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不足

 引っかかるものがあって、目が覚めた。

 飛び起きてから、その正体が殺気であると言葉になった。

 しかし、薄い。自分に向けて叩きつけられる殺気ではない。村全体に叩きつけられる殺意だ。

 槍をもって、飛び出そうとして踏みとどまる。公女は自分の身体を見下ろした。

「……流石にこれで出るのは拙いか。」

肌着に一枚薄着をかぶせただけの姿で戦場に赴くわけにもいかない。鎧などは持ってきていないにしても、流石に槍を持って暴れまわるのだ。子女としては致命的だろう。


 袴をはいて中衣を纏い、帯を締めて腰丈の衣をひっかぶる。この間、約1分。殺意が大きくなってきている。

 近づいてきているが、すぐではない。足音を殺し、息を潜めて宿代わりの家を飛び出す。

「起きろ、ゴーヴェン、ディラッセン、エーミール、グラウツ。盗賊がここに向かってきている。村長を起こし、食糧庫に避難させろ。」

「はい?」

「村人を起こせ!盗賊だ!」

「は!」

もそもそとゆっくり起きようとした部下たちを叱咤し叩き起こす。まさか宿をいただいたその日に盗賊の襲撃があるとは思わなかった。


 通りすがりに何人かの村人を起こして合図する。ただ、村の者たちは家から出ようとはしなかった。

「なぜだ?」

「外に出れば襲われますが、盗賊の狙いは食糧です。食糧庫を襲い、自分たちが持てる限りの食糧を得れば、勝手に還ります。外に出て戦おうとする者から死んでいくのに、なぜ家から出ねばならないのですか?」

エルフィールは歯噛みした。なんと情けない話だと思った。努力もしない他者から食糧を盗まれることに対し、抵抗する意思がない。


 だが、幾度となく襲撃を受けたことで得た経験則なのは伝わってくる。捕食者に己の命を預けるような愚行だが、公女は村人たちの主張を否定するだけの言葉を持たなかった。

 戦いたいなら勝手に戦え、そう言わんばかりの諦念に、腹立たしくも立ち上がる。

「食糧庫はどこだ?」

「村の一番北側ですけど……。」

「わかった。」

大人しく守られる気も、共に戦う気概もないなら、そこで大人しく襲撃が去るのを待っていればいいと切り捨てる。


 だが、彼女はここに宿を決めた。食糧を守るくらいはしなければ、宿を借りた恩には足りないだろう。

 ……そんなわけがない。彼女は宿泊代に身の引き締まった鹿を二頭も渡した時点で、宿代は鹿肉との売買である。恩など存在しない。ゴーヴェンが寝起きでなければ、はっきりとそういってエルフィに村を出ることを進言しただろう。

 エルフィの想いはただ一つである。村を救う。いや、世の中を救う。

 村が襲われているのなら、助ける。そのために、彼女はその武を磨いてきたのだから。



 

 ひたすらに食糧庫に向けて駆けてくる一団が、見えた。微かな月明かりの下では、正確な数を見積もることは難しい。しかし、100は下らないだろうというのは気配で感じ取れた。

「入り口は……ここだけか。」

食糧庫の周りを巡り、扉の位置を確認する。一ヵ所だけなら、襲撃を防ぐのはそう難しくはないと考える。

「来い。」

興奮していた。目標である、世を救うための戦いが出来る事に。それがどういう結果になるのか、知りもせずに。

「私は、ようやく戦えるのだ。」

ただただ、槍を構えていた。




 ヒトカク・ソウカク山の盗賊たちの首領・ブディスは、じっと状況を観察していた。

 いつもと違って、食糧を得るのに時間がかかっている。最近の村人は自分たちが襲撃をかけると家に引き籠り、災厄が過ぎゆくのを待つというのが主流だったはずだ。


 それが、思わぬ抵抗がある。何十人も死に、実害を受け続けてきた農民たちに、そこまでの気概は残っていないだろう。

 軍が来ているとは聞いていない。ブディスもよく知らない傭兵が最近こっちをうろついているとは聞いていたが、聞いている傭兵は万を優に超えるような大軍を率いているはずである。そんな様子には見えないし感じない。


 まあ、邪魔するなら同じだろう。死ぬまで戦えばいい。とにかく、奪って奪って奪いつくす。その為の邪魔は排除すればいい。

「まだか、さっさとしろ!」

部下どもをけしかける。食糧を得られればいいのだ。別に人の命など要らない。奪う価値もない。


 だが……どうも、雲行きが怪しいなかもしれない、とブディスは目を細めた。



 何人、斬り殺しただろうか。周囲に屍の山が出来ている。

 公女は人殺しに慣れてはいないが、躊躇するほど覚悟が足りない者でもない。

 とはいえ、充満する血の匂いにクラクラする程度には戦場経験が足りない。とはいえ、盗賊たちが恐れおののいて足を竦ませる程度には無双の働きをしていた。

「来ないならさっさと去れ!この食糧は渡さん!」

叫びながら一歩踏み出す公女の姿は、戦女神と呼ぶには幼いものの、見るものを圧倒するだけの威があった。

 ジリ、と全賊が一歩下がる。ああ、このままならあっさり守り切れそうだ、と公女は安堵の息を吐いた。もちろん、気付かれないようにだが。


 しかし、その安堵はあまりにも早すぎた。エルフィは村長から話を聞いて、ブディスについて「相当出来る」と一度は考えたのである。その考えを、捨て去るべきではなかったのだ。

「てめぇら!もういい!手ごろな食糧から奪え!」

「応!」

首領の叫びに賊どもが蜘蛛を散らすように食糧庫から離れていく。何が、と思って目を剥いた公女は……その先で、食糧庫ではない家の扉を雑に叩き開ける者の姿を見た。

「やめろ!」

エルフィが叫びつつ、駆ける。首領の狙いは、食糧庫から離れた。しかし、彼らの狙いは最初から食糧だ。


 一番欲しいものがある場所に、近づけないならばどうするか。簡単だ。少々面倒くさくても、盗れる場所から盗ればいい。

 エルフィールが手ごろな盗賊を何人も屠る。同時に、公女が食糧庫から離れた瞬間、食糧庫に向けて盗賊どもが殺到し、慌てて取り戻すために引きかえす。

 彼女は、盗賊どもを見誤った。もう10年近く盗賊をやっている者たちの経験則を、侮りすぎた。

「シィ!」

5年前、エルフィールは盗賊に襲われている村をギュシアールに救わせた。あの頃と、全然違うことに愕然とする。

 統率がある。ギュシアールがルウ=エトラス騎士爵領で盗賊どもを完封してのけたのは、盗賊どもに纏まりがないからだった。それが、纏まって、襲い掛かるように蹂躙を繰り返している。


 ギュシアールと比べて、エルフィールの腕が二段ほど落ちるのもまた問題だった。盗賊を殺して、探して、移動するまでの間に多くの家が襲撃を受ける。

 人の数も大きく違った。せいぜいが100名だった騎士爵領時とは異なり、ヒトカク・ソウカク山の盗賊は少なく見積もっても200を超える。既に100を超える数、エルフィールが殺したにもかかわらず、である。

 無力感に打ちひしがれながら槍を振り、盗賊を一人でも多く屠る。チラリと視界の端に、死んだ農夫の姿が映った。だから避難しろと、という怒りもまた彼女の胸を掻き乱す。

「やれ、野郎ども。」

どこからともなく聞こえた声。盗賊の首領とは異なる、どこかに人を率いる力を感じさせる力強い声。荒くれ者のボスではなく、規律で縛られた軍隊の将校のような声。


 それが聞こえた瞬間、流れが大きく変わった。

 多くの兵士たちが盗賊たちを蹴り飛ばし、剣で刺し、槍で突く。たった一人で戦っていたエルフィールと比べ、多人数による蹂躙劇が発生する。

「よう、お嬢さん。あんた、バカだなぁ。」

「なんだと?」

全体に号令をかけていた男が、近づいてきて公女を見下ろす。あん?とでも言うようにエルフィは睨み据えた。

 若い男だった。額に大きな傷を持つ男だった。あれほどの傷が残るような怪我であれば、ともすれば頭蓋が割れていたかもしれないほどの巨傷だった。


 それだけ生命力が溢れているのか、それとも腕のいい医者がいたのか。明らかに体格も力も上の相手に、平然と公女は食ってかかる。

 その胆力自体には感心しつつ、しかし考えなしの公女の言葉に男は軽く笑んだ。

「盗賊の狙いは食糧だ。楽して食糧を得ることが望みなんだ。だったらよお、食糧庫を開けて素直に融通してやる方が、農夫どもにとっては楽だっただろうよ?」

「ふざけるな!自分たちのものをただただ持っていかれる方が楽だって!誇りも何もないのか!」

「誇りで命が買えるなら、奴らも抵抗しただろうさ。ただなあ、盗賊どもは食糧を根こそぎ奪ったりはしねぇ。楽に奪いたいなら、奪うために溜め込む奴らが必要だから、死なねぇ程度には奴らも飯を残していく。お前が奮戦したせいで、奴らは死んだ。」

男が家の中で壺に手をかけて息絶える女を指さす。目の前で奪われることには反射的に抵抗してしまったのだろう。ゆえに殺されたのだ、と明言されれば、エルフィールは納得できずともするしかない。


「だから、お嬢さんは馬鹿なのさ。何もしなければ死なない命がたくさんあった。後先考えない正義感で、大勢死んだ。」

「……俺が、もっと、強ければ。」

食糧を奪おうと思えないほどに絶対的であれば。あるいは、その場にいる全村人たちを守り通せるだけの強さがあれば。言葉に出来ない呻きが、エルフィールの心を支配する。

「お前が強かったところでどうしようもねぇよ。見ろ、お前ひとりで戦ったから、あいつらは死んだんだぜ?」

「出来るはずなんだ。出来る男がいたんだ。俺に出来ないはずがない!」

少女の叫びに、男は何を言うのかとばかりに目を向けた。

「何言ってるんだお前。」

いや、実際に口にした。そんな無理難題を、出来なきゃならないとばかりに叫ぶ女に目を細めて。

「そりゃ、出来るのはギュシアール=ネプナスくらいだろうよ。」

「出来る奴がいるなら、それは他にも再現できることだろ。」


 なるほど、少女の基準がそれなら、彼女の嘆きも多少は理解できると男は思う。だが、その基準は綺麗に壊しておかなければなるまいな、と男は考えた。

「100キロを超える武具を片手で振るい、戦いながら一キロを二分で駆け抜け、そんな状態を二時間続けても息を切らさぬ人外を基準にするな。アレは人間ではない。人の姿をした化物だ。」

ついでに言えば、その視界は空から見ているのかというほどに広く、行動の取捨選択は脊髄でものを考えているのかと思わせるほどに早いのだとも付け加える。

「そりゃ、あいつなら村人を守りながら盗賊を半壊せしめることくらいは出来るだろうよ。だが、この数を相手にすりゃ、いくらギュシアールでも10人くらいは取りこぼすだろう。あいつを基準に物事を決めるな。今回は一人で戦ったお前が悪い。」

「……。」

どう見ても10歳を過ぎた程度の少女にその現実は重すぎただろうか、と男は眺める。が、その考えは安直だった。少なくとも、少女はすぐに建て直した。


「なら、教えてくれ。盗賊たちから農民を救うためには、俺はどうすればいい?どうやったら、命を落とさせずにいられる?」

「……黙って見過ごせ、という意味では無くだな?」

親切にも男は聞いてやった。その問いに、少女は力強い目でこくりと頷く。

 男は、少女の持つ槍に目をやった。どれだけの人を殺したのか、滴り落ちる血と、柄の途中まで伸びる赤。農民たちを救いたい、無辜の民を守りたいのは事実なのだと直感する。


 男にとって、それはとても眩しい願望だった。美しい願望だった。どこまでも子供のような願いだった。

 世界を救う方法など、男にはわからない。だが、彼女が命を掬い上げる方法であれば、男は知っていた。

「一人で戦うな。見ろ、俺の傭兵団を!」

指さし示す先。農夫を守る男がいた。盗賊を殺す男がいた。逃げ道を塞ぐ男がいた。折れた剣を新しいものに変えてやっている男がいた。


 それはまさしく、軍勢であった。数百の盗賊を相手に、村人たちを守り、助け、戦う軍勢だった。

「一人でやるから、たくさんのものを取りこぼす。大勢でやれば、取りこぼすものは少なくて済む。上手くやれるなら、何一つ取りこぼさずにいられるかもしれない。」

流石に何一つ取りこぼさないのは無理もいいところなのだが、10の少女の夢を壊してまで突きつける現実ではないだろう。そう判断できるだけのやさしさは、男も持っていた。

「俺の息子も、世界一の武人になると息巻いて、最近頑張っているんだが。でも、息子が上達するためには、武の心得を教えてくれる師がいて、切磋琢磨する友が必要だ。同じなんだぜ。人は、一人で出来る事は少ねぇ。」

なるほど、と納得して少女は周囲を見回した。

「ほら、アレはお前さんの仲間か?一人じゃねぇみてぇじゃねえか、お前も。」

男が指さす先には、村長宅に集った避難民を守ろうとする四人のエルフィールの付き人がいる。その傍には五頭分の馬やエルフィールの荷物が置かれていて、守り通していたのだとはっきりとわかる。……あれだけの数を相手にして。

「ほら、行ってこい。ここは俺たち『百芸傭兵団』が請け負ってやる。お前はお前のやりたいことをやりな。」

なるほど、武芸だけでは足りないのだと公女は学んだ。必要なのは、武だけではない。軍もだ。


 世界を救いたいと願うのであれば、自分一人では足りないのだ。自分についてくる者たちがたくさん必要で、彼らを指揮する実力もまた必要なのだ。

「ゴーヴェン、帰るぞ!軍学の勉強をする!」

次にやることを決めた公女は、男に手を振って歩き出す。


 自分の不足を、嫌というほど実感した日であった。

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