襲撃
翌日の早朝、人攫いの一味は再びマイアを荷馬車の中の檻へと追い立てた。
すると既に見慣れた顔ぶれが中に押し込められていた。
「お姉様! ご無事だったんですね!」
真っ先に話しかけてきたのはネリーだ。
彼女がマイアを『お姉様』と呼ぶのは、うっかり本名で呼びかけないためらしい。この五日ですっかり呼び方が定着している。
「いいよな、魔術師様は。聞いたぞ。僕たちよりずっと高値で売れるから、特別扱い受けてたんだってな」
「アイク! そんな言い方はないでしょう!」
可愛くない突っかかり方をしてくるアイクと、それをたしなめるネリーのやり取りを聞くと何故かほっとした。
皆仮装衣装から普通の服へと変わっている。その辺りの街中を歩いている町の人間のような服装だ。
それはもちろんマイアも同じで、返してもらった魔術布の服の上から、一味に渡された上着を羽織らされた。
しっかりと着込まされたのは、虚弱な魔術師と思われているからだろう。
「特別扱いって言っても、ずっとあのお婆さんに監視されてたから皆と一緒の方が良かったよ」
そうマイアがつぶやくと、その場にいた全員から気の毒そうな眼差しを向けられた。
「……ごめんリズ。むしゃくしゃしてたから八つ当たりした」
素直に謝るのはアイクのいい所ではある。
「大丈夫でしたか? 酷い事を言われたりされたりしませんでしたか?」
「されてないわ。待遇は悪くなかった」
夜も朝も暖かい普通の食事が提供されたし久しぶりにまともなベッドで眠れた。
その間のセルマはといえばひたすら帳面と睨めっこしながら算盤を弾いていた。その算盤を弾く音と時折見せるニヤニヤ笑いが不気味だっただけだ。
そんな状況でも疲れた体はあっさりと深い眠りに入ったので、マイアは自分の図太さを実感したのだった。
おかげでこんな状況だというのに頭も体もすっきりと軽い。
「今回は結構持ちますね」
手品の手の技術をカーヤに教えていたら、横でじっと見ていたファリカが話しかけてきた。
何の事かわからずマイアは首を傾げる。
「馬車酔いです。まだ気持ち悪くなってないですよね」
言われてみればその通りだ。
「酔い止めの薬を貰ったからかもしれません」
「リズには至れり尽くせりだな」
面白くなさそうにつぶやいたのは、隅にいたアイクだ。
「たぶん魔力を減らさない為よ。健康を損なえば体の中の魔力が目減りするから。アイク達にしても危害は加えられていないでしょう?」
「……確かに私たちの扱いは誘拐されたにしてはマシな方よね。ちゃんとご飯は貰えるんだもの」
マイアに答えたのはネリーである。
「これからろくでもない目にあうのは確定としても、少なくとも顧客の魔術師貴族に引き渡されるまではこの扱いが続くんでしょうね」
馬車が大きく揺れたのは、そんな会話を交わしていた時だった。
うわあああ、という野太い悲鳴と共に馬の嘶きが外から聞こえてきた。続いて「蟷螂だ!」という怒声が。
馬車が再び右に左にと大きく揺れる。
「狼狽えるな! 落ち着いて一旦退避するんだ!」
これはセルマの声だ。マイアは反射的に目の前にいたカーヤを抱き寄せた。
「あ……がっ……、ぐああああっ……!」
再び悲鳴が上がった。
かと思うと、ぼきっ、ごきっ、という鈍い音が聞こえてくる。
檻の中では誰もが固唾を呑んで動かない。
「な、何が起こったんでしょうか……?」
ファリカの質問に答える者は誰もいない。
「魔蟲が出た……とか。まさかね……」
ややあってぽつりとアイクがつぶやいた。その声は震えている。
次の瞬間だった。
バキバキという何かが壊れる音がして、馬車の幌が骨組みごと吹っ飛んだ。
そして、破れた幌の隙間からそいつの姿が見えた。
「あ……」
誰もがきっと想像していた。魔蟲だと。予想通りだった。
振り上げられた鎌のような形状の前脚に、特徴的な逆三角形の頭――蟷螂型の魔蟲だ。それもかなり大きい。
荷運び用の大型馬と体格がほとんど変わらない。
そいつの鎌も顎も赤く染まっていて、その巨体の向こう側には――。
「いやあああああ!」
マイアと同じモノに気付いたのだろう。劈くような高い悲鳴が至近距離から聞こえた。
ネリーだろうか、それともファリカだろうか。確認する余裕はなかった。
マイアはカーヤの体をきつく抱き締め、残虐な光景を彼女が目にしないよう頭を胸元に抱え込んだ。
体格から見て共食いが極まってホットスポットを出てきた魔蟲ではない。そういう魔蟲はもっと大きい。
あれは、ふらりとホットスポットをさまよい出てしまう、『はぐれ魔蟲』と呼ばれる部類の個体だろう。
蟷螂型魔蟲の向こう側には、恐らくそいつに捕食されたと思われる無惨な肉塊が散らばっていた。
直前まで馬、そして人だったと思われるモノだ。
蟷螂型魔蟲は魔蟲の中でもトップクラスの攻撃力を誇る。
元々自分より大きな蛇や小動物を捕食する能力を持っている虫なのだ。その恐ろしさは推して知るべしだ。
蟷螂の狩りは猫科の肉食獣に似ている。
じっと物陰に身を潜めて待ち伏せし、獲物を狙い定めたら、一気に飛翔して捕獲する。
蟷螂の残酷なところは生き餌にしか興味を示さない事だ。
そのため蟷螂に捕らわれた餌は生きながら無惨に喰われる。
奴の複眼が檻の中のマイアたちを捕捉した。
かと思うと、奴は前脚を思い切りこちらに向かって振り下ろしてくる。マイアは思わず目を瞑った。
「キャ――――ッ!!」
絶叫が辺りに響き渡った。続いて乾いた金属音が。
覚悟していた痛みはない。恐る恐る目を開けると、檻の鉄格子が魔蟲の攻撃を阻んでいた。
魔蟲の顎が動き、ギチギチと耳障りな音が聞こえてきた。怒っているみたいだ。
再び前脚が振り上げられた。金属音と同時に鉄格子の鋼鉄と鎌の間に火花が散った。
ミシミシと嫌な音を立てて馬車が揺れる。
皮肉なことに、マイアたちを監禁する忌々しい檻が全員の命を守っていた。しかし、魔蟲の鎌が当たる度にその鉄格子は歪んでいく。それを魔蟲も察しているのか、二度、三度と執拗に攻撃を加えてくる。
「怖いよ、お姉ちゃん……」
カーヤは腕の中でひっくひっくとしゃくりあげている。
マイアも怖い。腕の中の温もりをきつく抱き込んだ。
守っているようで、その実彼女の温もりに縋っているのはマイアの方だ。
このサイズの魔蟲に不意打ちを食らったら、訓練された軍人の一個小隊といえども間違いなく何人かの死人を出す。
そして犠牲者の遺体が捕食されている隙を狙い、魔蟲を弱らせる魔術薬や使い捨ての魔術具の力を借りて討伐する事になるだろう。
しかし人攫いの集団にそれができるとは思えない。
マイアは覚悟を決めるとぎゅっと目を瞑った。
辺りに立ち込めるむせ返るような血の匂いに吐き気がした。
――しかし、唐突に檻を攻撃する音が止んだ。そして、ばさりと翅音のようなものが聞こえる。
何事だろうと思い目を開けると、視界に入ってきたのは、何故か檻を諦め飛び去って行く蟷螂型魔蟲の姿だった。
頬にぼつりと水滴が当たったのは次の瞬間である。
「雨……」
いつの間にやら上空には黒い雲がかかっていた。
そしてぽつりぽつりと上空から落ちてくる水滴は、戸惑っている間にさあっと勢いが強くなる。
多くの虫が雨を苦手としているように魔蟲も雨を嫌う。
奴らの感覚器官は鋭敏だ。きっと天候が崩れる気配を察して逃げて行ったのだ。
「お姉様、こちらへ。体が濡れて冷えてしまいます」
ネリーがマイアの手を引いて、まだ幌が残っていて雨を凌げる場所を指さした。
壊れた幌からは外の冷気が容赦なく入り込んでくる。
助かったという安堵から急に肌寒さを感じた。
◆ ◆ ◆
行商人や近くの町や村の人が通りかかってここから助けてくれればいい。
そんな願いは届かなかった。誰よりも先にマイアたちが閉じ込められた檻のところに辿り着いたのは、戻ってきたセルマたちだった。
連中は、真っ先に襲われた馬や仲間が捕食されている隙に一目散に逃げ、天候が崩れたのを確認して戻ってきたのである。
魔蟲が雨を嫌うのは有名だ。虫の性質を色濃く残した奴らは、寒さと水を苦手としている。
「こんな季節にはぐれ魔蟲と出くわすなんてとんだ不運だと思ったけど、あんたらが無事で良かったよ。あたしらの運もまだまだ捨てたもんじゃないね」
こちらに戻ってくるやいなやニタリと笑ったセルマの姿に、複雑な気持ちになったのはマイアだけではなかった。
セルマは手下に指示を出し、幌の故障箇所を簡単に修繕させる。そして檻が外から見えないように幌の破れた部分を布で覆い隠した。
「食い殺されたのがあの婆さんだったら良かったのに」
アイクがぼそりとつぶやいたのは、馬車が再び動き出した時である。
誰も咎め立てする者はいなかった。




