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師事

 言うまでもないことだが、普通公女の旅の護衛が20人しかいない、など普通はない。

 これほどに荒れ果て、襲撃が多い世の中ならなおさらである。


 今回エルフィールの護衛が少ない理由は、先行してメンケントが王都に向かったこと。当然ながら現当主と次代ですらない娘では、護衛の優先順位は現当主の方が圧倒的に上である。

 いくらメンケントが親バカだとはいえ、そこまで道理を曲げるほどではなかった。いや、親バカだからこそ、道理を曲げられなかった。

 ここで愛娘の護衛を現当主と近い規模にしてしまえば、娘のことがそれだけ大事だと喧伝しているようなものである。攫え、と言っているに等しいだろう。

 ゆえに、娘の護衛は少なくしなければならなかった。「メンケントにとってエルフィールはさしたる価値はない」というアピールこそが、エルフィールを政治闘争的に安全にする方法だった。


 ではなぜここまでエルフィールたち一行が襲撃されているかと言えば単純明快、メンケントは盗賊襲撃の危険性を身を以て知らないからである。

 メンケントは王都に向かうとき、あるいは自領の見回りをするとき……いつ何時、どこへ往く時も『公爵家の名に恥じない』数の兵士を連れ歩く。その数はどれほど少ないときでも500を超える。


 そんな大人数を、盗賊は進んで襲ったりはしないのだ。ましてや、エドラ=ケンタウロス公爵家は最近にしては珍しい、機能性、整備性を重視した武器防具を汎用する家。

 遠目から見ても、装備そのものは金になりそうだが、純粋に勝てなそうに見える相手に喧嘩をふっかけるほど盗賊たちは無謀ではない。

 なにせすすんで盗賊になるものは少ない。その大半が、税に喘ぎ育たぬ食糧に嘆き食うに困り、人から奪う道に逃げた精神弱者である。


 同時に、黙って餓死するよりはマシな道を選んだ賢い者、という見方もあるにはあるが……言葉遊びはさておき内実は変わらない。

 絶対に返り討ちに遭う相手に、盗賊は戦いを挑まない。群れずに個人で活動してる盗人ならなおのことである。

 彼らは襲撃と得られる資材を天秤にかけることすら難しい頭の出来であるが、こと、自分の命がかかるときに限っては恐ろしく賢くなる。

 死にたいと思うことはあろう。死ぬことが救いになるとも考えよう。しかし、死ぬのは怖いのだ。


 だから、メンケントが外出するときに、盗賊に襲撃されることはない。ゆえに、20人程度の護衛でもエルフィールを守りきれると考えてしまうのは、仕方のないことだ。

 貴族として生まれ、貴族として生き、盗賊の心境には思い至れない……恵まれたものの欠点である。


 それでも、ただの20人では不安だった。先行して王都に着いた今ですら、メンケントは内心不安に苛まれている。

 ゆえに、選出したエルフィールの護衛は、公爵家内でも特に武に秀でた役人階級出の兵士だった。傍につくのは最も信頼する腹心だった。


 その上、メンケントが知る最も強い武人たるギュシアールに、護衛を頼んだのだ。

 やりすぎである。エドラ=ケンタウロス公爵家の内情を知る者がいれば、エルフィールがいかにメンケントにとっての弱点か露呈する。

 とはいえ……ギュシアールとオルギュールはさておき、護衛20人の能力に関してまで他家の者が知るはずもなく。ゆえに、かろうじてメンケントがどれほどの親バカかはバレていない。


 とはいえ。そのメンケントの判断は、メンケントの望む娘像にとっては最悪だっただろう。

 なにせ公女は今……堂々と、ギュシアールへ、明らかに問題行為をおこなっていた。

「私に武術を教えて!」

オルギュールは唖然としてその光景を見ている。護衛兵たちは「なんて恐れ知らずな」と言いたげな表情である。それもそうだ、強者は強者を知る。護衛兵たちにとって、ギュシアールが如何に天上の存在か、嫌というほどに魅せつけられたあとである。

「どうして、ですか?」

「強ければ、救えるのでしょう?」

どういう意味か、聞くのは野暮というものだった。今の強烈な体験をした後だ。エルフィールの性根は澄んでいる。そう考えるのも無理はないこと。


 最強の男は逡巡した。その言葉を否定するのは易しい。が、否定の言葉を公女に納得させるのは、無理があると考えられた。

 なにせ自分が通った道である。強くなれば、ただ強くなればこの世を変えられるだろうと足掻いた末、何も変えられなかった者こそが己である。

 そして、何も変えられなかったゆえに……今この、盗賊が横行し、しょっちゅう襲撃を受ける世を救いたいと思う公女の心を否定することもまた、憚られた。


 オルギュールはやめろというように首を振る。エドラ=ケンタウロス公爵家ともあろう強力な一門から傾奇者を出すわけにはいかない。

 オルギュールの気持ちは、立場は、ギュシアールにもよくわかるものだった。

 だが……これは。


 ギュシアール一人では世を救えない。世を救うために何が必要か、彼は嫌というほど悟っている。

 希望は多く繋ぐべきだ、と何かが囁いた。エルフィールの、年とは見合わぬ利発さには目を瞠るものがある。その胆力は大人を優に凌駕する。そして、その純粋さは、年相応のものを持ちあわせている。

 

 ああ。誤魔化すのはやめよう。

 ギュシアール=ネプナスは、このエルフィールという公女を、育てたいと考えている。これほど己が他者へと希望じみた感情を向けるのは、男にとってはじめての経験であった。

「知らない方がいいことも、多いかも知れませんよ?」

「知らない。知らないから、想像も出来ない。」

オルギュールがパッと顔を明るくする。人は想像出来ないことを避けたがる傾向がある。


 エルフィールもそうだろうと、そうであってほしいとオルギュールは願った。そうでなくては、オルギュールは公爵から処分を受けることになりかねない。

 だが、それはあまりにも希望的な観測だった。大人の考えだった。

 この世に基本未知しかない、冒険心溢れる子供の感覚を徹頭徹尾無視した願望であった。


 公女は一切揺らがぬ意思をその瞳に乗せて、その幼い唇を開く。

「私は、救いたい。強さを、教えて。」

短い言葉なれど強い言葉。オルギュールが愕然とし、ギュシアールが笑みを浮かべる。

「やめ」

「かしこまりました、公女殿下。」

後世において、わずか500の軍勢で20万もの大軍に特攻をしかける女傑は、師を得た。




 アティエスで一晩宿を取ったエルフィールたちは、ルウ=エトラス騎士爵の何とも言えない視線を背に受けながら出立した。

 自領の村が盗賊に襲われたのを、彼らは伝令にて知った。それを、エルフィールの護衛のひとりが退けたのもまた聞いた。

 彼らの胸中は複雑であった。自分たちでは農夫たちを救えなかった。少なくとも、軍勢が到着するころには農夫たちは半壊していたことは、想像に難くない。だが、感謝するべきかと言われると、それはそれで別問題だった。

 それは明らかに内政干渉である。お前には領地を治める資格はないと言われたも同じである。

 だが、それを言う権限はエドラ=ケンタウロス公爵家にはない。貴族の爵位と、領土の保有及び譲渡に関する権限は、国王にしかない。公爵家がそれを行うのは、明らかな法規無視である。


 民を盗賊から守るだけの力をルウ=エトラス騎士爵が有していないのは事実。だとしても、過干渉を許すと今度は法規の無視に、騎士爵家が積極的に加担したことになる。

 騎士爵にとって、家を守るためには、苦言を呈し抗議を行わなければならなかった。同時に、それを行ったところで握りつぶせるだけの権力を、エドラ=ケンタウロス公爵家が保有しているのもまた事実であった。

「エルフィール様、決して、目を逸らさぬよう。」

小声でギュシアールが言葉を紡ぐ。そのまま二歩ほど進み出て、懐に手を入れた。

「これで、引いていただけませぬか。」

引き抜いた手を騎士爵の手に重ねる。微かに聞こえた硬い音は金貨ではなく宝石のそれ。


 その手からわずかに漏れる輝きが、男の目を眩ませる。今や価値をほとんど失った金貨と異なり、宝石はいつでも使える装飾品。騎士爵家の品格を飾り立てるのに、何としても必要な品ではあった。

「い、いえ。こちらこそ、力不足を救っていただき、感謝の念に堪えませぬ。この一件は、麗しき公女殿下の可愛らしい義侠心として、我が一門の胸に秘めておくことといたします。」

見事な掌返しだった。あまりにも醜い姿にエルフィールの眉が動きかけ、すぐに教育の成果が出る。


 これが、農夫と貴族の差か、とさえ思った。公女の腹の中で、嫌悪が煮えるようだった。

「責めてはいけませんよ、エルフィール。」

馬車に戻ったギュシアールが言葉を紡ぐ。

「ルウ=エトラス騎士爵家は、農夫が盗賊に襲われた時、彼らを守る兵士を出す力すらない。貧乏なのです。」

だから、出された金を受け取るのか。そう視線に出る少女の未熟を、ギュシアールは責めなかった。ただ、重苦しく告げた。


「今はわからなくとも構いません。ですが、これを理解できない者、受け入れられない者に、参政する資格はありません。そのことをよく、覚えておきなさい。」

この言葉の意味を正しく理解するために、彼女は10年の時を要することになる。

 

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