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わたしの職場

よろしくお願いします。

「すみません、遅れました!」


 慌てて職場であるカフェへ駆け込むと、まだ開店前の店内はがらんとしていた。奥にある厨房から年配の男性が顔を覗かせる。


「ああ、クレアちゃん。遅いどころかちょうどいいよ。いつもが早すぎるんだって」


 そう言ってくれるのは店主であるダンさんだ。カフェの店主とは思えないほど屈強な体躯の彼は、元々騎士だったそうだ。


 だけど、騎士団に在籍していたために危険な任務が多かったことを奥さんであるリーシャさんはいつも心配していたらしい。だから思い切って退職して、夫婦二人でこのカフェを始めたそうだ。


「いえ、新人のわたしが誰よりも早く来ないと。すぐに準備しますね」


 鞄からエプロンを取り出すと手早く着て、肩より少し長いくらいの髪の毛を束ねる。飾り気のない紺色のエプロンだけど、動きやすくて重宝している。


 ダンさんは、急いで準備するわたしに不思議顔で問う。


「だけど珍しいね。いつも決まった時間だから。何かあったのかい?」

「はい。それが、朝早くに弟が訪ねてきまして……」


 朝のやり取りを思い出して思わず溜息が出る。だけど、ダンさんには弟に告白された上に、結婚したいとまで言われたとは言えない。わたし自身、まだ気持ちの整理がついていないのだから。


「へえ。寄宿学校に入っているっていう弟さん? 帰ってきたんだね」

「そうなんです。卒業してこちらで仕事が決まったそうで」

「ああ、それで。だけど、男爵家は継がないのかい?」

「それはないと思います。兄が後継者ですし、その兄にも息子がいますから。次男とはいえ、序列は兄、兄の息子、弟ですし、弟本人も継ぐ気はなさそうです」


 ダンさんにはここで働かせてもらう際に、あらかじめわたしの家のことは話してある。当初、男爵令嬢が何故と困惑されていた。だけど、わたしの生い立ちを話した上で、こうして雇ってくれたのだ。本当にありがたい。


「ふうん。貴族の家ってのは色々あるんだね。クレアちゃんも男爵令嬢だろ? 何もこんなところで働かなくても、いい暮らしができるだろうに」


 これにはわたしも苦笑するしかない。わかっていてもお嬢様が働かなくてもと、ことあるごとに言われる。ダンさんなりに心配してくれているのだろう。


「大切なお店をこんなところなんて言わないでください。わたしは元々平民ですし、貴族階級には馴染めないんですよ」

「そういうもんかね。まあ、クレアちゃんがしたいようにするのが一番だとは思うが」


 そんな話をしていると扉が開いてわたしとダンさんはそちらを向いた。


「あら、クレアちゃん。おはよう」


 入って来たのは重そうな紙袋を抱えたリーシャさん。扉を開けるのも大変そうで、わたしは慌ててリーシャさんに駆け寄った。


「おはようございます。お荷物お持ちしますね。厨房でいいですか?」


 荷物を受け取りながら尋ねると、リーシャさんは苦笑する。


「ええ、ありがとう。朝市で美味しそうな果物を見つけて、ついつい買いすぎちゃった。だけど移動のことを考えてなかったわ」

「ちゃんと考えて買わないと。荷物で姿が隠れるくらいに買い込んでどうする」


 ダンさんは呆れたように言うけど、これもいつものことだ。リーシャさんはお得に弱くていつも買い込んでしまう。


 それならダンさんもついて行けばいいのではと言ったところ、荷物持ちが増えたら更に買い込んで、二人で荷物に埋もれるから行かなくなったのだと、困ったように溜息をついていた。


 預かった紙袋を厨房の机に置くと、リーシャさんがいそいそと紙袋を開けて、中からオレンジを取り出す。


「でも、ほら。このオレンジ美味しそうでしょ? 今日はこれで新しいメニューを考えようかと思うの」

「リーシャさんのお菓子、美味しいから楽しみです」


 これは本心だ。ここのお菓子が美味しくて通いつめているうちに、ダンさん、リーシャさんと顔見知りになり、お得意様になったおかげでここで働かせてもらうようになったのだから。新しいお菓子を想像して思わず顔が綻ぶ。


「クレアちゃん、嬉しいことを言ってくれるわね。じゃあ味見をお願いしようかしら」

「はい、是非!」

「はいはい。話はそのくらいにしてさっさと開店準備をしないと間に合わないぞ」

「はい!」


 ダンさんに促されて、それぞれが開店準備に入る。わたしは店の前の掃除、リーシャさんは材料の確認、ダンさんは材料を切るという分担。


 そうこうしているうちに開店時間になり、お客さんが入り始めた。この店は城下にあり、値段が安い上に味がいいため、町人だけでなく、騎士、旅人など客層が幅広い。


 次々に訪れるお客さんに飲み物や料理、お菓子などを提供していると、瞬くうちに時間が過ぎる。そのくらいお客さんが多くて忙しいのだ。そうして忙しさに集中しているうちに、わたしの頭からテオとのことが消え去っていたのだった。


 ◇


 ようやくお客さんの入りが落ち着いて一息つくと、窓の外ではもう日が暮れそうになっていた。そこでまた扉が開いて反射的に笑顔で振り返る。


「いらっしゃい、ま、せ……テオ?」

「ああ、クレア。迎えに来たよ」


 何故テオがここに。それに迎えに来たとはどういうことなのか。


 怪訝に見返すと、テオは苦笑する。


「夜に女性の一人歩きは危険だよ。送るから、一緒に帰ろう」

「え、仕事中だから駄目よ」

「終わるまで待ってる。もう少しで終わるんだろう?」


 にこにこと笑いながら、テオは空いている席に座る。これはきっと帰らないだろう。諦めたわたしは渋々頷いた。


「……わかったわ」


 すると、奥からダンさんが注文の料理を運ぶために出てきた。ダンさんはテオの近くの席に料理を運ぶと、わたしたちのところに来て、意味深に笑う。


「クレアちゃんも隅に置けないね。恋人かい?」


 ぎょっとしたわたしが慌てて否定しようとすると、テオが先に口を開いた。


「クレアがいつもお世話になっています」


 わたしは頭を抱えたくなった。これではテオが恋人だと認めたようなものだ。


「ダンさん! 話したでしょう? 弟のテオドールです!」

「ああ、あの。随分とお姉さん思いなんだね。わざわざ迎えに来るなんて」


 あらかじめ話しておいたことが功を奏したようだ。ダンさんはすんなりと受け入れてくれた。だけどテオの表情は曇ってしまった。気にはなるけどわたしはダンさんに笑顔で答える。


「ええ、そうなんです。昔からテオは優しくて」

「いい弟さんだね。久しぶりに会うようだし、今日はもう、これであがっていいよ。積もる話もあるだろう?」


 逡巡するわたしをよそに、テオが代わりに答える。


「そうなんです。久しぶりに会うから話したいことがたくさんあって。それじゃあお言葉に甘えてもいいでしょうか?」

「ああ、いいよ。それじゃあクレアちゃん、お疲れさま」

「え、あ、はい……」


 そう言われてしまえば帰るしかない。エプロンを脱いで帰り支度をしていると、厨房で作業していたリーシャさんが出てきた。


「それじゃあ約束のお菓子。よかったら二人で食べてね」

「美味しそう……! ありがとうございます!」


 紙袋に入れられて受け取ったお菓子は、オレンジピールの入ったシフォンケーキだった。まだ温かくてふわふわしている。


「テオ、後で一緒に食べましょうね」

「はいはい」


 満面の笑みを浮かべるわたしに、テオは苦笑しながら頷く。そして、わたしたちは再度ダンさんとリーシャさんにお礼を言って店を後にした。

読んでいただき、ありがとうございました。

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