7.侯爵令嬢の失恋
コンコン。
フィリアの部屋の扉が、ノックされた。くぐもった執事の声が言う。
「お嬢様、宰相様の奥方が、お嬢様にお会いしたいとお越しになっておられます」
窓際にいたフィリアは、思わず顔を扉の方に向けた。
宰相の奥方と言えば、方々回って、年頃の女たちに政略結婚を受け入れるよう勧めていると聞いた。お父様が呼んだのね!!酷い!!
「約束した覚えは無いわ!帰って頂いて!」
「フィリア」
父の声だった。
「宰相の奥方を簡単には追い返せない。頼むから、会うだけ会ってくれないか?」
フィリアは、拒めなかった。
フィリアが応接室に入ると、夫人は、部屋の奥の窓際に一人佇んでいた。フィリアに気付き、振り向いて、穏やかに微笑む。
「初めてお目に掛かります。宰相の妻のヴェルエラと申します」
フィリアは、戸惑った。父よりも影響力の大きい宰相の奥方が、こんなに謙って来るとは想像していなかった。
「フィリアと申します」
フィリアは、応えた。
「私に、どの様な御用でしょうか」
ヴェルエラは、微笑んで、窓の外を見た。
「あちらにおられる方、とても素敵な方ですね」
フィリアは、どきりとした。
「誰の事を仰っておられるのですか?」
フィリアの声は、震えていた。
ヴェルエラは、何事もないように、振り返って微笑む。
「こちらに来て、ご覧になって。良く見えますよ」
フィリアは、話を合わせる為、窓辺に近寄る。
庭を見た。
父と、散歩をしているエレオがいた。二人で何の話をしているのか。引き締まった顔をしているかと思えば、ふいに小さく笑みを浮かべた。
フィリアは、胸をときめかせた。ああ、エレオ。
「ね、素敵な方」
ヴェルエラが、言った。
フィリアは、頬を赤らめたまま、自分の気持ちを誤魔化そうとする。
「あ、あの方は、設計士の方で・・」
「ああ、侯爵様が仰っていた方ですね。あの方が」
「え?・・ええ」お父様が、そういう話をされたのね・・
「結婚に備えて、改築を考えられたとかで」
「え?え、ええ・・」エレオが雇われたのは、そういうことなの・・
「でも、エレオ様、ここでのお仕事は、辞退されるとか」
「えっ?」
フィリアは、驚く。何も聞いていない。
「カイレン王国に招聘されたとかで、国王の命令で、あちらに行かねばならないそうです。いつ帰って来れるか分からないそうで・・」
「えっ!!?」
フィリアは、思わず大声を出した。
「そんな!それは本当ですか?!」
ヴェルエラは、何も気付いていない様に答える。
「侯爵様が、そう仰っておられましたよ」
フィリアは、目の前が、真っ暗になった。よろよろと、足元がふらつく。
「フィリア様」
ヴェルエラが、支えた。
「大丈夫ですか?どうか、ソファに座られて、、」
ヴェルエラは、フィリアの身体を支え、ソファに座らせた。自分は、フィリアの隣に腰を下ろした。
ヴェルエラは、フィリアを見た。
フィリアは、混乱しているのか、小さく乱れた呼吸を繰り返していた。顔は強張り、目を開いて、虚空を見ていた。
ヴェルエラは、何も言わず、フィリアの背中をさすった。
フィリアは、ヴェルエラの体温を感じ、思わず涙ぐむ。無言で、ヴェルエラを見た。
フィリアの母は、既に他界していた。母の温かさを求め、フィリアは、ヴェルエラの胸にすがりついた。
「ヴェルエラ様・・」
ヴェルエラは、潤んだ目で、フィリアの背中に、腕を回す。
「どうしたのですか・・?」
静かな声だった。
フィリアは、言いたくて、言えなかった。
ああ。なんて愚かな私。
エレオと一緒になることを夢想していた。出来る訳ないのに。
「私・・」
フィリアの涙が、ヴェルエラの胸を濡らした。
「フィリア様、もしや、ご自身の婚姻の事で、不安になられてるのですか?」
ヴェルエラの問いに、フィリアは、答えなかった。
「御父上が、心配されておられますよ。それで私が呼ばれたのです」
フィリアは、顔を上げた。お父様が、私を心配して・・?
ヴェルエラの顔は、優しかった。
フィリアの涙は、止まった。
もう、どうにもならない。私には、他に道が無い。家の為に結婚するしかないんだ。
あの方は、遠くへ行ってしまうのだから。
ヴェルエラは、フィリアを見つめた。希望を失くしていると、思った。
「結婚は、、ようございますよ」
そっと、ヴェルエラが、言った。
「え?」
フィリアは、目を丸くする。
ヴェルエラは、フィリアの上半身を起こすと、彼女の乱れた前髪を掻き分けた。
「辛く苦しい時は、支え合って、二人で、乗り越える事が出来ます」
フィリアは、目を見開いた。
「喜びを二人で分かち合うのも、良いものです」
「ヴェルエラ様・・」
ヴェルエラは、フィリアの前髪を耳にかけた。
「困った事があれば、ご相談に乗りますよ」
「ヴェルエラ様」
フィリアは、顔を引き締めた。
「ご心配を頂き、ありがとうございます。私、婚約者と結婚致します」
ヴェルエラは、潤んだ目で微笑んだ。
「おめでとうございます」
そう、言った。