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SessionFixation

 湖南は制服姿のまま、光の消えた自動販売機の影に彩羽を座らせると、わざとらしく肩をすくめて溜息をついた。彩羽に見せびらかすように。

「私の忠告を再三、無視して、このざまってわけ。あのままだったら、死んでたよ」

 彩羽は答えない。身体の痛みは収まってきたが、今でも胸のあたり、それから両手の平を中心にした幾何学的なノイズが、身体じゅうを這いまわっている。『Hxyrpe』の世界に写り込む無機物のように、彩羽自身の身体の輪郭が赤青緑に散って、曖昧になっていく。

「どう、なってるの」

「こっち側でのあなたと、基底現実でのあなたが正常にリンクしていないから。そのノイズは、そういうこと。いまの状態で無理に基底現実へ離脱しても、肉体がその齟齬に耐えられなくて、感電する」

「感電……、」

「しばらく落ち着いていれば大丈夫。じっとして、自分の輪郭を回復するの。それまでにハランに見つからなければそれでいい。ただし、もう一度見つかったら、今度こそ終わりだよ」

「……、そうだ。黒のところに行かなくちゃ」

「人の話、聞いてるの?」

 首根っこを掴んで引き寄せる湖南に、彩羽はたどたどしく答えた。

「電話がきたの。黒から。ハランが私を襲うって、教えてくれて、それで、待ち合わせをしようって。公衆電話とか、街灯とか」

「あいつのことは信用しちゃいけない」

「どうして? 黒はハランから私を守ってくれた……」

「それは、あなたに死なれちゃ困るからだよ」

「なら――」

「どうしてか分かる?」

 湖南の視線に射抜かれて、彩羽は思わず黙ってしまった。

「あなたを乗っ取るつもりなんだよ」

「黒が? 私を?」

「そう。あなたの肉体を乗っ取って、基底現実へ離脱するのが、あいつの――檳榔子黒の目的。そしたら今度こそ、あなたは元には戻れない」

「そんな……でも黒は、ハランがそうしようとしてるって――」

「それなら、あなたを破壊しようとしない。だってあなたが生きていないと、基底現実のあなたの肉体も死んでしまうんだから。ハランはあなたを消そうとしてる、檳榔子黒はあなたを乗っ取ろうとしている。それぞれの利害が相反しているだけで、鷹山彩羽、貴方にとっては両方とも敵よ。だから、あなたに出来ることはひとつ――どちらも信用せず、おとなしく自分の肉体に戻って基底現実へ離脱すること。そして、これに懲りたのなら、もう二度とこっち側には来ないこと。さもないと、死ぬよ、本気で」

 彩羽の動揺に呼応するように、身体に走るノイズがより一層大きくなった。視界がかすんで、身体に穴が開いているように、外の冷たい空気が血管じゅうに入り込んでくる。自分の両手をみた。ブロック状の光がいくつも浮かび上がっては消えていくさまは、小さな虫がびっしりこびりついているみたいで、たまらなく気持ち悪かった。膝を抱えて顔をうずめ、目を閉じようとしても、もう目を閉じているから、視覚を遮ることができない。気付けば、いつの間にか雨が降り始めている。冷たい雨の音だけが、静かな『Hxyrpe』に響いていた。




「いったい、この世界は何なの」

 吐く息は白い。その場にまとわりついて、いつまでも消えようとしない。

「どうして私のことが分かったの? ハランに狙われているって」

「――――私は、この世界のことを少しは知っているつもり。あなたよりも」

「H,x、y、r、p、e――それがこの世界の名前?」

「この世界の名前なんて知らないし、たぶん、そんなものはない。いわゆる基底現実に決まった名前が無いように――その文字は、この世界に入り込むための、パスワードみたいなもの。どうやってあなたが見つけたかは分からないけど」

「あなたはどうやってこの世界を?」

「生まれたときから私はこっちの世界とつながってた。別に特別なことじゃない、たまたま小さいことにこの世界を見つけることができた。特別なことじゃない。人間は生きていれば、一度はこっち側の世界へ接触する――でも、たいていそれを知覚することなく、基底現実へ戻っていくことが大半なの。私はそうじゃなかったってだけ。

 私は小さいころに初めて没入(ジャック・イン)したときから、この世界に魅せられて、何度も遊びに来た。鷹山彩羽、今のあなたのようにね。いろいろな失敗やトラブルを繰り返していくうちに、だんだん見えるものが増えてきて、この世界が拡張されていくのが嬉しかった……もともとひとりでいるのが好きだったし、この世界は私にとって都合のいい遊び場だったの。でも、あるとき突然あいつが現れた」

「あいつって……ハラン?」

「そう。基底現実と遜色ないくらいに拡張された世界を、ハランは片っ端から壊して回った。黒い世界を白く塗りつぶしながら、壊したものを自分に取り込んで、さらに力を増していく……やがてこの裏側の世界全体を支配するようになった。そして、私のことも壊そうとして狙い始めたの。当然逃げ回っていたけれど、私はこの世界を見捨てて、居心地の悪い基底現実に逃げようなんて思わなかった。何とかしてハランをやっつける方法を考えていた……ちょうどそのころから、私と同じように裏側の世界に没入してくる子が増え始めた。檳榔子黒もそのうちのひとり」

 雲居湖南の話は、前に檳榔子黒から聞いた話と食い違っている点があることに彩羽は気が付いていた。檳榔子黒は、ハランがこの世界を作ったといった。だが、湖南が言うには、この世界というのはもともと存在していて、そこに現れたのがハランだという。どちらの言うことが正しいのか、そんなことを気にしている場合ではなかった。不気味なほど静かな雨の夜に、彩羽の気持ちは落ち着かないままだ。震える身体を縮こまらせて、口から漏れる白い息を抑え込む。

「その子たちも、何人もハランに取り込まれて、消えていった。こっち側で意識だけが破壊されると、基底の肉体は正常な制御を失う――意識不明のまま目覚めない子、意識が破壊されたショックでそのまま死ぬ子、あるいは……」

「自殺する子も?」

 彩羽の口から咄嗟にこぼれた言葉に、湖南は口をつぐんだ。肌が白くなるほど握りしめられ、大きく息を吸い込む音が聞こえた。白い息を吐きながら、彩羽は続ける。

「身体だけが勝手に、ひとりでに動いて、階段から飛び降りた……それが、過去の飛び降り事件の真相ってこと?」

「……、詳しくは分からない。でも、あの子もそうだった。こっち側の世界に、深く入り込み過ぎたんだ。それでハランに捕まって、大半の精神を喰われた。残ったわずかな意識だけが離脱して肉体に戻ったけれど、その時に……」

「階段から転げ落ちて、死んだ……じゃあ、その子は自殺したわけじゃなくて……」

「檳榔子黒は、そういう子たちとは真逆の存在なの。あいつの肉体は既に基底現実には存在しない――ハランから逃げ続けるうちに、肉体のほうが先に死亡した。それで、こっち側に意識だけが残ってしまったの。ざっくりいえば、幽霊みたいなもの。そんな時、目の前に現実に戻るチャンスがうっかり迷い込んできたら――それを狙うのは当然でしょう?」

「それが――私ってこと?」

 檳榔子黒は、彩羽を助けたときにこう言っていた。あなたに死なれちゃ困る、と。

『Hxyrpe』で彩羽が死ねば、基底現実の肉体も死ぬ。そうすると、彩羽の肉体を乗っ取って現実へ脱出するという、目的が果たせなくなる。それで、黒は彩羽のことをハランから庇ってくれた――?

「私、あの子に騙されていたってこと?」

 湖南は答えなかったが、彩羽はその沈黙を肯定の意味だととらえた。

「電話をかけてきたって、言ったわよね? 普通ならそんなことは出来ないはず、だって彼女を基底現実を繋ぐものは何もなかったから。でも、それが可能なのは――あなたが彼女に接触したことで、(ルート)を作ってしまったからよ。あなたがこっち側から離脱したつもりでも、檳榔子黒にいつも後ろ髪を掴まれているような状態。それを辿って、基底現実へアクセスする手段を得たってわけ。そのうちに彼女はあなたを完全にこっち側に埋没させて、その隙に基底現実へ飛び出す。そしてあなたの肉体を完全にのっとって、今度はあなたが、檳榔子黒のようにこっち側を彷徨い続ける幽霊になる」

 急に身体が震えだして、彩羽はもっと強く膝を抱き寄せた。ようやくおさまってきた身体のノイズが、動悸と、震えに合わせてまた身体じゅうに走り回った。ひたすら恐ろしかったが、ふと、ひとつの疑問が浮かび上がった。

 ――自分が、雲居湖南を信じるための根拠は、いったいなんだ?

 地面から、大きく突き上げられるような衝撃が走った。彩羽の身体に、大きなノイズが走る。大気がぴかっと白熱した。それは落雷だ。ただし、真っ白なその衝撃は、いつまでも途絶えることなく続く。地震のように音を立てて、彩羽と、湖南の身体を揺さぶり続けた。雨が降り続ける『Hxyrpe』の宙は、雨のノイズとは別に、赤・青・緑の光が無秩序に裂けて、ざらざら耳障りな音を立てる。

「見つかった」湖南が身構える。「ハランだ。私たちのことを探して、あちこち暴れ回っている。手当たり次第に」

 湖南は、まだノイズのおさまらない彩羽の身体を抱き上げると、手首を掴んで引っ張り走り出した。

「ど、どこにいくの?」

「同じ場所に隠れていても、ハランはすぐに見つけ出す。まずはここから離脱するの」

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