8話.しばしの休憩は冷房と共に
「それじゃ、ひとまず宿を探すか」
「うむ」
戦いへ向かう前に、やるべき事は多くある。ひとまず武具の補充は思わぬ形で解決したが、次に出てくるのがセーブポイントの更新だ。宿へ行って更新する必要がある。そしたら一度ログアウトして、現実で朝飯を食べよう……あれ、時間的にもう昼飯だぞ、ヤベェ。
十分ほど休憩してすぐに再び、リルの案内で大通りへと出ていく。リルはまた変身して人間の姿になっているが、今度は十分も持つかどうからしい。早急に良さげな宿を見つけて入らないとな。
大通りに出ると、初めと同じ喧騒が耳を突く。俺と同じような新規のプレイヤーも見かけられるし、それを案内する友人のベテランプレイヤーも見かけられる。ギルドだろうか、同じローブの連中が何人も歩いて行くのも見えた。ゲームが開始してすでに一年以上。そろそろメインストーリーもプレイヤーたちによって本格的に進められているらしく、レベル上限の150に当たる者も多いとか。ギルドとしては毎日キビキビと働きたくなる楽しさだろう。
大通りの中心を少しだけ過ぎた辺り。武具店が並ぶ通りにある茶色のレンガ造りの宿に狙いを定め、足を速めていく。
その時、ふと背後に殺気を感じて立ち止まる。何だか懐かしい殺気だった。けれど、自身に向けられたことはほとんど無いような。
「……誰だ?」
振り向いても、そこにはプレイヤーたちがいるだけで誰も武器を構えてはいない。当たり前だ、街にはモンスターが出ないのだから。
「……………勘違いだ」
昨年の冬、不良をやめたきっかけである事件が脳裏をよぎる。俺は、今しがた感じた殺気と同じモノを知っている。しかしソイツはゲームをするようなキャラじゃないし、何しろ容姿も名前もこの世界では違うのだ、俺に殺気を向ける理由がないし俺を俺だと視認できるはずもない。大丈夫、多分俺の勘違いだ、もしくは誰かが誰かと喧嘩していて邪悪な雰囲気が一瞬しただけだ。
「どうかした?」
リルは俺の小さな囁きが聞こえなかったらしく、急に足を止めた俺を訝しげな顔で見つめている。
「やはり、具合が悪いんじゃ」
「平気だ。でも、早く宿に入ろう」
「……そうだな」
まだ何か言いたげな表情ではあったが、俺は無理やり歩き始めて宿の扉を開いた。
最後にもう一度だけ、リルを見るフリをして大通りを振り返った。
白いローブのギルド員、二人組の恐らくカップルの男女、仲良しそうな女三人組、ベテランな雰囲気を醸し出す黒いローブの男。
ゲームを始めて初日なのだから当然だが、そこに見知った容姿や名前の者はおらず、俺に声をかける者もいない。ただ静かに、風が吹くだけ。
リルがすぐに俺を追い、同じように宿へと踏み入った。リルが扉を閉めてしまったから、それ以上何も分からなかった。
◇◇◇
「いらっしゃいませ、お客様」
宿の中ではレンガの壁と暖炉が暖かい空気を纏っていた。カウンターに一人、白色と水色のワンピースを着た少女が立っている。
「一部屋借りたい」
リルは女だが狼だし、何よりプレイヤーではない。二部屋借りる必要はないだろう。
「かしこまりました。では、169号室をどうぞ。チェックアウトの際に支払いを行います。チェックアウトをお忘れになると金額は更新され続けてしまいますのでお気をつけくださいませ」
「分かった、ありがとう」
少女が指し示した方へと進めば、床に魔法陣のようなものが描かれている。何だろうかと思いながらリルと共に上に乗れば、瞬間、淡い光が俺たちを包んだ。次に目を開けばそこは廊下で、幾つもの部屋が並んでいる。その中に俺たちの泊まる部屋もあった。
「なるほど、多すぎるプレイヤーの宿はこうして管理しているのか」
転移を可能とする魔法陣、恐らく何らかのアイテムを使用することで外観は小さいままに多くのプレイヤーを泊めることが可能なのだろう。どうりで街が宿だらけにならずに適度な数を保っているわけだ。
「さすが神ゲーだな。魔法陣には回数制限とかあるのか? それとも、NPCの所有するものだけは緩い制限にしているのか……」
「何言ってるんだ? 早く入ろう」
「あ、ああ」
ぶつぶつと呟く俺の言葉を首を傾げて無視したリルは、扉を開いて室内へと進んでいってしまう。
「ま、NPCにメタな話しは通じないよなぁ」
苦笑しながらも、俺も部屋へと入っていく。果たして神ゲーの世界の宿はどこまで再現されているものか。現実のホテルでは値段不相応に妙に綺麗だったり、あるいは調度品が壊れていたり部屋の雰囲気と合っていなかったりする。あんま泊まったことないけど。
しかし、この世界はあくまでも滅んだ星で人類がそこにある物を最大限に利用して生活しているという状況だ。ただの小さな宿に必要以上に高価な物があればおかしいし、かと言ってNPC、ずばり仕事をサボることなく部屋を綺麗にして開拓者を迎えることを喜びとする彼らが部屋の掃除を中途半端にこなす事はない。また、ド派手な柄や装飾品が部屋にあるのも不自然だ。この建物はレンガ造り。神代の残り物を適切に再利用していることが伺える。
「おお……!」
適度な宿の部屋というのは、実に再現が難しい。日本の企業が外国風の部屋を作るなら尚更だ。間違ったイメージで考えれば失敗する。
その点、これをデザインした人は実に優秀だ。思わず、部屋に入った途端感嘆の声が漏れてしまった。これだ、これ。俺はゲームで戦うことが大好きだけど、最悪、戦いは現実でだって可能だ。それ以上に現実では体験不可能な街並み、風景、人間関係、武器、衣服。そういったものが好きだ。
「ここで暮らしてぇ……」
荒廃した世界にある街、現実と比べて田舎らしさのある異世界のレンガの街並み。高層ビルのない、雲ひとつない青く高い空。室内は外観と同じく茶色とクリーム色で整えられている。現実と違いテレビなどがないため物の少ない寂しい部屋に見えなくもないが、しかし、ソファやベッド、机と椅子など、最低限の物はしっかりと揃っているし、武器を置くスペースもきちんとある。ここに泊まるのが開拓者であることを意識した部屋の構造だ。
「何をそんなに感動するんだ……?」
ソファに座ったリルは狼の姿に戻って俺を眺めている。うん、お前の言いたいことは分かるぞ、正直俺も何をそんなに感動するんだとリルと同じことを思っている。
まあとにかく何が言いたいかと思えば……。
「セーブポイント更新だ!!」
スタートからよく分からん狼とクエストに出会ってしまったが、無事、死ぬことなくここまで来たぞ!!
ベッドにダイブした俺は田舎の宿あるあるであろう軋む音を柔らかい顔で聞きながら、大の字に寝転がってリルに言う。
「それじゃあ、俺、一度ログアウト……ええと、休憩するから、二時間後くらいに起きるよ」
むふん、とリルが返事の代わりに尻尾を揺らしたのを見て、俺はウィンドウを操作した。
『ログアウトしますか? YES or NO』
時刻は11:05。ゲームを始めて五時間以上が経っている。朝飯という名の昼飯を食べるべく、俺は始めてシアクラの世界から離脱したのだった。
◇◇◇
「ぬわぁ──────」
よく分からん声と共に機械を外した俺は上半身を起こして伸びをした。
春とはいえ日が昇ってきているため部屋が暑い。エアコンを冷房ガンガンで付け、リビングへと向かった。
「んーと、何を食おうか……」
頭を掻きながらもう片方の手で冷蔵庫を開け、中を見る。買い物に出かけたのは二日前。一人暮らしとはいえ高校生男児の胃袋だ。夕方には買い物に出かけた方がいいかもしれないな。
「プリン、プロテイン、焼きそば、カレー粉、紅茶、にんじん、キャベツ、トマトに餃子……」
うーむ。どうしたものかな。
「あ」
俺はあることを思い出し、冷蔵庫を閉じた。そしてキッチンに置かれている段ボールに目を向ける。東京にいる両親が送ってくれた食材が入っている。その多くは料理しなくても食べられるようなものが多い。パン、米、ジャムなどなど。
「パンとサラダでいい感じにするか」
そうと決まればあとは早い。
冷蔵庫から野菜の類を取り出して、ナイフでいい感じに切っていく。パンにそれらを挟んでみたり、あるいはチーズやジャムにしたり。
「うし。いただきます」
冷房が効き始めた室内はいい具合に涼しく、ゲームで疲れた脳を癒し始めていった。