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五年

 メンケントは言葉にならない怒号をあげた。

 娘とその護衛につけた男が、半年の護衛期間の間に師弟関係となっていた。

 何度聞いても何が起きたのかわからない。娘の中で何が起こったのかもわからない。

 ただわかるのは、それが貴族社会に知れ渡った日には、エドラ=ケンタウロス公爵家は相当冷え切った目で見られるということであった。

「少なくとも商売には大きな支障が出るではないか!」

貴族社会の商売は見栄と権力の世界である。女だてらに武術を学ぶ娘を輩出した、という言葉は……「見栄」に対し、決して小さくはない傷をつける。


 どこに怒りの矛先を向ければいいのか、メンケントはわからない。

 娘の心情の変化に怒鳴りつけてもいいが、さっき会って話を聞いた感じではどれだけ己が怒ろうとも心変わりはなさそうだった。

「認めるしかない。半端に身に着けた武術を下手に使おうとして無駄に死地に赴かせるより、己の出来る事と出来ぬことを弁えるまで育てた方が良い。」

はじめて一ヵ月や二ヵ月なら、父親権限を使ってでも強引に止めただろうが……もう半年である。わずかながら努力が実り始めた、そう感じるような時期だとメンケントは知っていた。


 ここで止めると、変に矜持が肥大化する。

「オルギュール、今すぐ兵士たちにはエルフィールの件について口外するなと伝えろ。」

部屋の端で普段通りに立つオルギュールがわずかに身体を震わせる。お前にどうこうできる問題ではなかったのは承知している。下手に障る気はないし、オルギュールを処分してしまえば私の仕事が減らない。

 少々仕事量を増やす程度で勘弁してやる。言葉にはしない。勝手に怯えて反省してもらう分には溜飲が下がるので結構。だからサッサと仕事に行け。

 心の声が聞こえたわけではないだろう。平然としているようで臆病な側近は、ほんのわずかながら足元を震わせて扉を出て行った。

「構わないのですか?」

「ただし、他の貴族連中に気づかせるな。少なくとも、エルフィールの武術が様になるまで悟らせるへまはするな。噂になった時点で、お前とエルフィールの接触を断つ。」

「出来るとお思いで?」

「お前だけなら無理だが、師弟関係というのは弟子がいなければ成り立たん。」

クツクツ、と男が笑う。腹立たしいことこの上ないが、あまり強く文句も言えない。彼がいなければ、少なくともエルフィールは都合2、30回ほど死んでいる。


 報酬だ、と思うことにした。エルフィールを半年もの間、守り続けた報酬。……家の存亡を賭けねばならぬと考えれば、少しばかり重いが。

「かしこまりました。あとは、エルフィール様の問題ですね?」

「ああ。表面上だけでも武術のことなど知らない人間に仕立て上げなければならない。人前ではおくびにも出さない令嬢になってもらわなければ。やれるな?」

「請け負いましょう。」

武術を含め娘につける教師に対し、その教える内容を口外するな、娘がそれを学んでいることを娘の言行動から周囲に悟らせるなと告げる。無茶であるが、その無茶を通さなければ家は滅びかねない。

「ただし。教育内容は私が決めます。私が考え、私が行い、その準備は公爵家に求めます。構いませんね?」

「周囲に悟られぬ範囲でなら構わない。ただし、度が過ぎると判断したら止める。」

「かしこまりました。エルフィール様には公爵令嬢でいてもらわねばなりません。必ず、公爵家は守ります。」

……なんという、期待か。信用か。目が開いていくのを感じた。


 この男、まさか。公爵は愕然として教師を見る。いや、見るだけではなく口に出した。

「エルフィールに『王像』が下る可能性は、零に等しいぞ。」

「重々承知の上で、なお。その気持ちを理解してほしいとまでは、私は申しませんよ。」

必要なのは、才能と、能力と、人脈だ。それに、時代は変わる。もう、変わり始めている。あるいは、戻り始めている。そう、教師は思う。

「未来への、投資です。」

男はただ。世界を、何とかしたかった。




 釣りが好みかと言われればそんなことはない。

 ただ、今日は魚を食べたい気分だっただけである。

「お嬢様。」

ぼうっと釣り針の先を眺めていると、低い声が聞こえてきた。

「ゴーヴェン、釣れないな。」

「探しましたよ。なぜフラッといなくなられるのですか?」

「魚が食いたかったのさ。」

あれから五年が経っていた。エルフィールはあれから三年を王都で暮らし、先年アルハンデロに戻ったところだった。

「だからといって……もう。」

エルフィールには四人の付き人が与えられた。そのうちの一人、オルギュールの息子がゴーヴェンである。


 護衛としては頼りない男だった。オルギュールのように侍従として優秀なわけでもなく、ただ、エルフィールとしては連れ回しやすい、気弱な男だ。

「しかし、釣れたのですか?」

「釣れないな、と聞こえなかったか?」

知らない、というかのように少年は釣り竿に手をかけた。さっさと帰るぞという、無言の圧力が聞こえてくるようだ。しかし、そんな圧力、公女には関係のない話だった。

「やめろ、釣れるものも釣れなくなる。」

「魚釣りなど、公爵令嬢がやる事ではありません。」

全く嘆かわしい、とばかりにゴーヴェンが首を振るのを冷めた目で見た。己よりも弱い男が、こうして自分に「女」を押し付けてくる様は腹立たしくて仕方がない。


 しかし、己にとって一番連れまわしやすい付き人もまた、ゴーヴェンだった。能力が低くとも、己についてくるだけの根性を持っている。他はずっとついて来られたりしないので、一人で抜け出す分にはやりやすい。しかし、話し相手もいない遊びなど面白くない。

 結局、小言の多いゴーヴェンが一番お気に入りに近い付き人でもあった。

「黙れ。公爵令嬢らしさなど、私にはいらない。」

「公爵家としてそれでは困ります。あなたはエドラ=ケンタウロス公爵家の長女として、しかるべき方に嫁ぎ、利益と血筋を繋ぐ義務を持ちあわせていらっしゃるのですから。」

「そんなことしたって、世界は救えない。」

「公爵家は救えますよ。」

ただの現状維持を救いと言うな。そう物申したい心地であった。しかし、ゴーヴェンはあくまでエドラ=ケンタウロス公爵家の私属貴族である。彼の世界は、公爵家で止まっていても今は問題ない。


 広い視野と、悲惨な時代。それを知覚していなければ、エルフィールの主張に共感することも難しい。

 王都にいた三年ほどの間に、ギュシアールがどのように人々に見られているか。王宮や、社交の場で何度も目にし、耳にしたエルフィールは知っていた。

 ふと、掌から釣り竿の感触が抜けた。少し考え事をしている間に握る力がわずかに緩んだらしい。

 小賢しい。しかし、そういうところが、エルフィールのゴーヴェンを憎めない所以である。

「流石だ、ゴーヴェン。」

本気で褒める。釣竿を再び奪い返そうとはしなかった。ただ、傍らに置いた銛を手にとる。

「……エルフィール様?」

「危ないぞ、離れていろ。」

ギョッとして、付き人はわずかに距離を取った。彼と公女の付き合いは結構長い、少なくともエルフィールが「危ないぞ」と警告するときは本当に危ない時だと相場が決まっているのである。


 ザっと勢いよく飛び退る男を視界の端から締め出しながら、銛を大きく振りかぶる。

「せいっ!」

勢いよく投げ出されたそれは、エルフィールが釣りをしていた川の中に勢いよく突き刺さり……その一部が朱に滲む。

「エルフィール様!」

「そこで見ていろ、ゴーヴェン。」

手に握られた縄を引っ張り、勢いよく銛を掌に返す。柄が手元に戻った穂先には、見事に鰓を穿たれた30センチくらいの魚がぐったりと刺さっていた。

「……流石に散ったか。少し移動するか。」

銛から魚を引き抜き、尾を銛の先に引っかけて、柄の部分を肩に引っ提げる。釣りなら魚は揃って逃げ出すほどの脅威を感じないが、流石に上から銛で突き刺されれば話は別だろう。探せば逃げていないのも見つかるかもしれないが、ことはそう簡単でもない。


 ゴーヴェンが呆れたような顔つきで小言を言いつつ、ついてくる。いつものことだ、彼とて実のところ、エルフィールの行動には諦めが入っている。

 いつか飽きるだろう、というのがオルギュールの弁、エドラ=ケンタウロスの職務責任を目にすれば、いずれ大人しくなるだろうというのがメンケントの弁である。

 諦めているのはゴーヴェンに限らないのだ。皆一様に、精神的な成熟とともに荒事から手を引いていくだろうと思っている。


 彼らの予測を十全に理解しつつも……己は変わらないだろう、と考えているのがエルフィールだった。

「そうだ、ゴーウェン。」

「なんでしょう?」

「私、来月辺りから半年くらい旅に出るから。諸々の手配、頼むな。」

「はい?」

公爵家領、周辺領土。見回れる限りの土地を見て回り、自分の腕を鍛える。


 ギュシアールの訓練がなくなった時点で、エルフィールはそう決めていた。

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