決断
いくらなんでもそれはないだろう、というのがエルフィールの無言の主張だった。相手も公女の気持ちを理解しているのか、苦笑いを噛み殺そうとしていた。
「本気で私たちの見合いが成立すると思っているのでしょうか?」
「いえ、従姉上や公爵家との距離が離れていくことを厭った父の暴走でしょう。我が家の事情に巻き込んで、すみません。」
「たしかに、エドラ=ケンタウロス公爵家は現在、フラウディット=アルスベリアン伯爵家と近い距離間にあるとは言えませんものね。気持ちは理解できます。」
エルフィールがにこりと微笑んで見せると、男は背に蜘蛛でも這っているかのような身震いをして見せた。
「やめてください、従姉上。あなたの素を知っている私には、随分と気味が悪く映ります。」
「私もそう思うがな、シューリン。だが、ここまで精いっぱい擬態させたのに気味が悪いで捨てられるのもいい気はしないぞ。」
男の苦笑が噛み殺せなくなる。公女がより一層男を睨めつけるが、むしろ逆効果になっていた。
男の名前はシューリン=フラウディット=アルスベリアン。現フラウディット=アルスベリアン伯爵の孫にして、エルフィールの母リリアーナの甥。男が何度も「従姉上」と呼んでいるように、従姉弟の関係に当たる者である。
「まあ、この場でくらいその擬態を解いてください。肩が凝るような見合いばかりだったでしょう?」
「まあ、な。」
レッド以降、三人ほどの相手と見合いを組まされたが、これといった男は見つからなかった。
ギュシアールに言わせれば、当然である。『神定遊戯』による威光と恩恵を授かってきたペガシャールという国は、その骨髄まで……それこそ政治体制の根本まで、神に寄生することが前提で築かれている。
その価値観を元に産み落とされた貴族の男なら、環境を変える……環境が勝手に変わるのではなく、変えるのである……という在り方を是とするはずもなく。
ましてや、己にさしたる利のない『国民の生活』など、考慮する価値がないのも仕方のない話ではあった。
「で、勝手知ったる従弟殿、ということか。断るぞ?」
「構いませんよ。従姉上を婚約者として飼いならせる気も、上手く使いこなせる気もしません。それより伺いたいことがあるのですが、いいですか?」
エルフィールを上手く使いこなせるならば、確かに家の為にも夫側の名声の為にもなるのだが、シューリンはそこまで自分の力量を信じていなかった。というより、エルフィールの怪物性をありのままに受け入れていた。
彼女は男の添え物になる人物ではない。むしろ、男側が添え物になってしまう。
それは、家の恥にも、夫の恥にもなる。だからこそ、彼はエルフィールへの求婚など何かの罰則のようにすら思っていた。
「なんだ?」
そんな従弟の想いなど全て知った上で、あくまで親戚として公女は接する。それくらいの距離なら、まだ二人は良好な関係を築けると考えていた。
「エドラ=ケンタウロス公爵家が、『娘の命を守るために凄腕の護衛がいる』という噂があるんですが。」
「ああ、連日連夜俺のところに暗殺者が送り込まれていてな。アダットとの見合いが破談になった後からだから、あいつの手駒なんだろうが。」
おかげで、夜も碌に寝れん、と吐き出す公女に男は再び苦笑い。
「やはり、従姉上が迎撃しているのですね?」
「そりゃ、俺は強いからな。表向き、俺を守る護衛がいっぱいいるということになっているが。5人10人護衛がいたところで、あの次元の暗殺者相手には戦いにならないさ。俺一人でやる方が確実だ。」
一応、一族の令嬢を守るための護衛のはずなのだが。相当の熟練のはずなのだが。それでも、10人束になってもエルフィールを守るに足りない……なんていう在り得ざる言葉。
その存在がなにか心当たりがあって、シューリンはサッと顔を青ざめさせた。何かを言おうとして口ごもり……言葉にならずに嘆息する。
「おかげで、エドラ=ケンタウロス公爵家の、特にメンケント様の手腕が評価されています。素晴らしい娘を育て上げ、数々の暗殺者を迎撃できるほどの武を家で保持している。元より頭の良さ、政治手腕については高名であっただけに、もう2、3年の内には宰相に内定するとさえ言われていますよ。」
「レッドを力で組み伏せたから、その辺で露呈するかと思ったんだがなぁ。」
何やっているのあんた、と言わんばかりに従弟の目が大きく見開かれる。そんな姿に、エルフィールはただ肩を竦めて見せた。
まあ、どうせこの従姉には常識を求めても無駄だ……そう無理やり自身を納得させたシューリンは、諦めたように笑った。
「露呈させられるはずもありません。従姉上の武の腕をレッドが吹聴すれば、従姉上に組み伏せられたこともバレるでしょう。そんなリスク、彼は取りませんよ。」
『王像の王』に最も近いという評価は彼が男である以上変わりない。だが、その上にエルフィールがいること、エルフィールが女であることも考えると、その評価の価値は著しく下がる。
ふうん、と面白くもないことを聞いたようにエルフィールは鼻を鳴らして。
「また会おうな、シューリン。」
「こんな面倒な席はもうごめんですね。」
違いない、と笑いつつ……初めて見合いの席で、彼女は笑って相手と別れた。
「で、片端から振っていったら色んなあいてが恐れ慄いて立候補を取り下げていき、家の事情でやらざるを得なくなった俺があんたと見合いをする羽目に遭ったわけだ。何てことしてくれたんだ、あんた。もう一度言うぞ、なんてことしてくれたんだ、あんたは。」
目の前で罵り声を上げているのは、持ってこられた縁談の中で、父が「本命足りうるが色々な意味で成立しては困る」と評した縁談だった。ギュシアール曰く、「エルフィールの相手としては他よりマシだが、彼と結婚すると国中の恋好きの婦女子全てを敵に回す」とのこと。
エルフィールを……高嶺の花を相手に、誰もが結婚相手に望む女性を前にして忌々し気に吐き捨てている男の名は、パーシウス。アルス=ペガサス公爵家の次男坊、パーシウスであった。
しかしながらその反応に、エルフィール自身も流石にその罵りは理不尽だ、という目を向けた。直後、今が見合いの席だと思いだしたのか、慌てて表情を取り繕う。
その姿に、多少の事情を感じたのか、男は口を開く。
「兄上……ピーネウスが出てこないのは、政治的な理由だ。兄上の妻は現国王アグーリオ様の娘……王太子殿下の姉に当たるお方だからな。あなたと見合いをし、万が一にも成立することになったら、家の事情が一変する。だから、兄とあなたの見合いが組まれることはない。」
順当に行けば、アルス=ペガサスという公爵家の爵位を継ぐのは、目の前の男ではなく彼の兄である。しかし、見合いに来たのはパーシウス。爵位を継ぐ予定はない男だ。
しかし、それでも兄ピーネウスをエルフィールと見合わせるわけにはいかなかった。嫁として迎え入れられない事情がある。
エルフィール……公爵家の公女を嫁入りさせようと思うと、正室の位置に置かなければならない。しかし、ピーネウスの正室は埋まっている。
埋まっているだけならいい。公爵家より家格が下の家の女なら、側室に下げるだけでいい。しかし……現国王の娘となれば話は違う。彼女は正室になる以外の選択肢がない。よって、エルフィールが側室になるしかなく……公爵家の長女を側室にするのは、家も世論も、体面も許されない。
「だから、あくまで公爵の補助をするか兄が何かあったときの為の予備でしかない男との見合いを組むのか?」
「どうせあんたは振るだろう。そういう前提で、あんたを得るべく挑んだという名だけ欲しかったのさ。」
もちろん、成立したらしたで何かしらに使う予定はあったのかもしれないけどな、と続ける彼は何か思うところがあるような瞳をしていた。剣呑というか、嫌悪というか。父と関係が悪いのだろうか。
「おかげで、恋人が不安定だ。あの調子なら俺を監禁することも視野に入れているだろうよ。どうしてくれる?なあ、どうしてくれるんだ?」
エルフィールは咄嗟に目を逸らした。パーシウス側の実家の事情が大半を占めるとはいえ、そもそも見合いの席を設けられてしまったのはエルフィールがさっさと婚約しないからだ。
男を選んでいるせいで、俺まで候補に入れられてしまったじゃねぇか。そういう意味合いの圧力に対しては、さすがのエルフィールといえども申し訳ない気持ちになってしまう。なにせ、きっかけ自体は自分の我儘だからだ。
「アルス=ペガサス公爵家の次男坊とティラム=シラー侯爵家のご令嬢の熱愛の噂は、この私の耳にも届いております。……お二人の仲を裂くのは、本意ではございませんわ。」
「……。」
じっと、男がエルフィールの瞳を見る。熱愛というか、これは執着ではなかろうか……そう思うほどの情念が、瞳の奥で渦巻いているのをエルフィールは見た。それが、自分には微塵も向けられていないのも。
なるほど、これは、確かに怒るのも納得である。
「申し訳ありません。冷静に臨むつもりだったのですが、いざ見合い本番となると取り乱しました。未熟を恥じ入るばかりです。」
「いえ、婚約者の方を愛していらっしゃるのはよく理解できました。素晴らしい姿勢だと、私は考えます。」
じゃ、見合い話は終了で。そう言おうとエルフィールが息を吸い込む前に、パーシウスが言葉を発する。
「それで、公女殿下は何がなさりたいのですか?見合い終了まではあと一時間ほどあります。どうせ家を継がない私には、エドラ=ケンタウロス公爵家の名を貶める理由もありません。話したいことを、話していただきたい。」
何も収穫なく、ただ婚約者の機嫌を損ねただけの無駄骨なんて勘弁しろ。そう言わんばかりに鋭くエルフィールを貫く視線に、公女は逡巡する。
見合い話ばかりで疲れていた。世を救うなんて未来に絶望しかかっている自分がいた。今まで会った男は、全てが次に爵位を継ぐ者達……世の中を変えていける力をエルフィールより遥かに持つ者たちだ。
彼らに失望を繰り返していけば、自分の望む未来がどれほど叶い難いものなのか、嫌でもわかる。
正直なところ、いい加減この鬱屈とした気分を一度吐き出したいところだった。とはいえ、吐き出せる相手もいなかった。
父に吐き出せば、「ようやく理解したか。諦めておとなしく嫁に入れ」という言葉になるのが見えていた。
師に吐き出せば、「私も同じ挫折をしているのですよ」と言われるだろうと想像できた。一時の気の慰めにはなるだろうが、結局のところ慰めでしかない……次に繋がらないのが察せられた。
ゴーウェンたちに吐き出しても、父と似たような反応をするだろうと公女は思う。結局のところ、全て自分で受け入れ向き合っていくしかないのだ。
「まあ、いいか。」
しかし、目の前の男になら。結局のところ実権を握る未来はなく、どうも実権を握っている者との確執があり、せいぜい一会以上の関係にないとわかっている男になら、話してもいいかと思う。
「私の望みは、盗賊が跋扈しない世になること。それを当然と受け止め、為政者が自ずからそうなるように政務を執ることです。」
エルフィールは嘆息して、口を開いた。
話を聞き終えるまで、都合30分程度。何故そう感じ、誰との見合いでどう失望し、今どう考えているのか。その全てを聞き終えた男は、笑いを必死にこらえていた。
「何が面白い?」
「いいや、申し訳ない。あなたがそれを成し遂げるための条件は、もう明らかではないかと考えますよ。公女殿下。」
その言葉に、嗤うような響きは一切ない。どころか、エルフィールの感覚が間違いでなければ、敬意すら感じられる声色だった。
「明らかだ?」
「はい。貴族は、『神定遊戯』が始まれば環境が勝手に変わるのだから、わざわざ社会に手を加える必要はないと考えている、とあなたはおっしゃいましたね。そのご感想は間違っておりません。」
確かに環境は勝手に変わるし、『神定遊戯』の機能を十全に使えば田畑の開墾も楽に行える。豊穣も確約される。わざわざ、農夫たちの生活に寄り添った政務を執り行う必要はない。
「そもそも農夫たちの生活だけではない。国の政治は、『神定遊戯』が起きている期間と、それが起きていない休みの期間の二択に絞られている。『神定遊戯』のある栄華に彩られた幸福な時間と、『神定遊戯』が起きるまで栄華を消費し続ける停滞の時間と。」
つまり、環境に流されながらも日々を送るのが貴族の在り方だ、とパーシウスは言った。身分制度は、『神定遊戯』が起きていない間の国の維持の為のもの。官職制度は、『神定遊戯』が起きている間の国の繁栄の為のもの。結局のところ、国というものこそ、環境が勝手に変わることを前提として作られているものでしかない。
「つまり、国の制度や在り方を抜本的に変えられる立場にならなければならない。」
「……。」
パーシウスの言葉に、エルフィールは沈黙する。言葉を継ぐのが難しかった。言っていることの意味を理解できないではない。むしろ、これ以上なく理解できている。
だからこそ、今のエルフィールの手駒で出来る事がないことも、よくわかっていた。
「貴族どもは環境が変われば己の動き方も変える。もちろん、自分の望む環境を手に入れるための政争を繰り返していたりする分、結構我欲を持ちあわせてはいるが。あんたが環境を大きく変えようとしたとき、あんたがそれを成しえる立場だったら、貴族どもも反発は出来ても否定は出来ない。」
問題は、その『立場』が得られない事だろうが。そうエルフィールは叫びかけた。アダットに嫁ぐことはもう蹴ってしまった。仮に嫁げたとして、実権を握ることが出来たかはわからないが。それでも、一番重要な役どころを奪う努力くらいは出来たかもしれない。
しかし、エルフィールは女性だ。どれほど必死になって権力を握ろうと躍起になったところで……頂点は正直、見えている。
「どうやってその、立場を手に入れろと。」
「簡単だ。『王像の王』になればいい。」
目を見開く。何を無茶なことを。始まるかどうかもわからない『神定遊戯』の、その象徴たる『王像の王』を目指す?しかも、過去1500年にわたって誰一人として選ばれたことのないその象徴に?
頭を疑問符が埋め尽くす。無理に決まっていると叫ぶ理性と、それが出来るならもらいたいという感情がせめぎあう。
「どう、やる?」
「『神定遊戯』は元来、六国を統一し、六人の中からたった一人の王を選出するために行われる儀。それを、人間が楽できるよう勝手に解釈を違えたのが『王国』1000年の歴史だ。……つまり、他国の人間の手による殺害以外の方法で『王像の王』が暗殺された場合、かつ『神定遊戯』始まって3年も経っていないような状況の場合……『ペガサスの王像』は、資格ある者の内次に優秀なものの手に移る。」
はじめて聞くルールだった。隠されてきたルールだと、パーシウスは言った。
1500年存続し、ペガシャール王国内で「神官」という役柄を担ってきたアルス=ペガサス公爵家でなければ知らないことだと、彼は告げた。
「『神定遊戯』が始まれば、おそらく『王像の王』はレッドの手に至るだろう。彼を殺せば、次席はおそらく……エドラ=チョンリマ男爵家の息子。その次にエドラ=オーレイ子爵家の息子だろう。もしかしたら実は一人……いや、流石に彼は死んでいるか。」
パーシウスが吐き出す言葉に、エルフィールは眩暈がした。彼が言うことは、つまるところ。
「『神定遊戯』が始まってから、『王像』が俺の手に降るまで、3年でそれだけ殺せばいい、と?」
互いに言葉から行儀が消えている。そんなことふたりとも気づかないままに、熱に浮かされたかのように言い募る。
「そうだ。それだけしたら、あなたは最高権力者だ。」
「誰がついてくる、それだけ頂点を殺した女に!そうやってまで権力を得ようと足掻いた怪物に、誰がついてくるというんだ!」
絶叫が部屋に響き渡る。そこが防音の施された部屋でなければ、外にいる者たちが何事かと駆け付けるほどの大絶叫だった。
しかし……その酒日に反応するものは、もう一人しかいない。パーシウスは、ただただにやりと笑みを刻んだ。
「ペガシャール王国の貴族は、誰も王家になど忠誠を誓っていない。誰も国になど仕えていない。彼らはただ、『神定遊戯』によって訪れる神の使徒と、彼らに与えられる恩恵に信仰と忠節を誓い、仕えているんだ。あんたが『王像の王』になれば、他の有力候補が排除されていれば、誰もがあんたに従うさ。」
そして俺も、父と兄を排除してでもあんたに仕えよう。アダットやレッドに仕えるのは死んでも嫌だが、あんたなら、仕えることが出来そうだとパーシウスは告げる。
もう何度目か分らぬ眩暈を、エルフィールはただただ感じた。なんという道のりの険しさか。なんという無理難題か。
『王像の王』が降るまでは、自分が犯罪者として追われ続ける羽目に遭うから殺せない。どころか、婚約を迫られるなか一縷に希望を胸に抱いて努力を続ける日々を送らなければならない。
しかしひとたび『神定遊戯』が始まれば、己はその時『王像の王』を持つ人間を殺して回らなければならない……自分にその力が巡ってくるまで。
「『神定遊戯』が始まらなければ?」
「夢を諦めるか、己ひとりの小さな理想郷を築くしかなかろう。」
黙り込む。どう考えても、絶望しかない。たった一縷の希望に縋り、環境が変わるまで待つ貴族どもと同じ生き方を、選び取るしかないかもしれない。
「承知した。その手で行こう。だが……。」
それだけで、妥協してやる気はなかった。己ひとりの小さな理想郷、それは『神定遊戯』が始まらないと嘆く前でも作りあげられる。
「農地の開拓、盗賊たちの鎮静化。それは、俺一人でも出来るな?」
「さすが。それでこそ、公女殿下だ。」
男は、笑った。心の底からの敬意を乗せて、パーシウス=アルス=ペガサスは告げた。
「なら、『神定遊戯』に拠らない農地収穫量の向上技術を贈呈しよう、エルフィール様。私が治める地アルゴスでは、あなたの理想郷の食糧他産物の取引を積極的に執り行うことを約束しよう。……あなたの覇道を、見せてもらおう。」
「ああ、見せてやるさ。」
エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシア、当時15歳。彼女は自ら、血に彩られた未来を選び取る。




