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決意

3

「どこに行くの、オルギュール?」

「ペガシャール王国王都、ディアエドラでございます、お嬢様。」

馬車に揺られながら問いかける主の娘に、オルギュールは丁寧に答えた。

「ペガシャール王国の王都は、ディマルスじゃないの?」

「はい。五代前の国王が、遷都を行われ、今はディアエドラが王都となっておりまする。」

よく学んでいる子だ、とオルギュールは思う。自分と主以外の口から『ディマルス』などという言葉を聞いたのはいつぶりだろうか。


「どうして、国の重要なところなのに、遷都しちゃったの?」

そこに疑問を持つのですか。そう、オルギュールは感心する。普通疑問には思わないようなところだ。そういうものだと受け入れて、『なぜ』を考えることがない……それが、凡才の思考回路だ。

 なるほど、五歳の頭脳ではない。だが、どう発言するべきか……誤魔化しと真実、それの間で一瞬葛藤して、彼は片方を選んだ。

「『神定遊戯』が行われなくなって、130年経っていたのです。国王は考えました。どうして、神はヒトに力を貸さないのか。」

神に王権を許されていたこと、それがペガシャール王国の、いや、六国の矜持だった。そして、国を統治するための、絶対的な説得力だった。だから、『神定遊戯』が開かれなくなるということは、そのまま国の統治への信頼の失墜に繋がるのだ。

「先々代はこう答えを出した。この立地はもう古い。新たな土地で、新たな幕開けを迎えるべきなのではないか……と。」

その思考は単純なものであると同時に、他の貴族たちも納得は出来るものだった。人は時に、古きからの脱却を好む。ましてや、己らの信じていた神が答えなくなって久しいとなれば、当然の結果と言えば当然の結果だ。


「でも、それじゃ何も変わらなかったんじゃ?」

「むしろ悪化いたしました。遷都のための宮殿設立、移動費用のせいで王室も貴族家も金庫がすっからかん。その上移動の最中にカネに飢えた亡者たちが大量に襲い掛かってくる。挙句の果てには警備の兵が裏切って、財を掏って逃亡する。落ち目にあったペガシャール王国にとどめを刺したと言っても過言ではありません。」

「ペガシャール王国は、どうして残っているの?」

それはオルギュールですら思う。政権が代わってもおかしくない、そもそもペガシャール王国が解体していてもおかしくはない。ただ、

「神に選ばれた、1400年以上続く、由緒ある国家ですから。」

それだけに尽きるのだ。そう。


 それ以上に、理由のつけようがないくらい、ペガシャール王国はしぶとかった。




 ガラガラ、ガラガラと馬車は進む。町もない平原、人のいない町。あるいは廃墟になった砦。その中を潜り抜けていく。もはや、農民よりも盗賊の方が数が多いとすら言われる我が国の姿を、こんな年端もいかないお嬢様に見せていることに、オルギュールは少し心苦しくなっていた。

「お嬢様。本日は何の本をお読みになりますか?」

「……オルギュール。政治を、私に教えて?」

この一ヵ月でいろいろなものを見たからだろうか。彼女は一気に、大人びたように思う。本を読むスピードが一気に上がった。休む間もなく何かを学ぶようになった。

「いいえ、お断り申し上げます。お嬢様、あなたは女性であらせられます。」

女が政治をするべからず。それは、ありとあらゆる国で当たり前となっていること。ペガシャール王国でも、例に洩れない。


「どうして?」

「お嬢様。お嬢様の役割は、子孫を絶やさぬことです。あなたは、我が国の男性と、子を為すために生まれてこられました。」

「どうして?そう決めつけるの?」

怒涛の、どうして?攻撃。しかし、オルギュールは、事この点においては譲る気がない。……いや、譲ることが出来ない。

 政治は男のモノ。それは、何ら特権ではない。女性を蔑視しているわけでもない。そうしなければならない理由があるがゆえに、女性が政治に触れることは歓迎されない。


「ありとあらゆる生物には、絶対になさなければならないことがあります。それが、『生存』と『子孫繁栄』……いいえ、『種族維持』です。」

それは、全ての生き物が生き物として星に根を張るにあたって、行うべき最低限。文明を築き、社会を築いた人間ですら、それは不変のルールでなければならない。

「私たちが国を維持できるのは、ヒトが、人間という種族がその種を維持しているからでございます。そして、その義務を手放した瞬間、ヒトという種族は滅びるのです。」

「それは、知っているよ?」

ここから先は、5歳の女の子に話すのは早いのではないか。でも、話すべきなのではないか。


 オルギュールの頭に葛藤が過る。どちらを選んでもいい予感はしない。だが、それでも選ぶべきがあるのではないだろうか。

「子孫を残す。その力を持っているのは、女性だけなのです。」

男も持っていると言えば持っているが。だが、生命という括りの上で、種族維持という観点で、子孫を残す本当の力を持っているのは、女性だけだ。……生命というものが行うべき義務を、本当の意味で果たせるのは、男ではなく女だ。

「だから、女性は守られなければなりません。最悪、男は種を残すための最低限残っていればいい。ですが、女性は違う。」

子供を妊娠し、実際に生まれるには10ヵ月。そこから育て上げるのには実に15年もの時を要する。こと、『種族を維持する』という観点にあって、その期間、女性が子供のことと己のこと以外を見ているという状態は、あまりに、そう、あまりにも望ましくないのだ。


 だから、男が政治をする。男が狩りをし、男が生命を維持する。

 女の生命を維持すること、種族維持の手助けをすること。それが男の役割であるならば、女性の役割は種族の維持である。

 社会の括りにおいては、女性を軽視されがちではあるが。こと、生命とヒトという種の括りにおいては、圧倒的に女性の方が重要なのだ。

「だから、使い捨てられても問題ない男が、政治をするのです。」

命の価値は平等ではない。重要なのは、人間であると。だから、女性が政治を行うのはいい顔をされないのだと、オルギュールは言い切った。


「何で?どうして?別に、子孫維持なんて他の人に任せればいいじゃない。」

「お嬢様。それはつまり、義務を放棄して権利だけ得たい、という話ですね?」

そう、オルギュールは断言した。あるいは社会として、先進的な文明としてはエルフィの言葉は正しいのかもしれない。だが、生命としては致命的な大間違いだと、エドラ=ケンタウロス公爵家の一番の側近が断言した。

「……うん、それでも私、政治、勉強する。」

「なんですと?」

オルギュールの目が見開かれる。ここまで聞き分けがない子供を、オルギュールは初めて相手にしていた。


 他の貴族家なら、もっと我儘な子供ばかりが多かった。だから、オルギュールのように、聞き分けのない子供の説得に対するノウハウがない、ということはなかった。

 だが、エドラ=ケンタウロス公爵家は厳格で、当主の厳しさが非常に目立つ家だ。その恐ろしさを、子供は無意識でも感じ取ることが出来る。……その心根が無垢であればあるほど、空気を読むのは上手いのだ。エルフィもその例に洩れず、わがままは言わない子供だった。

「な、ぜ。」

問い詰めて、改心させる。そうしなければならない。まともなオルギュールの、公爵家への忠誠心がそう働きかけてくる。なのに、どうしてだろう。


 どうやっても、改心させられる自信が、ない。

「う、あ。」

それでも、言葉を継ごうとしたオルギュールは立派だったろう。改心させるべく言葉を尽くそうと精いっぱいに足掻くオルギュールは、無様とは言えど、職務に何より忠実であった、が。


 直後に、オルギュールは馬車を飛び降りた。その空気の豹変具合に、エルフィは面食らう。いきなり、何があったのだろうか。そう思い、僅かに窓から顔をのぞかせる。

 それで、気が付いた。いつしか、馬車とその周りの護衛の人たち以外の足音がしている。

「お嬢様、賊が出ました。馬車から動かないでください。」

「……うん。」

その時、エルフィの頭を占めていた感情は、恐怖である。当然だ。後世抜きんでた英雄として名を馳せる彼女も、今はまだ5歳の少女、しかも争いとは縁も所縁(ゆかり)もない女の子なのだ。だから、彼女は恐怖に体が震え……しかし、目を逸らすのも怖くて、窓からじっと、外を見ていた。


 盗賊の数は、多分150人くらい。それに対して、護衛はオルギュールを含めても、20人。

 この時のエルフィは、捕まったらどうなるのだろう、と考えていた。もうすでに、捕まることを前提に考えていた。

「ぐわ!」

「ぐへ!」

「こいつら、強いぞ!気をつけろ、そこらの商人貴族どもとは違う!!」

エルフィはこの時から天才だ。護衛の20人の顔と名前、そして声を完全に覚えている。だが、時折聞こえてくる悲鳴の中に、彼らの者が混じっていない。どれもこれも、聞いたことがない人の声だった。それだけじゃない。

 目に見える限り、護衛達には余裕があった。本当にそうなのか、当時のエルフィにはわからない。でも、彼女の目には余裕で盗賊を蹴散らしている護衛達の姿が映っていた。


 これなら大丈夫。エルフィは根拠のない自信を持った。私の護衛は、強い。私はきっと、捕まらない。

 ホッと、安堵の意気を吐いた、次の瞬間のことである。馬車の天井に、穴が開いた。

「お嬢さま?来ていただきましょうか、ゲヒヒヒヒ。」

醜悪な笑みを浮かべた男が、こちらを見下ろしていた。その手がゆっくりと、エルフィの元へと伸びてくる。……だが。エルフィは、そんな男の笑みや、この危険極まりない状況よりも、気になることがあった。


 細いのだ、男の腕が。肉がついているのはわかるが、血管も浮いている。貧相で、貧弱な体。どうして、剣を握ることが出来ているのだろうと思ってしまうような、貧相な体。

 いやというほど、よくわかった。なぜ、彼らが盗賊になっているのか。なぜ、彼らがこうして、エルフィを襲い掛かってきているのか。その細腕が、全てを物語っているようにエルフィには思えた。

 そうして、エルフィの心の中に湧きおこってきたのは、恐怖などではない。もちろん、これからどうなるのだろうという恐怖はあった。だが、それ以上に、憐憫(れんびん)(まさ)った。

「つ、か、ま、え、た。」

声とも取れないような声。言葉なのかわからない言葉。それは、言葉を発する機能が減衰していることを示している。話を普段しないのか、痩せすぎて発声器官に異常が出ているのか……普段、話すのも億劫なくらいの辛い日常を、過ごしているのか。


 どちらにせよ、その手が、エルフィの腕を取る。……そして、男は舌打ちをした。持ち上げられないのだ、エルフィの体を。それだけの力は、この男にはないのだ。

 せいぜい18キロ程度しか、エルフィはない。

 エルフィは己の手を掴み上げる男の目を見た。その瞳は、一瞬呆けた後、自分を見上げるエルフィを見て、激昂して。再びその手に力がこもり、引っ張り上げようとして、再び腕が緩む。

「あ、わ、れ、む、な!小娘!!」

腕より先に、喉に強い力が戻ったらしい。男は、自分の子供ほどの年の女に憐れまれていることに、耐えられずに怒り狂った。


 当然だ。自分がこうして盗賊に身をやつしてまで今日を生きようとしている。なのに、この、今日の命の危機を感じたこともないような少女に、憐れまれるのだ。怒りを、憎しみを、感じない方がおかしい。

 だが、声を出したのは失敗だった。そこに彼がいることが気づかれてしまった。護衛は窓と扉を必死に守っていたし、馬車の屋根に飛び乗って、そこから人をさらおうとするなど普通は考えない。

 だから気づかれていなかった最大級のアドバンテージを、彼は今自ら手放してしまったのだから。


 矢が、一筋、空を駆ける。それは、臓を守るための筋すら貧相になったその胸に直撃する。

 屋根の上の男が、絶命。その馬車から落ちていく。


 エルフィの瞳には、賊の男が微笑みを……そう、救われた笑みを浮かべるさまが、もう間近で瞳に映って。

「死が、救いに、なっちゃうんだ。」

ここがもう、それだけ悲しい世界なのだと、彼女は気づき。

「私、決めた。……みんなを救える、英雄になりたい。」

貧困にあえぐ民が、盗賊に落ちた人々が、再び国の上で微笑んで生きていられる国を。エルフィがみんなを守り、みんながエルフィに守られる幸せに安堵できるような……そんな、誰もが心穏やかに、幸せに暮らせる国を。


 それが、世界全土にいきわたるような、そんな世界を作りたい。

 エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシア、5歳。彼女の暴走は、この瞬間から、始まった。


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