7.最良の解決策
それは、二度目の融資の返済期限の日。
王宮の大広間には、近衛だけでなく、軍を統べる将軍とその兵士たちの姿があった。
「こ、これはどういうことだ!」
国王が、いや、ふくふくとした体格の、壮年の男が声を上げた。
「こ、この手を離しなさい! 無礼者!」
王妃、もとい、若づくりに余念のない、豪華なドレスに身を包んだご婦人が叫んだ。
「何をしているのだ、将軍! 王族に剣を向けるなど! 正気の沙汰ではないぞ!?」
王太子、ではなくなった、まだ若い、怖いもの知らずな表情の男性が大声で怒鳴った。
それをエスメラルダは玉座の上から見下ろしていた。
頭には王冠をのせ、手には王笏を持って。
その一段下には、彼女の父母と、ソルドラーク、そしてダドリー商会の幹部たちが居並んでいる。
「貴様ら!! なんの真似だ! こんな事をして、ただで済むと思うなよ!」
「無礼者!!」
将軍が一喝すると、広間の隅に追いやられた三人が、びくりと肩を震わせた。
「さて、お三方とも、事情がお分かりでないようだ。ご説明差し上げよう。本来はこんな事をする必要もないはずだが」
進み出たダドリー商会の会計主任であるソルドラークが、堂々とした様子で言った。
「旧王家、及びダドリー商会、両名によって交わされた契約に基づき、本日をもって王権は、ダドリー男爵家が嫡子エスメラルダに委譲された」
「え」
「は?」
「な……」
もう何者でもなくなった三人は、呆然と玉座のエスメラルダを見やった。
そして、その姿に愕然とする。
その時に彼らはようやく、王冠を被り、王笏を持ったエスメラルダに気づいたようだった。
……私、ずっとここに、こうしておりましたわよ? そんなに存在感がないのかしら。
それにしても、王冠は重いし、王笏も持ち辛いわ。肘おきにさりげなく立て掛けているけれど。あ、膝に置こうかしら。
「そんな馬鹿な事があるか!」
若い男が怒鳴るのはとても耳障りだわ。前から嫌でしたの。相手のお立場を考えて口には出しませんでしたけれど。
「こちらが証拠です。契約を更新する際に、一度目の契約では担保から除外されていた、王冠と王笏を含む、金庫の中の全ての物がエスメラルダ様、つまりはダドリー男爵家の唯一の嫡子であられる方に譲り渡されることになるとの記載がございます。
王冠と王笏、それは王権の象徴。それを手放されたのです。
知らないで済ませられることではありませんよ。ここにきちんと、旧王家の最後の国王となった、そこの御仁のサインがございますから」
「父上! なんという事を! きちんと確認もしなかったのですか!?」
「そ、そんな事を言われても……。いつも大臣たちがきちんとしてくれていたんだ」
「大臣など、もう一人も居ないではありませんか!」
と、そこで、元王太子は、何かに気づいたように広間中を見渡した。
「なぜ、近衛も、将軍も、そちら側にいるのだ。王を守るべき者たちが、裏切ったのか!」
そこで将軍が一歩進み出て、律儀にエスメラルダに発言の許可を求めてきた。
あ、どうぞ。好きなだけお話し下さってよろしくてよ。
「旧王家は、財政が傾きだすと、我ら軍人や、王宮の使用人たちの待遇を顧みなくなった。食事の量も、給金も減らされて、逃げ出す者も少なくはなかった。
にもかかわらず、自分たちは客人らとの遊興に湯水のように金を使う。我らはひもじい思いをしながらも、王族や客人の警護に駆り出され、地方反乱が起これば鎮圧しに行く。
食料も、軍事物資も、何もかもが不足する中でだ! 思い当たる事があるはずだ! 軍は基本的に王太子が、いや、元王太子が大元帥と名乗り始め、支配下に置いていたのだから!」
元王太子は、鼻白んで押し黙った。思い当たる節がありすぎたのだろう。
静かになったところで、再びソルドラークが話し出した。
「このように、非常に苦しい思いをされていた王宮の使用人方や、軍の方々に、ご自身の私財を投げ打って、この一年間援助をされてきたのが、本日新たに女王となられたエスメラルダ様です」
「そ、そんなに大変だと知っていたら、私だって……」
「失礼ながら、元王太子殿下は、そのような潤沢な資金をお持ちではなかったでしょう。
調べましたが、所有していた領地からの税収のほとんどが、領地経営を任せきりにしていた代官に横領されており、手元に入る金銭はたかが知れていたはずですから」
「なっ……」
しばし黙っていた元王太子は、よほど追い詰められたのか、顔を引き攣らせて「いい事を思いついたぞ!」と叫び出した。
「そうだ! そなた、エスメラルダと言ったな、そなたと結婚してやる! そうしたら、私が国王だ!」
あ……。この人、けっこうキてらっしゃる。将軍に目配せして、兵士で取り囲んでもらった。
ふぅ。これで安心ですわね。
「あの、お言葉ですけれど、私、すでに結婚しておりますのよ」
「な、なんだと!? だが、私のような血統正しき王子と比べれば、どんな男でも……」
「申し訳ありませんが、妻は渡せません。ただでさえ、好いた相手を三年間も奪われて、あなた方には言いたい事が山ほどあるのですよ」
そう、凛とした声を出したのは、もちろん、私の最愛の夫である、ソルドラーク。私のソルですわ。あんな怒鳴ってばかりの男性とは比べ物にならないほど素敵な人。
今は少し、目が怖い気がするけれど。
「お、お前が……」
元王太子は、なんだか落ち着いてくださったみたい。良かったわ。
と、思っていたら、今度は女性の金切り声が。
「大丈夫! 大丈夫ですわ! ここは祝福された国!! あのような偽物の聖女ではなく、本物の聖女が今に現れ、私たちをこの苦境から……!」
元王妃は、芝居のように両手を上に掲げている。
あ、こちらも相当……。あ、ありがとう、将軍。取り囲んでくださって。
「あの、その件なのですけれど。この国にかかっていた術は、すでに解かれておりますの。もう新たな聖女など生まれてこないそうですわ」
「ひっ!? な、なぜそんなことに!?」
「大変申し上げにくいのですけれど、旧王朝の初代から三代までの国王は、大変優秀であられ、この島国はとても豊かだったそうですの」
これは、担保の目録を作る時に王宮の書庫に積まれた蔵書の中から見つけた、初期の王族たちに関する手記にあった事だ。
しかし、そのせいで妬まれ、知らぬ間に島国全体に術をかけられてしまった。
これは、私のおでこから聖女の印を消してくださった方が教えてくださった事。その方のご先祖様が術をかけた本人だったから。
「まさに、大国も凌ぐほどの発展ぶりで、それを妬んだ大国の王がかけさせた術が、聖女を生み出していたそうです」
「祝福の、最初の聖女が、大国の……? 妬んでいたのになぜ……」
「ええ、ですから、祝福ではなく、呪いだったのです。
始めの頃は良かったのでしょう。聖女には力があり、本当に願いを聞き届ける力を持っていたそうですから。
でも、だんだんと、人々は聖女から全てを与えられるのが当然と考えるようになり、自分で工夫したり、情熱を持って何かに打ち込む事をやめてしまったのです。
そう、まさに、聖女がいるからと、数々の問題を放置し、この国を貧しくしてしまった、あなた方のように」
エスメラルダは、少し複雑な気持ちで言った。
「それに、皆様見て見ぬ振りをされていらっしゃいましたが、私には大層な力はございませんでした。人々を救えるような強い力は……。
これは、術の力が長い時を経て弱まり、解けかけていたせいだったそうです」
「そ、そんな……」
元王妃は崩れ落ちた。
元国王も、元王太子も、呆けた顔で座り込んでいる。
「あなた方がすがるのは、その呪われた王国です。私は新たに、本当に豊かな国を築いていきたいと思っておりますのよ」
あ、肩が凝ってきたわ。早く終わらないかしら。
「連れて行け!」
全てが終わったと、居並ぶ人々の様子から察した将軍が、三人をどこかに連れて行ってくれた。
地下牢かしら。あの様子だと、きちんと閉じ込めて置ける場所の方が安全ね。
もちろん、あの方達の余生には気を配るつもり。あまり血生臭いお話は好きではないから。
「やあ、見事だったよ、エスメラルダ! いや、女王陛下」
芝居がかった仕草で、お父様が大きくお辞儀をして見せた。
「本当に素敵だわ。エスメラルダ。でも、それ、とっても重そう」
「そうなのよ、お母様。もう外しても良いわよね。ああ。肩が凝ってしまったわ」
将軍が近づいてきて、エスメラルダの前で、うやうやしく片膝をついた。
「女王陛下。我が軍は、改めて陛下に心よりの忠誠を誓いますこと、皆を代表して申し上げます」
「ありがとう。将軍。これからもよろしくね」
将軍は「もったいなき御言葉」と感激をしたように言うと、下がって行った。
そう言えば、この王朝は、なんと言う呼称にしたら良いのかしら。
お父様に相談したら、「ダドリー」の名は使わないでくれ、と言われてしまったわ。表に出過ぎても良くないからと。それには賛成ですけれど。
「では、リュドガー朝となるのかしら」
私は、ソルドラーク・リュドガーと結婚してから、エスメラルダ・リュドガーと名乗っているし。
「えっ。うちは、しがない男爵家だけど」
ソルが、私を抱き寄せながら、困ったように眉を下げた。でも、それくらいしか候補がないのよ、ごめんなさい。
「そうそう! 吟遊詩人達に、今回の事の顛末を歌にさせて、すぐにでも国中に広めなければね。劇場も押さえてあるから、早く劇を作らせよう」
「でも、お父様。借金の形に国を奪ったなんて劇、全くロマンチックじゃありませんわよ」
「まさか! そんなつまらなそうな劇は私も見たくないよ、エスメラルダ。
私はね、『真実の聖女』という題目を考えているんだよ」
それは、ちょっと盛りすぎだと思うけれど、お父様はお母様とすでに大盛り上がりだ。
まあ、この事はお任せしましょう。私よりも、よほど上手くおやりになるでしょうから。
それにしても、今回の件は何から何までお父様の手のひらの上でしたわ。親子とはいえ、気をつけなければいけない相手ですわね。
「エスメラルダ。疲れたかい?」
「大丈夫よ、ソル。あ、あなたにはダドリー商会を退職して、大臣になってもらわなければならないの」
「本当は、そんな器ではないと断りたいところだけど、仕方がないね。大臣は全員、会頭に懐柔されて、他国でお楽しみ中だから」
あら、それは知らなかったわ。どうせ、そんな事だろうと思っていたけれど。
でも、国の大事を放置する方達には、何も任せられないから、ちょうど良いわね。
「さあ、エスメラルダ。劇のことはだいたい決まってしまったよ」
「私たち夫婦、シナリオを作る才能があったみたいなのよ」
エスメラルダは、両親に微笑みかけた。
しばらくは他のことにお金をかけなければいけないから、戴冠式は行わないけれど、どこかで国民たちにこの国が新たに生まれ変わった事を知らしめなければいけないわね、などと考えながら。
そうしてエスメラルダは、夫と手を取り合って、より良い国を作るべく、決意を固めたのだった。
……あら?
それって、国のための祈りに生涯を捧げた聖女たちと何が違うのかしら……。
作成中の劇の台詞を口ずさみながら踊る、はしゃぎ過ぎの両親を見ながら、エスメラルダはしばし黙り込んだのだった。
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