表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/16

直訴

 翌年、メンケント=エドラ=ケンタウロス=ペガサシア、ペガシャール王国宰相に就任。自家を渦巻く暗殺者への対処、娘への立派な教育、そして素晴らしい領地経営の手腕を買われ、さらには王家武術指南役ギュシアール=ネプナスの推薦によって与えられた地位である。

 それをもって、エルフィールは長い長い見合い地獄の幕を閉じた。父が位階を極めた時点で、エルフィールの擬態は終了である。

 もちろん、彼女がそれだけの学と振舞を身に着け社交界にて『高嶺の花』とされた事実は変わらない。その事実に、軍武への傾倒や男を凌駕する経済の腕が加えられ、彼女の持つ花の価値を著しく貶めるだけである。


 自領に帰ったエルフィールは、溜め続けた家から自分あての給付金……いわゆるお小遣いを使って兵隊を徴収。

 エドラ=ケンタウロス公爵家の片隅、アルアサイアに居を構え、その近隣を開墾しながら自領の盗賊どもを一掃。盗賊は悉く生捕にし、アルアサイアの開墾作業に従事させた。

「パーシウスの情報は随分と有意義だな。」

自領にある全ての農地と比較しても収穫量が多い土地を見やる。流石はペガシャール王国で最も旧い一族、『神定遊戯』の恩恵に頼りきりになる前の情報を相当量持っていた。

「豊穣の確約がなくとも、神に頼らなくても生きていけるじゃないか。」

それを知らない奴が、多すぎるのだ。神に頼り、神に依存し、神に縋る。


 生活の中心に己ではなく神がある。それを当然とする生き様だから、神がいなくなって200年経った今もなお、誰もが自力で生きようとしていない。

 食糧がないからよそから奪う。その発想自体が、神がいないゆえに起きた思想だ。神が降るまで待てばいい、待っている間くらいは、他者から奪ってもいいだろう……随分と他力本願な考えである。そのまま200年、それがまかり通ったという事実が度し難い。

 しかし、神が常に隣にいたペガシャール王国の歴史を鑑みれば、理解できなくはない、とも思う。200年は少々長すぎるが……しかし、1000年以上を神と共に過ごせば、まだ200年しか経っていないなら待つという考え方も、出来るのかもしれなかった。


 しかし、エルフィール自身はそういう待ちの姿勢は好きではなかった。

 まあ、そうだろう。盗賊が跋扈する世が嫌で、死が救いになってしまうような世が嫌。そんな幼い感情だけで、大人たちの反対を押し切って、貴族令嬢としては忌避されるどころか論外である武の鍛錬に傾倒し始める女である。

 方向性が正しかったかはこれからの世が、そして他でもない彼女自身が証明していくだろうが……自身の力で未来を切り開く、その姿勢が彼女の好みであることは、嫌というほどくっきり形を為していた。


 とはいえ。

「流石に農作業はおやめください、エルフィール様!」

ゴーウェン以下付き人たちの当たり前といえば当たり前の諫言を聞けば、彼女の姿勢がいいものか悪いものか、少々考え込みたくはなるのだが。

 いくら『神』なき世で生きていく実感を生身で得る為とはいえ、公爵家の娘が積極的な農作業への従事……聞こえが悪いとかいう話ではない。公爵家の威厳が著しく損なわれる。

 ゴーウェンが激しく止めたことで、エルフィールもまた渋々といった様子で動きを止めた。納得はしていない。だが、付き人がいる中での作業は無理だと判断したらしい。

「申し上げておきますが、こっそり抜け出した上での作業もやめていただきたい。殿下の政治参画や軍武への理解は、殿下が女性社会での高評価によってある程度相殺できましたが、農作業ともなれば話は別です。お父上が失職するほどの失態に繋がりかねませんよ。」

エルフィールの思惑を読み取った上で、2年の内にエルフィールの右腕となるまでに育て上げられた政務官、グラウツが言う。うぐ、と喉を鳴らした。やりたくもない女性としての教育を、礼儀や所作、裁縫に流行を学び、見合いをした理由たる父の出世。


 正確には父の出世の妨げになり、家を貶めることを嫌ったわけだが……その努力がふいになるぞ、という脅しはエルフィールには特に効く。努力の方向性が間違っているぞという主張なら真剣に向き合いもするが、成果が出た努力の価値が後からなくなることは正直エルフィールにも受け入れがたい。仕方がない、農作業は諦めるしかないだろう。

「しかし、麦にも種類があるとは知らなかったな。」

「……エルフィール様が知らぬのも仕方がありますまい。農家が肉の部位について詳しく知らぬようなものでございますよ。」

「なるほど、理解した。どの土地にどの食材を育てることが一番適すか、王になる前に調べられるだけ調べたいな。」

「「……。」」

馬の元へと近づき、その背にひらりと飛び乗る。領地経営というものに手を出して、まだ1年と経っていない。収穫量には神の恩恵など必要ないということはよく理解したが、それだけしかわかっていないのだ。

「時間がない。もっと、学ばなければ。」

あんな貴族の坊ちゃんたちに国を任せたら、現状維持がなされるまま。『神定遊戯』が始まる日々を願って……エルフィールは今日も勉学に沈む。




 三月後、エルフィールは再び王都にいた。馬を全力で飛ばし、往く街往く街で馬を買い替え乗り換え、金にものを言わせた大横断をすれば。2ヵ月と少しくらいで、王都までは駆け抜けられる。

 今回は馬車など使わない全力疾走だった。王都に着いてから師の家に駆けこみ、身を浄めなければならないほどのなりふり構わずである。

「今度は何をしに来た、エルフィール?」

「陛下に私兵を国内で動かす許可を得にきたんだ、師匠。」

女性らしさなど捨て払ったかのような甲冑を着て、槍を背に立ち上がる。自領近辺で悉く盗賊を打ち払ったエルフィールだが、流石に大々的に私兵を動かした影響で父に眉を顰められたのだ。


 当然といえば、当然である。軍を動かす権限を持つのは国王と元帥のみ。宰相ですら、軍への命令権を持ちあわせることはない。

 家を、貴族家の一族を守るための私兵の保持は全ての公属貴族に許可されている。しかし、だからといって自由に動かすことまで許可されているわけではない。

 あくまで自衛として動かす以外であれば、国王にわざわざ軍の使用を願い出て、許可されなければならないのである。


 そしてそれは、滅多に許可されることではない。私兵をおいそれと動かすことを許可すれば、いずれ鍛え上げられた彼らが王家に牙を剝くこともある……少なくとも『王像の王』の資格を持つ一族に限っては、あり得ない話ではない。そしてエルフィールは、その『王像の王』になる資格を持つ一族に連なる女である。

 そうでなくとも、元帥や国内にいくつもある軍の名門とされる貴族たちへの示しの問題もある。王家は、過去200年、おいそれと貴族たちに軍の使用許可を出さないようにしていることは明白だった。……そうでなければ、いくら『神定遊戯』が起きなくなり、豊穣から遠ざかり作物が収穫しづらくなったとはいえ……盗賊が太陽の下を我が物顔で歩くような世にはならない。なるはずがない。


 エルフィールの言葉とその装いに、ギュシアールは困ったような表情をした。本当にやるのか、無理ではないか……そう言わんばかりの顔だった。

「わかっている、師匠。無理があるっていうのは、もう十分に。それでも、俺はやる。」

「……そうですか。」

覚悟の決まった瞳、わずかに震えている躰。なんとなく、エルフィールが何をする気か、何を言う気か、ギュシアールは悟った。

「今から行くのですか?」

「そのつもりだ。」

「……半日、待ちなさい。私が出来る事はないでしょうが、旅立つあなたに、餞別を用意します。」

エルフィールが目を見開く。理由も言わずに待てと言われれば、無視して押し通るつもりだった。しかし、何をするか知った上で、別れの物品だけ用意するといわれれば……まあ、それを待つ程度の余裕はある。

「わかりました。」

身体に走らせた緊張を解き、公女はゆっくりと腰を下ろす。その目の前に、ギュシアールの弟子の一人……名はスティップといったか……が湯気の立つお茶を差し出した。


 ゆっくりと煽る。ギュシアールが急ぎ足で、その割には優雅な所作で屋敷を出て行くのを見ながら、公女はゆっくり、これからどう動くか頭の中で振り返る。




 ヒソヒソ、と囁き声が聞こえた。それが自分を厭うものだと、醜いと嗤うものだと、公女は全身で理解する。

 それでも。王宮を、勇ましくも鎧甲冑に身を包み、派手な槍を背に負ったまま、胸を張って歩いていた。

「嗤いたきゃ、嗤え。」

好奇の視線が公女の全身を嘗めまわしていた。全身が総毛たつような不快感に覆われながら、エルフィールは躊躇なく突き進む。


 王の執務室の場所は、頭に叩き込んできた。この時間なら執務室に必ずいると、ギュシアールが太鼓判を押した。

 だから、その戸を、何の躊躇もなく疑いもなく、引き開く。

 片方の戸ですら兵士が3人がかりで全力を込めて開けるような、開け難い両開きの引き戸だった。襲撃者を阻むために作られた、強烈な重さのものだった。それを彼女は、平然と片扉に片手を押し当てて開く。

 バン、と勢いよく開いた。そんな開き方をするようなものではない扉が、戸の枠にぶつからんばかりの勢いで音を鳴らす様に中にいた人物たちがこちら向いた。


 中にいたのは、7人だった。国王アグーリオ、宰相メンケント、王太子アダット、国王の愛妾、王太子の侍従ゲリュン、そして近衛が2人。そして、戸を開けたエルフィールの傍にも、戸を守る門番兼開け役として兵士が6人。

「……エルフィ。どういうことだ、これは。」

王の執務室で、父がクラリと揺れた。自分が領地をとうに発っていることを、彼は知らなかったらしい。なるほど、自分は伝令に圧倒的な速度差をつけて突き進めたらしいと公女は納得する。

「ほう?これが、ここ3年ほど社交界を騒がす『高嶺の花』とやらか。」

中央、昼間から酒を注ぎながら悠々と座っている男の目が、公女を嘗めまわす。なるほど、これが今の国王か。農夫たちが日々の糧を得るために田畑に鍬をいれ、狩人が弓を引き商人が声を張る昼中に、愛妾を傍に侍らせながら執務室で酒に浸っているのが、このペガシャール王国の国王か!


 頭に血が上るのを、止められない。怒りが全身を焼くのを、公女は止められず……しかし鋼の理性をもってして、その激情が肉体を突き動かすのだけは食い止める。

「まるで男だな。これを『高嶺の花』と呼ぶなど、誰も彼も見る目のない。節穴ではないか。」

「その意見には心底同意するぜ、アグーリオ国王陛下。この国の連中は、揃いも揃っていかれてやがる。」

この男を権力の座から引きずり降ろさず、国王として仕事をさせているのだ。その仕事も、周囲に書類が一切ないところを見るに、やっているようには見えない。

「で、何用だ、エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシア。余も暇ではないのでな、そんな肩を怒らせたこわぁーい女の相手をしてやりたくはないのだ。さっさと要件を告げて消えよ。」

「俺に私兵の自由使用の権限を与えろ。国内にいる盗賊どもを、みんな纏めて矯正してやる。」

それが終わればお前らだ、そう言わんばかりのきつい視線を寄越す公女に、国王は爆笑をもって応えた。


 エルフィールも笑う。国王が何に対して笑ったか察し、どう答えるかもまた察し、その上で笑いを返した。

 国王も公女も、互いが互いを嗤っている。互いが睨みあうように、その場で見つめあった。

「ふむ。知っての通り、余は国王だ、公女よ。余に対する無礼の数々、一族郎党皆殺しの覚悟は出来ているのであろうな?」

「そうなる前にお前が死ぬぜ、国王。」

は?という顔を、その部屋にいた全員がした。その部屋にいる者で頭を押さえるメンケント以外は、エルフィールの武装が飾りであると信じて疑わない。

 だが、あまりの自信を漲らせる公女の姿に、並々ならぬ覚悟を感じた国王は……控えていた兵士に声をかけた。

「クシュルを呼んで参れ。あと、棋盤と机。公女よ、少々興味が湧いた。私兵を独力で動かしたいというのであれば、わが国でもっとも用兵が巧みなものを盤上遊戯で打ち負かして見せよ。」

「……わかった。」

周囲に警戒を怠らないまま、兵士が持ってきた机の前に胡坐をかき、駒を並べ始める。10分ほどして、鋼色の髪色をした、いかにも軍人然とした肉体の男が王の執務室に参上した。


 そのまま話の流れを聞き、訝し気な顔になる。……「なぜ?」、というよりも、「なんで?」という困惑顔であった、が。

「まあ、一局、お願いしよう。」

互いに将棋盤に目を落とす。一手毎の持ち時間は30秒。軍を実際に動かすことを考慮すれば、決して短いわけではない早打ち勝負であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ