無双
騒音で、目が覚めた。
「お目覚めになりましたか、エルフィール様。」
「おはよう、オルギュール。また、襲撃?」
「はい。貴族の馬車に手を出すような盗賊はそういないはずなのですが……妙に多いですね、どういうことでしょう?」
これで、七日連続の襲撃だった。盗賊たちの横行はオルギュールとて頭を悩ませる問題だったのだが、奴らが襲う相手は基本農夫たちだったはずである。まさか己らが積極的に襲撃されるとは思っていなかった。
馬車の中は視界が悪く、エルフィールを守るには適さない。
嫌でも学習せざるを得なくなり、オルギュールは彼女を外に引っ張り出した。
「ギュシアールは?」
「あちらに。」
オルギュールが指さす先、怪物が槍を振るっていた。
囲まれている。同時に6名7名の襲撃者を相手にしている。しかし、その囲いは、次々に減っては補充を繰り返していた。
一秒と打ち合えるものはいない。一度に2人3人が斬られないようにするので精いっぱい。それでも辛うじてその場を維持しているのは、別動隊がエルフィールを攫うことか、数少ない食糧を強奪することを諦めていないゆえである。
「エルフィール様を守れ!」
兵士たちが槍を突き出す。盗賊たちがギュシアールを放置できず人手を割く分、兵士たちも余裕をもって盗賊たちと相対している。
盗賊たちの全滅は時間の問題だった。だからこそ、エルフィールはギュシアールを、ギュシアールだけを見ていた。
槍の振り方。敵の攻撃の見切り方。足運び、周囲の環境を把握するための視線の動き。その全てが、エルフィールにとっては『美しい』ものに見えていた。
人死に対する恐怖は当然ある。悍ましいとすら思う感性は生きている。
だが、ギュシアールが与える死は、命を奪うという感じには決して見えなかった。行動の結果。当然の帰結。極まり切った武は、そういう美しさを幼い心に魅せつける。
「綺麗……。」
あまりに、強烈な感情だった。幼い子供が、命のやり取りを見て得ていい感想では決してなかった。不幸にも、ギュシアールはそれを魅せられるだけの才覚と研鑽を有し、エルフィールはそれを受け取れるだけの眼力を有していた。
「化け物め……!」
盗賊たちの最後の一人がその息を止めた。周りには、100を優に超える屍が転がる。
その全ての表情に、苦悶や未練は見当たらなかった。ギュシアールが皆即死させたがゆえに、どう死んだのかがわからなかったのだ。死ぬという自覚をもって死んだのは、おそらく最後の一人のみだっただろう。
実に、鮮やかな手並みであった。
「エルフィール様、参りましょうか。」
「わかったわ。」
降りた馬車に再び乗る。エルフィールはもう腰をだいぶ痛めていたが、弱音を吐くことはなかった。
「明日は、街に着くのよね?」
「はい。ルウ=エトラス騎士爵家の都市、アティエスへ着く想定です。」
ここまで、実に10日。そろそろ食糧も心もとなくなってきていたところである。買い足す必要もあった。
普通であれば、誰かしら使者を先行させて半日以上前に到着を知らせ、その家にもてなしの心構えをさせる必要がある。オルギュールは誰をやるべきか、迷った。
というのも、7日連続で盗賊に襲われているのである。出した使者が帰ってこないことなど、深く考えずとも想像できることだった。
人をやるのは危険だが、人をやらねばならない。己はここから動くわけにもいかない。
ここ数日、オルギュールはギュシアールとエルフィールが話し込まないよう、監視する必要があった。
エルフィールのギュシアールへの入れ込みようは異常である。その原因は、おそらくあの農夫の一件。
その直前に語っていた、政治に対する関心と合わせて考えれば、その意味は明白だ。エルフィールは、政治への積極的参入を企図している。……しかも、エドラ=ケンタウロス公爵家とは異なる視座を抱くことを狙っている。そういう意味で考えればギュシアールはエルフィールの望みを叶えられるが……公爵家としては当然困る。
この二人が自由に話さないよう、オルギュールが軌道修正できるように、二人の傍にいる必要があった。
「ガオラン。悪いが、先行して我らの到着を騎士爵にお伝えしてほしい。」
「は!」
悩んだ時間は実に5分。今日は野宿を避けられない。やはり一人出す必要があり……その役割は、護衛兵たちの中で一番馬の扱いが巧みな兵に任せることにした。
彼なら、盗賊に襲撃されても逃げおおせることが出来るだろうという希望をもって。
頼まれた護衛兵も、状況によっては殺されかねないのを承知の上で従った。いつ盗賊が襲ってきてもおかしくはない。だが、彼らは彼らで、護っている愛らしい少女が無碍な扱いをされないよう、全霊を尽くす覚悟があった。
先行してその存在を伝えるだけで彼女の旅路がマシなものになるのなら、己の命などなんのその、というところである。
恐るべきは、5歳にして芽生えている、他者を心酔させる魅力のほどだろう。
ともかくも、ガオランと呼ばれた兵士は騎士爵家の屋敷に向けて駆けだした。
翌日、馬車は騎士爵領の中を縦断していた。予定では、日が中天をわずかに過ぎた頃に屋敷へと到着する予定であった。
「……また、襲撃?」
本から目を上げてエルフィールが訊ねる。彼女の耳には、人の悲鳴と鳴る金属の音が聞こえてきていた。
「いえ、こちらにはまだ何も聞こえませんが……。」
侍従が馬車の窓を開ける。何日も襲撃を受け続けたせいか、エルフィールの勘は随分と鋭くなっていた。オルギュールたちにとっても、笑い飛ばすことすら難しい代物になっていたのだ。
「……ふむ。」
視界の端、かすかに見える地平に、赤い色が見えた。燃えている。おそらくは、ルウ=エトラス騎士爵領の村。
確かに「また襲撃」ではあった。対象は馬車ではなかったが。そして、先を急ぐ旅だった。
「行きましょう。他家の領地の問題に介入するのは、道理が通りません。」
「でも!」
農夫たちが、盗賊に襲われて死んでいく。あるいは、食糧を失い飢え死んでいく。
それを見過ごせるほど、エルフィールは大人ではなかった。必要だからで感情を抑え込めるほど、エルフィールは為政者ではなかった。5歳の箱入り娘に、そこまで求めるのは酷だった。
「助けて。」
だが、彼女には自分の願いを口にする無邪気さがあった。己の守る民という意識など欠片もなく。
ただ、襲われている人を助けたいという純粋な欲求。自分では出来ないという判断。誰かに頼むという行動。
少女の歳としては破格の、天才的な暴挙。
オルギュールが慌てて手を伸ばす。言葉を発しようとした兵士たち、そしてギュシアールの動きを封じる。
「なりませぬ、お嬢様!盗賊が何人いるかわかりません!こちらはわずか20人!人を助けるというのは、襲ってくる敵を撃退するのとはわけが違います!固まってただお嬢様をお守りするだけとは、難易度が違うのですよ!」
侍従や護衛の兵が死ぬだけなら、まだいい。これほどまでに襲撃が多いことを予想できなかった、公爵やその側近たちの責任でもあるだろう。だが、護衛が死ぬと、エルフィールもまた死ぬのだ。あなたが死ぬのも拙いでしょう、と言わんばかりの言葉。
「わかっているわ。」
エルフィールは、頷きを返す。察している。向こうから突っ込んでくる敵を相手に束になって守り続けるのと、バラバラに散って戦うのとでは、体力の消費差がどれほどあるか……エルフィールは察している。
だから、というわけでもなく。彼女はただ、笑って言う。
「みんなは、私を守っていてくれたらいい。」
護衛達は、そしてオルギュールは口を閉ざす。エルフィールが発する何かに当てられたように、一様に口を噤んでしまう。
「ギュシアール。あなたなら、一人であの人たちを助けられるでしょう?」
「……ここで待っていては、下さらないのですね?」
「うん。」
男は目を瞑った。契約の外の行動になる。メンケントに頼まれたのは、エルフィールの護衛。彼女の願いに従い、公爵領ですらない土地の農夫を救うのは、道理に悖る。
だが……純粋な心情だけを見るのならば、助けるのはギュシアールの本望で。
「何を見ても、知りませんから。」
冷たく、言い放った。
その日、エルフィールはギュシアールの攻撃性を見た。
ただ守ればいい、エルフィールの命を守ればいいと淡々と戦っていた頃とは違い、全霊をもって武を振るう。
動き回る戦いこそ、ギュシアールの元来の戦法だった。斬る動き、一足の長さ、腰の落とし方がそのまま次の動きに繋がる。それも、一通りではない。全ての動きが何かの初動、初動の型から複数の動き。
ギュシアールが村に介入し、盗賊の全数を把握するまで約5分。盗賊を殺しつくすまで、約5分。動きながら盗賊と農夫を見分け、盗賊だけを全て斬る。
あまりにも鮮やかな手並みだった。まず思考の速さが尋常でなく、次いで思考に反射レベルで身体がついてくる。
人間業とは思えない無双ぶりであったが、エルフィールはその全ての動きが、追えていた。
ありえないことだ。訓練を受けたわけでもない、身体が育ち切っているわけでもない少女が目で追えるものではなかったはずである。
その、あまりにも人間離れした観察眼を開眼した公女は、理解していた。ギュシアールのそれが、才覚だけで至れたものではないことに。あまりにも高く積み上げられた、並大抵ではない努力と執念の果てに産み落とされた極点であることに。
「……。」
護衛達も一人残らずその手際の良さに息を呑む。人を殺していると思えない。骨肉が紙切れのように寸断される。血潮が巡る先の失われたことに気づけず噴出する。
そんななか、公女はただ、人を救うということの意味を瞳に焼き付けていた。盗賊を殺すことの意味を瞳に焼き付けていた。
盗賊が殺されたときの、「やっと救われた」という顔を覚えている。農夫が救われて、「助かった……?」というような顔を焼きつけている。
「強ければ、守れるんだ。」
いくら純粋とはいえ少女が考えることではなく、狂気の言葉ではあったが。襲い来る盗賊を撃退するので精いっぱいのオルギュールや、ギュシアールに圧倒されるばかりの兵士たちでは軌道修正もままならない。
だからこそ。
「私、強くなる。」
その体験は、彼女にとって鮮烈な記憶となった。