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【書籍化】雑草聖女の逃亡~隣国の魔術師と偽夫婦になって亡命します~【3/15小説2巻発売】  作者: 森川茉里


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月光浴と闖入者 02

 学校で頑張りすぎたマイアは、卒業して聖女認定を受けると同時に第一部隊への同行を命じられた。

 今年でこの遠征に参加するのは三年目になる。


 思えば初めて出会った時からアベルの態度は酷いものだった。値踏みするような眼差しと冷淡な言葉に、お前のような下賤な女との結婚なんて認めないと言われているような気分になった。


 結婚の噂が出回り始めてすぐに、一度だけ勇気を振り絞ってどう思っているのか聞いてみたことがある。

 返ってきた言葉は、「王命が出れば受け入れる」という淡々としたものだった。


 生まれながらの王族であるアベルには、政略結婚は当然のものなのだろう。そしてそれは聖女となったマイアにも当てはまるものだ。


 孤児院出身のお針子として食い詰めて街娼になるよりはずっといい。

 王子妃になれば当時では考えられないくらいの贅沢ができるのだからこちらも割り切るだけだ。立派な聖女になるために努力をしたのは、そもそも充実した衣食住の為である。


 ――そう結論付けはするものの、マイアも人間だから嫌な態度を取られれば腹が立つ。

 権力者に盾突いて不敬罪に問われたら困るから、絶対に自分の心の中だけで収めると決めているけれど。


 一緒に食事をした時の事を思い出したらまたムカムカしてきた。怒りを鎮める為に、マイアはごろりと横になって上空の満月を見上げる。


 その時だった。視界に突然人影が飛び込んできた。


 何の気配もなく唐突に現れた男性の姿にギョッと目を見開くのと、容赦なく左腕を踏まれるのは同時だった。


「いっ……!」「うわっ!」


 マイアは痛みの、男は驚きの悲鳴をほぼ同時に上げる。

 まだ《認識阻害》の魔術が持続している状態だったのだが、あまりの痛みに悶絶したため魔術が切れた。


「えっ、と……聖女様……?」


 恐る恐る声をかけられて、マイアは腕を踏み付けてくれた男がまだ年若い青年だということに気付いた。


「何でこんな所に……」

「……眠れなくて。少し息抜きをしに来ただけ」


 マイアは警戒しながら返事をした。


 若い男は狼。学校でも聖女認定を受けてからも何度も何度もマイアは周りから言い聞かされていた。


 もし何かこの男が変な真似をしてくるようなら最大限の抵抗をしなければ。


 マイアは体を起こすとさりげなくマントで隠すようにしながら護身用の魔術具を手に取った。

 遠征中の聖女には、魔蟲対策と人対策、二種類の使い捨ての魔術具が万一の時の為に支給されている。


 魔術具というのは魔術師が魔術の準備時間(キャストタイム)を短縮するために術式を込めて作った道具である。

 発動には魔力を込めなければいけないので魔力保持者にしか使えないが、羽根筆(クイル)で術式を書くという手間が不要になるので重宝されている。

 ただし使い捨てのものであっても作成には月晶石という希少な鉱石が必要になるのでとても高価だ。何度も繰り返し使えるものとなると家一軒買えるほどの価値があったりする。


 今マイアが手にしているのは人間対策の魔術具で、中に火の魔術が込められていて、魔力を込めて投げ付けると小規模な爆発が発生するという代物だった。


「えっと……ごめんなさい! 俺、今、聖女様の事踏みましたよね? 大丈夫ですか!?」


 マイアの警戒をよそに、青年は慌てた様子で話しかけてきた。


「大丈夫よ。聖女は自然治癒力が高いから頑丈なの」


 体内の治癒魔力は聖女自身の体を、常に万全の状態に保つ効果がある。

 そのおかげで魔力器官が急速に目覚めた十二歳の時、栄養状態が悪かったせいでボロボロだった歯や荒れた肌は徐々に綺麗になっていった。

 治癒魔力のおかげで特別な手入れなんてしなくても、今は常に肌はすべすべだし髪もつやつやだ。

 これで髪が赤茶色じゃなくて金髪だったら完璧だったけれど、ないものねだりは贅沢というものだろう。


 既に青年に踏まれた所は痛くない。だけど青年は改めて深々と頭を下げた。


「それでも痛かったですよね。本当に申し訳ないです。俺、聖女様には傷を治してもらった恩があるのに」

「そうなの?」

「はい。覚えてませんか? 俺、聖女様に二日前にお世話になっています」

「そうだったかしら」


 遠征中は毎日のようにたくさんの怪我人の治療をしているから、一々誰を癒したかなんて覚えていない。

 特に二日前は魔蟲化した大型犬サイズの軍隊蟻の群れに出くわしたとかで、いつもより怪我人が多く忙しかった。


「ヘマして蟻の酸に右半身やられちゃって……聖女様が治療して下さらなかったら、この格好いい顔がとんでもないご面相になる所でした」


 そう言って青年はへらりと笑った。

 いくら夜目が利くとは言え暗闇の中なので、青年の顔まではわからなかった。髪の色が濃くてふわふわしている事と、兵士にしては体付きが細い事はわかる。


 服装が正規兵のものでは無いということは恐らく傭兵だ。

 魔蟲の討伐は、正規兵だけでは手が足りないため、傭兵ギルドに依頼して腕利きを回してもらっているのが実情だ。


 魔蟲の遺骸は高値で売れる。固い外皮や美しい(はね)は様々な工芸品や武具の素材になるためだ。


 また、蜂型魔蟲の蜜や蜘蛛型の糸、ホットスポットにしか生えない珍しい薬草などの副産物が手に入る事もあるので、魔蟲狩りを専門とする傭兵は、腕に覚えがあればかなり実入りのいい職業だった。

 しかしその日暮らしの職業だから傭兵には気の荒い者が多い。警戒は緩めるべきではない。


「体の表面が焼けた程度なら治せるけど、怪我の程度があまりにも酷いと治せない。私たちの治癒は万能じゃないから怪我には気を付けてね」


「知ってますよ。胴体の鳩尾から上の内臓、脳、それから四肢や目なんかの欠損した場合は厳しいんですよね。俺もこの稼業長いですから、聖女様に治療してもらったのは実は初めてじゃないんです」


「傭兵になって長いの?」


「はい。一つ所に留まるのはできない性質(たち)なんで。あ、これあげます」


 そう言いながら青年はその場で屈むとマイアに手を差し出してきた。


「……何?」

「飴ですよ。疲れた時は甘いものが一番です」


 手を差し出すと、手の平にぽとりと紙に包まれた飴玉が落とされた。


「本当は聖女様、月光浴をしに来たんじゃないんですか? すごくお疲れのように見えます」


 青年の指摘にマイアはぎくりと身を震わせた。


「傷の治療は女性にはキツいですよね? 結構ぐちゃぐちゃのドロドロで」

「……そうかもしれないわね」


 骨や内臓が露出した怪我人や凄惨に食い荒らされた遺体、大量の血液の匂い。

 嘔吐し、眠れない夜を過ごしたのは見習い聖女として遠征に同行した最初だけで、今はもう感覚が麻痺したのか、負傷兵を見ても何も感じなくなった。


 だけど慣れたと思っていただけで、本当は違ったのかもしれない。


 なぜなら人間関係が面倒なのは普段過ごす首都でも変わらない。


 遠征中はアベルとの接点が増え、冷淡な態度や物言いに腹が立つが、首都は首都で別の面倒臭さがある。


 マイアは普段、国王の居城であるヒースクリフ城内の施療院に詰めている。


 施療院では常に聖女が詰めて治癒魔術を施しているが、聖女の治療を受けられるのは、役所の許可を得た患者と軍人に限られている。

 聖女は貴重だから、その治癒の奇跡は国に管理されていて安売りはしていないのだ。


 なお、月に一度だけ市民に聖女の治癒が開放される時があるが、その時は国中の町や村から治療を望む人が集まり長蛇の列ができる。


 施療院でのマイアは異端者で群れから弾かれる存在だった。

 第一に平民の孤児という賎しい出自。

 第二に魔力器官の発達が遅く、他の聖女よりも六年遅く学び始めた事。

 第三に学び始めが遅かったにも関わらず、高い治癒能力を示し、第二王子の妃候補と言われるようになった事。


 これらの要因により、同僚の聖女だけでなく貴族からもマイアは様々な悪意ある視線を向けられる存在となった。


 なお、マイアはまだアベルの妃になると決まった訳ではない。


 アベルは王太子である兄のヴィクターと違って魔術師ではないので、他の世襲貴族出身の魔術師と(めあわ)せた方がいいのではないかという意見があり、国の上層部では揉めているらしい。


 年回りが合えばヴィクターに嫁がされたのだろうが、生憎一回り年上の王太子は既に貴族出身の聖女を妻として迎えていた。


 マイアの嫁ぎ先は国の思惑で決められる。

 誰に嫁がせるのが次代に魔力器官や治癒の魔力性質を遺伝させられる確率が高いのかが一番の上層部の関心事で、まるで家畜の品種改良みたいだ。


 今マイアは二十一歳だ。だから国の上層部としては、気軽に動ける未婚の聖女の数を考えると、あと二年くらいはマイアには未婚のままでいてもらいたいらしい。


 唯一の救いはフライア王妃がマイアに同情的で何かと気にかけてくれる事である。

 誰よりも強い規格外の治癒魔力を持つ事から王妃として迎えられたフライアの出自もマイアと同じ平民だ。ただ、フライアの実家は首都でも有名な商家なので、マイアよりずっと育ちはいい。

 それでも生まれのせいで色々と言われて苦労してきた人で、マイアの事も他人事とは思えないのだと言って色々と良くしてくれた。


 王妃が味方になった事で、王妃を深く愛している国王もまたマイアに好意的だった。

 国王夫妻の後ろ盾は更なるやっかみを生んだが、そのおかげで表立って何かをされるという事はなかったのでマイアの中では差し引きゼロである。


 国王が手配してくれた護衛と侍女に守られたマイアに身体的危害を加える者はいなかった。

 陰口の一つや二つや三つ、孤児院の新入りいじめに比べたら可愛いものだ。


 孤児院時代は暴力や食事を奪われるなどの体に害のある嫌がらせが日常茶飯事だった。それと体を売っていたかもしれない未来に比べたら、聖女の生活は多少いびられても許容範囲内である。


 陰で野生の聖女だとか雑草聖女なんて言われていたけれど、野生上等雑草上等だ。野生の動物も雑草も、品種改良された家畜や農作物より強いのだから。




「……聖女様、大丈夫ですか?」


 青年に声をかけられ、マイアははっと過去の回想の世界から我に返ると、頭を軽く振った。


「あなたの言う通り疲れていたみたい」


 取り繕うように告げてから、手の中の飴玉を見つめる。


「……これは後で食べさせてもらうわね」


 飴をガウンのポケットに仕舞おうとしたら、クスリと笑われた。


「もしかして警戒なさってますか? 変なものなんて入ってないですよ」


 青年の言葉にマイアはぎくりとする。そんなマイアをよそに、青年はポケットからもう一つ飴玉を取り出すと口の中に放り込んだ。


「何種類かのハーブを煮出した汁に練乳と蜂蜜を加えて固めたものです。何なら魔術で浄化なさってくださって構いませんよ? 聖女様なら使えますよね? 毒を消す魔術」


 青年の言う通りマイアには《浄化》の魔術の心得がある。

 ……というか、この魔術は、聖女にとって一番使用頻度が高い魔術だ。


 《浄化》は、人体に悪い影響を与えるものを取り除く魔術である。魔蟲の毒を受けた時や、化膿止めの効果が期待できるため頻繁に使う。


 青年がこの魔術を使ってもいいというのなら使ってやろう。

 マイアは羽根筆(クイル)を取り出すと《浄化》の魔術を飴玉にかけてから口の中に放り込んだ。


 甘い。美味しいのがちょっと腹立たしい。


「どうですか? 聖女様」

「悪くないわ」

「それは良かった」


 青年が屈託なく笑う気配が伝わってきた。


「どうして夜中にこんな所にいるの?」

「同じ天幕の奴のいびきが猛烈で……気になってどうしても眠れなくてちょっと散歩に」

「明日も早くから討伐に出るんでしょ? 睡眠不足だと辛いんじゃないの?」

「まあそうなんですけど。聖女様に会えたから差し引きゼロかなって」


 差し引きゼロ。それはマイアが嫌な事があった時に自分に言い聞かせる言葉だ。

 その単語が青年の口から飛び出してきた事で何だか毒気が抜かれてしまった。


「手に触れても構わない?」

「え? それは構いませんけど……」


 マイアは立ち上がると、戸惑う青年の手を取って魔力を流した。

 疲労が取れるようにと祈りを込める。


「聖女様、これは……」

「飴のお礼よ。寝不足で怪我したら私の仕事が増えるでしょ」

「飴のお礼にしては貰いすぎですよ! あの、俺、ルクス・ティレルって言います。聖女様、いつかあなたに何かあったらお返しさせてください」


 青年の名乗りにマイアは目を見張った。ルクス・ティレルという名前の魔蟲狩り専門の傭兵に聞き覚えがあったからだ。


 細身の体に似合わず魔蟲の弱点である核を固い外皮ごと的確に刺し貫く技量を持った天才剣士。その剣術は、まるで剣舞を舞うように華麗なのだと聞いたことがある。


 普段は単独でホットスポットに潜り魔蟲狩りに従事するフリーの傭兵で、国側から特別に招いて毎年討伐に参加してもらっているという噂である。


 マイアも遠目に彼を見た事があるが、確かに目の前の青年はその特徴に一致していた。


 ふわふわの焦げ茶の髪に茶色の瞳、頬に散ったそばかすが特徴の二十代前半に見える青年だったと記憶している。


「もしかして俺の名前、ご存知だったりしますか?」

「……聞いたことはあるわ」

「光栄です。聖女様にも知られてるなんて」


 嬉しそうな声に不覚にも心臓が高鳴った。

 有能な傭兵とこうして言葉を交わした事はいつか何かの役に立つかもしれない。


「小さいけれど貸し一つでいいのかしら?」

「小さくなんてないですよ。聖女様には怪我も治して頂いてますから。本当にありがとうございました」


 そう言ってルクスは頭を下げた。


「そろそろ戻りませんか? 送りますよ」

「結構よ。実は魔術でこっそり抜けてきたの。だから送られるのは逆に迷惑」

「そうですか。じゃあ俺はそろそろ戻りますね」


 マイアの言葉にルクスはあっさりと引き、再びぺこりとこちらに一礼してから去っていった。


(変なやつ)


 一人残されたマイアは心の中でつぶやいた。

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