街へ 04
結局その日は昼下がりになるまでゲイルは二日酔いから復活せず、マイアは一日アルナの家事の手伝いや刺繍をして過ごす事になった。
少しだけ店舗の方を覗かせて貰ったが、ゲイルとアルナが営む店、『クライン商会』は主に縫糸を扱う商店で、店の棚には様々な材質の糸が所狭しと並んでいた。
針仕事をたしなむ者にとってはまさに楽園のような環境である。
諜報員という裏の顔が関わっているためだろうか、特にアストラ産の絹糸の品揃えは首都の大きな糸問屋以上だった。
また、店では手工業による糸製品も取り扱っており、刺繍リボンや手編みのレースなどの可愛いらしいものが飾られていて、眺めているだけでも楽しかった。
ルカは二日酔いではなく、単純に夜更かしとマイアを守りながら森を移動した疲れが出て眠っていたようだ。
昼食前に起き出して来たが、アストラへの連絡や亡命の旅の準備をするという事で忙しくてその日はマイアとは別行動になった。
服を買いに街に出られたのは、次の日になってからである。
アルナがマイアを案内してくれたのは、クライン商会があるのと同じ商業地区にあるお店で、ちょっと裕福な平民が着るランクの既製服を扱っていた。
可愛らしい印象のおばさまであるアルナは服装のセンスもいい。彼女が選ぶのを手伝ってくれた服は、自分では絶対に手を出さない色柄のものが多くて服選びの参考になった。
品質で言えば、首都で身に着けていた服の方がずっと上だ。だけどその分堅苦しくて窮屈だったので、アルナに選んで買ってもらった服の方が着心地や手軽さのバランスが取れている。
肌にチクチクすることのないほどほどの品質の生地が使われていて、かつ体を不必要に締め付ける必要もない服に袖を通すのはこれが初めてかもしれない。
マイアも女の子だ。年相応にお洒落するのは好きなので、可愛い服を見ていると気持ちが浮き立った。
シンプルなブラウスの襟や袖には刺繍を入れたらもっと可愛くなりそう、とか、刺繍リボンを作ってワンピースに合うコサージュを作ってみようかな、とか考えるだけでもわくわくしてくる。
アルナは街で過ごす為の服と旅に必要になる服の両方を気前よく買ってくれた。
「若い子の服を選ぶのは楽しいわね。まるで娘ができたみたい」
楽しげなアルナの様子にふと不安がよぎった。
ルカに助けられてからこちら、出会った人全員がマイアに良くしてくれる。
聖女としての癒しの魔力に利用価値があるからなんだろうけれど、ここまで順調だと、この先にとんでもない落とし穴が待っていそうで怖くなった。
本当にアストラの人なのかな、とか、突然豹変して変な場所に売り飛ばされたらどうしよう、とか。こんな風に服を買ってくれるのも、高値で売るためのラッピングかもしれない。
疑り深い自分に自己嫌悪すると同時に、ざわざわと心がざわめいた。
◆ ◆ ◆
購入した大量の服を抱えてクライン商会に戻ると、裏口にはルカがいた。
仕入れた商品の配達があったのか、いくつもの木箱が裏口に置かれていて、それを店の裏側にある倉庫に運び込んでいるようだ。
「お帰り、アルナ、リズ」
「た、ただいま」
誰かに帰りを迎えられるのは何年ぶりだろう。
七歳で両親を亡くしてから、思えば家庭的なものとは縁遠かった。
「あら、セシル、手伝ってくれてるの?」
「だってゲイルがしばらく居候するつもりなら働けって。ここが終わったら棚卸を手伝えって言われたんだけど」
「うちは商品の種類が多いから在庫管理が大変なのよね。手を貸してくれると助かるわ」
にこやかに返すアルナにルカは肩を落としてため息をついた。
「夜は肉がいい」
「はいはい、準備しておくわ」
「よし」
ルカはぐっと手を握り込むと、気を取り直したのか、木箱に向き直った。
「力持ちねぇ。若い男の子はやっぱり違うわ」
木箱を三つ重ねて持ち上げたルカの姿にアルナは目を丸くする。
「ゲイルが貧弱すぎるんだろ? アルナのが絶対力持ちだって」
「言えてるかも」
アルナはけらけらと笑った。
◆ ◆ ◆
「……じゃあ次、アストラシルク刺繍糸、一番、五箱」
「はい」
「二番、三箱」
マイアは店の裏手にある倉庫にて、ルカの棚卸の作業を手伝っていた。
買ってもらった衣類を片付けたら手持無沙汰になった。
ぼんやりするのも気が引けて、何かすることはないかとアルナに聞いたら、ルカの手伝いを依頼されたのだった。
ルカが数えて読み上げた倉庫内の糸の在庫を在庫管理用の帳面に書き付けていく。
帳面に使用されている紙は安くて粗悪な藁製の紙だから、気を付けないとすぐにペンのインクが滲んでしまう。
「百五十番、三箱」
「はい」
「……ちょっと休憩しよう。疲れてきた」
キリのいい品番まで読み上げた所で、ルカはそう提案してきた。
倉庫の中の糸の在庫は膨大だ。何しろアストラシルクの刺繍糸だけでも二百色あるのだ。縫糸も百色、それが太さを変えて三種類ある。綿や麻、羊毛なども取り扱っている事を考えると、店内の商品の数は推して知るべしである。
「あー、くそ、なんで太さ違いでこんなに糸があるんだ……」
「生地によって使う糸を変えるからよ。厚手の生地には太い糸、薄手の生地には細い糸を使って縫うの」
「へえ……糸なんてどれも同じに見えるけどなぁ……」
「同じじゃないわよ! 何の生地を縫うのかで素材や太さを変えなきゃいけないの。絹は同じ絹や皮を縫う時に使うし、植物性の繊維の布を縫う時は綿の糸を使うのよ」
ルカの発言はマイアにとっては暴言だった。つい熱く語ると、ルカは明らかに身を引いていた。
「……詳しいんだな」
「一応お針子を目指してたから」
恥ずかしくなって目をそらすと、ルカがふっと笑うのが視界の端に見えた。
「心強いよ。アストラまでは糸の行商をしながら移動するからリズに頼る事になりそうだ」
そう言えば、行商しながらアストラに向かうと説明されていた気がする。
「売り歩く商品は糸なの?」
マイアの質問にルカは頷いた。
「ああ、この商会は行商も取り扱っていて、行商を担当する者はうちの諜報員なんだ。だからゲイルに任せておけば旅券も手配して貰える」
糸を売り歩きながらアストラに出国し、アストラにて糸を仕入れて戻る。その旅程の中で、この商会に所属するアストラの諜報員は様々な情報を探っているのだという。
「行商人なら夫婦を装うこともできるだろ? リズには不本意かもしれないけどそこは我慢して欲しい」
「夫婦っ!?」
マイアは動揺した。そんなマイアにルカは申し訳なさそうな表情をする。
「男女二人で旅をするならそれなりの理由がないと……悪いけど」
「ううん……」
マイアは何だか気恥ずかしくて俯いた。
ルカは結構格好いい。元々の顔立ちの良さが髪と瞳の色が変わった事で際立って、頬に散ったそばかすすらも実年齢よりずっと若く見える彼の少年めいた魅力を引き出している。
だから何だかいたたまれない気分になった。
そんなマイアの内心を知ってか知らずか、ルカは淡々と告げる。
「一応ギリギリまで商品の勉強はするつもりだけど、俺、裁縫は釦の付け直しくらいしかできないから、リズの知識には期待してる」
ルカの表情は静かで、意識している自分が馬鹿みたいに思えた。
(自意識過剰)
マイアは自分に向かって呟くと、心の中でため息をついた。




