月光浴と闖入者 01
魔蟲討伐中は、昼下がりには皆ベースキャンプの天幕に引き上げて、日が暮れる前には眠りにつく。
下手に暗闇の中で明かりをつけると、魔蟲が近付いてきて確実に襲われるからだ。
夜行性の魔蟲の中には、走光性を持つ蛾や蝿のような奴らが存在している。
森の中に設けられたベースキャンプの中は、魔術師による結界と、魔蟲が忌避するお香のおかげで一応の安全は確保されている。
一応不寝番の兵士は立てるものの、彼らは月明かりの中で息を潜めるように一夜を過ごすらしい。
普段夕食に当たるものは討伐中は昼下がりに摂る。
アベルとの早すぎる晩餐を済ませたマイアは、自分が寝泊まりしている天幕に引き上げて寝袋の中で横になっていた。
周囲が真っ暗になり、イエルとダグの寝息が聞こえてきて、ようやくマイアはほっと息をついた。
イエルはマイアの侍女だ。夫に先立たれた四十前半の未亡人で、護衛兼衛生兵のダグと一緒に常にマイアの側にいる。ちなみにダグが眠っているのは、天幕の中に置かれた衝立の向こう側だ。
ダグとイエルの二人はこういう遠征中は、不埒な下心を持って近付いてくる兵士からマイアを守る役目も帯びている。軍は男所帯なので、若い女がいるというだけで変な事を考える連中が湧いて出てくるのだ。
だけど十二歳になるまで魔力器官が発達せず、いたって普通の庶民の娘として孤児院で育ったマイアにとって、聖女として人に傅かれたり、上流階級の作法を学ばされる生活というのは窮屈だった。
聖女はいわば特殊な魔力器官をもつ魔力保持者の事だ。
魔力器官とは、大気中をたゆたう不可視のエネルギーである魔素を体内に取り込んで魔力に変換・貯蔵する特殊な臓器の事である。
この魔力器官は誰もが持っているが、特に魔力器官が発達し、魔術師になり得る者のことを魔力保持者と呼ぶ。
聖女の魔力は特別だ。
通常魔力保持者が魔術を使うには、特殊な羽根筆で魔術式を書き、体内の魔力を変換させなければいけない。そのため魔術師を目指すものは、膨大な数の魔術式とその法則を学び、理解する必要がある。
しかし聖女の治癒魔術は魔術式を介する必要がない。
傷を癒したいというイメージを込めて魔力を流すだけで効果が現れる。
この時のイメージが具体的であればあるほど少ない魔力で高い治療効果をあげられるので、聖女認定された女性は医学を中心に学ばされる。一部の初歩の魔術式も習得はするが、それよりも医療知識を詰め込むために費やされる時間の方が圧倒的に多い。
なお、聖女の魔力は病気の治療はできない。病気は悪い精霊が体内に入り込んでかかるものだから、聖女の魔力を流すと、その悪い精霊まで活性化させてしまうのだ。
魔力器官は通常三、四歳で大きく発達する。そのため六歳の時点で魔力保持者の特徴が現れた子供は一般人とは区別され、首都の王立魔術研究院付属の学校に集められて魔術師への道を歩むことになる。
更に女の子の中で癒しの魔力を持つ者は、魔術師ではなくて聖女になるための教育を施される。
魔力保持者を見分けるのは簡単である。一定以上の性能の魔力器官を持つ人間は、瞳の虹彩の外側が金色に変化するからだ。
マイアも魔力器官が急速に発達した十二歳の時に瞳の色が変わった。青い瞳の虹彩の輪郭が金色を帯びだした時は孤児院では大騒ぎになった。
急遽首都に招かれ、魔力検査を受けた結果聖女の資質がある事が判明し、マイアは王立魔術研究院に向かう事になった。
マイアのようなケースはかなり珍しく、魔術研究院の研究員の視線はかなり恐ろしかった。死んだあとは是非解剖させてくれなんて言ってきた研究員もいたくらいだ。
魔力器官は遺伝するので付属の学校は貴族の子供が多かった。
だけど正規入学の子供たちと接する機会はほとんどなく、全ての授業が講師との一対一だったのはありがたかった。今思うと、あれは聖女だからこその特別扱いだったのだろう。
魔力器官の発達があと一年遅かったら、マイアは恐らくお針子見習いとして働きに出ていたに違いない。
貧しい庶民の子供にとって、学校に通わせてもらえるというのは信じられないくらい贅沢な事だ。
身寄りのない孤児院出身の子供に対する世間の風当たりは冷たい。
マイアは七歳の時に両親を相次いで流行病で亡くして、引き取ってくれる親戚もいなかったため孤児院に預けられた。
お針子は女の子にとっては唯一といっていい働き口だが、それだけで生きていける職人なんてほんの一握りである。
見習い期間は親方が住み込みで面倒を見てくれるものの、ある程度の年数働いて見習い期間が終わったら、自分一人の腕で家を借りて生きていかなければいけない。
微々たる給金だけではかなり厳しい生活になるので、小遣い稼ぎの為に街娼として体を売る女の子は少なくなかった。
だから魔力保持者になっていなかったらと思うとぞっとする。聖女の才能が現れていなかったら、今頃は見知らぬおじさん相手に体を売っていたかもしれない。
首都の学校に通い始めてからのマイアの生活は、それまでとは一変した。
いつもお腹を空かせていた孤児院時代が嘘のようなお嬢様の生活だ。
住むところも食べるものも着るものも、全てが国から与えられ、大人の侍女と護衛がマイアを聖女様と呼び傅くのだ。
一度こんないい生活を体験したら、二度と前の生活になんて戻れない。
聖女としてのお嬢様生活を手放さないために、マイアはそれはもう必死に努力した。
読み書きすらおぼつかない状態からのスタートだったから、必死に文字を覚えた。
読み書きができるようになったら、治癒魔術を行使するにあたって必要となる《浄化》の魔術や医学の知識を頭の中に叩き込んだ。
他の聖女と違って六年も遅れて勉強を始めたマイアにまず最優先で施されたのは、治癒魔術の使い方や魔力効率を上げるために必要な知識で、行儀作法は後回しだった。
そのツケが今回ってきていて、マイアはお嬢様らしくない事をやらかす度にアベルの冷たい視線と棘のある言葉にさらされる。
今思えば、立派な聖女になるために頑張りすぎた。
気が付いたら未婚の聖女の中では一番の腕利きになっていて、第二王子の有力な妃候補なんて言われていた。
もう少し手を抜いて、五人の若手聖女の中では三、四番目あたりに見えるように抑えておけば良かったと後悔した時にはもう手遅れだった。
平民の、しかも孤児院出身のマイアに上流階級の人々が向ける視線は厳しい。
一応国王が後見人として目を光らせてくれてはいるものの、聞こえよがしの陰口やちょっとした嫌がらせは日常茶飯事だ。
嫉妬にやっかみ、行儀作法のまずさを嘲笑う声など、マイアに向けられる視線には悪意と棘がふんだんに含まれていた。
それで折れるほどマイアは弱くはないけれど、傷付いていない訳ではない。
侍女のイエルと護衛のダグは、国王が手配してくれた人達だ。
聖女を大切にするよう言い含められているらしく、貴族のようにマイアを馬鹿にしてくる事はないし、二人ともおかしな行動を取るとそれとなく手助けもしてくれる。
だけど他人が常に傍にいる生活は気詰まりで、二人が眠った後のこの時間帯は唯一の安らぎだった。
マイアは枕の下に手を入れると、あらかじめそこに忍ばせておいた羽根筆を取り出した。
これは、水晶孔雀という鳥の羽根で作られた特殊な羽根筆で、魔術師が使う魔術の発動媒体である。
聖女は基本的に医学を中心に学ぶので複雑な魔術は使えないが、護身と治療に使える初歩の魔術はいくつか心得ている。今からマイアが使うのはそのうちの一つだ。
羽根筆に魔力を流すと先端が金色に発光した。そして横になったまま空中に書くのは、自分の存在感を極限まで薄くする《認識阻害》の魔術式だ。
これは、慣れない生活にストレスを溜め込んでいた時に、教授が見るに見兼ねて教えてくれた魔術だ。
発動中は少しずつ魔力を消費していくが、護身にも一人でこっそり抜け出したい時にも使える魔術なので重宝している。
魔力で書き上げた式に触れ、改めて魔力を追加で流すと魔術が発動する。
魔術式が消滅するのを確認してから、マイアはゆっくりと起き上がった。
そしてナイトウェアの上から厚手のガウンとマントを二重に羽織り、しっかりと防寒対策をしてからこっそりと天幕を抜け出す。
外に出ると、むき出しの顔に当たる外気が刺すように冷たかった。
魔蟲討伐が霧月に行われるのは、日中の外気温がぐっと下がって連中の動きが鈍くなるからだ。
魔蟲の活動量が減り、かつ雪が降る前のこの季節が討伐には最適の時期なのである。
マイアは夜目が利く方だ。だから月明かりのおかげで辺りの様子がよく見えた。
足音を立てないように細心の注意を払いながら歩きだす。目指すのは、ベースキャンプの結界内ぎりぎりを流れている小川のほとりだ。
あたりには柑橘とミントが混ざった香りが立ち込めていた。
魔蟲避けのお香の匂いだ。
虫の性質を持つ連中には、ペパーミントやレモングラスといった虫除けに使えるハーブの匂いが有効だ。
虫が嫌うハーブを何種類も調合し、魔術的操作を加えた特製のお香は遠征軍の命綱である。
目的地である川のほとりへと移動すると、マイアはその場に座り込んだ。
フェルン樹海はフェルン山の麓に広がるオークの森だ。
今の季節オークは紅葉して葉を落とす。地面はふかふかの落ち葉で覆われていて柔らかかった。
上空を見上げると、満天の星空の中に大きな満月がぽっかりと浮かんでいた。
この時期は空が澄み渡り、夜空が綺麗に見える季節だ。
月の影響を大きく受ける魔力保持者にとって、月光浴は気持ちを落ち着かせる効果がある。
だからマイアにとっての一番のストレスの解消法は、こうしてこっそりと天幕を抜け出して、月の光を浴びる事だった。