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【書籍化】雑草聖女の逃亡~隣国の魔術師と偽夫婦になって亡命します~【3/15小説2巻発売】  作者: 森川茉里


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旅の終わり 03

 少し時は遡る。

 本来の名も身分も隠し、長くゲイル・クラインを名乗ってきた男はソファに身を預け、深く息をついた。

 何人もの人間の精神に魔術的干渉を行ったのだ。さすがにかなり疲れた。魔力にはまだ余裕があるが、それは強力な魔力回復薬を使ったせいだ。


 ゲイルが服用した薬はルカに持たせていたものよりも数倍強力だが、その分副作用も強烈で、服用から二、三時間が経過すると地獄の頭痛と吐き気にのたうち回る羽目になるという代物だ。

 副作用の事を考えると気が重くなるが、希少な聖女を祖国に引き込むためなのだ。仕方がないと割り切る。

 事後処理が必要な者は後一人だ。ゲイルは彼女の目覚めをトリンガム侯爵の私室を占領し待っていた。




 待機して一体どれだけの時間が経ったのだろう。

 ゲイルは外から聞こえてきたノックの音にはっと我に返った。

 いつの間にやら意識が飛んで眠っていたらしい。

 入室の許可を出すと、侯爵付きの従者(バレット)が顔を出す。まだ若い男性使用人は、ゲイルの側まで移動すると膝を付いた。


「旦那様、例の娘が目を覚ましました」


 彼は――いや、彼だけでなく、城内の使用人はゲイルをトリンガム侯爵だと思っている。そのように暗示をかけた。

 見知らぬ他人を溶け込ませるよりも、認識をずらしてやる方が魔術をかける時の消費魔力が少なくて済むからそう『処理』した。


 ちなみに本物の侯爵は、この部屋の続き間に位置する使用人の控え室に閉じ込めている。

 彼と息子のジェラルドに関しては手加減せずに魔術をかけたから、暗示が解けた時に正気を保っているかどうかはゲイル自身にもわからない。

 また、トリンガム侯爵に関しては、ルカの拳が当たって負傷した顎は恐らく元の通りには戻らないと思われる。

 満月時の彼は恐らく素手で甲虫(こうちゅう)型の魔蟲の外皮をも砕く。

 元の容姿が整っていただけに哀れだが、あの男がやった事を思えば同情するつもりにはなれず、むしろあれくらいでは手ぬるいという思いすら湧いた。

 殺さないようにとルカを制止したのは、事後処理がより面倒になるのと、マイアに残虐な場面を見せたくないという気持ちが働いたからにすぎない。




   ◆ ◆ ◆




 事後処理が必要な最後の一人は、地下室唯一の生き残りの少女だ。


 ネリー・セネットという名前は、既に街の自警団に身柄を預けた人々に聞いた。

 若い成人女性に少年、幼い女の子、そしてネリーを含む四人がどうやらマイアと一緒に攫われてきたらしい。


 前述の三人からの聞き取りや、地下室でのマイアの態度から総合して判断すると、どうやらネリー・セネットとマイアは元々顔見知りだったようだ。

 ネリーはセネット伯爵家の出身だと聞いたから、聖女であるマイアとの面識があっても確かにおかしくはない。


 ネリーの処理を一番後回しにしたのは、彼女自身の意識がなかなか戻らなかった事に加え、マイアに関する記憶の処理が一番面倒な存在だったからだ。


 今その彼女は城内の客室にて丁重に扱うように命じている。その客室に入る前にゲイルは羽根筆(クイル)を取り出すと、自分の鼻と口を保護する魔術を使った。


 室内に入ると、ベッドの傍に置かれたテーブルの上に香炉が置かれているのが見えた。

 恐らく部屋の中には甘い香りが充満しているはずだ。香炉の上部には皿が付いており、間接的に練香や精油を温めて香りを立たせる作りになっている。

 皿の上に置かれているのはゲイルが調合した練香タイプの魔術薬だ。この薬には嗅いだ者の意識を一時的に朦朧(もうろう)とさせる効果がある。


 健康な人間には精神操作系の魔術は効き辛い。また、効き辛いからといって無理矢理精神を弄ると後遺症が発生する確率が上がる。この魔術薬はそれらの弊害を防ぐ為のものだ。


 部屋の奥のベッドには、淡い金髪の少女が横たわっていた。茶色の瞳はぼんやりと見開かれてあらぬ方向を見つめている。

 しっかり薬が効いているようだ。ゲイルは横向きになっているネリーの体を仰向かせると、目と目を合わせ、細心の注意を払って魔力を送り込んだ。




   ◆ ◆ ◆




 金色がかった水色の宝石が二つ目の前にある。……なんて綺麗なんだろう。


 ネリーはぼんやりと至近距離にある貴石を見つめた。

 意識は朦朧としているのに、その石があまりにも美しくて目が離せない。


 本当に綺麗。まるでお姉様の瞳みたい。


 そこでネリーの思考は停止した。


 お姉様? それは誰だっけ。


 最高級の紅茶の様な艶やかな髪に、ラピスラズリを思わせる青金(せいきん)の瞳をしていたとても綺麗な――。

 だめだ。顔が思い出せない。可愛らしい顔立ちの人だったことは確かなのに、その顔がどんなものだったのかが抜け落ちている。


 いや、違う。これは――。


 よく見ると、目の前の宝石から淡い金色の光が放たれて、ネリーに向かって伸びている。

 そしてその光が、ネリーの中にある『お姉様』を金色で埋め尽くしていく。


 だめ。このままでは消されてしまう。この金色の光に。それは嫌だ。


 ネリーは必死に体の中に入り込んでくる光に(あらが)った。すると、目の前の綺麗な宝石が揺れる。


 目だ。これは魔力保持者の。

 そう認知した瞬間、曖昧でぼやけていた周囲の景色が、急速にくっきりと像を結ぶ。


「……!」


 ネリーは息を飲んだ。

 至近距離に血色の悪い中年の男がいたからだ。


 灰色がかった金髪に金色がかった水色の瞳は、男が魔術師である事を示している。

 顔立ちは悪くないのだが、ガリガリに痩せているため幽霊みたいだった。実に心臓に悪い容貌である。


「あなた……は……」


 見覚えがある。地下の怪しい儀式魔術が行われていた部屋で、マイアを助けるために現れた二人組の片方だ。

 目撃したのはほんのわずかな時間で、頭がくらくらしている状態ではあったが見間違いではないという確信がある。もともとネリーは人の顔を覚えるのは得意だ。しかも相手は魔力保持者。常人にはない色合いの瞳の持ち主である。


 この男と、もう一人は剣士の青年だった。体つきは細かったけれど肉食獣のようにしなやかで、単身トリンガム侯爵に斬りかかっていく姿はおとぎ話に出てくる騎士のように格好よかった。


「……まさか抵抗されるとは」


 目の前の男はネリーから身を離すと、眉を寄せて顔をしかめた。

 室内に充満するむせ返るような甘い匂いが気持ち悪い。ネリーは口元を手で押さえて半身を起こすと、男の様子を窺った。


「お名前と……所属を教えていただけますか? 魔術師様」


 問いかけるネリーの声は自分でも驚くほどに震えていた。

 ネリーの怯えを感じ取ってか、男は小さく息をつきながら肩をすくめる。


「そんなに怖がらなくてもいいですよ。セネット伯爵令嬢。私はあなたに危害を加えるつもりはない」


 男はそう答えながら、ネリーが寝かされていたベッドのすぐ傍に置かれていた皿付きの香炉から皿の部分を取り外すと窓際に移動した。そして閉ざされていたカーテンと窓を開け放つ。途端に外から冷気が入り込んできて、室内に充満する不快な香りが薄まり始めた。


「先ほどのは何ですか……? 私に何かの魔術をかけようとしたのでは……」


 警戒しながら声をかけると、男は大仰に肩をすくめた。


「そうですね。記憶を操作する魔術をかけようとしていました。認めます」

「記憶を……? 心に干渉する魔術を私にかけようとしたの……?」


 精神操作系と呼ばれる魔術は難しい事で知られている。

 例えば犯罪者や間諜に魔術で自白を強要すると精神が壊れる事があるらしい。それを思い出してネリーは寒気を覚えた。


「もうかけませんよ。かけられないと言った方が正しいな。ネリー嬢のように魔術に抵抗する精神力を持つ人間に対して無理に魔術をかけると心を壊しかねない。それはこちらとしてもさすがに寝覚めが悪い」


 男は本気で困っているようだった。眉尻が下がっている。


「奪おうとしたのはマイアお姉様の記憶ですか……? 一体何のために……」


 呟いたところで一つの考えがネリーの中に天啓のように降りてきた。はっとネリーは目を見張ると弾かれたように男の顔を見据える。


「魔術師様、あなたはもしかして、マイアお姉様の駆け落ちの協力者……?」


 ネリーの質問に、男の表情がわずかに動いた。


「……マイアがそう言ったんですか?」

「はい。キリクで一緒に攫われて……本当なら魔蟲の討伐の時期なのにお祭りの恰好をしていらしたから……どうしてなのかと事情を聞いたら教えてくださいました」

「へえ……」


 男から不穏な雰囲気が漂うのを察知し、ネリーは慌てて口を開いた。


「あの、私、心情的にはお姉様の味方です! 本当は聖女が役目も義務も放棄して逃げ出すなんてあってはいけない事ですが、子供の私の目から見ても聖女としてのお姉様の扱いは酷いものでしたもの。お姉様が逃げ出したくなっても当然だと思います」


 ネリーの発言に、男は呆気に取られている。


「あなたは随分マイアの肩を持つんですね」

「あの方は当家にとっては恩人ですし……それに私、あの方を尊敬していますから」


 ネリーはきっぱりと言い切った。

 脳裏によみがえるのは、マイアがネリーの祖父、ザカリー・セネットの治療にあたる姿だ。

 死の直前の祖父は、痴呆の症状が出て女性と見れば卑猥な発言を繰り返し、隙あればきわどい所を触ろうとする酷い状態だった。そんな祖父の治療に誠心誠意尽くしてくれたマイアの姿は、宗教画に描かれる女神の使徒のようだった。


 数ある聖女の職務の中でも、身体的にきついと言われる討伐遠征に始まり、気難しい貴族の患者の治療や施療院の市民開放日など、面倒な仕事は出自の劣る者に押し付けられる傾向がある。

 マイアがその扱いに心の中でどう思っていたかまではわからないけれど、少なくとも他の聖女に比べると厳しい仕事をやらされているにも関わらず、真摯に治療に取り組む姿に少なくともネリーは心を動かされた。


「あなたと一緒にいらした方がマイアお姉様のお相手ですか……?」

「……マイアはどう言っていましたか?」

「討伐遠征に参加していらした傭兵がお相手だとお聞きしました。お姿を拝見したのは一瞬でしたが、お姉様が仰っていた特徴と一致します」


 金茶の髪に細身の剣を携えていた剣士の青年。顔がよく見えなかったのが悔やまれる。


「……マイアはあなたには随分と気を許していたようだ」

「そうですね。私にだけこっそりと教えてくださいました」


 たった一人、ネリーにだけ。それが誇らしくて嬉しい。


「お姉様は無事に逃げられましたか?」

「……ええ」


 目の前の男の言葉に、ネリーは心の底から安堵した。


「お姉様は今後どうされるおつもりなんでしょうか……?」

「それは言えません。こちらの身も危うくなる」

「そう……ですよね」


 教えてもらえないのは寂しい。しかし聖女の隠匿は大罪だ。捕まれば極刑もあり得る。男の主張はもっともだった。


「私に何か協力できることはありませんか……?」


 ネリーの申し出に、男は目を見張って硬直した。

 そして、しばしの時を置いてから口を開く。


「もし本当にご協力頂けるのであれば、記憶を消す魔術を受け入れてもらえると助かります」

「……お姉様を忘れろと……?」

「そこまで強力な魔術はかけません。我々がここを離れるまでのほんの数日間だけです。もちろん術が解けた後、精神面に影響が出ないように細心の注意を払います」

「魔術師様は私がやはり信用できませんか?」

「申し訳ありませんがこちらも命がかかっていますので……」

「そう、ですよね……」


 しかし精神に作用する魔術をかけられるのは怖い。廃人になる可能性がある危険な魔術である。


「正直に申し上げると怖いです。だって心が壊れる可能性のある魔術ですよね……?」

「抵抗する者に無理矢理魔術をかけるとそうなる確率が上がりますね。術の副作用が出るかどうかは、術者の技量、術をかけられる者の抵抗の度合いによって変わります。魔術薬を併用することで更にその確率は下げられますので、どうか私を信じてお任せいただけないでしょうか」

「もしお断りした場合はどうなりますか……?」

「その時は……物理的に口を封じるか、我々と一緒に来て頂くか――ですね。こちらを選ばれた場合はご家族の元にはお帰しできません」

「随分と酷い選択を迫るんですね」

「そうですね。自分でもそう思います」


 男の真剣な表情には苦いもの混ざっていた。きっと彼も本当は不本意なのだ。

 ネリーは肩を落とすと小さく息をついた。


「魔術を受け入れます」


 家族の元に帰れないのは困る。ネリーは腹をくくる事にした。

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