身長48メートルのドジっ子少女のある日の通学風景
「今日のテスト嫌だなぁ」
中学生の月乃がぼんやりと呟いた。学校までの道のりはたった3分ほど。別に学校まで近くに住んでいるわけじゃないけれど、身長48メートルの月乃の歩幅は一歩で30メートルほど進むため、短い時間で着くのだ。
腰まで伸びたサラサラとした綺麗な黒髪を靡かせながら、スラリと長い足を進めていく。悪い子ではないのだけれど、よくぼんやりしてしまっていて、基本的に周りを気にせず歩いていくから、周りの人たちはみんな月乃が近づくと、慌てて道の端に逃げていくのだった。車も基本的には月乃の通学時間には、この周囲には走らないようにしている。けれど、たまに月乃の通学のことを知らない、この辺の土地に住んでいない人が、月乃の通学路に誤って車を走らせてしまうこともあるのだ。
のんびりと歩いている月乃の足元に大きなブレーキ音が鳴り、次の瞬間に、ドォン、とぶつかった音がする。
「あ……」
月乃にトラックがぶつかってきてしまっていた。月乃の方はまったくの無傷だけれど、ローファーにぶつかったトラックの方が大きく凹んでしまっている。月乃が慌ててその場にしゃがんで、おもちゃみたいなサイズのトラックを鷲掴みにした。
「大丈夫ですかぁ……?」
中を覗き込んでみると、運転手はエアバックに守られて、無事なようだった。とりあえず、ホッとしたけれど、運転手が怯えた顔で「た、たすけてくれ……」と懇願していた。運転手は一刻もはやく月乃から解放されたくてそんな言葉を発したのだけれど、月乃には違う意味で認識されてしまっていた。
「任せて」と頷いた月乃はそのまま片手でトラックを掴んだまま、移動を始めた。手にトラックを掴んだまま、元気に手を振って歩くから、トラックが遊園地のアトラクションみたいに前後に大きく揺れていた。トラックの中からは悲鳴が聞こえているが、月乃は気づいていない。あくまでも、本人はとっても優しいことをしていると思っていた。
「病院連れてってあげるから。怪我してないか、見てもらおうねぇ」
普段学校に行くのとは違う方向に歩き出した月乃の向かう先は大混乱が生じていた。月乃が予定外の動きをすると、たくさんの人が月乃に合わせて動き始める。月乃が歩く先の道路には慌てて警察が向かい、必死に誘導を始めていた。
「すいませーん、車から降りて、急いで道路端か、安全な建物内に避難してくださーい」
足元で拡声器が鳴り響いているのも気にせず、月乃が歩いていく。歩くたびに、乗り捨てられて無人になった車が月乃のローファーの下でスクラップになっていった。
けれど、月乃はそんな足元の大混乱には特に気を配ってはいなかった。
「なんか今日は歩きにくいな……」とのんびりと呟く。
途中で地面に車がたくさん乗り捨てられているのに気づいてから、地面に置かれた車を軽くローファーで小突いて歩きやすくしながら進んでいく。
「みんなこんなところに路上駐車して、迷惑だなぁ。これじゃ他の車が通れなくなっちゃうよ」
月乃が軽く蹴るだけで重たい自動車が簡単に飛ばされていく。道路の真ん中を開けるために、足元の車を蹴飛ばしてながら歩いていく。重たい自動車が、まるでスチール缶みたいに勢いよく転がっていく。その度に、転がる自動車の向かう先に逃げていた人たちが混乱しているのだけれど、月乃はそんなことには気づいていなかった。
そうやって月乃が意図しないうちに街を混乱させながら、病院へとたどり着いた。
「着いたから、怪我治してもらってね」
右手で掴んでいるトラックの運転手に独り言のように伝えて、とりあえず病院の前に凹んだトラックを置いてから、スマホの時計を見て、ハッとする。
「もうチャイムなっちゃうじゃん……」
病院に寄っている分だけ遅くなってしまい、月乃は慌てた。
「えっと……、こっちの道まっすぐ通るんで、間にいる人は気をつけてくださいねー」
月乃は普段使っている一般道路ではなく、民家やらスーパーマーケットやら、いろいろと立ち並ぶ道を指差して、学校への最短距離を指し示した。その経路上にいる人たちが大慌てで逃げだす。指定された通路上では人々が走り回って慌ただしくなっているのだけれど、月乃は気づかずに、普段以上に大きな一歩を、勢いよく踏み出す。
「しゅっぱーつ!」
一歩目で、さっそく道路上に置いてあった乗り捨てられた車をぺちゃんこにしてしまったけれど、月乃は気にせず走り出す。普通の人の27000倍の体重の月乃は、一歩踏み出すたびに人々が立っていられなくなるような振動を起こしていた。月乃がおもいっきり走ったせいで、脆くなっていた地面が陥没してしまったり、何棟かの住宅の屋根が蹴っ飛ばされてしまったり、信号機や道路標識がぺちゃんこになったりもしたし、古い窓に至っては、触れてもいないのに割れるものまで出てきている。
学校までの道のりはきちんと道に沿うと通常サイズの人たちなら30分ほどかかりそうだけど、人々の30倍の歩幅で建物を気にせず進んでいける月乃は、一気に学校まであと100メートルくらいの距離までやってくる。あとほんの3歩ほどである。けれど、もう少しというところで、右足が歩道橋に引っかかってしまった。
「わっ!?」と声を出して、そのまま前方に倒れ込んでしまった。前方48メートルにある建物のほとんど月乃の体で潰れてしまった。けれど、避難を促しておいたおかげで、月乃に慣れているこの近辺の人々はスムーズに避難できたから、人的被害はなんとかゼロで済んだのだった。
「とりあえず、とうちゃーく!」
横に倒れ込みながら、右手だけを伸ばして、すでに閉められている正門の上から手を入れて、運動場に手のひらを下ろした。なんだか、寝起きに目覚まし時計を止めているみたいなポーズになってしまっている。
「セーフですよね?」
うつ伏せになったまま、正門の前で月乃の顔を見ている生活指導の先生に尋ねた。
「ちゃんと全身入れないとアウトだ」
「右手が入ったんで、セーフにしてくださいよ……」
月乃が思いっきり頬を膨らませた。
「それを許したらお前これから通学のたびに寝転がって腕伸ばして街を壊しまくるからダメだ」
生活指導の先生の言葉を聞いて、月乃は思いっきり頬にためていた空気を吐き出して、先生を吹き飛ばしてしまった。
「ケチ!」
運動場にはしばらくの間、月乃が朝に使った歯磨き粉のミントの味が残っていたのだった。