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【書籍化】雑草聖女の逃亡~隣国の魔術師と偽夫婦になって亡命します~【3/15小説2巻発売】  作者: 森川茉里


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街へ 02

 着替えを終えて幌馬車の荷台を出ると、ルカの瞳の色が変わっていた。

 瞳の色を変えるという目薬を使ったのだろう。虹彩の輪郭の金色が消えて、猫みたいだった色合いが緑色単色になっている。

 華やかさは多少抑えられたが、緑の瞳自体が珍しいので目立つ事には変わりがない。


「すごいね。アストラにはそんな目薬があるんだ」

「この魔術薬自体は珍しいものじゃない。魔術師の間では割と有名だからイルダーナにもあると思うんだけどな……」

「リズは聖女だからな。外に出さないために教えなかったのかもな」


 ルカとゲイルの言葉にちょっと嫌な気持ちになった。




 マイアとルカが馬車の荷台に乗り込むと、ゲイルは御者席に座って馬を発進させた。

 城門を守る衛兵は、街で糸問屋を営むゲイルの口上を簡単に信じてあっさりと中に通してくれた。


「少なくともこの街にいる間はマイアはリズ、ルカはセシルで通してくれ」

「はい」


 ゲイルの発言に頷いたマイアに、ルカが声をかけてきた。


「俺は偽名を使う事に慣れてるけど、リズには違和感があると思う。悪いけど我慢して欲しい」


 ルカの言葉にマイアは首を振った。


「必要な事だってわかってるから」

「それなら良かった。偽名を使いこなす時のコツは普段から徹底する事だ。だからリズも今から俺の事はセシルって呼んで欲しい」

「わかったわ、セシル」


 うっかりルカと呼び掛けないよう気をつけなければ。マイアは気を引き締めると、セシル、と何回か心の中で繰り返した。




   ◆ ◆ ◆




 ローウェルはかなり規模の大きな城塞都市だ。

 ホットスポットが近いことから軍の基地があり、傭兵ギルドの拠点も置かれている。

 巨大化した大型魔蟲が万一出てきても大丈夫なよう防衛設備が築かれたこの街は、付近を大きな川が流れていることから、商業の拠点ともなっており、大通りは活気に溢れていた。


 荷馬車が停まったのは、商業地区の一角にあるそこそこ大きな店舗兼住居の裏口だった。

 ここでゲイルは諜報員仲間で『妻』役のアルナという女性と糸問屋を営んでいるらしい。


「アルナ、戻ったぞ」

「お帰りなさい」


 ゲイルが裏口の扉を開けて中に向かって声をかけると、ゲイルとは対照的にふくよかな中年の女性が出てきた。明るい茶色の髪に青い瞳をした可愛らしい印象のおばさまで、若い頃はきっと美人だったのではないかと思われる人物である。


「あなたがゲイルの姪っ子のリズね。初めまして」


 アルナはにこやかにマイアに話しかけてきた。マイアは一瞬面食らうが、彼女も諜報員だ。そういうお芝居なのだと瞬時に理解する。


「初めまして、伯母様」


 アルナは微笑むと、マイアとルカを温かく室内へと迎え入れてくれた。

 ゲイルは馬を納屋に繋ぎに行くようだ。


「ルカ……じゃなくてセシル。久し振りね」


 アルナがルカに話しかけてきたのは、裏口の扉をしっかりと閉めた後だった。


「そうだね、久し振り、アルナ」

「……あなたがまさか女の子を連れてくるとはね。事情は後で聞くわ。まずはコーディアルでも飲んで体を休めなさい」


 そう言ってアルナが通してくれたのは食事室だった。

 壁を隔てた向こう側は台所になっているようで、手狭だが六人掛けのテーブルと暖炉があり、室内は快適な温度に保たれていた。


 コーディアルというのは、ハーブや果物などを漬け込んだシロップで、この辺りでは一般的な保存食だ。


 食事室には人数分のティーカップが既に準備されていて、アルナは暖炉の上でシュンシュンと音を立てているポットを手に取ると、コーディアルをお湯で割ったものを出してくれた。


(エルダーフラワーかな?)


 カップからはエルダーフラワーの白ブドウに似た甘い香りが漂い、コーディアルのお湯割りを口にすると爽やかな味がした。エルダーフラワーは発汗作用のある美容と健康にいいハーブだ。


「アルナさんも魔術師なの?」

「アルナ伯母様だろ?」


 アルナが席を外してからこっそりとルカに尋ねると注意されてしまった。


「ここでは『リズ』はゲイルの姪っ子だから、家の中でも徹底して欲しい」

「そうだったわ。ごめんなさい」


 気を付けないといけないのは、ルカをセシルと呼ぶ事だけではなかった。マイアはゲイルは伯父様でアルナは伯母様なのだと改めて心の中に刻み込む。


 ルカは満足気に頷くと、「さっきの質問の答えだけど」と、切り出してきた。


「アルナは魔術師じゃない。《オリジン》だ。こっちの言葉に直すと平民ってとこかな? アストラでは魔力保持者ではない人間を指す言葉なんだけど」

「……聞いた事があるわ。確かアストラでは魔力保持者は《貴種(ステルラ)》、そうじゃない人たちは《平民(オリジン)》と呼ばれているのよね」


 隣国は魔力保持者によって統治される国だ。恐らくこの国とはまた違った意味での身分差別があるのだろう。


「一応断っておくと、アストラの身分制度はこの国とはまた違う」


 ルカの発言は、マイアの内心を読み取ったものだろうか。


「社会の構造や法律がこの国とは全然別物なんだ。確かにアストラは《貴種(ステルラ)》がこちらでいう貴族として統治する国だけど、だからといって《平民(オリジン)》が蔑ろにされている訳じゃない。アストラにおける《平民(オリジン)》は、《貴種(ステルラ)》が苦手とする肉体労働に従事する存在だ。彼らの存在がなければ国自体が立ち行かなくなるから、不当な扱いや搾取を受ける事がないように、色々な法整備がされている」


「難しい話をしてるのね、セシル」


 食事室に戻ってきたアルナが話しかけてきた。


「お風呂が準備してあるから順番に入ってきなさい。とりあえずリズからかしら? セシルからは色々と聞きたい事があるからね」

「わかった。リズ、こっちの事は気にせずお先にどうぞ」


 ルカからも先にと言われたので、マイアはありがたく入浴させてもらうことにした。




   ◆ ◆ ◆




「年頃の女の子って聞いたから適当に見繕ってきたんだけど、あなたには少し大きかったわね。体に合ったものは明日改めて見繕うとして、今日はこれで我慢してね」


 そう言いながら、アルナはマイアを風呂場に案内すると、着替えと体を拭く為のリネンを手渡してくれた。


「この規模のおうちでお風呂があるのは珍しいですね」


 お金持ちや貴族の家はまた別だが、個人の家にお風呂がついているのは珍しい。庶民は公衆浴場で体を清めるものだ。どれくらいの頻度で通うかは、個人の懐具合や衛生観念にもよるが、大体三日に一回程度が平均的なのではないだろうか。


「イルダーナと違ってアストラ人は綺麗好きだからね。ゲイルが頑張って作ってくれたのよ。でも毎日毎日風呂に入ってるとこの国では変に思われちゃうから魔術でわからないようにしてあるの。だから隣近所にはこの家にお風呂がある事は内緒にしてね」


 そう言ってアルナは口元に人差し指を立てる動作をしてから脱衣所を出て行った。


 一人になったマイアは早速服を脱ぎ、浴室に足を踏み入れた。

 壁にはさりげなく魔術式が書かれていて、湯気やら石鹸の匂いやらが外に漏れないような工夫がされているようだ。

 浴槽は男性でも足を伸ばして入れるほどの広さがあり、草原のような爽やかな香りが立ち込めていた。

 よく見ると、お湯の中にハーブの入った袋が浮かべられている。

 浴室内に置かれている石鹸は、いい香りがする明らかに高級なもので、ゲイル達の入浴に掛ける情熱が窺えた。


 マイアも魔力器官が急発達してお嬢様暮らしを始めてからは、毎日入浴するのが当たり前の生活を送っていた。

 討伐遠征中ですら魔術で体を清めてもらっていたのだ。今更孤児院時代のような、頭に(しらみ)を飼っているのが当たり前の不衛生な生活には戻れない。


 ルカと一緒に行動している間は《洗浄浄化》の魔術で綺麗にしてもらってはいたが、お湯に浸かるというのはやはり格別である。




 指輪は建物の中では外していても構わないだろうか。


 入浴を終え、脱衣場に出たマイアは、自分の赤茶の髪を摘んで考えた。


 魔術具の指輪は、付けているだけで少しずつ魔力が吸われていく。微々たる量ではあるのだが、慣れない感覚がちょっと鬱陶しい。


 迷った結果、指輪は外したままの状態で着替えに袖を通した。

 アルナから着替えとして渡されたのは、体を締め付けない楽なデザインの室内着とガウンだった。


 着替え終わったマイアは、まだ湿っている髪をリネンでポンポンと叩きながら食事室へと戻る。

 そして食事室の扉に手をかけた時だった。


「エマリア・ルーシェンの再来だと!?」


 そんな声が聞こえてきた。

 ゲイルの声だ。反射的にティアラ・トリンガムの話をしているのだと悟り、マイアは硬直した。


「大聖女の……は邪法……」

「まさか国境の誘拐事件は……」

「……から、トリンガム侯爵家を……」


 断片的に聞こえてくる単語が何やら不穏な気がする。

 食事室の前で立ち尽くしていると、唐突に目の前のドアが開いた。


「……リズ」


 ルカだった。意図した訳ではないが、立ち聞きしていたようなものだ。はしたない人間になったようで恥ずかしくなる。

 食事室にはアルナの姿はなく、ゲイルとルカの二人で話をしていたようだ。


「どこまで聞いた」


 厳しいゲイルの声に、マイアはびくりと体を竦ませた。

 黙っていると立場が悪くなりそうな予感がしたので、震えながら答える。


「エ、エマリア・ルーシェンの再来、大聖女の何かは邪法、国境の誘拐事件がどうとか……全部ちゃんと聞こえた訳じゃなくて、断片的に聞こえてきて……」


 マイアがつかえながらそう告げると、ゲイルは舌打ちをした。


「ごめんなさい、立ち聞きするつもりはありませんでした……」

「ゲイル、そんなに凄まなくてもいいだろ? リズはうちに来るって決めてくれたんだから」


 取りなすように発言したのはルカだった。


「まだ部外者だ」

「そりゃそうだけど無関係とも言い切れないだろ。リズはティアラ・トリンガムに殺されかけて、こうして逃げる羽目になったんだから」


 険しい顔のゲイルに食い下がるルカ。マイアはその二人を前に、意を決して割り込んだ。


「私、何も聞いてないです……」


 マイアの発言にゲイルがわずかに目を見張った。


「聞いてまずい事だったのなら忘れます。詮索もしません」


 気にならないかと聞かれたら嘘になる。でもこれがマイアの処世術だ。

 これまでずっと理不尽も気に食わない事も飲み込んで長いものに巻かれてきたのだ。

 アベルの機嫌を損ねないように心の中を隠して振舞って来たのに比べれば、これくらいなんて事ない。


 ほんのわずかな睨み合いの後、ゲイルはふうっと息をついた。


「悪かったな、リズ。うちの国家機密に関わる話なんだ。……そこに居たら冷えるだろ、こっちに入るといい」


 ゲイルはマイアを暖炉から一番近い席に(いざな)って座らせた。


「やだ、変な雰囲気ね。どうしたの?」


 アルナが食事室に戻ってきて話しかけてきた。第三者の登場に、マイアは少しだけほっとする。


「何でもない。セシル、風呂が空いたからお前も入って来い」

「いや、でも……」

「もうこの話はついた。蒸し返したりはしない」


 逡巡するルカに向かってゲイルはきっぱりと言い切ると、しっしっ、と追い出した。

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