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『色』

作者: ターバン

 華やかな商店街の灯り。

 賑わう人々の流通。道路の車が並んで通り過ぎていく。


「くそっ!」


 男は荒んだ心に苛立ち、転がっている空き缶を蹴る。

 とぼとぼ沈みがちな痩せこけた中年のサラリーマン。黒いスーツにカバン。男は欲が沸いて下卑た穢れを心に挿す。

 痩せこけた中年を人気のない建物の隙間に追いやり、理不尽な怒りで脅し立てる。


「金貸せよ! 負けてイライラしてんだ」

「……うう」


 弱々しい中年はしどろもどろで顔を俯かせている。

 攻撃的に壁に拳を叩きつけ、中年を怯えさせる。気弱な中年の心情など、男にとってはどうでもいい。路傍の石でしかないが、目当ては金。それだけが男の欲を引き立てさせる。

 男は中年をボコッて痛み付ける。鈍い音を響かせる。


「最初っから出しゃいーんだよ。わはは」


 震えて差し出された万札数枚をぶんどって、男は満足そうに笑い唾を吐きつけた。

 痛々しく崩れ落ちている中年は泣きじゃくって頭を俯かせたままだ。

 どれだけ我慢して頑張って辛いだけの仕事を毎日こなして得られた金を、誰とも知らぬ男に奪われた。惨めで死にたくなる心情でいっぱいだろう。

 だが、男にはどうでもいいこと。またパチンコか風俗か娯楽にしか頭にない。


 男は下卑た笑みで頭の中には穢れた欲情でいっぱいで周りの人の都合など考えていない。人はそれを『悪人』と呼べる。

 夜道で見かけた弱々しい女を背後から近づけてば、暴力のままにねじ伏せて欲情を満たす。

 残されるは泣きじゃくる被害者のみ。


 男は一時的な快楽に悦びを感じていたが、それも束の間。また獲物を探しに夜道を徘徊する。



 道端で突っ立っている坊主。祈っているように動かない。足元には入れ物がある。そこに小銭が入っている。

 男は訝しげに一瞥。

 いつもの味気ない坊主が無駄に祈りをして、小銭を恵んでもらおうとしているものと思った。

 やはり、男に穢れた欲情が心に挿す。

 弱き者をどうしようが、強者の赴くまま。理由もなく理不尽にねじ伏せる、それだけで気持ち良い。

 他人をいたぶるのは自分のカタルシスを満たす為。


「毎日毎日ご苦労だな! 無駄な事をよ馬鹿みてぇ」

「……欲まみれなのが分かる御仁ですな」

「あ?」


 説教くさいイメージがあるのが気に食わない。


「うっせーよ! つまんねー生き方するよか、ちまちまとワルやってりゃ楽だからよ」

「説教はせへんよ。ただ身を持って味わう方が良いのかと考えておりまして」

「はぁ??」


 男は坊主の胸ぐらを掴み上げる。

 ねじ伏せるための拳を振るおうとした時!


「話して分からぬ馬鹿者は世にたくさんおります故、御仁がしてきたように私もあなたから『色』を奪い去ろう……」


 暴力のままに坊主を殴り、地べたに転がす。

 何訳の分からぬ事をほざく? と聞く耳持たず、横になっている坊主を足蹴する。


「喜べ! 坊主の生き方も悪くないと思い知るがよかろう」

「糞が!!」


 何度も足蹴し、懐から財布を取り出すが千円札すらない。放り捨てる。

 しけた獲物だと興味が失せて、そのまま去っていく。



 一人寂しいマンションの個室で男はカップヌードルを啜り、ビールを飲む。

 明かりが灯らず、懐中電灯で照らしている。辺りは小汚くゴミがちらほら、徘徊する虫、洗ってないみすぼらしい布団。

 ほどよく酔っ払って心地よく男は布団へ寝転がって眠りにつく。


 玄関の郵便受けには新聞紙や借金返済の催促状などがたくさん突っ込まれている。



「清らかな一日を!」


 坊主の息がかかり囁かれて、思わず男は飛び起きた。キョロキョロ見渡すが誰もいない。

 ギシギシ古びたマンションが軋む音がするだけ。

 付かないテレビ。

 電車が通り過ぎる音が襲ってくる。男は「空耳か」と再び寝入った。


 朝になっても男は眠りを貪るようにイビキをかき、昼過ぎに起きた。



 獲物を求めて再びマンションを出る。

 眩しい太陽に清らかな青空が目に痛い。荒んだ心を引きずって猛獣のように金と女を目ざとく探していく。

 男にとっては金と女が全て。

 金でギャンブルや酒、女は性欲を満たす便器。狭い世界で男は充分満喫していると思い込んでいた。

 そもそも狭い世界とすら認識してはいない。

 ただただ欲の赴くままに手当たり次第獲物を狩るだけの獣だ。


 許されれば殺人も容易に行えるだろう。



 巡回している警察が目に入ると、罪悪に荒んだ心にナイフが刺さったかのように怯む。

 目に入らぬようコソコソと別の所へ逃げ込む。


 これまで悪さして何度か捕まりはした。刑務所でお世話になって刑期を終えても荒んだ心は一層増すだけ。

 犠牲者を貪り続けて、前科を重ね続けるだけの一生しか男にできる事はなかった。


 今更真面目に我慢して会社の奴隷になるつもりはさらさらなかった。



「『色』があるようで『色』がない哀れな一生」


 背後から坊主が忍び寄ってきた気配にゾクッとする。咄嗟に振り向くと誰もいない。

 ざわついた心情に陰りが入る。

 幽霊がいるなど男は信じていなかったが、先程から聞こえてくる坊主の声。不気味な気配すらする。


 早足で坊主がいた所へ赴くが、そこには坊主はいなかった。

 病院へ行ったのかもしれない。早々に立ち去ったのかもしれない。どちらにせよ、会えそうにない。


「この世は煩悩まみれの俗世。そこで人は『色』に囚われて溺れて生きるのみ」

「てめぇッ!!」


 苛立ち紛れにキョロキョロ振り回すが、坊主の姿は影すら見えない。

 こちらの大声に怯んだ通行人がそこかしこにいるだけだ。


「見せもんじゃねーぞォ!」


 怒鳴ると通行人はそそくさと顔を背けて去っていく。



 ますます苛立ちが募る。

 男はツカツカと路地を歩いて回る。とある住宅地へ侵入。空き巣の為だ。

 予め目星をつけておいた家へタイミングよく侵入。


 夫婦は共働きでいない事は知っている。代わりに小学生くらいの女の子が一人。

 音を立てず部屋に入り込んで金目の物を懐に入れていく。このスリルがたまらない。あらかた物色すると、女の子の部屋へ忍び寄る。


「ママ?」


 もう用済みとなった家に用事があるのは、この子のみ!

 あおざめて怯える女の子。

 下卑た欲情を掻き立て、うら若き体のみ想像を掻き立てて、男の力任せに襲いかかる。


「いや────っ!!!」


 小学生の女の子程度、追いつき腕を掴んでベッドに押し倒し身動きさせなくする。

 湧き出した性欲のままに服を剥ぎ取────────!


「あ?」


 いつの間にか女の子は服だけになっていた。


 ついさっきまで可愛らしい女の子が悲鳴を上げていたはずだ。それが女の子が着てた服だけ残して忽然と消えている。

 思わず仰け反って立ち上がる。

 辺りを見渡しても、女の子の気配は愚か影すらない。


「……逃げた?」


 ドタドタ部屋中を探しても女の子はいない。まるでこの世から消えたみたいだ。



「喜べ。これから御仁に不要な『色』は徐々に取り除こう……」


 背後から坊主の存在感が伸し掛ってくる。思わず振り向くが誰もいない。

 男は「なんなんだ!?」と叫ぶ。しかし不在の家からは声は返ってこない。男は舌打ちし、家を出る。


 昼間だからか人はあまり通らない、はずだ。


 人が多い所へ赴くと男は唖然とした。

 そこかしこに行き交いしていたはずの人々が全くいなかったからだ……。


 高架橋を電車が通り過ぎていく。


 男は絶句した。周囲の人間が透明人間になったみたいだ。

 腹が減って、男はスーパーへ足を運ぶ。

 もし思った通りなら、と入り込むと食べ物はちゃんと並べられていた。ただ人が見えなくなっただけだ。そこに生活感があり、流通はいつもの通り。

 そこら辺のリンゴを掴んで齧る。が、思わず異物感がしてペッペッと吐き出す。


「な、なんだぁ!? こりゃあぁ!?」


 手に持ったリンゴは外見こそ本物だが、中身は粘土みたいだ。味もしない。

 思わず床に叩きつけてベチョッと崩れ散った。

 まるで粘土で形を整えて、本物と変わらない外見に染まってるだけに見えた。


 果物だけじゃない。野菜も、唐揚げも、米も、魚も、お菓子もみーんな精巧な粘土だ。


「御仁にその『食欲の色』は必要なかろう……」

「てめぇ!! 姿を現しやがれ!!」


 坊主の声に叫び返すが、誰もいない。


「コソコソ隠れて囁くだけの卑怯者が!! 出てきやがれ!!」


 罵るが、もう声はしない。

 何度「てめぇ!!」「コラ!」「逃げるのか!!」「戻しやがれ!!」と怒鳴り散らすが、虚しく無人のスーパーで響き渡るのみ。

 怒り任せに棚を蹴り倒していく。転がって散らばる品物。

 鼻息フーフー息を切らすが、事態が変わらぬと見て諦めるしかなかった。


 レジの所から金を取ろうとするが、真っ白の札束と装飾のないコインだけだった。


 男は後しざりし、尻餅をつく。

 今更金があったとしても使い道はないのだろう。諦念と肩を落とす。


 スーパーを出ると、違和感がした。

 周りの建造物がどこか作り物っぽい……。まるでテスクチャーを貼り付けたような地形。しかしすぐにテスクチャーが剥がれ落ちたように面積を縮め、しまいには全てが灰色になってしまった。

 道路はもちろん、塀も家も電柱も自転車も全てが灰色────。


 加えて恐ろしい程の無音。


 ぞわり、身震いするほどの寒気が男を襲った。冷や汗が全身を濡れる。

 恐怖が心を占め、膝がガクガク笑う。

 坊主は何をしてきた!? 一体どんな方法で? そもそもこれは何なんだ??


 急いで走りに走ったが、灰色の風景は依然と変わらなかった。

 どこまで行っても灰色の地形のみで、まるで世界から『色』が落ちたかのような不可解な現象だ。


 唯一色が残っている空は夕陽で赤に染まっていた。男はトボトボと自分のマンションへと帰るしかなかった。


「ちくしょう……。結局何も食べられなかったじゃねぇか……!」


 ふと気付いた。


 もう腹が鳴っていない。


 腹が減っている感覚もない。


 まさか……『食欲の色』の喪失は食べ物を奪うだけではなく、消化器官の機能すらも奪った?

 このままでは餓死するんじゃないかと男は思った。

 だが感覚的に、餓死しなさそうに思えてきた。何も食べる必要もなく生きれると不思議な確信があった。


 陽が沈み、薄紫に暗くなっていく最中マンションへ着くと、自分のではなく他人のドアを開けた。

 そこには自分よりも丁重に物が置かれているが全て灰色。誰もいない。冷蔵庫を開けても冷えていないし、食べ物を象った灰色の何かが積み込まれているだけだ。

 ペットボトルですら透明ではなく灰色。開けても中身はない。すっからかんだ。


 床に投げつけてもベチョッと粘土のように崩れるだけだ。


「糞ぉ……!! 何なんだよぉ!!!」


 頭を抱えて叫び上げる。

 しかしそれに応える声はない。不気味に無音のみが漂うのみ。

 何度床に拳を叩きつけても何もならない。



「坊主!! いや坊主さん!! 頼む!! 心を入れ替えるから、元に戻してくれええ!!」


 縋り付くように、神へ祈るように、懇願を叫ぶ。


「二度と悪さはしない!! 反省もする!! これから真面目に働いて借金も返して生きていく!!」


 しかし無音…………。


「これまで酷い目に合わせてきた人にも謝る!! 謝って回る!! だから頼む!! 元に戻してくれええええ!!!!」


 泣いて縋り何度も土下座を繰り返す。

 ただただ謝罪を述べ続け、泣いて縋ってみっともなく媚びへつらって、救いを渇望する。

 朝になるまで男は泣き叫びながら何度も懇願し続けた。



「良かった……。御仁も己の罪深さを分かってくれた…………」


 朝日が射すと共に響いてきた坊主の声に男は心に希望が差してきた。

 ────と同時に、酷い目に合わせてくれたドス黒い復讐心が燃えてきた。殺してやると殺意が沸いてきた。

 元に戻してくれたらブッ殺してやる!!

 これまでやられた分、現世で滅茶苦茶してやる!!


 荒んだ心から穢れの欲情が暴発してきて溢れそうになる。

 坊主が姿を現してくるのを心待ちに、殺意を潜ませて土下座のまま様子を窺う。


「これで『色』から逃れられた、この清らかな世界で御仁は救われよう……」


 突き落とされるような坊主の言葉。愕然が心を覆う。

 思わず頭を上げて男は手を指し伸ばして「待て!! 待ってくれ!! 元に……!」とわめく。



「安心めされよ……。御仁の為に用意された救いの世界で永遠に生きれるのだ。そこで穢れを清めて健やかな日常を過ごされるが良い」

「待ってくれ!!! 心の底から深く反省している!!! 頼む!!」

「今までの『色』が御仁を穢れさせた。誠に済まない故、救済の手を差し伸べた」


「元に戻してくれ!! こんな世界もう耐えられねぇッ!!!」


 しかし坊主は自己完結するように、男の懇願にも応えず……。



「さぁ、清らかな極楽浄土にて、永遠なる健やかな生活を!」


 最後に朝だったはずの明るい空が、フッと消え失せた。

 昼夜も季節もなく、何故か灰色の地形のみがハッキリ視認できるだけの、無人無音で真っ暗闇の世界……。


 腹も減らず餓死する事なく、新陳代謝して寿命を減らし老衰する事なく、自害によって身体を壊せる事なく、休息の為に眠る事なく、気が狂って精神を壊す事なく、永遠に変わらぬ不変の世界で男はただ一人『正常』にさまよい続ける。



「誰か、誰かぁ、助けてくれええええええええええ!!!!!!」

 灰色の世界に変わっていく不気味な事象を書いてみたくて、急遽こしらえた話です。

 この坊主、淡々としてて怖いですね。

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