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【書籍化】雑草聖女の逃亡~隣国の魔術師と偽夫婦になって亡命します~【3/15小説2巻発売】  作者: 森川茉里


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欠けゆく月 02

 ゲイルは二階にある自分の寝室で寝込んでいた。

 マイアは寝室のドアを軽くノックする。


「誰だ」

「リズです。入ってもいいですか?」

「ああ」


 許しが出たので寝室に入ると、ゲイルは酷くだるそうな様子でベッドに横たわっていた。普段から血色が悪いのに、更に目の下の隈が追加されて骸骨みたいになっている。


「大丈夫ですか、伯父様」

「……こちらが言い出した事だが、聖女殿に伯父様と呼ばれるのは何かいたたまれない気持ちになりますね」


 調子が悪いせいなのか、複雑そうな顔をするゲイルに笑いが込み上げてきた。


「演技を徹底するなら普段から、ですよね? 伯父様」


 マイアはクスクスと笑いながらゲイルに近付いた。そして提案する。


「治癒魔術をかけても構いませんか? 少しは体がマシになると思います」


 新月症候群の原因はまだ完全に解明されてはいないが、月から送られてくる魔素が減少することで、魔力器官が循環不全を起こす事が一因だと言われている。治癒魔術でその循環不全を治してやれば、完全には治らなくても症状は和らぐはずだ。


「今この時期に魔力を使ってリズは大丈夫なのか?」


「私は元々そこまで新月の体調不良は出ないんです。近点月だとちょっと不安ですけど、たぶん症状が出るのは新月の日だけだと思います。今までもそうだったので」


「軽いんなら何よりだな。俺は駄目だ。新月の前後は一週間近く体の調子が悪くなる」


 それはマイアが知る中でもかなり症状が重い。思わず同情の目をゲイルに向けると苦笑いが返ってきた。


「もしリズの魔力に問題がないのならかけてもらえるとありがたい。こんな事で聖女の力を使ってもらうのは気が引けるが……」

「こんな事じゃないですよ、伯父様」


 マイアはゲイルの手を取ると魔力を流した。

 魔力器官は心臓の右隣、体の正中線上に存在する臓器だ。


 そこが本来の機能を取り戻し、体内の魔力が正しく循環するよう願いを込めて魔力を送る。


「聖女の魔力というのは気持ちいいものなんだな。まるでぬるま湯に浸かってるみたいだ」

「治癒を受けた事はないんですか? 伯父様は《貴種(ステルラ)》なのに」


 マイアの中の常識では、聖女の治癒は貴族、魔術師、そして軍人の為のものだ。

 国に囲いこまれる聖女の治癒は、魔力に限りがある事から誰に施すかの優先順位が決められていて、特権階級に独占されている。

 聖女の治癒魔術で病を治す事はできないが、体の痛みを和らげる効果はあるので、平民の重傷者よりも持病持ちの貴族の老人の痛みの緩和が優先される。


 平民が聖女の恩恵を受けられるのは、基本的に月に一度、首都において行われる施療院の市民解放日の時だけだ。

 なお、国に多額の寄進ができる大富豪はその限りではないところがこの世の中の世知辛い所である。


 また、市民解放日は平民に対するご機嫌取りの政策だが、遠方の街や村からも膨大な数の申請があるので抽選によって順番が決められる。この抽選が公正なものなのかは正直疑わしい。というのも、市民解放日の治療に訪れるのは、身綺麗な人が多いのだ。下町の人間と思われる人がいない訳では無いが少ない。抽選を行う人間の作為が働いているのではないかとマイアは疑っていた。


 なお、市民解放日の薄汚く荒々しそうな肉体労働者や面倒な性格の貴族など、聖女の間で汚れ仕事と呼ばれる仕事はだいたい平民出身の聖女に回される。生まれた階級による格差というやつである。


 それはさておき――。


「アストラの《貴種(ステルラ)》はこっちより数が多いからな……聖女の治療順位は向こうにもあるが、優先順位が高いのは軍属の魔術師や軍人、次いで中央の政治屋や官僚だ。俺は諜報に異動する前は研究者だったんでな。大きな怪我をしたこともなかったからご縁自体がなかった」


 ゲイルの言葉にマイアは目を見張った。


「伯父様は研究者だったんですか?」

「ああ、魔術具の研究者だった」


 ゲイルはベッドから体を起こしながら答えた。心なしか顔色が良くなっている。


「ありがとう。随分と楽になった」


 とはいえまだ本調子では無さそうで、痩せて血管の浮いた腕が痛々しい。


「実は今でも研究は続けているんだ。色々事情があって諜報に回る事になって、糸屋を営む事になったから、これも何かの縁かと思って、布への魔術付与を研究してる」


 ゲイルはどこか遠くを懐かしむような眼差しで告白した。


「……そうだ、リズ、気が向いたらでいいから研究に協力して貰えないか」

「協力……?」


 首を傾げたマイアに頷くと、ゲイルはベッドから降り立った。その途端ふらついたので、マイアは慌てて支えてやる。

 成人男性ではあるが、ゲイルは小柄で痩せぎすなので、マイアでもどうにか支えられた。


「無理に起きない方がいいです。私が代わりに取りますから」


「情けないな……すまないが、そこの戸棚の上に置いてある赤い冊子と、戸棚の上から二番目の引き出しの中に入れてある箱を取って貰えないか? これくらいの奴だ」


 言いながらゲイルは指で横五センチ、縦七センチほどの長方形を作った。


 マイアは頷くと、指示されたものを探し出して、ベッドに戻ったゲイルに手渡す。

 するとゲイルは、一旦両方を受け取ったあと、冊子を開いてこちらに差し出してきた。


 マイアは中身を目にして目を見張った。


 分厚い赤の冊子には、絹と思われる艶のある生成の生地に、金糸で様々な魔術式の刺繍が施されたものが何枚も綴られていた。


「これは……」

「魔術布と呼ばれるものだ。魔術具の一種だな。その刺繍に使用している糸は、月晶石を繊維化したものが混ざった絹糸だ」


 月晶石というのは魔術具の核となる原料で、魔力を貯め込む性質を持った鉱石である。魔術具が高価なのはこの月晶石が希少なせいだ。

 何度も繰り返し使える魔術具には研磨加工が施された月晶石が埋め込まれているし、使い捨ての呪符タイプの魔術具には月晶石の研磨過程で出た石屑が使われている。粉末状にした石屑を練り込んだ特殊な紙とインクで作成されるのだ。


「アストラシルクの染色技術を開発した研究者が次に作り出したのがこの月晶糸だ。この糸と特殊な針を使って魔術式の刺繍を施すと布を強化する魔術を付与できる事がわかった。それも一般的な魔術具と違って、込めた魔力がかなり長く持続する」


「長いってどれくらいですか?」


「刺繍の出来栄えにもよるが、俺の技量だとだいたい半月程度だ」


 それは長い。マイアは目を見張った。魔術具の中に組み込まれた月晶石が魔力を留めておける時間は、もって丸一日程度というのがマイアの中の常識だったからだ。

 そのため、魔術具は魔力保持者が魔術の準備時間(キャストタイム)を短縮する為の便利な道具という位置付けになっている。


「今は鎧並みの強度を持つ布がようやく実用化の目処が立ってきたって段階なんだ。布の性質を残しつつ強度を高めるのがなかなか難しくてな……今後は発熱・保温効果や冷却効果、魔術耐性を上げる布なんかを作れたらと思ってる」

「……もし成功すれば、鎧や服の歴史が変わりそうですね」


 マイアは布に目を落としてつぶやいた。半月も効果が持続するという事は、魔力保持者が定期的に魔力を補充してやりさえすれば、普通の人間の装備としても転用できるという事に繋がる。魔力保持者の多いアストラにおいては、大幅な軍備増強に繋がるのではないだろうか。


「研究が進まない一番の原因は、それなりの裁縫の技術を持つ《貴種(ステルラ)》が少ない事だな。なんせ魔力器官の発達が認められたらひたすら魔術の勉強に打ち込むからな。そいつを刺したのは俺だが、この研究の話が来てから一から裁縫を始めたから、自分で見ても初期の作品はかなり酷い出来だ」

「…………」


 確かにゲイルの言った通り、冊子の後半の方は様になっているが、前の方の作品は布が引き攣れたり線がガタガタになっていてお世辞にも上手とは言えなかった。

 しかし率直な感想を述べるのはさすがにはばかられ、マイアは沈黙する。


「布に魔術を付与する為には、単に刺繍を刺すだけでは駄目なんだ。魔力を持つ奴が、自分の魔力を込めながらここにある月晶石製の針を使って刺さなきゃいけない。ついでに刺繍の出来も品質に影響する」


 そう言いながらゲイルは手元の小箱を開けた。

 その中には、金色の糸と一緒に金色の刺繍針が太さ違いで二本入っていた。


「だから私に声をかけたんですか?」

「それもあるが、聖女の魔力そのものを閉じ込めた布が作れないかなと思ってな。治癒性質を持つ魔力を付与した布を作れたら、兵の死亡率を下げられるかもしれない。だけど本国でも聖女は希少でね……そう簡単に何かを頼めるような存在じゃないんだ」

「……なるほど」

「嫌なら断ってくれてもいい」

「いえ、面白そうなのでお手伝いします。具体的には何をすればいいですか?」


 道中のいい暇つぶしができたと思えばいい。マイアは引き受ける事にした。


「材料と図案を渡すから、アストラに向かう道中で少しずつでも刺繍を刺して貰いたい。最終的に首都にいるナルセス・エランドという《貴種(ステルラ)》に提出して欲しい。そいつが月晶糸の開発者だ。試してもらいたい新しい魔術式ができたらその都度通信魔術で連絡する」

「わかりました」

「できる範囲でいいからな。セシルにも伝えておく」

「はい」

「ありがとう」


 ゲイルから深々と頭を下げられ、なんだか照れくさかった。

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