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それは小さな5界です 第二部  作者: 大宗仙人
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第一章

第二部

第一章 終結と起始






 一瞬だった。さやか先生に『はい』と、ちゃんと返事できたかどうか自信がないくらい瞬時に、『球技大会後に帰宅したオレ』に戻った……と思われるが、実際はどうなんだろう? どうやって確認したらよいのだろうか――


「痛えええ!!」

 突然、左頬に激痛が走った。痛みのあまり、座っているのに足をばたつかせてしまった。なんじゃこりゃ。


「おう、ブタ」

「あら、子豚ちゃん」

「部田さーん」

「……部田さん」

「ブタしゃーん」

「トリニータ様」

「部田君」

「人間」


「ん? ん、ん、ん?」

 オレを取り囲むように着座していたのはプリンセス達。皆から一斉に声をかけられた。

 頬をさすりながらさらに辺りを見廻す。確かにここはオレのオンボロアパート、そしていつものリビング兼ダイニングである。照明が点灯しているので、夕刻か夜だろう。 

「お、おお、みんな。えっと……」

「ブタ、今日は……というか明日、終業式。明後日から待望の夏休みってわけだな」

 『今はいつ?』という最も不安に感じていた点について、エキドナがオレの心中を察して教えてくれた。

「ああ、そうか戻ったのか、オレは……そうか」

 オレの頬に何か熱いものが伝って顎の部分で雫となり、ぽたりと床に落ちた。あれ? オレ、泣いているのか?



「お帰り」



 周りにいた皆が、そう言った。オレは涙が溢れて止まらない。

「た、ただい……」

 いい年してみっともないが言葉にならなかった。これまで一生懸命に虚勢を張っておちゃらけていたが、猛烈な加速度で自分の周辺が変化していく状況に全く頭が追い付かず、そして解決策も見つからずで……

 そんな狂った世界の中、たった一人でどうやって生きていけば良いのかと絶望もしていたのだ。

 でもどうやら、オレは戻って来た。さながら死線から生還したと言っても良いくらいで、とにかく言い知れぬ感動だったのだ。

「子豚ちゃん、落ち着いたら、教えてちょうだいな。それまで待っていてあげるから」

「ニャ、ニャテナ? す……ヒック、すまん」

 オレは子供が泣いている時のように会話中にしゃっくりが出た。アテナの気遣いがかえって泣かせる。


「部田君!」

「あぼ!!」


 誰かが強い力で抱き着いてきた。オレの顔面は隆起した二つの柔らかい半円状のものに圧迫され、呼吸さえ危ぶまれる状態になった。が、そこは落ち着いて相手の胴を掴みながら、ゆっくり引き剥がした。

「ちょ、ちょい待ち! 息が出来ん」

「あ、ご、ごめんなさい」

 感激してもらえたのは嬉しかったが、『悪ふざけが過ぎるヤツ。どうせシーリーの仕業なんだろう』との想いをよぎらせながらその相手の顔を見ると……


知床(しれとこ)じゃないか!」

「あ、うん」


 待てよ、ということは。

「麗はいないということか?」

「ブタ、ゼカリヤに言われたことを覚えているか? お前の『想い』と『念』」

 麗はいない。知床がいる。エキドナは恐らく、わざと言葉足らずでオレに伝えたのだろう。そう、完全に元には戻れなくてオレの『想いと念』が影響した世界であると。

 それと他にも変更点があるようだ。

「エキドナ、すまんな、言いにくいことを……とにかくわかったから。でもな、そっちのキミ、なんでお前もいるの?」

 その人物は初登場時、強烈なインパクトをオレに植え付けたので、当然よく覚えているが、オレの自宅にいるのはおかしい。


「なんだ、人間! その言い方は! せっかく心配してやっているのに!」


 ソイツは立ち上がりつつ、右コブシを振りかざして威嚇のポーズをとった。

「心配とかじゃなくてさ、なんでオレの部屋にいるのかって聞いてんだけど」

「またしても無礼な! 天使がこんな汚い部屋にまで降りてきてやっているのにその態度はなんだ!?」

 今度は左手を大きくかざしたものの、両手でそれをやるとマルを表すジェスチャーになっちゃうっつうの。そんでガニ股になってパンツが見えてるっつうの。いい加減、学習しろよ……


「希、パンチラしてるから。とにかく座れよ」

 ついさっきまでのオレの感動を返してくれよ希。

 でも可哀そうだから、オレは教えてやった。偉いぞ、オレ!

「えっ!? え、え、えー!! やだー!」

 希は両手で顔を覆って、内股になりつつストンと腰を落としてぺたんこ座りというかおばあちゃん座りになった。これも前に見たな。


「あと、シーリー」

「はい」


「えっとだな、もう、飛びついてきたりはしないんだな」

「トリニータ様のジャンパーの記憶は知っています。随分と私、お行儀の悪い子だったようでご迷惑をおかけしました」

「あ、いや、そんなことは別に……全く気にしていないんだけど。それよりもやっぱり雰囲気が変わったなと思ってね」

「お嫌いになりましたか?」

「いやいや、そんなことはないけど、見た目は全く変化がないのに内面は人が変わったようだから、ちょっと戸惑ったというか……」

「そうですか」

 シーリーは一言で表すなら『堅物』になった。ケンモツではない。その影響からかツインテとのギャップが気になるようになった。これもオレが望んだことなのだろうか。

「それとなんだが、明日はまだ学校があるんだろう? みんなとの関係は変わっていない……わけないよな。エキドナ、アテナ、メリア、ガイア、シルクはそのままと思って大丈夫か?」

 オレは特に誰と指定せずに回答を求めた。


「……部田さん、私がお答えしても宜しいですか?」

「お? おお、メリア。是非、教えてくれ」

「私達最初からいる5界の者は部田さんの以前のイメージ通りで良いと思います。それと……知床さんとはお付き合いをされています。シーリーは入学の手続きを終えたばかりですが、やはり同じクラスになる予定とハガイさんが仰っていました。希さんは今のところ生徒になる予定はないようですが、ここに同居しています。あと……白神麗さんは良いお友達ですが、あくまでも校内だけの関係です」

「う~ん……そうか」

「あと、もうひとつだけ。部田さんの左頬が腫れているのはジャンプで飛んだ世界でアテナさんに平手打ちをされたからです。この件についてだけは身体的ダメージを持ち越したまま戻ってこられたようです。なぜなのかはわかりません」

「あ、それ、思い出した。だからか~」

「よろしければ今から治療いたします。失礼します」

「え? お、そうか。じゃあ頼みます」

 スッと立ち上がり、オレの脇で行儀よく座り直したメリアは、そっと手の平を患部にあてがった。顔が物凄く近い。吐息まで感じる。良い匂いもする。メリアはいわゆるパーソナルスペースを超えて密接距離を取ることが多い。恐らく本人は無意識なんだろうけど、こっちがたまらん。

「……」

 知床が下を向いている。そういえば『ここ』ではオレ達、付き合っているんだよな。だとすると面白くないのかな。

「ブタ、今回は珍しくメリアの色香に惑わされていないな。少しは成長したか?」

 エキドナが茶化してきた。この感じ、懐かしい。

「当然よね~、なんたってもう一人の私が直々にお仕置きしたわけだしね~」

 続いてアテナ。さやか先生が言った通り、ちゃんとオレが経験してきた記憶をプリンセス達が共有しているのは有り難いが、知らなくてもいいことまで知られているのはちょいと困る……

「部田さん……」

「ん?」

 不意にオレの名を呼んだのは至近距離で施術中のメリアだ。

「私……お気に召しませんか?」

「え?」

「部田さんにとって私は異性としての対象になり得ませんか?」

「ええっ!? い、いや、そ、それは……」

 また、その潤んだ瞳をオレに向けないでくれ、メリア。心が吸い込まれそうになるんだってば。

「……」

 メリアはオレの顔から手を放し、自分の膝の上に置き、下を向いてしまった。

「お、おい、メリア?」

「はい……大丈夫です。変なことを言ってすみませんでした。それと治療も終わりました」

 今度はオレの方を向いて笑顔を向けるメリア。し、しかし――


「あー! ブタしゃんがまたメリアちゃんを泣かしたー!」


 シルクが叫んだとおり、いつの間にかメリアの目は真っ赤に腫れていた。

「ええっ!? な、なんで?」

 思い返すとメリアが初めてオレを治療してくれた時――

 そうシルクが拉致られそうになったあの時だ。オレは犯人を追いかけようとして壮絶にすっ転んで頭を打った。今と同じように治療してくれたメリアはやはり泣いていた。その時も理由がわからず仕舞いだったが、今回も皆目わからない。

「子豚ちゃん、色々あって今日は疲れただろうから、もう寝なさいな」

 スッとオレの前に出たのはアテナだ。

「えっ? ……ん、ああ、そうだな。そうさせてもらうか」

 アテナは目で物申している。『これ以上触れるな』と。彼女はプリンセス達の中では最も『もののあはれ』なヤツだ。実は思慮深く、繊細。恐らくメリアの機微に触れる問題なのだろう。オレは黙って従った。

「おう、寝ろ、寝ろ! ドスケベ大魔神」

「な、なんだと!?」

 エキドナもああ見えて、場の空気を読めるヤツだ。メリアの涕泣事件で重いムードだった空間を和やかにしてくれた。今回だけはオレを茶化してくれてサンキューだぜ、エキドナ!

 



「ふぅ……」

 布団に入って、ようやくオレ的には一息ついた。プリンセス達が来てからは『日々是寝落ち』と言っても良いくらいの状態だったが、今日は独りぼっちだった頃のように淡々と床に就いた。

 体は疲れを感じない。実は精神的な疲労もあまり感じていない。想像するにさやか先生の配慮ではないかと思う。今の世界にオレを戻すときに慈恵の意味も含めて体力回復という処方。そんな気がした。




 翌朝。今日までは学校がある。つうか今さらだが、せっかく高校時代に来たっていうのにすぐに夏休みでいいのか? いや、それもそうだが、オレってこれだけ色々なことがあったにも関わらず、ちゃんと日付を理解しているのはエライんでねえかい?

「ふあああ~ふぅ」

 オレはあくびをしながら隣のダイニングに顔を出すと台所には知床がいた。タンクトップにふわもこのショーパン。その上にエプロンという艶姿だった。正面からの場景は裸エプロンに見えなくもない。ホント、朝っぱらから刺激が強すぎる。

「部田君、おはよう。もうすぐ出来るから待っていてね」

「あ、お、おお、おはよう」

 自分の家でありながら、見たこともない薄着で知床が朝食の準備をしているというのは新婚家庭のようで何ともこっぱずかしい。


「よ! 性欲キング! ゆかのケツ見て興奮してんじゃねえよ」

「な、なんだと!? 見てなんかいない!」

 オレにこんな呼び方をするヤツは一人しかいない。魔界の娘『エキドナ』だ。

「嘘つけ! お前、固まっていたじゃねえか? ついでに違うところも固まってんだろ?」

「なぬ!? んなことあるか! オレの記憶の中では知床イコール制服しかないから、ちょ、ちょっと……」

 オレは言葉に詰まった。学校の制服姿しか見たことがない女子の私服というか部屋着というか、し……下着に近いわけだし、知床は可愛いし、そりゃ、ちょっとくらいは……

「無理すんな、ブタ。変態のぞきクソ野郎だということは良くわかっているからよ、弁解すると余計みっともねえぞ」

「ぐ、ぐぬぬ」

 昨晩、怒涛の世界線漂流から帰還したばかりだというのに、エキドナのやつ、全く容赦がない。これじゃあ、何も変わっていないじゃないか。……ん? 変わっていない? 

 ……そうか。


「部田さん、おはようございます。早いですね」

「ブタしゃ~ん、おっはー」

「お、おう! おは」

 続いてダイニングに二人入ってきた。まずガイアはぺこりと頭を下げる。続いてシルクは右手を大きく上げて、元気よく朝の挨拶をしてきた。この感じ、なついな。


「トリニータ様、おはようございます」

「おう、おはよう」

 次にオレへ声掛けしたのはシーリーだ。トリニータと呼ぶところは変わっていないのだが、やはり違和感は否めない。


「あら、子豚ちゃん、早いわね~」

「……部田さん、昨日は申し訳ございません」

「おっす」

そして、最後はアテナとメリアが入ってきた。アテナはもちろんだがメリアもいつも通りだ。良かった。昨晩、あんなことがあったし、今日はどんな顔をして会えば良いのかと考えたが、これなら敢えてこっちから触れる必要はないだろう。

 シーリーのキャラがちょっとアレなのと知床と恋仲っていうのにも慣れないが、他のことは本当にこれまで通りなんだと実感できた。


「皆さん、出来ましたよ~」

 知床、なんて美しい笑顔なんだ。そしてなんて格好で朝飯を作ってくれているんだ。嬉しすぎるよ、オレ。

「おお、サンドイッチか。うまそうだ、よし、みんな座って一緒に朝飯だ!」

 オレは疑似新婚家庭気分を内心満喫しつつ、それをおくびにも出さず、努めて爽やかな男を演じた。

 よって、テンション『アゲアゲ』で号令を掛けたのだが……

「ん? 皆、どした?」

 全員、着席したものの、食べようとはしない。

「トリニータ様、希がまだ……」

 オレの問いかけに返答したのは、意外にもシーリーだった。悪ふざけばかりだった頃は気付かなかったが、きりっとするとシスターのようだ。背筋がしゃんとしていて両手の平を膝の上で重ねて置いている。なんて行儀が良いのだろうか。そしてかつて繰り返されてきたオレの顔面へのおっぴろげアタックとヒッププレスは何だったんだ。

「お? あ、ああ~、そうか、そうだった。アイツ、ここに住んでいるんだっけ?」

完全に忘れていた。ある意味どうでもいヤツなんだよな。だから忘れるんだ。

「じゃあ、オレが起こしてくるからさ、みんな先に食べてよ、ほらほら」

 オレは手のひらを上に向け、テーブル上に差し出すようにして皆を促した。

「あ、そうだ。希はどの部屋にいる?」

 かつてハガイが増やした部屋数は六つ。今は同居人が七人……あれ? 知床は同棲しているのかな? だったら八人か。何れにしても足りない。きっと部屋が増やされているはずだ。

「前から空き部屋だったところの隣だよ」

 既に朝食に意識がとらわれているのか、エキドナが機械的に返答した。

「おう、サンキュー」

 オレは食卓から離れ、言われた部屋を探した。

「おっ、ここか」 

 確かに『増築』されている。しっかしホント、なんでもありだよな。人間が家を増築するとなったら、どれだけ大変なことか。手間とか金とか人手とか時間もそうだし、ありとあらゆることが必要になってくるのに。

 それに比べてここでいつまでも惰眠を貪っているアホもそうだし、天界の連中はちょちょいのちょいで部屋を増やしちまう。

 この格差社会を誰か納得できる論理で説明してくれるヤツはいないか?


「おい、希! 人ん家でいつまで寝てやがる!」


 オレは勢いよく襖の扉を開け、怒気を込めて言い放った。聞けばコイツは学校に行くわけでもなく、毎日何をしているんだ? ……ま、これは昨日聞いておかなかったオレが悪いか。

「あ、はい……に、任務……完了」

 こんもりと膨れ上がった布団の中からくぐもった声が聞こえた。

「寝ぼけてんじゃあ、ない!」

 オレは中に入って、一気に布団を剥ぎ取った。

「す……すびばせん」

 希はまだ寝ぼけているらしく、謝りながらノソノソと土下座の体勢になった。が、問題はそれではなく――


「おわあー!!」


 希は全裸だった。そのおかげで、いや、そのせいで ついつい叫んじまった。

 確かに人間でも寝るときはマッパという人も居るが、コイツって……

「も……もうしわけ……もう……しません」

 このアホはまだ、謝っていた。つまり、目の前にいる人物がオレだということを認識できていないのだ。だったら、ここは一旦引いて誰かウチの女子に代わってもらうのが良策だ。

 オレは全裸土下座中の若い女を目の前(客観的に見ればあたかも凶悪犯罪現場の光景、もしくはAV)にしても冷静な判断を下すことが出来た。そんな自分を心中で褒めつつ、熊と出くわした時の対処法同様、ゆっくりと後ずさりしながら距離を取ることにした。

 うん、大丈夫。コイツは顔を敷布団に密着させて謝罪中だ。ついでに寝ぼけている。この絵に書いたような危機的状況からの脱出は既に約束されたも同然だ。

 一歩、また一歩とはやる気持ちを抑えつつ、確実に進む。そう、あいにく目が後ろに付いていないのが人間。後退はリスクが伴う。決して焦ってはならないのだ。

『よ、よし』

 視界の隅っこにふすま扉を確認。もう半歩――


「のわぁ~! ……ぐえ!」

「いたぁ!」


 オレは豪快に後頭部から転倒した。なぜかというと、寝相の悪い希が枕をこんな部屋の隅まで蹴とばしたかブン投げたかで、オレの避難動線上に転がっていたのだ。それを踵だけで踏んづけた結果、バランスを崩してしまったわけである。

 さらに運の悪いことに自分が剥いだ掛布団に足を滑らせ、希めがけてスライディングしながら突っ込みかけた。

 が、咄嗟に両足を上げたことにより、頭を蹴とばしてしまうような事態にはならなかった。ここまでは良かった。

 しかし結局、その代償として股間が『裸土下座・希』の頭頂部にクリティカルヒット、さすがに希も目を覚ましてしまったし、オレの方も急所を痛打したせいで動けず、V字開脚状態のまま固まった。


「おい、どうした!?」

「一体、な~に~?」

 こ、この声はエキドナとアテナ。


「おっ、ブタ~、希を『起こし』に行ったんじゃなくて『犯し』にいったんじゃねえか。ふざけた野郎だ。いや、ブタ野郎だ」

「あら? あらあらあら~? まあまあまあ。なんてことでしょう? 戻って早々、もう劣情を催したのかしら?」

 さすがにあれだけのボリュームで絶叫すれば誰かが駆け付けるのは致し方ない。が、またエキドナとアテナかよ。

「ち、違うんだ。オレはただ、滑って転ん――」

 とにかくここは全力で事実をアピールする以外にない!


「部田君、希ちゃんが起きないならここで食べてもら――」


「ん?」

 また違う誰かが、エキドナとアテナの背後から声を発してきたようだが……その直後、何か陶器のような物が割れる音がした。


「部田さん、また発情しちゃったんですか? エキドナさん、首輪があったら貸して下さい! それまでは私が落ち着かせるようやってみます! 待て!! 待て!! どう! どう!」

 今度はガイアがやってきた。オレに近づき、人差し指を突き立てて、真剣な眼差しで躾けようとしている。完全に犬扱いだ。

「こわいよ~、ブタしゃんがこわいよ~」

 少し離れたところでシルクの半泣き声も聞こえる。こうなると、もう何を言ってもやってもダメ。既に学習済みだ。


「きゃあ~!! に、人間!! な、なんでここにいるわけ!?」


 完全に収拾がつかなくなり、全てを諦めたオレに対して今頃騒ぎ出したのは希だ。オレのアタックのダメージで一時身動き出来なかったようだが、ようやく目の前にオレが居ることに気付き、悲鳴を上げることが出来たのだろう。

「説明しなさいよ!」

 だけどコイツ、プライドだけは高いから、よせばいいのにわざわざ立ち上がって、見下ろせる体勢になってから指差しして文句を言うものだから……

「の、の、のぞ……丸見えだから、早く、早く隠せ!」

 オレは股間が痛くて動けない。できることは患部を擦ることくらいだったし、実際、触っていた。辛うじて首だけはそっぽを向いたが、構図自体は完全なる『変態プレイ』だっただろう。

「えっ? え、えーっ!?」

 やはり所詮、希だ。自分が裸だと今さら気付いて声を張り上げてもなぁ。そもそも毎日それで寝てんだろ?

「もう、やぁだぁー!」

 ほらな、またそうやって両手で顔を隠しながらペタンコ座りだろ? もう飽きたよ&少しは学べよ。


「ひでえ光景だ。見てらんねえ」

「さ、みんな行きましょ~」


 エキドナとアテナが皆をダイニングの方へ連れて行った。なんか酷く呆れた顔をしていたな。そりゃそうだ。全裸で顔を隠しながら座り込んでいる女の目の前で股間を擦り続けている若い男。マニアックお下劣動画さながらの映像が頭に浮かぶ。


「い、いちち……と、とにかく服を着て朝飯だ。早く来いよ」

 オレは痛みを堪えながらなんとか立ち上がって、身ぐるみ剥がされて途方に暮れているかのようなポーズになっている希にそう言い残して襖の扉を閉めた。

 そんな感じで復帰(?)直後の朝っぱらからどっと疲労した。(あ~股が痛い)





 登校して教室に入った。さやか先生が言っていた『ほぼ一緒の世界』。昨晩、ハガイが最初に連れてきた5界の5人のプリンセスは『元通り』だった。だけどそれ以外は違っていたわけで、オレにしてみれば『相当』変わってしまった世界と言える。

 でもそれは自分が蒔いた種であり、天界やさやか先生が尽力して『ここまで』戻してくれたのだ。不平不満などない。

 ただ、学校では何がどう変化しているか想像しにくい。しかもややこしいことにここは『過去』の世界だ。少々変化した『現実』から時間的に遡ったのだから、やはり学校でも何かが違うはずとみるべきだろう。軽率な言動は慎まなくてはならない。

 よって恐らくオレはさぞかし緊張の面持ちだったのではなかろうか。


「よう、トリ! 元気ないな。今にも泣きそうな顔じゃんか。いじめられたのか?」


 背後から声をかけてきたのはタケ(竹原真治)だった。彼はオレの知っているタケだ……と思う。

「うっす。ちょっとゲームやりすぎて寝不足なんだよ。だからあんまりデカい声で話しかけんな。本日のオレは寡黙なダンディーでいくからよ、ヨロシク」

 オレは咄嗟に寝不足のフリをした。

「無口なお前なんか想像できんわ!」

 気にしすぎかもしれないが、少しタケが陽気なヤツになったのではないかと憂慮してしまった。ま、しばらく経過観察だな。


「おい、ブタ。一人でズンズン行っちまいやがって、冷てえヤツ」

「え?」


 そういえば、今日はプリンセス達と一緒に来なかった。というか途中まで一緒だったが……

「気持ちはわからないでもないけどな、もう少し私らのことも頼っていいんだぞ。なんで私らまでブタの漫遊記をゼカリヤが刷り込んだのか……をな」

「お、おいエキドナ」

 タケと入れ替わるようにオレに近づいて話をしてきたのはエキドナだ。だがすぐに自分の席に戻ってしまった。

 それにしてもそうか、オレは勝手に一人で歩いていったのか……

 プリンセス達には悪いことをした。それにしてもエキドナはいつもこういう時に激励というか助言を真っ先にくれるヤツだ。ついでに今さら気付いてすまん。


「部田、おはよ」

「ん? お! お、おう! おは! ……は、ははは」


 不意打ちを食らった気分だ。次にオレへ挨拶してきたのは白神麗だった。

「……何が可笑しいのよ?」

「い、いや別になんでもない。そういえば明日から夏休みだな? どっか行くのか?」

「あからさまに胡麻化しているわね。まっいいけど~。ん~とね、隣のクラスの友達と旅行はする予定だけどね。部田は?」

「えっ? いや、まあ、特に無いかな」

「相変わらずねー。少しは健康的に日に当たりなさいよ」

 麗はくるっと体を翻して行ってしまった。しかも、もう他のクラスメートと話している。性格や雰囲気は全く変わっていないようだが、オレに対して余りにもアッサリし過ぎている。昨晩言われたことだが、本当にただのクラスメートになってしまったのだろうか。

 現実では高校を卒業してからも連絡といってもメッセをくれるのはタケと麗だけだ。だが、今の麗の感じだとクラスが替わっただけで、接点が無くなりそうな空気だ。

 やはりこれはこれで厳然たる事実として受け止めなくてはいけない……のかな?

「う~ん、寂しすぎる……」

 つい声が漏れてしまった。


「部田さん、おはようございます」

「ん? え? おう! アモ……亜門!」


 そういえばアモンとポセイドンはどうなっているんだ? オレがジャンパーとして関係各位に多大なるご迷惑とご心配をおかけし――


「御心配には及びません。存じています」

「お? そ、そうなのか?」

「ええ」

「じゃあ、お前も以前のままか?」

「恐らくは」

「それは良かった。でもなんで?」

「妹と……同期したと言うとわかり難いですかね? 記憶の同調とでも申しますか……」

「ふぇー、そんなことができんのか~。便利だな」

「ええ、まあ」

「でも、さやか先生の許可とか必要なんじゃ……」

「それも問題ありません。同時通信で承諾を頂きましたので」

「……そっか~、さすが5界のプリンス」

「正確には魔界だけですが……」

「そうだったな、ははは」

「では失礼」


 アモンは元々いいヤツだし、話もしやすい男だ。ウマも合うから、彼がオレの色々あった経緯を知った上で会話ができることが非常に嬉しい。素直に嬉しい。


「えっ?」

 オレは不意に肩をポンっと叩かれ、ビックリ眼のまま振り返ると……

「大変だったねえ、セニョール」

「おお、ポ……ホセ」

「オレもちゃ~んと知っているから安心しな。んじゃ、チャオ」

「お、おう、ちゃ、ちゃお~」

 オレは意表を突く挨拶にうまく対応できず、右手をひらひらとするだけでポセイドンとのやり取りが終わってしまった。

 どうやらポセイドンも全てを承知しているらしい。有難い。

 ポセイドンと言えば同時に思い出すのがメリアの親父。性格というかノリが軽いところが非常によく似ているんだよな……名前なんつったっけ? え~と……


「リラクシーです」

「ぬお!!」


 教室の天井をぼんやり眺めながら精霊王の名前を思い出せずに悶々としていると、またしても急に背後から声を掛けられた。その主はメリアだった。

「あ、いや、すまん。君の父君なのに。そうだったな」

「いいえ。その節は大変無礼な振舞いをしてしまい、誠に申し訳ありません」

「とんでもない。そもそもメリアが謝ることではないだろ」

「あっ……でも……」

「いいから、気にしないで」

「は、はい」

 会話をしている最中に一つ気になることがあった。

「メリア、頬が少し赤いぞ? メイクか?」

「……いいえ。あの……少し微熱があるようなので」

「え? そりゃあ良くないじゃないか!! 帰るか? どうせ今日は授業ないし」

「……いいえ、大丈夫です。いつも気に掛けて下さり、有難うございます」

 相変わらず美しい所作だ。加えてお辞儀の時になびく髪から花の香りがした。


「ぬ?」

 何か射抜くような視線を感じる。以前のオレにはこんなセンシティブな一面はなかったが、5界のメンバーと暮らすようになってからか、ジャンパーとして覚醒したからなのか、こういう類のものをキャッチできる能力を獲得したかもしれない。

 相手にばれないようにオレはそーっと周囲の様子を伺った。そしてわかった。

 ソイツは知床だった。怒りというよりは不安や恐れといった感情だろうか。そういうものが表情から受け取れる。あとでこちらから聞いてやるべきだろうか。


「貴様ら、生きてるかー?」


 真打ち登場だよ。

「ほう、わかっておるではないか、部田」

 いきなり勢いよく教室の扉を開けたと思ったら、『おはよう』ではなく『生きてるか?』なんて言う教師は世界広しといえどもうちの担任しかおらん。

「なに? そういう意味で真打ちと言ったのか?」

 マズった。あの人(人じゃない)は心を読んでしまうんだった。

「あ、い、違いますす」

 焦って弁解しようとしたものだから噛んでしまった。これじゃあ……

「カミカミでウソがバレバレだ、部田」

「へい……いえ、はい!」

「ったく」

 今、目の前にいるさやか先生は勿論、事の顛末は知っているんだよな。プリンセス達やアモン、ポセイドンがオレのジャンパー回遊歴を知っていて、元の世界に送った張本人が知らないなんてことは……

「無論だ。……さて明日からは貴様ら待望の夏休みだが――」

 あ、今『無論だ』って言ったよな? オレだけへのメッセージか。





 チャイムが鳴り、下校の時間になった。オレは帰宅部だから、帰宅するのみ! ついでに言うとバイトもしていないから、帰宅するのみ! 

 バイトくらいした方がいいっかな~? 

 いや、それ以前の問題として現実のオレはただのプータロー状態だから、もっと問題あるんだよな~。


「部田さん、帰りましょうよ!」

「ん? おう、ガイアか。よし、帰るか」

「はい!」

「他のみんなは? 先に帰ったのか?」

「メリアさんが熱っぽいとのことで、アテナさんとエキドナさんが一緒に帰ったようです。ゆかさんは職員室です。終業式なんで何かとあるのではないでしょうか?」

「シルク姉妹は?」

「購買に寄ってそのまま帰るって言ってました」

「そうか。じゃ、とにかく行こうか」

「はい!」

 ガイアが声を掛けてくれなきゃ、オレはぼっちだったな。

 なんか、登校初日や球技大会中にバタバタしたのが嘘のようにプリンセス達は学校に順応しているのではないだろうか。 確かに今日は授業もなかったが、皆が登下校はおろか校内のどこで何しているかなどはオレも気に掛けていなかった。

 もっとも、オレ自身が昨日というか(もはやいつなのかよくわからないが)今までが自分のことで精いっぱいで、あまりかまってやれなかったわけだし、その間に立派な『高校生』になってしまった印象だ。


 ちょうど下駄箱から昇降口を出たあたりでふと思った。

 こうしてプリンセスの誰かとじっくり話ができる機会というのは今までなかったし、これからもそう多くはないのではないか。何せ今は家に……えっと何人いるんだっけ? 最初に来た5界の五人だろ? ……それとシーリーか。あと……まさか知床は違うよな!

「ガイア、知床は同居していないよな?」

「はい? ゆかさんですか? ええ、同居ではないですね」

「なんだ、その含みのある言い方は?」

「完全に同居してはいませんけど、しょっちゅうお泊りに来ていますよ」

「え!? いつから?」

「私達が来てからと聞いていますが、その前はわかりません」

「マジか!?」

 プリンセス達が来てからならわかるが、その前から来ているとなったらさすがになぁ……だって高校生だし。

 いや、さすがに知床はクラス委員長だし、それはないな。

 ま、そういうわけで六人も家にいるわけで、なかなか一対一でまとまった時間なんか取れやしない。

「そういえば部田さん、希さんが家で何しているのか知りたがっていたのではないですか?」

「……え? あ、ああそうだった、そうだった。そんでアイツ何してんの?」

 希のことをすっかり忘れていた。アレもカウントすると七人ね。

「私も詳しくは知らないのですが、なんでもこの学校のことを調べているらしいですよ」

「え? なんで?」

「学校のことというより、ここに来ている人? 怪しい人がいるらしいです」

「それをアイツが調べてんの? ふ~ん、でもそんな調査員みたいな芸当、務まるとは思えないけどな」

「でも、伊集院先生の指示らしいですよ」

「そもそもアイツっていつからオレの家にいるわけ?」

「昨日です。今の部田さんの記憶には恐らく無いと思いますが、校舎のガラスを派手に割りながら教室に入ってきてホセさん、亜門さんとひと悶着があって……他にも色々とあって昨日からということになりました」

「いや、ちょっと待った」

 今日は終業式だよな? 昨日っておかしくないか? まさかまたジャンプしてしまったのか?

「部田さん、落ち着いて下さい。部田さんが戻ってこられたのは間違いなく昨日です。でも晩だったじゃないですか?」

「あ、ああそうか。昼間はまだ今のオレの意識じゃないもんな。そんで、その希が現れた時ってオレ居たの?」

「はい、いらっしゃいました」

「変なこと聞くけど、今のオレとちょっと違うやつなの?」

「う~ん、どうでしょうか。お変わりないと言ったらおかしいかもしれませんが、私には今の部田さんと昨日の学校での部田さんに違いがあるようには見えません」

「……そうなんだ」

 オレがジャンプしてきた世界では何らかの変化があった。それは人の性格だったり、環境だったり。それに変化の幅も毎回違っていたし。

 それならば、昨日のオレの人格は今、どこにいるのかね。ハガイの言うナントカ断層とやらで彷徨っているんじゃないのか?


「いいえ、それは違います!!」

「うび!」


 通学路の街路樹に突如として現れたのはハガイ。またしても超至近距離で、危うくオレと正面衝突するところだった。

「昨日までの部田さんは今の部田さんが戻ってきていない世界線でちゃーんと生きています」

「な、なに?」

 人を驚かしておきながら、偉そうに『自分は世界の理を知っているんだぞ!』的デカい態度は相変わらずのハガイっぷりだ。

「昨晩、部田さんがご帰還された時点で世界線が分岐しています。ですので、別の部田さんは次元断層を漂流などしていませんからご安心を」

「あ、そう。そんならいいや」

「あー! なんですか、その態度! 別の自分を心配していたじゃありませんか。それを人が親切に教えてあげたのに、ひどいじゃありませんか!」

 なんか知らんけど、ハガイがオレを指差して騒ぎ出した。そんならオレも言ってやろうじゃないか。

「お前の言った通り、昨日までの『もう一人のオレ』がどうなったのかを案じたのは確かだ。それが大丈夫だとわかったんだからそれで充分なんだよ。そもそもオレは人の心配なんかしている場合じゃない。あとお前は人じゃない」


「……」

「と、部田さん。それくらいにしてあげてください。ハガイさん、泣きそうですよ」

「あ、ちょっと言い過ぎたか? すまん、ガイア」


 ハガイは黙りこくってしまった。自分ではそれほどきつい言い方をしたつもりはないが、ガイアが慌ててオレを制したくらいだから傍から見るとちょっと度を過ぎた物言いだったのかもしれない。

 考えてみれば、コイツはオレの救出にかなり貢献してくれたはずだ。言わば『命の恩人』。気遣いが足りなかったか。

「ハガイ、悪かった。言い方が良くなかったな。謝る」

「……はい。私は天界の事務次官ですから、ひどいいじめを受けたくらいで負けたりしません。大丈夫です」

いじめはねえだろう。そんなことしてないぞ、オレは。

全く、せっかく謝ったのに、なんか気分悪いよな、コイツ。

「ところでハガイ、希は何を調べているんだ?」

「今回の時空震を起こした犯人が部田さんの高校に潜伏しているかもしれないから調査しろとゼカリヤ様からの命令です」

「なぬ!? マジか?」

「マジです」

 さっきガイアから聞いた前フリと大体同じ話ではあるが、宇宙広しといえども、また次元広しといえども、何もこんな近くにそんな途方もない異能力者がいるなんてあり得るのか?

「部田さん、ゼカリヤ様が仰っていたように今回の時空震は部田さんと無関係ではない可能性があります。これほど近い距離に居る疑いがあるのもそういう理由です」

「……そうか」

 そういえばオレにとって相関関係がぐちゃぐちゃだった『天魔騒乱の世界』とやらでさやか先生はオレのジャンプの能力について……

『もう一人のジャンパーに引っ張られる形で連動して起こしたのかもしれない』

 ……と言っていたな、うん、確かに言っていた。

「私も勿論、その調査に加わってはいるのですが、他の業務も膨大でして兼任という形でしか携われないのです。よって現時点では希に大半を任せざるを得ないという状況なのです……」

 ハガイも大変だな。中間管理職の悲哀を感じる。だが、伝えるべきことは伝えてやろう。

「なるほどな。でも希にそんなことができるのか? はっきり言って無理だろ」

「そ、そんなこと言わないでくださいよ部田さん。ゼカリヤ様の命令でもありますし、天界も人材不足なんですよ」

「まあ、それもわからないでもないが、ハガイと希しかいないわけでもないだろ? こんな一大事なんだから、他に人を――人じゃないけど回せないのか?」

「私にその権限はございません!」

「なんで、そこで胸を張るんだ?」

「あ、これは失礼しました」

「余計なお世話だけど、さやか先生に頼んでもう少し増員してもらった方がいいと思うぞ。何ならオレも手伝おうか?」

 主犯が他に居たとしても、オレも少なからず関わった大事件だ。何の役にも立たないかもしれないが、できることがあるなら力になりたい。

「それは大変魅力的なご提案ですが、部田さんは5界のプリンセス達のお目付け役という大任もありますし、先ほど申した通り私に決定権はございませんので、何とも申し上げられません」

「そうか。んで、捜査の方はどうなんだ? 進んでいるのか?」

「はあ……それが実はあまり……」

「なんだ、頼りないな。ジャンパー特有の特徴みたいなものって無いのか? オレの場合、どうやって見つけたんだ?」

「部田さんは前世でジャンパーだったから、生まれる前からマークしていたんですよ。今回は発見が遅れましたけど」

「あ、そういえばお前、監禁されていたとか言われていたけど、アレってどういうことだ?」

「もう、アチコチ話題を変えないでくださいよ。……ええっとですね、今もそうですけど私、移動時は瞬間移動を致しますが、その時に次元断層へ引き込まれたんです」

「次元断層って、オレも居たところか? あの洞窟みたいなところ」

「そうです、アレです。部田さんの時と同様、自力で脱出できませんでしてゼカリヤ様が助けて下さいました」

「そっか。大変だったな。あそこはもう二度と行きたくないよな」

「全くです」

「それってやはり今回の時空震の犯人と関係あるのか?」

「……恐らくは。こう見えても私ハガイはジャンパー発見の知覚能力を持つ数少ない天界人なのです! つまり向こうからすると私の存在は、いわば行く手を阻む『巨大な壁』であったのでしょう」

「だから、いちいち偉そうにするなよ。犯人を見つけてからだろ、そういう態度は」

「はあ」

 すぐデカい態度をとって、オレに正されて大人しくなって、またデカい態度をとっての繰り返しだ。人格的には(人じゃないけど)浅はかな奴だが、確かに有能というか有用な一面を持っているからさやか先生もハガイを側近扱いにしているんだろうしな。

「ハガイ、ジャンプの能力と時空震の能力ってどう違うんだ?」

「時空震は副作用です。ジャンパーはあくまでも世界線の移動が目的であり、意図的に時空震は起こせません。全時空は余りにも広大で深く、単一の力で細かいところまで操作などできません。また仮に複数であっても不可能でしょう」

「なるほどね」

 だとすれば、前世のオレもそうだったわけか。

 一体何がしたかったのだろうか。それがわかれば、ひょっとすると今回の犯人を見つける手がかりになるのではないか。

「確かにそうですが、ご本人の耳に入れるのは少々はばかられると申しますか……」

「あ、お前、また心の中を読んだろ? ……まあ今はいい。それより遠慮せずにオレが前世で時空震を起こした理由を聞かせてくれよ」

「う~ん、気が進みませんがズバリ『女性問題、且つ痴情のもつれ』です!」

「ちっとも遠慮してねえし!!」

「いや~、ひどいというレベルじゃないな」

「ハガイ、話し方が変わったぞ。そんで何があった?」

「……部田さん、この話はまた後日にしませんか? 今はとにかく時空震の犯人を捜さないと」

 ハガイはすぐ脇にいるガイアの顔をちらりと見てから話題を変えた。ヤツなりの配慮だろうが、前世のことまで気にするほどオレに深い理解力はない。

 第一、未だにジャンパーと言われても本当はピンと来ていない。ただのプーだと思っている。

「まあ、わかった。そんでお前、希には会わないでこのままどっか行っちゃうのか?」

「え? えーと……うん、そうですねぇ、ちょっと進捗状況を聞いておきますか」

「それがいいと思うぞ」

 オレとガイア、それにハガイも加わって、一種異様な三人組は家路を急いだ。ところでハガイは今、可視化してんのか? 通行人たちには気付かれていないようだが。

「周りに私ハガイは見えておりません。部田さんが一人で騒ぎ、同行者のガイアさんがなだめているといった構図です」

「あっそう。わかったからさっさと行くぞ」





「ただいま。ハガイも一緒だ」

「お邪魔致します」

「ただいまー」

 オレ、ハガイ、ガイアの順でいつも通りオンボロアパートの自宅に入った。鍵は開いていたので、誰か居るはずだ。


「お帰りなさいませ」


 奥からすたすたとやってきて玄関で三つ指ついて座礼をしたのはシーリー。既にいつものワンピースに着替え済みだった。

「お、おう、ただいま。シーリー、そんな仰々しい挨拶は必要ないから、早く顔を上げてくれ」

「……」

 シーリーは無言で立ち上がり、さらに半歩前に出て、オレの顔を至近距離でじっと見つめた。

「ん? どうした」

 ただならぬ彼女の様子に少々緊張が走る。

「い、いえ。どうもすみません……」

 シーリーはまた半歩下がり、目線を斜め下に向けた。心なしか体が小刻みに震えている。やはりおかしい。

「シーリー?」

「トリニータ様、ごめんなさい!!」

「えぶ!!」

 シーリーはいきなりジャンプしてオレの頭部にしがみ付いてきた。こ、この挙動はもしや!?

 あとで聞いた話だが、この時のシーリーは顔を真っ赤にして恍惚の表情だったらしい。

「ごめんなさい! ごめんなさい! 許してください、トリニータ様!」

「ヷ、ヷガっだ。ぼんだいない」

 数秒後、シーリーはオレから離れ、下に降りた。

「ぷはあ!」

 急に息が出来なくなったのは参ったが、懐かしい感覚だ。シーリーは必死に謝っていたが、オレ的にはこの彼女の行動は挨拶代わりの慣れ親しんだスキンシップみたいなものである。

「トリニータ様、本当にすみません。何か抑えられない衝動が体の中で暴れるように駆け巡り、つい……」

 シーリーは先ほどと全く同じ座礼で反省の弁を述べている。

「いや、気にすんなよ、シーリー。君は知らないだろうけど、もともとオレの居た世界では――」

「存じております。トリニータ様のご記憶の中ではおてんば娘であったことも」

「ああ、そうだったな。記憶は共有されているんだもんな。だから大丈夫だし、むしろ元に戻ったみたいで嬉しいよ」

「本当にそうですか?」

「本当だ。それより、靴を脱いでいいか? ほら、ハガイもガイアも玄関で立たせっぱなしだからさ」

「あっ! すみません。どうぞお上がり下さい」

 シーリーはすぐさま立ち上がり前を空けた。

「よし、じゃあハガイ! 一応お客様だからな」

 オレは柄にもなく誘導するかのように右手を斜めに差し出し、ハガイの入室を促した。

「あ、これはどうも」

 ペコペコしながら部屋に入ろうとするハガイの姿は新鮮だ。思えば初めて来たときも戸をすり抜けてきたし、その後は毎回部屋の中に瞬間移動で現れたり消えたりで、まともに来訪したことはなかった。そういう意味では失礼なヤツだったのだ。

「シーリー、他に誰か帰ってきているのか? シルクは一緒に戻って来たんだろ?」

 先にガイアを中に入れてやって、オレは靴を脱ぎながらシーリーに尋ねた。

「はい、帰宅したのはまだ私達だけです。他の皆さんも呼んだ方がいいですか?」

「あ、いや。とりあえず希が居れば用は足りるんじゃないかな?」

 オレはハガイに目配せし、同意を求めた。

「ええ、結構です」

 ハガイは返答しながら希の部屋に向かうべく既にダイニングを通過していた。オレもハガイの後を追うように続いた。

「希さん、ハガイです。入りますよ」

「あ、ちょ、ま――」


 襖の向こう側から希の声で少し待つようとの訴えが聞こえたが、ハガイは上司の権限なのか何か知らないが構わず扉をスライドさせた。

「希さん、お話があり――ぶふぅ」

「あっ!! ちょ!」

 襖が開け放たれた瞬間、希がハガイに倒れかかってきた。しかも、ただ倒れてきたわけではなくて、希は大きく片足を上げた開脚姿勢であったため、全体重をハガイに預ける形となり、そのまま二人して壮絶に転倒した。

「ぼ! ……」

「あっ……」

 ハガイは聞いたことのない妙な言葉を発した後、何も喋らなくなった。後ろ向きに倒れたし、頭を相当強く打ったんじゃないだろうか。

 希の方はというと、ハガイがクッション代わりになったおかげで無事のようだが、股間をハガイの顔面に押し付けたまま茫然自失状態だった。

「あーあ。希、ハガイが気絶しちゃったぞ」

 この惨事の責任はどっちもどっちだが、とりあえず希をどかさないとハガイが窒息しそうだ。オレが収拾するしかないだろう。

「……え? え、ええー!? うそー!!」

「いいから、早くどいてやれ。お前、上司を殺す気か?」

 ハガイは天界人だから死なないだろうけどな。

「あっ!」

「ぐえ」

 希はハガイの体から離れる際に自らの足を引っかけてしまい、もう一方の足で軽く二―ドロップを上司にお見舞いした。さしずめトドメを刺したというところか。

「希、ハガイに恨みでもあるのか?」

 オレは心底、そう思った。今の膝による的確なみぞおちへの攻撃。不慮の事故として片づけるには見事すぎる。

「そそそそそそんなこと、あるわけないじゃない! あいた!」

 余りの慌てぶりが逆に怪しい。またコケたし。

「じゃあ、訊くがお前、部屋の中で何をやっていたんだ?」

「そ……それは」

「え?」

「……じばら……す」

「は? 自腹? はっきり喋れ」

「Y字バランスやってたの!!」

「は!? クラシックバレエの?」

「そうよ!!」

「なんでそんなことをやってたんだ?」

 オレは大きめの嘆息が思わず一つ出た。

「か、体が硬くなってきたから、少しストレッチでもしようかなって……」

「お前さあ、調査の仕事ってちゃんとやってんのか?」

「や、や、やってるわよ」

「ほ~う、じゃあ、何がわかった?」

「学校が怪しいということがわかったわよ!」

「そんなのオレだって聞いて知っているぞ。そもそもさやか先生というかお前の言うマスティマ様からの指示が『学校を調べろ』って内容だったんだろ? じゃあ、何も進展がないってことじゃないか」

「う、うるさ~い!! 人間に何がわかる!」

 希は地団駄を踏んで悔しがっているが……

「ぐえ、ぐえ、ぐ……」

「おい希、踏んでるぞ」

「……え? あ……ヤバい」

 ハガイは希のストンピング攻撃を受け、断末魔の声を上げていた。ま、生きていてよかった。

「とにかく、向こうへ行こうぜ。お前にこれ以上、ハガイを攻撃させるわけにはいかないからな」

 オレは手招きしながら希を呼び寄せた。

「……」

「とにかく、ハガイが目を覚ますまで待つしかないだろ、こっち来て座っとけって」

 希に返答はなく少し不満げな表情だったが、ダイニングまでやってきて行儀よく椅子に腰を下ろした。オレも対面の位置に座った。

「希、さやか……じゃなくてマスティマ様はオレの通っている高校に時空震とハガイ監禁の犯人が潜伏しているっていう見立てなんだろ?」

「え? そうなの?」

「お前、それすら知らないの? ……いや、知らないはずがない。ちゃんと人の話を聞いていないんだろ?」

「そんなことない!」

 希は口を真一文字にして反論したものの目をつぶり、オレを直視できないようだ。

「オレは別にお前を責めることが目的じゃあない。どこまで知っているかがわからないとこれから何を調べるかも決められないだろ?」

「……」

「じゃあ、とにかく学校に居るヤツの誰かが犯人ということだから、それはいいな?」

「……」

 バツが悪くなるとだんまりかよ。本当に素直じゃないな。

「ハガイはオレに気を遣ってこの件にオレを積極的に関わらせたくないようだったが、せっかくプリンセス達が居るんだから彼女達の力に頼ってもいいんじゃないかとオレは思う。お前はどうなんだ?」

「……ハガイ様がそれでいいと言うなら」

「お前は不満なのか?」

「……そんなことない。私馬鹿だし」

「馬鹿だから自分一人ではこれ以上調査が進まないということだな?」

「馬鹿って言うな!」

 希はやおら立ち上がり、またいつものように右手をグーにして振りかざした。

「お前が自分で馬鹿って言ったんだろ、馬鹿!」

「!! ……アンタ、嫌い」

 希はペタンコ座りになり、メソメソ泣きだした。



「あー、ブタがまた女を泣かしてるぞ! このスケコマシ大魔神」

「な! だ、誰だ!?」


 オレが超高速で声が聞こえた方へ顔を向けると、やはりエキドナが居た。アイツはダイニングへ顔だけひょっこり覗かせるような位置に居た。ホント、間が悪いヤツだ。

「い、いつの間に帰ってきたんだ? ちゃんと『ただいま』って言ったか?」

 オレは動揺を隠せず、急にマナーについての苦言で返すというなんとも恰好悪い反撃になってしまった。

「言ったよ。ブタが気付かなかったんだよ。それより向こうで伸びているヤツのことも含めて説明しろよ」

 エキドナは親指を立てたハンドサインでハガイの方を差しながらオレに事の顛末を話すよう要求した。

「あ、ああ。わかった。だがその前にメリアはどうなんだ? 具合が悪くて一緒に帰って来たんだろ?」

「今、アテナと帰って来るよ。私は先に戻って布団を敷いておいてやろうと思って走って来たんだよ」

「なぬ!? そんなに悪いのか?」

 オレは立ち上がって数歩、エキドナに近づいた。彼女も部屋に入ってきた。

「大したことはねえけど、ま、一応だ。そういう訳でメガネが邪魔だ」

「ああ、そうだな」

「私がどけてもいいか?」

「ああ、頼む」

 ハガイは希の部屋から半身飛び出しているに過ぎないし、メリアの部屋は手前だから動線上は問題ない。しかしエキドナが言っているのはそれじゃなく見栄えの方だ、白服の男が通路で伸びている光景はどう見ても異様だ。病人にあんなものを見せるのは不適当だ。

 エキドナは右手をゆっくり上げ開いた手の平をハガイの方に向けると、見えない釣り竿で魚を釣っているかのようにハガイの体が持ち上がり、ゆらゆらと幽霊のごとく浮遊し、一番奥の部屋に入っていった。その後ドスンという落下音がした後、小さく『ぐえ』という男の声が聞こえた。

 以前にこれと酷似した状況を見た記憶がある。あの時の術者はアテナだった。

 それと比べるとオレが全く驚かなくなっているという点、この大きな変化は果たして良いことなのか悪いことなのか。


「んで、ブタ、何があった?」

 オレはすぐ脇に座ったエキドナにここまでの顛末を丁寧に説明した。

「なるほどな。私もブタに賛成だ。馬鹿天使じゃ『捜査』? 『調査』? どちらにしてもそんな芸当は無理だろ」

 エキドナはちらりと希を見ながら自分の本音を語った。

「……」

 希は声を出さずにまだ泣いていた。

 エキドナにダメ押しされて言葉も出ないのであろう。可哀想だがそれが周りの評価だ。仕方ない。

「それじゃあ、皆が帰ってきたら、頼んでみるか。でも具体的にはどうする?」

 希ではないが、いざ時空震起こしたヤツがどこにいるかを調べるって、一体どうすりゃ良いのかオレにはさっぱりわからん。

「そういうのはアテナが得意なんじゃねえか? 悪だくみ探知みたいな?」

「なんだそりゃ? でも言わんとしていることはわかる。ま、じゃあ、そうすっか」

 エキドナらしい雑な言い方ではあるが、確かにアテナはこういうことが得意そうだ。




「ただいま~」

 この声は……噂をすればというやつだ。

「おう、お帰りアテナ。メリアの具合はどうなんだ?」

 メリアは部屋に入ってきたアテナのすぐ後ろにいた。一瞥した限りでは教室で言葉を交わした時と変化は無いように見えるが……

「この通りよ~、それほど大したことはないわ~」

 アテナは体をメリアの方へ向け両手を伸ばしたまま各々上下に広げてチアの応援コールの時のようなポーズで迎え入れた。どこで覚えたんだ、そんなの。

「ご心配をおかけしてすみません」

 アテナの横に並び立ち、スマートにお辞儀をするメリア。なるほど、大丈夫には見えるかな。

「子豚ちゃんの持っているいやらしい動画ディスクよ~。……ええっと何だったかしら? …… あ! 『現役JKチア――』」

「わーわーわー!! やめろ!! 言うな、アテナ!!」

 突然、マイコレクションのタイトルを口走るという暴挙に出たアテナの真意はどこにあるのだ? 嫌がらせとしか思えん。

「だって~、チアの『ケーモーション』をどこで覚えたのかって……」

 アテナはこの上ないほどの悪辣な笑みを浮かべながら、驚天動地の素っ惚けぶりだ。それにしてもあのポーズって『ケーモーション』っていうのか。言われてみればアルファベットのKみたいだもんな…………いや、そんなことはどうでもいい!!

「い、今は、そ、その……オレのことは関係ないだろ!?」

「あらそう? ま、いいけど~。ちなみに犯人はあの校医よ。小笠原って言ったっけ? 本当の名は『ムト』、夫が『アメン・アシャレヌウ』」

「なぬ!? あのセクシー女医の!? 馬鹿な!」

 アテナはオレの持っているエロ動画話から一気に時空震の犯人まで話題をすっ飛ばした。にしても小笠原先生はないだろ?

「女は色気があれば信用できるっていう子豚ちゃんの考え、やめた方がいいわよ」

 急にアテナの目つきが変わった。腕組みしながら放つあの目は別の世界線でオレにビンタを食らわしたアテナだ。

「い、いや、そんなことはないが、それにしても、その、なんつったっけ? 小笠原先生の別名……」

 ズバリ本心を言われたオレは咄嗟に犯人の名前を聞きなおすことで窮地を脱しようとした。

「アメン・アシャレヌウの妻、ムト――」

「『アーメン・オシャレ姉で妻、武藤』か……変な名前だな? 日本人のシスターか? ま、身だしなみには気を遣っていそうだけどな」

 別にオレはふざけたわけではなかった。いや、本当に。


「アホは今は黙っとけ」

「な、なんだと?」


 急に割り込んできたのはエキドナ。よくわからないがとにかく瞑目しつつ呆れ果てた顔をしている。

「時空震を起こすようなヤツがそんなオシャレ番長みたいな名前のわけがねえだろ! 少しは頭を使えよマヌケ!」

「なんだと!? ……あ、いや、そうかもな」

 一転してぎろりとオレを睨むエキドナ。こちらも反射的にキレかかったものの、彼女の圧力に負けた格好だ。

「アテナ、さすがだな」

 エキドナは自らアテナのもとに歩み寄り、どちらからともなくハイタッチした。

「……んで、小笠原先生がやったにせよ、目的は何なんだ?」

 オレにはジャンパーという様々な世界線を渡り歩く能力があるらしいが、意識してそれを行使できるわけでもないから、ただの人間という自覚しかないのは変わらない。

 だからこういう時に何もイニシアチブが取れないのは歯がゆいが、言い出しっぺである以上、これからのことは常に段取りして決めていかねばならないだろう。取り敢えずアテナは手がかりを確実に掴んでいるようだし、ガイド役としてオレが率先して話を聞くべきだ。

「そこまではわからないわ。本人に訊くしかないでしょうね~」

「わかった。ところで小笠原先生はどこの世界の住人だ? まさか普通の人間じゃないだろ?」

「ムトは夫とともに冥界で封印されていたはず。なんでそうなったのかは知らねえ」

 オレの問いに答えたのはエキドナだ。彼女も知っているということは5界では有名人なのか?

「エキドナ、冥界ならシルクに訊くのはどうだ? 何か知っているんじゃないのか?」

「シルクに訊くというより、シルクを通じてその辺の事情に詳しいヤツを呼んでもらうのがいいと思うぞ」

「……なるほど、その通りだ」

「あ、待て、ブタ。メガネでも知っているかもしれんぞ。すぐそこに居るんだからまずアイツに訊いてみようぜ」

「おお、冴えてるなエキドナ」

 何れにせよ、ここから先はハガイに黙って進めるのは何か問題が起きた時にマズい。特にさやか先生が怖いし。

「当たり前だ。じゃあ、馬鹿天使。お前がメガネを起こして来いよ」

「…………え?」

 急に話を振られて目が点の希。いつの間にか泣き止んでいたんだな。気付かなかったよ。

「お前がメガネを伸しちまったんだから、起こしに行くのは当然じゃねえか。早くしろ」

 ダイニングテーブルの椅子じゃなくて革張りのソファとかだったら、あの足組したつま先で命令するエキドナの姿は完全に反社だ。

「……はい」

 希はあれでも戦闘力だけは天界でも指折りのクラスだ。それに今回の調査をさやか先生から命じられているわけだし、そこそこ階級もあるだろう。しかし今はエキドナの奴隷だ。まあ、でも仕方ないかな。

 希が席を外して、オレ達が待っている間に何げなく目線をメリアに移すとやはり少し顔が赤いことにオレは気付いた。

「メリア、やはりまだ熱が下がっていないんじゃないか? 君が人間と同じ養生の仕方で良くなるのかどうかわからないが、とりあえず休んだ方がいいと思う」

「……」

 メリアは何も言わない。しかしその沈黙を埋めるようにエキドナが代わりに口を開いた。よく見ると半笑いだが……

「ったく、ブタの差別には嫌になるぜ。私にもたまには優しくしてくれ」

「エキドナ、可愛いな」

「キモ! あっちいけ!」

「なんだと!? お前が言ったんじゃないか!!」

「わーったよ、私が悪い」

今のエキドナのカットインはオレを茶化しただけでなく何か含みを感じたから、とにかく乗ってやった。




「いつつ……すみません」

「お、ハガイ。大丈夫か?」

 ハガイが右手で鼻を、左手でみぞおちを抑えながらダイニングに姿を現した。

「ええ、まあ……なんとか」

「しんどい時にすまんが、時空震の件でアテナが犯人の目星をつけたぞ。天界はどうする?」

「え? そうなんですか? それで誰なんですか?」

「えっとだな……ナントカの妻の武藤だ」

「武藤……さんですか? 失礼ですが、どちらの武藤さんでしょうか?」

「メガネ、冥界で封印されているはずのムトのことだ。エロブタの戯言に耳を貸すな」

「な、なんだと!?」

 また横槍を入れてきたのはエキドナだ。オレが聞き間違えたと思っているようだが、今も『武藤』って言ったよな。

「武藤じゃなくて、『ムト』!『むーと』!!」

「わ、わかったからそんなに大きな声を出すなよ」

 エキドナは歯をむき出して、オレに向かって中指を立てた。そこまでしなくたっていいじゃないか。

「あ~、ムトですか。逃げられました」

「なんだと!?」

 あっけらかんと答えるハガイの態度に高速で反応したのはエキドナであり、オレではない。だけど、その言葉ってオレの専売特許……

「どういうことか説明してもらえるかしら……」

 ハガイに一歩二歩と近づきながら顔つきまで徐々に変わっていくアテナ。アレなんだよ、アレ。アテナの怖い時ってああなんだよ。

「あ、はい。え、ええっとですね……その、あの~」

 ハガイは『やっちまった』の表情だったが、時すでに遅し。

「……『その』、『あの』では何もわからないわ」

 アテナの刺すような目とは対照的にハガイは小動物のようにおびえ始めた。汗が噴き出してきているし。

 だが無責任な物の言い方をしたハガイに問題があるのは確かだ。需要参考人、或いは容疑者と思しき人物の行方が天界自ら逃亡を許した結果によるものというだけで非難されて然るべきなのに……あの態度はないわ。絶対ないわ。

「恥ずかしいことですが、監視官が隙を突かれまして……」

「ふ~ん、そう。それじゃ、その後は捕まえることが出来ずに放ったらかしというわけね。それと何故ムトは冥界送りになったのかしら?」

 アテナはさらに物理的にも精神的にも詰め寄る。

「あ、それはですね、妹君であるセクメトの罪業を代わりに被った結果なのです」

「セクメトの罪業って?」

「ええっと……長くなりますけど……」

 アテナの機嫌を伺うようにしつつも長尺話は勘弁してほしいと意見するハガイだが……

「だったら、うまいことコンパクトにまとめて話せばいいだろうが!! なんでこっちが無茶な要求しているかのように言ってんだよ!! ああん!?」

 今度はエキドナだ。

 『火とか炎の色は何?』と言えば赤と青を思い浮かべる人が多いだろう。どちらであっても生身の人間にとっては使い方を誤ると命の危険を伴う大変恐ろしいものだが、例えていうなら赤い方がエキドナで青い方がアテナだと思う。

「も、申し訳ございません」

 ついにハガイは土下座した。よ~く考えれば土下座するほどのことは何一つしていないと思うが、今は有無を言わせぬ雰囲気なので、オレは何も言わない。

「いいから早く言え」

 なんで、エキドナまでこんなに怒っているんだ?

「は、はい! えっと……だからですね、ムトは無実なのです。ところがセクメトが下界で疫病と大火を起こしたため天界で裁判を受けたのですが、ムトは自分が罪を償うのでセクメトを許してほしいと請願し、それが認められまして冥界にて無期限幽閉とされました」

「メガネ、セクメトの方はどうなったんだよ?」

「ムトが罪を背負ったので無罪放免です。暫くはムトの身を案じ冥界に留まっていたようですが、いつの間にか姿を消しました。……こんなところですがエキドナさん、宜しいですか?」

「ふ~ん。私は妹の方が怪しい感じもするが、アテナ! 時空震はやっぱりムトがやったんだよな?」

「ええ、そうね。エキドナちゃんの見立てが正しいのかもって私も思ったから、ハガイさんの話の間中もずっとサーチをしてたけどやはりムトに強く反応するわ」

「……まだ、調査の必要がありそうだな、ブタ?」

「……ん!? え?」

 なんか『アテナとエキドナに任しておけば大丈夫だな』と思いっきり油断していたところにエキドナが急に話を振ってきた。

「ブタ、まさか話を聞いていなかったとかふざけたことは言わねえよな?」

「そそそ、それはない! 断じてない!!」

「じゃあ、言ってみろよ」

「オホン。う~んと……佐久間党は政界で大金をばらまいたので裁判に掛けられたけど、無党派が身代わりになったから無罪放免で政界に留まったのに支持がなくて姿を消した。よって佐久間党が怪しい。だけどやっぱり無党派が犯人…………だろ!?」

「……」

「どぉ!!」

 エキドナが無言でアッパーブローを放ち、オレのボディーに突き刺さった。不意打ちだったので、おかしな声が漏れてしまった。……いや、毎度のことか。

「ブタが話を全く聞いていないことだけはよ~くわかった。けど頼むから名前だけ覚えてくれねえか? 佐久間党とやらじゃなくてセクメトな。それと……武藤と言わなくなったのは百分の一歩前進だが、無党派じゃなくてムト―な。頼んだぞ」

 殴ってきた割にはエキドナの語り口はソフトだ。ただ、疲れ目なのか虫でも目に入ったのかわからないが、両目を指先でマッサージしながら苦悶の表情をしているのはどういうことだ?

「おい、メガネ!! どうすんだ!?」

 やはりエキドナは機嫌が悪そうだ。

「はい!! ええっと~、えっと~ですね。……どういたしますか?」

「……はぁ~、もういいじゃな~い? エキドナちゃん、私達でやるしかないわよ~」

 あ、アテナがいつもの話し方に戻った。ようやくノーマルモードになったか?

「そうだな。そんじゃメガネ、ゼカリヤにちゃんとその辺のことを言っとけよ!」

 今さらだが、ゼカリヤとは伊集院さやか先生のことであり、希はマスティマとも呼んでいる。名前が三つもあるのだ。

「エキドナ、アテナ。希はどうするつもりだ?」

「……ハッキリ言って要らねえけど、カチコミとかでは使えそうだからな。一応残すか」

 オレもなんで希のことをエキドナに聞いてしまったのだろうか。そんで『カチコミ』って……完全に殴り込みモードだろ。

「そ、そうか、わかった」

 いつの間にかこの件についての主導権はアテナとエキドナが握り、オレはただのコマに成り下がっていた。ま、ハガイや希に比べればマシな扱いだろうけど。


「あの……じゃあ、私はこれで失礼します――」

「……おう」


 ハガイは今がチャンスと言わんばかりに姿を消した。多分、エキドナの返事も聞いていないだろう。

 アイツ、結局なんのために来たんだろうな。あ、そんなことより――

「メリア……アレ? どこ行った? エキドナ、知らないか?」

「とっくに部屋に戻ったぞ。ガイアが付き添っているから大丈夫だろ。ブタは話は聞かねえし、周りは見てねえし、メリアが悲しむ――」

「エキドナちゃん!」

「お、悪い。なんでもねえ」

 なんだ、今のアテナとエキドナのやり取り……明らかに不自然だな。

「とにかくだな、ケツ割られる前に――馬鹿天使! お前とりあえずアジト探してこい!」

「は、はい」

 ずっと黙っていたのにエキドナの命令には即答かよ。希のヤツ、オレには百パー反抗的な態度のくせに。

「あ、あとなテメエ、学校に来た時みたいに突撃すんなよ。戦争と決まったわけじゃねえんだからシケ張りだけやっとけ」

「あ、あの~」

「なんだよ、ブタ」

「所々、わからない言葉があったんですけど……」

 オレ、なんで敬語を使っているんだ?

「ああ、悪い。つまりヤツの『やさ』を張っとけってことだよ」

「……あの、ええっと……」

 エキドナ、全く用語解説になっていない……

「エキドナちゃん、ヤクザ映画の見過ぎ! あのね子豚ちゃん。逃げられたらまずいからムトの家を見張っておきなさいということよ」

「ああ、なんだ。それを希に任せるんだな?」

 アテナが翻訳してくれてようやく意味がわかったが、監視役すら希じゃ危ないと思うけどな。

「ブタが不安に感じるのもわからないでもないが、ここはゼカリヤに配慮してのことだ。何もさせないままだと馬鹿天使が怒られるだろ?」

 全く、いちいち人の心を読むなよ。

 ――と思うところなのだが、確かにこのまま希が何もしないで時間だけが過ぎたとして、もし5界メンバーで物事が解決してしまったとしたら……

 さやか先生のことだ、きっと『希!! 一体どういうことだ!? 貴様は何をやっておるのだ!!』と激おこになるのは間違いない。

エキドナのヤツ、なかなか思慮深いじゃないか。

「うむ、納得した。じゃあ、希! 頼んだぞ」

「……」

「なぜ、オレが言うと返事しない!?」

 希め、ホント頭来るな。

「違う。……ムトの家がわからない」

「お前、天界人のくせに知らねえのかよ!」

 あちゃ~、またエキドナのボルテージが上がったぞ。

 あ、でもだ。希が小笠原先生の自宅を知らなくても仕方ない気もするが。

「エキドナ、今更だけどさ、小笠原先生……いや、ムトか。あの人ってどこの住人なんだ?」

「天界だよ。人間から見ればな。アレでも一応『神』だ」

「あ、そうなの!?」

 それは意外だ。神様なのにな……

「ブタ、お前は知らないのか? あいにく明日から夏休みだからな、登校すれば会えるってわけにもいかねえ」

 小笠原先生の住所か……あ、ウチの教師なんだから学校に行けばいいじゃないか。

「学校に行けば本人が居なくても職員名簿みたいなのがあるんじゃないか?」

「確かにな……だが、ゼカリヤにはバレるだろ。……ん? いや待て。そう言えば学校に時空震の犯人が居るから調べろって言ったのはゼカリヤだろ? アイツなら簡単に見つけられたんじゃねえのか? 教師仲間なんだし」

 エキドナが言うのももっともだ。そもそも論にもなるが、さやか先生なら……ひょっとすると最初からわかっていたなんてことだってあり得る。

 いや、最初からっていうのは言い過ぎか。オレのジャンプに気付かず、事が大きくなってしまったのは失態だったと言っていたもんな。


「あ、あの!! すみません!!」

「……ん!? ハガイ!? どうした!?」


 つい先ほど、エキドナとアテナから逃亡したばかりなのに、いきなりダイニングに姿を現した。

「急ですみませんが、ゼカリヤ様が全員学校に来てほしいと仰っております」

 タイミングが良すぎるな。多分、こっちの話が筒抜けだったか或いは……

「ハガイ、今すぐにか? お前が喋ったのか?」

「はい、そうです。いいえ、違います」

 ハガイは相当慌てている様子だ。オレの問いに対しておかしな返答をしているのがその証拠だ。

「落ち着けよ。とにかく今から皆で学校に行けばいいんだな? わかった。あとメリアは具合が良くないから勘弁してくれそれと看病中のガイアもだ」

「承知しました」

 ハガイの承諾は取れたし、二名除外であとは……全員制服じゃないとな。私服なのはシルクとシーリーか。

「シルク、シーリー、すまんがもう一回制服に着替えてくれ……あ! ハガイ、希はどうすんだ?」

「え? はぁ、そうですねえ……」

 ハガイはさやか先生の急な呼び出しに気が動転しているようで、考えることもままならない。それにしたってそんなに恐ろしいか? 

 まあ、確かにおっかないか。

「ブタ、お前変態なんだから女子高生の制服とか持ってんじゃねえのか?」

「な、なんだと!?」

 また、エキドナが大事な段取り中に余計なチャチャを入れてきた。

「ネットで使用済みとか買ってんだろ?」

「なっ!? んなわけないだろ!! せいぜいDVDの予約特典で主演女優の着用済下着が付いてくる程度だ!! 制服なんか無理なんだよ!!」

「……ブタ、お前、何を言ってんだ?」

 結局、通学路の途中にあるディスカウントストアのコスプレグッズで間に合わせることになった。

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