捨てる大聖女あれば拾う傭兵あり 03
「マイア様、どうなさいますか? アストラに亡命するか、イルダーナにこのまま残るか」
ルカから改めて二択を迫られ、マイアは即答できなかった。
「とりあえず半死半生の大怪我からまだ目覚めたばかりですし、今日のところはゆっくり考えて下さい。ただ、明日にはマイア様の体調を見つつではありますが、移動を始める予定です。今後月は痩せていく一方ですし、手持ちの食料が心もとないので」
そう告げると、ルカは今のマイアでも食べられそうな物を準備すると言って天幕を出て行った。
一人天幕の中に残されたマイアの手元には、血塗れになり胸元に穴の開いた純白の聖女の制服と自分の羽根筆がある。これは、今後を考える参考にして欲しいとの前置きと一緒にルカから渡されたものだ。
天幕でダラダラしている所をダグに呼び出されたのだ。マイアが唯一この状況下でも使えそうな持ち物は、常に肌身離さず持っていたこの羽根筆だけだったようだ。
刺されてから二日が経過しているというルカの話から計算すると、今の月齢は二十一だ。
この世界の月は三十日周期で満ち欠けする。
月が痩せるほど魔術師の戦闘能力が落ちる事を考えたら、確かに早めに移動をしてこのホットスポットを抜けなければいけない。
マイアはまずは自分の体を点検した。
服を捲って刺されたはずの左胸を確認すると、引き攣れるような傷痕が痕跡として残っていた。
体は少しふらつくけれど一応動く。ただ、体内の魔力は底を尽きかけていた。
聖女は自分に治癒魔術はかけられない。その代わりに備わっているのが極めて高い自己回復力だ。
恐らく魔力がごっそりと目減りしているのは、瀕死状態からの回復に魔力が費やされたせいだ。
もう一晩寝れば、たぶん普通に動けるようにはなると思う。だからまず考えるべきなのは、魔蟲の巣窟であるこのホットスポットを無事に出る事だ。
その後は……。
マイアは視線を手元の制服に落とした。
考えれば考えるほどアストラへの亡命しかない気がした。
だけど全面的にルカを信じてもいいものだろうか。
見た目は穏やかで優しそうだけど、彼が悪人ではない保証はどこにもないのだ。
助けてくれたのは確かだが、アストラ人というのはあくまでも自称で、それを裏付ける客観的な証拠はどこにもない。
どこかで豹変してマイアを襲ってきたらどうしよう。
襲われて純潔を散らされるくらいならまだいい。性奴隷として監禁されたり、悪い貴族や裏社会に売り飛ばされて治癒の魔力を搾り取られる可能性はあるかもしれない。
過去に聖女が誘拐されて、不幸な目にあったという事例はいくつか聞いた事がある。
マイアは深く大きなため息をつくと、ごろりと寝袋の上に横になった。
頭が痛くなってきた。きっと色々な事を考えすぎたせいだ。
(そもそも私、一人で街まで出られないんだわ)
その事に気付いて笑いが込み上げてきた。
ここはホットスポットのど真ん中だ。
ベースキャンプに戻る、森を出る、どちらにしてもルカの助けがなければ既にどうもならない状況になっている。
(よし、腹を括ろう)
ルカが見つけて助けてくれなかったら死んでいたかもしれない命だ。
助けた対価として貞操とかそれを超えるものを要求されたとしても、それはルカが受け取るべき正当な報酬だと思うことにする。
聖女の力に目覚めていなければ、下町で貧しい暮らしをしていたに違いないのだから、それを思えば大抵の事は耐えられる。
(いや、強制労働で色々治せって言われて魔力を搾り取られるのはともかく、汚いおじさん複数人に……とかはさすがにやだな……)
一対一ならまだ許容範囲……と考えたところでマイアはぶんぶんと頭を振った。
悪い事は考えない。気持ちが落ちるだけだ。
ルカが天幕内に戻ってきたのは、大きく深呼吸をした時だった。
ルカは両手にカップと器を持っている。
器からは湯気が立っており、食欲をそそるいい匂いがした。
「麦を固めて作った携帯食に干し肉と野草を加えて炊いたスープです。食べられそうですか?」
器にはスープが、カップには水が入っていた。
空腹感はそれほどでもないが喉は酷く乾いている。
「ありがとうございます」
マイアはお礼を言いながらありがたく受け取ると、スープに口を付けた。
少し味は薄いが十分美味しく頂ける。
(食べなきゃ)
お腹は空いていないが無理矢理にでも流し込む。
討伐遠征では魔術師と聖女は馬車でベースキャンプまで運ばれるが、ルカと外を目指すとなると当然歩きだ。
魔力保持者の多くの例にもれず、体力には全く自信がない。絶対に足手まといになる自信があるが、その度合いを減らすためにもまずは食べなければ。
温かいものを口にすると、少しだけ気持ちが和らいできた。
「ルカ様、私、決めました。アストラに連れて行って下さい」
意を決して宣言すると、ルカは嬉しそうに微笑んで頷いた。
「決断してくれて良かった。――ならここからは敬称も敬語もなしで。マイアって呼ばせてもらうから、マイアも俺の事はルカと呼び捨てにして欲しい」
「……いいんですか?」
「亡命の旅をするのに、お互いにかしこまった言葉を使いあっていたら怪しまれるだろ? 森を出たらまず仲間のところに向かって、それから行商人に化けるつもりなんだ。だから街に到着してからボロを出さない為にも今から練習しておいた方がいいと思う」
ルカは切り替えが早い。早速砕けた口調になっている。
「わかりまし……わかったわ」
マイアは敬語を使いかけて慌てて言い直した。
◆ ◆ ◆
食事が終わると、ルカは自分の羽根筆を取り出して後始末をしてくれた。
ルカが空中に書き出した魔術式はかなり高度なもので、思わずマイアは見惚れる。
式を書き終えたルカが魔術を発動させると、器とカップが一瞬にして綺麗になった。
「これは《洗浄浄化》の魔術?」
「うん、マイアの体を綺麗にしたのもこの魔術だ」
《洗浄浄化》は光と水の複合属性魔術で、マイアが心得ている《浄化》よりも更に高度な魔術である。
「属性魔術は苦手だってさっき聞いたような……?」
「苦手だから魔力効率が悪いんだ。でもこういう単独行動やら旅の時には便利な魔術だから覚えた」
水の精製や衛生環境を整える魔術は、確かに野外活動を行う上では使えた方がいい魔術だ。かく言うマイアも水を作り出す初級魔術は心得ている。
「もうすぐ日が落ちるけど眠れそうかな? 寝過ぎで眠れそうにないなら少し月の光を浴びるといい」
「……ありがとう」
「野宿の間は悪いけど同じ天幕で寝てもらう事になる。一応布で仕切りを作ろうと思うけど我慢して欲しい。それと外には魔蟲避けの結界を敷いてあるから、月光浴はその範囲内で行う事。うっかり外に出ちゃったら襲われるかもしれないから気をつけて欲しい」
「わかったわ」
ルカの注意にマイアは頷いた。




