1.平穏な生活は壊さないでいただきたい
エスメラルダは、かつて聖女と呼ばれていた。
彼女は豊穣を始めとして、さまざまな祈りを捧げる日々を送っていた。
しかし、それはエスメラルダの望んだことではなかった。
ある日突然、おでこに光り輝く紋様が現れたのだ。それは聖女の印として知られるものだった。泣く泣く彼女は王宮へ名乗り出たのだが……。
一年ほどは、様子を見つつ真面目に聖女としての務めを果たしていた彼女だったが、あまりにも、何もかも、この国はダメダメだった。
その有り様に絶望したエスメラルダは聖女の祈りを放棄して、好き放題の生活を送った。そして、そんな生活が二年も続いたとき、聖女を解任されたのだ。
エスメラルダは、もちろん大喜びで実家に帰った。ただし、光り輝くおでこと共に。
困ったことに、そんなおでこでは、とてもではないが人目につく場所に出ることは出来ない。誰が見ても、聖女だとすぐに分かってしまうからだ。
そこで、海外と広く交易を行う父が、この国にかけられた術、つまりは聖女の印を消すことのできる、術者の女性を連れてきてくれた。その方のご先祖様が、遠い昔にこの国に術をかけたのだと言う。そのため、その方は術を解く方法を知っていた。
かくして、エスメラルダは、無事に光るおでこから解放されたのだった。
「お父様、以前に却下された企画書の手直しを致しましたの。王都の幅広い年齢層の女性に関心を持っていただけること、請け合いですわ」
「化粧水ねぇ。やはり、競合相手が多いからね……。ん? なになに? 『赤ちゃんのようなウルウルぷるすべ肌に』?」
「はい。以前試作品を作った際には、その性能ばかりを謳った販売企画書をお出ししました。
それはそれは効果のある、素晴らしい品質の商品だったのですが、それだけでは新規参入は難しいとお父様はおっしゃいましたでしょう? ですから、ついつい手に取りたくなってしまうような売り文句を考えましたの。
あ、品質は以前のままです。ですので、新たな開発費はかかりませんわ」
お父様は、うーむと考え込んで、「一度やってみるか」とその企画書を通してくれた。
エスメラルダは喜び勇んで、企画書の売り文句を文字に起こした説明書きの印刷と、文字が読めない人のために売り文句を店頭で唱える口上人を手配しなければ、と考えた。
そして、そうやって自分で動き回れることに喜びを感じる。
エスメラルダは、今では聖女になる前と同じように、街の中を歩くことが出来る。
聖女を輩出した家門が公にされることは無いという決まりのおかげで、彼女の実家がダドリー男爵家、つまりダドリー商会だとは知られていないからだ。
もっと正確に言うと、名乗り出る時には実家と縁を切って国に身を捧げるのが聖女の習わしだった。それを知っていたエスメラルダは王宮でも神殿でも家名は名乗らなかったし、聞かれることもなかった。
それは大昔のこと、聖女の実家が王家に取り入り、大変な事になったから出来た決まりだと言われている。
そして、実際に彼女が聖女となって、その時の顛末が書かれたマル秘文書を読める立場になり、それが国を覆しかねない大騒動だったことを知った。
当時の国王が聖女の実家を武力でもって取り潰さなければ、今頃は王朝が変わっていただろう。実に血生臭い話だった。
まあ、そんなことはどうでもいいことだとエスメラルダは思っていた。もう彼女は聖女ではなかったし、思うように、幸せに生きるのだと決めていたから。
そう。そのはずだった。
「なんだこれは!?」
「まあ! そんな、まさか……またエスメラルダが!?」
エスメラルダは、両親の悲痛な叫び声を聞いて、慌てて居間にかけつけた。
「どうなさいましたの!?」
「ああ、エスメラルダ……。大変なのよ。王宮から呼び出しが」
エスメラルダは、不思議に思いながら、両親が掲げる書簡を受け取った。
ああ、やっぱり。
「お父様もお母様も落ち着いてくださいませ。これはダドリー商会宛に届いたものではございませんか。第一、王宮に私の生家を知る者は居ないのです」
エスメラルダは、実家へ戻る時も、朝焼けの時間を狙って、光が漏れてしまうおでこを隠しながら歩いて帰ってきた。
後をつけられていた可能性は捨て切れないが、その点にも十分に配慮して、周り道や、細い路地を何度も通った。もう用済みの元聖女に関心を払うような人はいなかったと思うけれど。
書簡の中身は、普段からこの国に多大なる貢献をしているダドリー商会の会頭を是非とも王宮に迎え礼がしたい、といったものだった。
もしかしたら、子爵家や伯爵家への陞爵のお話かもしれないと彼女は思った。
「ああ、なんだ。心配してしまったよ」
「もう、お父様ったら、しっかり宛名を確認してくださいませ」
父と娘は、肘をつつき合いながら笑った。
しかし、そこで一人首を傾げていた母が言った。
「どちらにしても、王宮からの呼び出しなんて、面倒事ではございませんの」
「陞爵のお話ならば、商会にとっても悪いお話ではないのではございませんか? お母様」
「えっ、嫌だわ私。社交が増えるなんて耐えられませんもの」
「まあまあ、おまえが嫌だと言うのなら、断ればいいだけの話だから」
……お父様、そんな簡単にお断り出来ることですの? と言う言葉を、彼女は安心した顔で笑い合っている両親には言えなかった。
こうして、エスメラルダは再び王家との繋がりを持つこととなった。
今度は、聖女としてではなく、今やこの国を牛耳るとも言われる、ダドリー商会の会頭の娘として。
つづく……
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