裏切りの勇者パーティーに、復讐の黒魔法を
「カイン、お前には感謝している。だが……ここまでだ」
目の前で、かつて仲間と信じた勇者アルトが、冷酷な目を向けていた。
彼の隣には、忠実な犬のように付き従う戦士ライガと、いつも冷静な表情を崩さない賢者セレスがいる。
俺が放った渾身の聖魔法が悪しき魔将を打ち破った、まさにその直後のことだった。
ここは、魔大陸の最奥、魔王城へと続く断崖絶壁。
長きに渡る旅の終着点が、すぐそこに見えていたはずだった。
「アルト……?何を言って……」
俺の言葉は、背後からの強い衝撃によって遮られた。
ライガの屈強な腕が、俺の体を無情にも崖下へと突き飛ばしたのだ。
「ぐっ……!?」
落ちていく。
遥か下には、おびただしい数の魔物が蠢く、奈落のような谷底が見える。
「カイン、お前の聖魔法は確かに強力だった。だが、それ故に危険すぎる。それに、魔王を倒した後の世界に、お前のような『聖人』は邪魔なのだよ」
アルトの声が、遠ざかる意識の中で響く。
セレスは、黙って俺が落ちていくのを見ているだけだった。
その瞳には、何の感情も浮かんでいないように見えた。
(……裏切られた)
仲間だと信じていた。
共に世界を救うのだと、そう思っていた。
純粋な信頼は、彼らの醜い欲望と野心の前には、何の価値もなかったらしい。
(許さない……絶対に、許さない……!)
憎悪。
裏切られた悲しみよりも、激しい怒りが、俺の心を黒く染め上げていく。
死の淵で、俺は強く願った。
力が欲しい、と。
あいつらに、この裏切りの代償を払わせるための力が。
――その願い、聞き届けよう。
どこからか、声が聞こえた。
古く、深く、そして抗いがたい魅力を秘めた声。
――我は、影。忘れ去られし古の力。汝の憎悪を糧とし、力を与えよう。ただし、代償は汝の魂そのものだ。
意識が完全に途切れる寸前、俺は答えていた。
「……ああ。くれてやる。俺の魂など、復讐のためならば」
それが、俺……カインが、聖魔法の使い手から、闇に生きる復讐者へと生まれ変わった瞬間だった。
気がつくと、俺は魔物の死骸が積み重なる谷底で生きていた。
体は傷つき、ぼろぼろだったが、不思議と痛みは感じなかった。
それどころか、体の奥底から、今まで感じたことのないような、冷たく強力な力が湧き上がってくるのを感じた。
影魔法。
闇の存在との契約によって得た、新たな力。
【ステータス】ウィンドウを開く。
名前は、カインから『ノア』へと変わっていた。
職業も『神官』から『影使い』へ。
聖属性だった魔法適性は、闇属性へと完全に反転していた。
そして、スキル欄には、禍々しい名前の魔法がいくつも並んでいる。
《影潜行》《影縫い》《影人形》《闇黒弾》……。
「……ふふ、ふははははは!」
乾いた笑いが込み上げてくる。
かつての仲間たちが俺から奪ったものよりも、遥かに強大な力を、俺は手に入れたのだ。
「待っていろ、アルト、ライガ、セレス……。お前たちが築き上げた偽りの平和と名声を、この俺が、奈落の底に叩き落としてやる」
俺は、影の中に身を溶け込ませ、谷底から静かに這い上がった。
復讐の幕が、今、上がる。
*****
『ノア』として生まれ変わった俺は、まず情報収集から始めた。
影魔法は、隠密行動や情報操作に非常に長けていた。
影から影へと移動し、人の意識に干渉して情報を引き出す。
まるで、最初から復讐のために用意されたような力だった。
数ヶ月後、俺は驚くべき事実を知った。
アルトたちは、俺を裏切った後、魔王城へと乗り込み……なんと、魔王を討伐していたのだ。
もちろん、それは偽りだった。
俺が魔将を倒した時点で、魔王軍の主力は壊滅状態だった。
残っていたのは、もはや抜け殻のような魔王だけ。
それを、さも自分たちの力で倒したかのように演出し、彼らは『世界を救った英雄』として、王国に凱旋したのだ。
「……どこまでも、腐っている」
唾棄すべき偽善者どもめ。
彼らは今や、王国の英雄として民衆から称賛され、莫大な富と名誉を手にしていた。
アルトは次期国王候補として王女に近づき、ライガは近衛騎士団長に、セレスは王宮魔術師長に就任していた。
俺の存在は、彼らの輝かしい経歴から完全に抹消されていた。
『魔将との戦いで殉職した勇敢な神官カイン』……それが、公式記録に残る俺の最後の姿だった。
(都合のいい話だ。だが、その嘘で塗り固められた栄光を、俺が引き剥がしてやる)
俺は復讐の計画を練り始めた。
正面から挑んでも、今の俺一人では勝ち目がない。
彼らは英雄として、王国全体の支持を得ている。
まずは、彼らの足元を少しずつ崩していく必要がある。
手始めに、俺はライガに狙いを定めた。
彼は近衛騎士団長として、王都の治安維持を担っている。
裏では、その地位を利用して不正な金儲けに手を染めているという情報を掴んだ。
俺は影魔法を使い、ライガが密会している悪徳商人の会話を盗み聞きし、不正の証拠となる帳簿を影の中に引きずり込んだ。
そして、その証拠を匿名で、しかし確実に、王国の監察機関に届くように手配した。
数日後、王都は大騒ぎになった。
近衛騎士団長ライガの汚職疑惑。
英雄の一人である彼のスキャンダルに、民衆は動揺した。
ライガは必死に否定したが、俺が流した決定的な証拠の前には、言い逃れはできなかった。
「ライガ様が、そんな……」
「英雄だと思っていたのに、裏ではこんなことを……」
民衆の信頼は、あっという間に失墜した。
ライガは騎士団長の地位を剥奪され、謹慎処分となった。
権力の座から転がり落ちた彼の絶望した顔を、俺は影の中から、冷ややかに見つめていた。
(まずは一人。だが、これは始まりにすぎない)
ライガの失脚は、勇者パーティーの名声に最初の大きな傷をつけた。
アルトやセレスも、内心穏やかではなかっただろう。
俺という『亡霊』の存在に、気づき始めたかもしれない。
*****
ライガの失脚後、俺は次のターゲットであるセレスの動向を探っていた。
彼女は王宮魔術師長として、古代魔法の研究に没頭しているらしい。
特に、『魂』に関する禁断の研究に手を出しているという噂もあった。
俺を裏切った理由も、その研究のためだったのかもしれない。
(セレス……お前の知識欲が、お前自身を滅ぼすことになる)
俺は、セレスの研究室に夜な夜な影潜行で忍び込み、彼女の研究内容を探った。
そこには、魂を不自然に操作したり、生命力を他者から吸収したりするような、おぞましい術式が記された資料がいくつもあった。
聖職者であったかつての俺なら、決して許容できない行いだ。
だが、今の俺には、それを利用しない手はなかった。
(この研究成果を公にすれば、セレスも終わりだ。だが、それでは面白くない)
もっと、彼女が絶望するような方法で、破滅させてやりたい。
そう考えていた矢先、俺は思わぬ協力者を得ることになった。
その夜、俺はセレスの研究所の資料を漁っていた。
すると、背後から静かな声がかかった。
「……あなた、誰?何をしているの?」
振り返ると、そこにいたのは、銀色の髪を持つ、美しい少女だった。
年は、俺と同じくらいだろうか。
彼女は、俺と同じように、影の中に溶け込むようにして立っていた。
同業者……?いや、彼女から感じるのは、俺の影魔法とは少し違う、もっと純粋で、けれど底知れない闇の力だった。
「……お前こそ、何者だ?」
俺は警戒しながら問い返す。
「私はシルヴィ。……しがない『夜の一族』の末裔よ。ここは、私にとっても用がある場所なの」
『夜の一族』……確か、古の時代に闇に仕え、影や幻術を得意としたとされる、伝説の種族だ。
魔族とはまた違う、人間とも異なる存在。
今はもう滅びたと聞いていたが……。
「あなた、セレスに恨みがあるんでしょう?」
シルヴィは、俺の心を見透かすように言った。
「彼女は、私の同胞を……実験材料にしたのよ」
彼女の瞳に、静かな怒りの炎が宿る。
「だから、私も彼女に復讐したい。……もしよければ、協力しない?」
シルヴィの提案は、俺にとって魅力的だった。
彼女の持つ『夜の一族』の力は、俺の影魔法と相性が良いかもしれない。
それに、一人で事を進めるよりも、協力者がいた方が、より確実に、より派手に復讐を遂げられるだろう。
「……いいだろう。だが、俺はお前を信用したわけではない。互いに利用し合うだけの関係だ」
「望むところよ。目的は同じなんだから」
シルヴィは、妖艶な笑みを浮かべた。
こうして、俺と謎多き『夜の一族』の末裔シルヴィとの、奇妙な共闘関係が始まった。
俺たちは協力して、セレスの破滅計画を進めた。
シルヴィは幻術を得意とし、セレスに悪夢を見せたり、研究の邪魔をしたりして、精神的に追い詰めていく。
俺は、影魔法でセレスの研究成果の一部を盗み出し、それを改竄して、彼女の研究が暴走するように仕向けた。
数週間後、計画は実行された。
王宮内で開かれた魔法発表会の場で、セレスは自信満々に自身の研究成果である『魂活性化』の魔法を披露した。
しかし、俺たちが仕込んだ通り、魔法は暴走。
術を受けた被験者は自我を失い、凶暴化して会場で暴れ出したのだ。
会場は大パニックに陥った。
セレスは必死に魔法を制御しようとしたが、一度暴走した術は彼女の手にも負えない。
さらに、シルヴィが幻術で、セレスが行っていた非人道的な実験の光景を、会場の人々に見せつけた。
「なんてことだ……セレス様は、こんな恐ろしい研究を……」
「まるで悪魔の所業だ!」
民衆の尊敬は、一瞬にして恐怖と非難に変わった。
セレスは、自身の研究の失敗と、隠していた悪行が白日の下に晒され、絶望の表情を浮かべてその場に崩れ落ちた。
彼女もまた、ライガと同じように、その地位と名誉を完全に失ったのだ。
(二人目……。残るは、アルト……お前だけだ)
俺は、混乱する会場を影の中から見下ろし、静かにほくそ笑んだ。
復讐の刃は、確実に勇者の喉元へと迫っていた。
*****
ライガ、セレスと、かつての仲間たちが次々と失脚していく中で、勇者アルトの焦りは相当なものだっただろう。
英雄パーティーの名声は地に落ち、民衆の間では「アルト様も何か隠しているのでは?」という疑念の声が囁かれ始めていた。
そして、ついにアルトも俺……『ノア』の存在に気づいたようだった。
俺が流した情報や、事件の起こり方から、死んだはずのカインが生き延び、復讐のために暗躍している可能性を考え始めたのだ。
「アルト様、最近おかしな噂が……死んだはずの神官カインが生きていて、今回の事件を裏で操っている、と」
王宮内で、側近がアルトに報告しているのを、俺は影の中から聞いていた。
「馬鹿な!カインはあの時、確かに死んだはずだ!……だが」
アルトの声には、動揺と、そして恐怖の色が混じっていた。
「念のため、ヤツの行方を探せ。もし生きているなら……今度こそ、確実に息の根を止めろ!」
(ようやく気づいたか、アルト。だが、もう遅い)
俺は、最後の復讐の舞台を整え始めていた。
アルトが最も執着しているもの……それは、『英雄』としての名誉と、民衆からの称賛だ。
それを、最も効果的な形で、彼の目の前で粉々に打ち砕いてやる。
俺は、シルヴィと協力し、アルトの裏切りの瞬間……俺を崖から突き落とした場面の記憶を、幻術で再現する準備を進めた。
そして、それを、王国最大の祭典である『建国祭』の日に、王都中の人々が見ている前で、大々的に暴露する計画を立てた。
同時に、俺は自分自身の力も高めていた。
闇の存在との契約は、俺に強大な力を与え続けていたが、それは同時に、俺の精神を蝕む諸刃の剣でもあった。
時折、闇に飲み込まれそうになる自分を、必死に理性で抑えつける。
復讐を果たすまでは、正気を失うわけにはいかない。
建国祭当日。
王都は、華やかな飾り付けと、多くの人々で賑わっていた。
メイン広場では、国王陛下臨席のもと、盛大な式典が執り行われようとしていた。
もちろん、その主役は『英雄』勇者アルトだ。
彼は、得意満面の笑みを浮かべ、民衆の歓声に応えている。
(笑っていられるのも、今のうちだぞ、アルト)
俺は、広場を見下ろせる時計塔の影の中に潜み、その時を待っていた。
シルヴィも、別の場所で準備を整えているはずだ。
式典が最高潮に達し、国王がアルトの功績を称える演説を始めた、まさにその瞬間。
俺たちは、計画を実行した。
シルヴィが強力な幻術を発動させ、広場の上空に巨大なスクリーンを作り出す。
そして、そこに映し出されたのは……数ヶ月前、魔大陸の断崖絶壁で起こった、あの裏切りの光景だった。
『カイン、お前には感謝している。だが……ここまでだ』
『アルト……?何を言って……』
『ぐっ……!?』
英雄アルトが、仲間であるはずの神官カインを崖から突き落とす衝撃的な映像。
ライガとセレスが、それを冷ややかに見ている姿。
それは、紛れもない真実の記録。
俺が闇の力で、アルトたちの記憶から直接引き出し、再現したものだ。
広場は、一瞬にして静まり返った。
何が起こったのか理解できず、呆然と空を見上げる人々。
そして、次の瞬間、爆発的なざわめきが起こった。
「な、なんだ、今の映像は……!?」
「アルト様が……カイン様を……?」
「嘘だろ……英雄が、仲間を裏切るなんて……」
民衆の歓声は、疑惑と、怒りと、失望の声へと変わっていく。
壇上のアルトは、顔面蒼白になり、わなわなと震えていた。
「ち、違う!これは罠だ!何者かが私を陥れようとしているのだ!」
アルトは必死に叫ぶが、その声はもはや誰にも届かない。
彼が築き上げてきた英雄の仮面が、今、完全に剥がれ落ちたのだ。
「……終わりだ、アルト」
俺は、影の中から静かに呟いた。
復讐は、ほぼ成し遂げられた。
だが、これで全てが終わるわけではない。
俺の存在を知ったアルトが、このまま黙っているはずがない。
彼を裏で操っていた黒幕も、動き出すだろう。
そして、俺の中の闇の力も、復讐という目的を失った今、どうなるか分からない。
時計塔の上から、混乱する王都を見下ろす。
シルヴィが、いつの間にか隣に立っていた。
「……見事な舞台だったわね、ノア」
「ああ。だが、本当の戦いは、これからだ」
俺たちの足元で、王都の警備兵たちが慌ただしく動き始めるのが見えた。
空には、王宮魔術師たちが放ったのであろう、探索の魔法の光が飛び交っている。
俺は、腰に差した黒い短剣……影魔法を増幅させるための触媒を握りしめた。
聖職者だったカインは死んだ。
今の俺は、復讐者ノア。
そして、俺の復讐は、まだ終わってはいない。
「行くぞ、シルヴィ。次の獲物を狩りに」
「ええ、喜んで」
俺たちは、再び影の中に身を溶け込ませた。
裏切りの代償を払わせるまで、俺の戦いは終わらない。
そう、俺たちの戦いは――これからだ!
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