だ。


 りんご庭園に入るとりんごの甘酸っぱい香りが風と共に香る。


「準備できてますよ」


「ありがとう」


「ありがとう」


 二人は用意された場所に行く。そこは立派な火おこしができる広さのある、周りになにもない空き地。

 そこにはたっぷりのりんごがゴロゴロと積まれている。周りには関係者が待ち侘びている様子で声掛けしてきたり、お皿を持っていたり。


「炎侯爵様!私のをいっぱいカリカリにしてくださいっ」


 小さな子供が元気いっぱいに主張する。周りの大人たちは笑ってそれがいつものことだと受け止めている。


「いいぞ。たくさん食べていけ」


 カルヴァが得意げに炎を出し始めると皆は拍手したり、焼いて欲しいものを持ち寄り出す。

 グラニエスはいつものようにりんごに砂糖を絡めては配ったり袋に詰めたりする。水分が蒸発していく音に耳を澄ませていると、カルヴァが顔を覗き込んでいることに気付く。


「どうしたの?」


 目を丸くして問いかけると、手を顎に乗せてリラックスしている表情をする夫が、穏やかに唇を動かす。


「初めて会った時のことを思い出してな」


「ああ。あなたが座り込んで寂しさに打ちひしがれていたところを、りんごを差し出して『お食べ』ってやった出会い?」


 なかなかにドラマティックだった。


「違うだろっ」


 声と共にブオッと炎がひと段落上がる。


「勝手に記憶を改竄するな」


 ため息を吐いて、こいつは、という顔を浮かべる男に笑った。


「うそうそ、ちゃんと覚えてる。火が付かないし、タイミングよく火が現れたから小躍りしてたときね」


「嫌な記憶のさせ方してるな……」


 そんなことだろうとは知っていた様子のカルヴァ。こちらの性格を熟知しているだけはある。


「あの時、おれは孤独とは無縁になってたけどな」


 楽しそうに頬を上げて、ゆるりと口角を上げる彼から、陰鬱とした気配はどこにも見当たらない。

 それでいい。そういう顔が見たかった。苦しさも辛さも一人の寂しさも。子供が浮かべるべきものではなかったから。


「私も、グラニエス侯爵夫人になるとは思わなかった」


「そうか?そうでもないがな」


 誇らしげに、自慢げに唱える男は上機嫌に焼き終えたりんごを皿へ移す。

「ありがとう!炎侯爵様」


 先ほどの子供がお礼を言いにこちらまで来た。それに彼はこの世で一番の幸せ者だと言わんばかりに目尻を下げる。


「砂糖の付いた指も美味しいから、大人に隠れて舐めるんだぞ」


「うん!」


 パタパタと去る子供を見送り、こちらを見た彼はイタズラを成功させた目の色を浮かべていた。


「忘れてるのかと」


「忘れてなかったな」


 くすくすと笑うカルヴァ。スクリと立ち上がり、手を差し伸べられた。グラニエスもこの手が、どれほど自分を大切に扱うか知っているのでいつものように重ねる。


 庭園をゆっくり歩き出す二人にはたくさんの人がいて。皆は笑顔で笑いかける。炎を怖がる人なんて一人もいない。


「グラニエス夫人!炎侯爵様!」


 誰かが今日も呼びかけるのを、夫婦はお互いを見合ってから応える。


「はーい!」


 つやりとした赤い果実が、光に照らされて庭園を彩っている。

 二人の出会いから未来を見守るように。

⭐︎の評価をしていただければ幸いです。りんご飴美味しいですよね

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
林檎、加熱すると美味しさ加速しますわよねー。 美味しいは正義。 コロナ罹患して味覚障害出た頃は食べる意味なし、とずっと食べませんでしたねえ。 美味しいものを美味しく食べられる幸せは全ての幸いに通ず、で…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ