変わる関係、育っていく気持ち
よろしくお願いします。
女の子が帰った後、他のお客様に騒がせてしまったことを謝って回った。
テオがわたしを身内だと言ったこともあって、女性客がわたしを見る目は好奇心に変わっていた。詳しいことを聞きたそうな彼女たちに気づかない振りをする。
身分というのは厄介だ。男爵家にいた時は平民だと見下されていたのに、こうして平民の暮らしをしていると男爵家の肩書きが邪魔をする。どちらにいても受け入れてもらえない中途半端な身分なんていらないのに。だけどそれを言うと、今の父が気に病むから言えない。
やりきれない気持ちで仕事を終えたわたしは、心配してくれるダンさんとリーシャさんに謝って、テオと店を後にした。
◇
「テオ、みっともないところを見せてごめんね」
通い慣れた家路を歩きながらテオに謝る。落ち込んでいたけれど、テオが気にしそうだったから明るい声を作った。
だけど、テオは眉を寄せて首を振る。
「クレアが悪いわけじゃない。僕がもっと考えればよかったんだ」
「テオのせいじゃないわ。わたしはテオがモテることをわかっていたのに、配慮が足りなかったの。わたしとテオじゃ釣り合わないから、嫉妬されるとは思わなかったのよ」
自嘲するように笑うと、テオが足を止めてわたしに詰め寄る。
「釣り合うかどうかなんて誰が決めるんだ? 僕は自分と釣り合うからってクレアを好きになったわけじゃない」
「テオ……」
「だけど、ごめん。僕がしゃしゃり出たせいで、クレアは何もしてないのにそのことについても謝る羽目になったから。クレアは店員で客の方が立場が強い。そのことを考えるべきだった」
真摯に頭を下げるテオ。わたしは手の届く位置まで下がった頭をつい昔のように撫でてしまった。
「ありがとう、テオ。わたしを守ろうとしてくれたのよね? その気持ちがすごく嬉しい。それにテオがいてくれたから、わたしはしっかりしないとってあの時思えたの」
テオは昔からそうだった。わたしが平民だと他の貴族の子どもたちに馬鹿にされていると、クレアをいじめるなと庇ってくれた。ただ、テオの方がその子たちよりも体が小さくて、結局はアウグストが助けに入ってくれてはいたけれど。
テオは頭を下げたまま呟く。
「……僕はいつもそうだ。クレアを助けたいのに足を引っ張るばかりで。兄上が僕たちの尻拭いをしてくれる……早く大人になりたいよ」
「テオはもう大人でしょう?」
十六歳で成人になるこの国では、十八歳のテオはもう大人だ。わたしがそう言うと、テオは頭を上げる。その表情は苦しそうに見えた。
「……違うよ。僕は成人すれば体と同じように心も大人になれると思っていた。だけど、僕はまだクレアに守られる子どものままだ。これで弟扱いはやめて欲しいなんて言ったら駄目だね」
意気消沈するテオにどう言葉をかけるか悩む。そうやって悩ませているのは他でもないわたしなのだから。
弟扱いをやめてテオを異性として見ることができればいいとは思う。だけどそれが怖い。
テオは姉弟にならなければ、わたしにとって雲の上の人だったのだ。それくらい身分の壁がわたしには厚く感じた。だから弟と思えるまでにも葛藤があった。
そして、再び手に入れた幸せな家族を、一時の気の迷いで失いたくないという気持ちが今は強い。テオは不安にならないのだろうか。
そんな疑問がつい口をついて出た。
「……ねえ、テオ。姉弟ならずっと縁は切れないかもしれない。だけど、恋人になってしまえば恋愛感情は色褪せてしまうって思わないの? それなら姉弟の方がいいって思わない?」
テオは少し考えた後、緩く首を振った。
「思わない。それでクレアが別の男と結婚するのを指を咥えて見送るのか? 僕はそんなの嫌だ。それに恋愛感情というか、気持ちっていうのは良くも悪くも変わるものだと僕は思う。だから最初はクレアを家族として好きだと思ったよ。それからクレアを知るたびに好きの種類が変わっていった。クレアはいつも僕の気持ちに寄り添ってくれたから」
「わたしはそんな大層なことはしていないわ」
反対にテオがわたしを支えてくれていたと思う。アウグストは次期男爵家当主というのもあったし、どこか近寄りがたい雰囲気があった。
テオがわたしを必要としてくれたからあの家に居場所があるって思えたのだ。
「クレアは僕と兄上を比べなかったから。僕はいつも兄上のおまけでしかなかったんだ。次男で跡を継がないから僕に媚を売っても無駄だって影で言われてたのを何度も聞いたよ。だから僕はいつもクレアに心を救われていたんだ」
「テオ……」
「それにね、気持ちって育っていくものでもあると思うんだ。何となく好きだっていう思いがはっきりと好きだって思うようになったりとか。恋人になったとしてもそれは変わらないと思うんだ。それなら気持ちが離れていくことばかり気にするよりは、近づくことを僕は考えたいかな」
そう言って笑うテオの顔は大人びて見えた。いえ、違う。テオはずっと大人だった。わたしがテオに変わって欲しくなくて、勝手に昔のように子ども扱いしていたのだ。
変わることが怖くて動けずにいたわたしと違って、テオは前を向いて進んでいた。だからこそテオはわたしに気持ちを告げたのだ。変化は怖いだけのものではないと知っているから。
「テオは大人ね」
わたしがそう言うと、テオは苦笑する。
「どこが? 自分の気持ちを押し付けるわ、クレアの立場も考えず突っ走って迷惑かけるわで情けないよ。兄上だったらもっとさりげなく助けることができたと思うんだ」
「そんなことはないわ。テオの気持ちは最初は困ったけど、押し付けられているとは思ってない。わたしにとって、テオは大切な人には変わりないから悩むだけで。それにテオはテオ。お兄様と比べる必要なんてない。わたしはテオに守ってもらったんだから」
「ありがとう、クレア」
テオが嬉しそうに笑う。
先程大人びた表情を見たせいか、その顔も初めて見たような気がして、思わずドキッとしてしまった。
元々テオはかっこいいと思っていた。だけど、もしかしたら今初めて一人の男性だと気づいたのかもしれない。
まだはっきりとしない自分の心に戸惑いつつ、テオが先程言ってくれたように、育っていく気持ちについて考えるのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。