表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/16

才覚

 ルウ=エトラス騎士爵の屋敷を出ると、ギュシアールは本格的にエルフィールへの教導を始めた。

 とはいえ、まだ体も育っていない少女に、本格的に武術を教えるわけではない。まず初めに行ったのは、彼女への脅迫である。

「私はあなたの頼みを聞き、あなたに武術を教えることにしました。ただし、慈善事業のようなものです。私には何の利もありません。ゆえに、覚えておきなさい。あなたが武術を学ぶ意志を失えば、私は貴女にものを教えるのを辞めるでしょう。」

これが仕事なら話は違っただろうが、あくまでこれはギュシアールの、金銭を挟まないただの厚意である。


 そこにギュシアールの興味が含まれていることなど微塵もにおわせることなく、ギュシアールは重ねた。

「あなたの強くなることへの意欲。私はその気持ちを否定しない。だから、私は貴女の師になりましょう。ですが、その意欲が潰えた時、私は貴女を見放します。よろしいですね?」

わかっている、と公女は言った。あれほどまでの、あなたほどまでの武に至るためにどれほどの努力が必要なのか、私はわからないけれどわかる、と。


 才能だけの武芸なら、あれほどまでに美しさを感じることはない。公女は幼い心ながらにそう思う。

 ゆえに、厳しい訓練にも耐える心づもりは……出来ていた。

「お願いするわ。」

彼女は死ぬ時まで……この時の言葉を後悔したことだけはないと、彼女の手記には綴られている。



 

 ギュシアールは一見、そこまで過酷な訓練を課さなかった。

 盗賊から奪った槍を一本、エルフィールの身丈に合う大きさに切り落とし、槍を持つときの正しい構えを教えただけである。

「20分、じっとしていなさい。」

ただ構えを維持するだけ。これが一番難しい。


 とはいえ、ギュシアールも鬼ではない。わずかな身じろぎくらいは見逃した。じっと同じ姿勢で座っていることよりもなお、武器を手に構えを維持するのは難しいのだ。

 この行動の目的はまず、槍持ちの基本的な握りを身体に叩き込むことである。一番正しい槍の握りが行いやすい姿勢こそ、基本の構えというものだ。

 

 次点に、同じ姿勢を維持するだけの筋力の増強であった。

 動かないというのは、動き続けるより筋肉に負荷がかかる。最低でも1時間。それだけ姿勢を維持できる筋力がつくまで、武芸を教えるのは早いと考えていた。

 実際、エルフィは勉強ばかりで身体を動かすことはしていなかった。礼儀作法は身体を動かす行動だ、と主張されれば一考の余地はあるが……それは、武に関する肉体動作とは大きく異なる。


 1日目。1分と保たなかった。休み休み何度も挑戦したが、エルフィールは1分保たせることはついぞ叶わなかった。

 2日目も同様だった。1秒長く保ったか保たなかったか。その程度の差しかなかった。

「もう、1回……!」

驚嘆すべきはその根性の方だった。何度繰り返したところで、すぐに斃れること自体に違いはない。むしろ、一度ごとにコンマ数秒ずつではあるが保つ時間すらも落ちている。


 それでも彼女は諦めはしなかった。わずか5歳の少女と考えれば、飽きて諦めてもおかしくないというのに、である。ある種、完全に常軌を逸している。

「エルフィール、そこまでにしなさい。これ以上は明日に差し支える。」

むしろ根負けしたのはギュシアールの方であった。彼ほどの男だ、身体を苛め抜いて構わない境界はよくよくわかっている。最初からそれを超えようとするエルフィールに、目を瞠りつつ止めに入った。


「まだ、出来る。」

「いいえ、過ぎたるは及ばざるが如しと言います。これ以上やると、あなたにとって悪い影響が出る。成長を阻害するでしょう。おとなしく柔軟して、身体を休めなさい。」

槍を取り上げて言い聞かせると、純粋な少女は納得して身体をほぐし始める。


 やれやれ、と首を振り、

「少し出てきます。」

と護衛兵たちに告げて、陣地を飛び出した。彼女の努力には、それなりの報いを与えるべきであった。


 それにしても、彼女は天才だとギュシアールは思う。繰り返すようだが未だ2日、同じ姿勢は1分と保たない。

 しかし、根性もどうだ。度が過ぎたものだと断言できよう。しかし、男は公女の素晴らしい気の持ちようではなく、その身体の動きに驚いているのである。

「姿勢が崩れない。槍を取りこぼすときでさえ、姿勢だけは崩さない。これがどれほど図抜けた才覚か、彼女は気付いていないでしょう。」

普通、何度も叩かれ、叱られ、矯正されながら身体に染み込ませる基本の構えである。それを、ギュシアールに最初に見せられ、聞かされ、やったとしても、すぐに出来るものではない。


 一瞬ならまだしも、長時間ならどこかで崩れる。まして長時間保つほどの体力すらついていない公女である。『正しい姿勢』なんて難しい代物が、体力の尽きるその瞬間まで崩れない、などと……凡そあり得る話ではない。

 男はこれまで、何人にも武を教えてきた。それなりの腕になったものも多い。だが……これほど才気にあふれる者に出会ったのは、本当に初めてである。

「磨き上げてやる……私の全霊を込めて!」

男は人生で初めて、人を育てることに意義を覚えていた。




 パチパチ、と火花が爆ぜる音。風に乗るのは肉の焼ける音。転がるのは土気色した毛皮。耳の長い顔をしたそれは、俗にいう兎というものだった。

 爆ぜる油、漂う肉の香り。なるべく丁寧に、しかし短い時間で行われた血抜きは、やはりというか生臭さが残っている。

「うん。不味い。」

苦い笑みを浮かべるエルフィール様は、しかし食べることは止めようとしなかった。「早く戦える身体を作るには、きちんと食べることが重要です」と押し付けたものに、何の不満もなく食らいついている。

 申し訳ないが、本当に女かとすら思う。子供だから、で納得できる話でもない気がする。


 考えても無駄だろう。とにかく、肉と野菜を。食事に困らぬ生活を。

 あとは……そうだ、狩りの仕方を教えるのもいいだろう。

 今回こそ護送ではあるが、いずれ彼女は国中を旅することになるだろう。その時の生き方を教えるのもいい。

 ……まあ、最低限の武術を叩き込むのが先決だが。


 食事が終わり、軽く体と口内を洗った彼女が馬車の中で布団にくるまるのを眺めた。

「ギュシアール。」

「オルギュール殿。言いたいことは承知していますが、遅い。もうはじめてしまった、もう彼女は決意を固めてしまった。私がここで教えるのを止めれば……彼女は独学で武を学びますよ。」

「それで構わない、と私は考える。武術であれ政治であれ、独学には限界が存在する。そこまで突き進んで挫折する方が、貴族令嬢としては正しい姿になるだろう。」

否定はしない、と首を振った。確かに、半端なところまでしか学べない武と政は、使い物にならず家を守り血を繋ぐ貴族女性として正しい姿に強制的に導くだろう。『出来る』者になってしまえば、ある程度の我は通せる。しかし、中途半端であれば我を通すことは出来ない。周囲が許さない。


 実績で黙らせられるようになるほどまでに、エルフィールが成長しては困る。その意見を曲げることなく、オルギュールは重ねた。

「エルフィール様の才覚はわかりません。ですが、あなたがそこまで意欲的になっている以上、見過ごせぬほどの才がお嬢様にあるのは明白。だからこそ、言います。手を引いてください、ギュシアール=ネプナス。」

「お断りします。アダットどころか、レッドと比しても比較にならぬほどの才覚を有する原石を、見逃す手はありません。」

公爵家の権力に対して、はっきりと否定の意を示す。オルギュールは苦り切った顔をした。ここにいる護衛兵20人でかかっても、ギュシアールは多少の強風を受けた程度に感じつつも斬り捌くだろう。一族の圧力を経済的にかけたとしても、ギュシアールは己の能力で平然と生き延びて見せるだろう。

 エルフィールへの干渉を防ぐ手立ては、あまりない。少なくとも、この旅の中で出来る事はほとんどないのだ。


 オルギュールは忌々し気に、そしてどうしようもなく頭を抱えるようにその場を発つ。




 約5ヵ月と少し。王都ディアエドラに着くまでに、エルフィールはギュシアールから武術の基本的な型の手ほどき、全て受け切った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ