捨てる大聖女あれば拾う傭兵あり 01
「う……」
意識が戻ったら左胸が酷く痛んだ。
直前の記憶を探ったマイアは、胸に剣を突き立てられた事を思い出した。
……という事は自分は死んだのだろうか。
その割には胸以外にも体のあちこちが痛む。
マイアは死後でも痛みからは解放されないのかと自問自答しながら目を開けた。
すると天幕の中に寝かされているのがわかった。
人が二人入るのがやっとという大きさの小型の天幕だ。こんな天幕はベースキャンプにはなかったと思う。
中を観察すると、天幕の隅には大きな背嚢と、何となく見覚えのある形の細めで長い剣が置かれていた。
天幕の下には厚手の布が敷かれていて、更にその上に設置された寝袋の中でマイアは横たわっていた。
自分の体を点検すると、見覚えのないやけに大きな服を身に着けていた。
何がどうなっているのかさっぱりわからないが、どうやら死後の世界にいるのではなさそうだ。
(ここはどこ……?)
そして自分は一体どうなったんだろう。直前の記憶では、ダグに胸を刺し貫かれたはずなのに。
体の節々が軋むように痛んだが、どうしても胸元を確認したくてマイアは痛みを堪えて体を起こした。
そしてぶかぶかの服の裾を胸元まで捲りあげた時――。
「うわっ!」
人の声が聞こえたのでそちらに目をやると、天幕の入口から見覚えのある青年が顔を覗かせていた。
「ごめん! まさか起きてると思わなくて!」
青年はあわあわと慌てた様子を見せると、天幕の外へ出ていってしまう。
(今のはルクス・ティレル……?)
ふわふわの焦げ茶の髪に素朴な印象の顔立ちの青年は、確かに魔蟲討伐遠征に参加していた傭兵だった。
「入ってきて大丈夫よ。……服なら戻したから」
マイアは服の裾を戻すと外のルクスに声をかけた。
体の状態を自分で確認するよりも、事情を知っていそうなルクスに話を聞いた方が早いと思ったのだ。
天幕の入口の布が捲られて、ルクスが再び顔を出す。
「ごめん、えっと、よくよく考えたら手当の時に着替えさせたのは俺なんで……もう聖女様の裸は見ちゃってるんだけど……」
ものすごく申し訳なさそうに告白されて、マイアはかあっと頬を染めた。
手当ての為の不可抗力とはいえ、異性に裸を見られたと思うと恥ずかしい。
――自分も治療や学校での医学の勉強の中で男性の体は隅々まで見たことがある。
だから恥ずかしがる事ではないと自分に言い聞かせた。
「一応、なるべく見ないように気は付けたんだけど……」
「だ、大丈夫です。私も治療で異性の体を見ることはありますから……あの、あなたが助けてくれたの……?」
「ええ、何者かに危害を加えられて埋められていたのを見つけたので。服や傷の状態を見た感じ、何者かに刺されたんじゃないかと思ったんですが、何があったのか話してもらってもいいですか?」
マイアは躊躇った。ティアラの指示でダグたちに刺された事を、果たして気軽に話してもいいものだろうか。
「……俺が信用できませんか?」
「ごめんなさい……」
小さな声で謝ると、ルクスは軽く首を振った。
「聖女様が警戒するのも仕方ないです。殺されかけてますからね。俺が把握しているベースキャンプの状況とか、聖女様を見付けた時の事とかを今から話すんで、信用できると思ったら話してもらっていいですか?」
それは願ってもない提案だった。
「お願いします」
マイアが頷くと、ルクスはマイアが丸二日眠っていたと前置きしてから、二日前にベースキャンプで何があったのかから順を追って話してくれた。
◆ ◆ ◆
二日前――。
ルクスが魔蟲の討伐からベースキャンプに戻ると、マイアが行方不明になったと騒ぎになっていた。
指揮官のアベルは兵を集めまずは点呼を取った。
すると、マイアだけではなく、ラーイという二十代の騎士もいなくなっている事が判明した。
ラーイは若手の中では有望株として知られていて、その時は討伐中に大きな怪我を負い、治療のためにベースキャンプに滞在していた。
そこでティアラがおずおずと証言したそうだ。
「マイア様は同性である私にだけ打ち明けて下さったのですが、殿下の妃候補と噂されている事を負担に思っていらっしゃったようです。本当は別に好きな方がいるのだと仰って……だからもしかしたら駆け落ちを……」
「思えば治療の際、ラーイとマイア様はよく楽しそうにお話をされていました。申し訳ございません。私の監督不行届です」
引き続いて証言したダグの言葉に、アベルは呆然とした表情を見せたらしい。
そしてアベルは結界外に出られる兵士全員にマイアとラーイの捜索を命じた。
ルクスもまた捜索に当たる事になり、その時に土の下に埋められていたマイアともう一人、ラーイと思われる青年を発見したそうだ。
「残念ながら聖女様と一緒に埋められていた男の方はもう事切れていました。聖女様は辛うじて息があったけど、手足に何かで縛られていたような痕はあるし、心臓付近を一突きされたような形跡もあるしで明らかにきな臭い気配を感じたので、ベースキャンプには戻さない方がいいって判断してここに連れてきたんですよね」
マイアはルクスの話を聞いて頭を抱えた。
「どうしてティアラ様は私を殺そうとしたの……」
しかも駆け落ちをしただなんて嘘をついて。
「へえ……聖女様をこんな目に合わせたのはあの新しい聖女様なんだ」
ルクスの発言にマイアははっと口元を押さえた。
ついうっかり漏らしてしまった。
言ってしまったものは仕方ない。マイアは諦めるとルクスに白状した。
「私の胸を刺したのは私の護衛兼衛生兵だったダグよ。ティアラ様が望んでるからって言ってた……」
「……なるほどね。だとしたら原因は痴情のもつれって奴になるんですかねぇ」
「はい?」
マイアはぽかんと呆気に取られた。
「だって明らかに三角関係でしたよね? アベル王子はマイア様が好き。新しい聖女様……ティアラ様だっけ? あの人はアベル王子が好き」
「いや、その前提は間違ってるでしょ」
思わずマイアは突っ込んだ。
「アベル殿下が私を、なんて絶対ないわ。どれだけあの方の視線が冷たかったか……」
「いや、結構俺たち下っ端の間では噂になってましたよ? あの人無意味にマイア様の天幕の方見てる事とか多かったし……」
マイアはルクスに疑いの眼差しを向けた。
そしてこれまでのアベルの態度を思い返す。
冷淡な眼差しに必要以上にこちらと会話しようとしない事務的な態度、たまに口を開いたかと思ったら、こちらの礼儀作法の粗を指摘する言葉ばかりだった。
「ありえないって顔ですね。王子様も報われないなぁ」
ルクスのどこか可哀想なものを見るような眼差しに、マイアは何となくムッとした。
「仮に殿下が私を好きだったとしても、それで人を殺したいと思うかしら? 飛躍しすぎなのでは?」
「もしかしたら聖女としての能力的な所でも思うところもあったのかもしれないですね。ティアラ様の治療は凄く時間がかかる上にすぐ魔力切れになるって聞きました」
それはマイアも気付いていた。
ティアラは欠損の再生ができるすごい治癒力を持ってはいるが、魔力の使用効率が悪く同じ程度の軽傷者を癒す時にマイアより時間がかかる。
しかしそれはまだ見習いで、医療知識が足りておらず、実践も足りないせいではないかとマイアは分析していた。
これからもっと人体に関する知識を深め、場数を踏めば少しずつ改善していく余地はある。
「……今の段階の魔力効率は確かに悪いけど、ティアラ様が私以上の治癒魔術の使い手なのは間違いないわ。だからそんな事が人を殺したいと思うほどの動機になるとは思えない」
「でも現にマイア様は殺されかけてますよね? 世の中には些細な理由で信じられない事をする頭のおかしい人は案外いるものですよ」
(頭がおかしい……)
マイアはティアラの妖精のような美貌を思い浮かべた。
アベル王子の話をした時はちくちくと刺のある言葉をぶつけられたけれど、殺したいと思うほどの感情をマイアに抱いているとは思わなかった。
「……俺はマイア様はベースキャンプに戻らない方がいいと思います。何て言うか、雰囲気がちょっとおかしいんですよ。それも決まってティアラ様の治療を受けた連中が」
そう告げたルクスの眼差しはやけに真剣だった。
「何て言うのかな……信者っぽくなるんですよ。ティアラ様は凄い。あの人にまた治して貰いたい、とかぶつぶつつぶやいて」
ダグの顔が頭に浮かんだ。確かにティアラに左目を再生して貰ってから彼は熱に浮かされたような眼差しでティアラを称えていた。騎士として前線に復帰できるのがよっぽど嬉しいのかと思っていたが……。
「ティアラ様はおかしいです。欠損が再生ができるなんて普通じゃない。俺もこの稼業長いんで、色々な聖女様を見る機会がありましたが、あそこまでの治癒力を持つ人の話は聞いた事がない」
「伝説の大聖女エマリア様がいるじゃない」
「それはそうなんですけど……」
ルクスはマイアの反論にどこか困った表情で口ごもった。