入学
現在、1章までは修正前のストーリーとなっています。
用語は修正済みですが如何せん誤字が多いので ちょいちょい修正します。
【追記】
1話と2話は齟齬が発生しないと判断したため、修正版の方に置き換えました。
――――――それは、何時の事だったか
「お姉ちゃん、お姉ちゃんっ!」
木造の道場の一角。そこは普段何時も二人が決まって剣を振る場所。
――――――今日もいつもと同じように、姉と剣を振るはずだった。
「ご……めんね……お、姉ちゃん……負けちゃったみたい……うっ……げほっ!」
白色の髪の少女は寄りかかっている黒髪の少年の耳元で苦しそうに囁くと、再びゆっくりと瞬きをする。徐々に目を閉じている時間は長くなっている。恐らく、もう長くはないのだろう。腹部から地面に落ちる大量の血が少女の命のリミットを示すようにぽたぽたと不吉な音を鳴らす。
――――――どうして……どうしてこうなったのか?
今日も、いつもと変わらない一日だった筈だ。少なくとも“あれ”が現れるまでは。
「おいおい、そんな所に居たのか……」
「……!!」
全身の鳥肌が立つ。聞いたものに畏怖を植え付けるような低く威圧的なその声は不吉な足音と共に少年の耳を刺激する。
「……ヘリオス」
足が無意識に震える。身体から発せられる膨大な魔力、威圧に脅えそうになる。後方十数メートル。そこに立っていたのは血に染まったかのような赤黒い髪に獰猛な笑みを浮かべる男だった。
「あの傷で逃げられる筈はねえと思ったんだが……弟か……」
ヘリオスは、獰猛で狂気的な笑みを浮かべるとゆっくりと歩いて二人の元へ迫ってくる。
「……フィ……デス……はな、して……」
「嫌だよ!お姉ちゃんを置いていくなんて……」
少年は離れようとする少女を半ば強引に引っ張ると。奥にある襖から外へ出ようと手を伸ばす。
きっとその時だったのだろう。
少年が壊れてしまったのは。
少女の胸から突き出た赤黒く光る刃を見てしまったのは。
「……あっ」
少女の体がぐらりと揺れる。少年は慌てて支えようとするも。幼い少年の力だけで少女の体を支え切ることなど出来るはずもなく、二人は縺れるように倒れてしまう。
「痛っ……!」
左足に激痛が走る。どうやら転んだ衝撃で捻ってしまったらしい。動かすたびに激痛が走り少年は苦悶の声を上げそうになるのを必死に堪える。
「お、お姉ちゃん……お姉ちゃんは……!」
しかし、今はそんな事より一緒に倒れてしまった姉の事が心配だ。最悪な可能性が脳内を支配する。さっきの光景が見間違いだったことを祈り少年は周辺を見回して、背後を見た瞬間絶句した。
「……」
「……お、ねえ……ちゃん」
少年の視界に映ったのは床に仰向けに倒れている姉の姿。そして。
「はっ、この程度か!他愛ねぇな、【始まりの黄昏】!!」
床に倒れている姉を刀で縫い付け、凶器に満ちた笑みを浮かべる男の姿だった。
「……う……あっ」
声が上手く出ない。様々な感情が頭の中に溢れかえり少年が理解するのを妨げる。
「ああ、ようやく。ようやくだ!ようやくここまで来た!!首を洗って待っていろ。直ぐに殺しに行ってやるからなぁ!【全知全能】!!」
ヘリオスが叫ぶ。
どうやら、幸か不幸か男は少年を脅威とすら思っていないようで、倒れている姉から視線を外すことすらしない。今なら、逃げられるかもしれない。
怖い。死にたくない。今すぐこの場から逃げ出してしまいたい。だが。
(やめて……お姉ちゃんを……これ以上……)
「お姉ちゃんを……離せぇえええええええええっ!!」
少年の心で急速に湧き上がった感情は、それらを意図も簡単に捩じ伏せた。
「……あ?」
少年の咆哮に男も一拍遅れて気づく。だがもう遅い。刹那、少年の持つ剣を半透明な物質が覆う。
「はっ……!」
「死ね!オービット流第一戦技【一破】!」
次の瞬間。全てを両断する神速の一撃が放たれた。
「……ん、ここは」
目が覚めるとそこは飛行機の座席だった。静かな空間で時折小さな話し声が耳に入ってくる。
「……またあの夢。最近あの夢ばかりだな」
少し気分が悪そうに口を抑えるフィデス。何度忘れようとしても、纏わり憑いて離れない血の匂いや肉の感触。思い出すたびに体中を蟲が這い回るような吐き気が込み上げてくる。
(でも、これでいい……)
フィデスは少しの時間を掛け気持ちを落ち着かせると、気分を切り替えようと左の窓を覗く。
窓の下には広大な雲海が広がりその中心には巨大な島が浮かんでいた。
「天空魔法都市ステラか……」
各国の魔法師、戦闘師が集まり己の能力を競う天空に浮かぶ島。
今乗っている魔空挺が向かう先でもある。
「学園生活、何も起きなければいいんだけど……」
これから行くのは魔力を身体に宿した子供、いわゆる『第三世代』達が己の魔法を、戦技を鍛え、披露する場所。
フィデスとしては復讐が果たされれば問題が無いため、自分の限界を超えるために上を目指す、などと言うつもりは全くないが、そうもいかないだろう
何せフィデスは……
「……ねぇ……ねぇってば!!」
その時、ガラス窓に反射して2人の少女が視界に映った。
「……ん?」
フィデスは、突然耳に響いた声に振り返ると、そこには二人の少女がこちらに視線を向けていた。
「えっと……何か用か?」
目が合ったのは、銀色の長髪に宝石の様な紅い瞳、更に髪の両側に赤いリボンを付けた元気そうな少女に、緑色の髪に白のカチューシャ、右目が黒で左目が金という珍しいオッドアイを眠たげに擦るどこかぼんやりとした少女。
確か、名前は……
「……ハクア・リーフェンシアさんにリューネ・ティレッタさん?」
「ハクアでいいわ」
「私も、リューネで良いよ~」
「分かった。俺はフィデス・オービット。フィデスで良い。それで、さっきの話だけど……」
フィデスが最後まで言い切るより前に、ハクアがフィデスの腕を指さす。
見ると、握りしめた手のひらの隙間から血が滴り落ちていた。
「貴女、うなされてたのよ」
「そうだよ~、もう私達が寝られないくらい」
「……そ、うか。ごめん。迷惑かけちゃって」
二人の言葉に、フィデスは謝罪の言葉を述べると、ポケットに入っていたハンカチを取り出し血を拭う。
その様子を、二人は怪訝な様子で見つめ居ていたが、ハンカチをポケットにしまったのを見ると、話を切り替えた方が良いと思ったのかハクアが口を開いた。
「そういえばフィデス。貴方、その席に座ってるってことは入学試験1位よね?」
「ん?この席って成績順なのか?」
初めて聞く情報に、フィデスは咄嗟に周囲を見渡す。
一番前の左端。言われてみれば前列はないが。
「ということは、二人が2位と3位なのか?」
「ええ、私が2位よ」
「私は3位~」
二人の少女がそれぞれ胸を張る。
どうやら、この二人も相当に強いらしい。
「あ、もしかして魔法技術と戦闘技術それぞれ同率1位だったのって‥‥‥」
「同率?ああ、それは私ね。魔法技術の1位」
「戦闘技術は私だよぉ~」
再び、二人の少女が反応する。
ハクアは魔法型、リューネは戦技型なのだろう。
「でも同率ってことは、フィデス。貴女両方1位だったの?」
「ああ。まあ、偶然だけどな」
フィデスとしては正直、入学試験の順位など入学できさえすればどうでも良かった。
強くあるにこしたことはないが、過剰に目立つことは敵を増やし、復讐相手の警戒に繋がるので、可能であれば避けることが望ましい。
「でも、座学では二人に惨敗だったんだ。俺ももっと勉強しないと」
「それは私達も同じよ。戦闘技術ではフィデスに完敗だったんだから」
「うん、私も魔法は入学してから機会が有れば教えて欲しいなぁ~」
「ああ。俺程度の技術で良ければいつでも教えるよ。でも……」
『新入生の皆さん、そろそろ学園都市へ到着するので準備して下さい』
フィデスが言葉を繋ごうとした瞬間、アナウンスが入る。まだ話し始めてそんなに時間が経っていないが、フィデスは相当な時間眠っていたらしい。
「ん、もうそんな時間~?」
二人が周辺の手荷物を片付け始める。
フィデスも取り出した小物などをバッグに戻し、足元の荷物入れへと閉まっていく。
だが、その途中。
(……?)
ふと、横から視線を感じフィデスが振り向くと、そこには無言でこちらを見ているリューネの姿が会った。
「……リューネ?」
「――――――」
――――――あなたは運命を信じる?
「何を言って……」
口元の動きだけで発せられた言葉。
全く意味の分からないその言葉に、フィデスは聞き直そうと口を開きかける。
だが、そんなフィデスの視線を。
「ん、どうしたの。フィデス?」
荷物を纏め終えたハクアが遮った。
「あ、いや、リューネが……」
「……リューネがどうかしたの?」
フィデスは少し戸惑った声でハクアに説明をするも、ハクアが振り返ったときに映ったのは眠そうな表情のいつものリューネだった。
「……リューネ?」
「ん~、どうしたのぉ?」
「……ん、いや、何でもない」
今のは気のせいだったのか。それにしてもリアルだったような。
(まぁ、いつか分かるか)
最悪、気になったらリューネに聞いてみればいいだろうと、フィデスは自分の荷物をまとめ始めた。
「なっ……!」
「おいおい、こいつの弟だからと思って少しは期待していたんだが……こんなもんか?」
驚愕の声が響く。防ぐ刀は間に合わず首を斬り飛ばしている筈だった。そう、一つ誤算があるとすればフィデスは失念していたという事だろう。自分よりもはるかに強い姉が傷の一つも与えることが出来ずに殺されていたことを。
「はっ、格上の相手に真正面から剣を振るなんて、俺を舐めてんのか?」
「うるさいっ!」
フィデスの一撃を軽々と素手で受け止めたヘリオスは嘲笑うように話し始める。フィデスは剣を戻そうと必死に力を籠めるも、掴まれた剣はぴくりともしない。フィデスはこの時になってようやく気付いた。勝てる、勝てないではない。そもそもの戦闘力の桁が違ったのだ。
「……っ、オービット流第三戦技、さか……!」
「遅ぇ」
それでも、フィデスは剣を引かなかった。もしここで剣を引いてしまったら、姉が負けたことを認めてしまいそうで、姉が死んでしまったことを認めてしまいそうで。
だからこそ、フィデスはここで剣を引くべきだった。
――――――ベキャッ!!
剣の向きを変え抜き去ろうとした刹那、金属がひしゃげるような鈍い音と共にフィデスの持っている、姉の剣がいとも簡単にへし折られてしまったのだ。
「あっ……」
認めたくなかった。誰かに否定して欲しかった。だが、今のではっきりと理解してしまった。姉はこのヘリオスという男に敗北し、殺されたのだと。
「あ、ああ……ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあーっ!!」
フィデスが叫ぶ。
どうして姉が殺されなければいけなかった。
どうして姉が死ななければならなかった。
『力が欲しい?』
その時、フィデスの耳元で聞きなれない少女の声がする。
甘く囁くような、嘲り笑うような魅惑的な口調。
「‥‥‥誰?」
フィデスが虚空に問いかける。
返答はない。
停止した空間に木霊する静寂は、ともすればフィデスの幻聴とさえ思えるだろう。
突然投げかけられた、怪しげで不気味な誘惑。
(‥‥‥でももう関係ないよね)
もう姉は居ない。
否、フィデスの力が足りなかったせいで死んだ。
「ごめんなさい‥‥‥ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、僕が‥‥‥僕がもっと強ければ‥‥‥!!」
フィデスが手を伸ばす。
不思議と、どうすれば良いのかは分かった。
『力が欲しい?』
「うん、欲しい‥‥‥いや、違うね‥‥‥力を寄越せ、お姉ちゃんの復讐を果たせるくらいの力を‥‥‥ヘリオスを殺せるくらいの力を僕に寄越せ!!」
空間を割る。
否、強引に闇を引き裂くと言った方が正しいのだろう。
どこからともなく突如としてフィデスの腕に引き抜かれたその剣は周囲を闇で覆い、最早瘴気とでも思えるほどの膨大な魔力で満たしていく。
色の抜け落ちたようなフィデスの灰色の髪は、いつの間にか黒く染まっていた。
「ヘリオス‥‥‥お前は、お前だけは。絶対に……絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に……殺すっ!!」
最早光は届かない。フィデスは、周囲に溢れる闇を鬱陶し気に振り払い、剣を振り下ろす。
「行こう‥‥‥冥帝神滅剣!」
「そうか、もう今年か」
天空都市内の建物の一室。
窓からは巨大な商業施設の様な建物が所せましと居並んでおり、活気のある人々で賑わっている。普段から騒がしい天空都市も、入学シーズンであることも相成ってその喧噪は鳴りを潜める気配はない。
男は少し豪華な椅子に座り、前の机に肘をついている。男が誰に言うわけでもなく呟くと、その前に立っていた衛兵の男はすぐさま敬礼の姿勢をとる。
「少し試してみますか?あの少年を」
衛兵のような男の言葉に、男は一瞬考えるようなしぐさを見せるが。
「いや、いい」
直ぐに男が答えると、衛兵の男は頭を下げ、敬礼する。
手慣れた動作は軍人なのだろう、男が下がるように手を払うと、即座に衛兵は退室していく。
そして扉が完全に閉まったのを確認すると、男はおもむろに電話を取り出し通信をつなぐ。数回のコール音の後画面に映し出されたのは妙齢の男だった。
『なんだ貴様か、何の用だ?』
少し残念そうな顔を浮かべたその男はさっさと用件を言えとばかりに手に持っている書類を置いた。
「オルド、同盟に報告しておけ。今年、あいつが入学した」
金髪の男、ヘリオスは獰猛な笑を浮かべ言い放った。オルドと呼ばれた妙齢の男は一瞬何を言っているのか分からないようだったが、直ぐに思い出したように返答する。
『あいつ?あいつってーと、お前が六年前に素質がありそうだからとかいう訳の分からん理由で生かしておいた子供か?』
オルドとしては何故その程度の理由で生かしておいたのかが不思議だったのだろう。自分を脅かす可能性のあるものを率先して残すなんて考えられないというような意志が言葉の端々から感じ取れる。
「そうだ。凄まじいぞ、あいつの素質は。それに……」
ククッ、と獰猛な笑みを漏らすヘリオス。
『……?』
「いいや、何でもねえよ。とにかく、精々管理を誤るなってことだ」
『ほう、珍しいな。お前がそこまで言う程の子供なのか?』
この質問にはヘリオスは迷う事なく即答した。
「ああ。【始まりの黄昏】なんて比にならないくらい強くなるぜ、フィデスは」
『そんな奴を何故生かしておいた?』
「前にも言っただろ?俺は強い奴を戦って殺したい。それだけだ」
『貴様で殺せるのか?現五芒星同盟評議会の中で一番弱い貴様で』
敢えて一番弱いを強調することでヘリオスに釘を刺すオルド。ヘリオスもその意図に気づいたのか不機嫌そうに鼻を鳴らすと画面の向こうに居るオルドを睨みつける。
「はっ、人の心配をしてる暇が有んのか?言っておくが、今回報告してやったのもてめえらに対する義理を通しただけだ。もし俺の獲物を取るようならてめえも潰すぞ?第9位【天獄剣聖】」
『ふん、若造が。やれるものならばやってみるがいい。戦ったあと貴様の首が繋がってるかは分からんがな、第15位【永久凍土】』
その言葉を最後に、通信が切れる。
同時に、ヘリオスは部屋の外へ追い出した衛兵を呼びつける。
「任務だ、同盟の連中の動きを見張っておけ」
「行動が見られた場合はどう致しましょうか」
「俺に報告に来い、絶対に戦うな。同盟の奴らはお前らが幾ら集まろうと数秒持たん」
「はっ、了解しました」
支持を聞き届けると、直ぐに衛兵は退出していく。
その様子を見届けたヘリオスは、椅子を反転させガラス張りの窓へ視線を向けると。
「さて、今年の新入生はどこの学園も随分豊作らしいが。精々あがけよ……フィデス」
眼下に広がる魔法都市を見下ろしながら不敵にほほ笑んだ。
「先ず、ここに署名を――――――」
その頃フィデス、ハクア、リューネは空港で入学の最終手続きを行っていた。順番に並び、受付のような場所で今どき珍しい手書きによって署名されていく。理由は単純でデータだと消えてしまった時の損害が大きいからであり、手書きならば一度保管しておけば襲撃でもされない限りなくなることは無い。
ちなみに、皆が開くことの出来るモニターというのは制服の校章部分に極めて小さい魔法媒体が入っており、自分の前で手を翳すことでその魔法媒体を核として仕込まれた魔法が発動するという仕組みだ。魔法媒体は高価なもので魔法を何度使おうと壊れない仕組みになっているが、価格はその性能通りかなりのものとなっており生徒達は皆校章をうっかり切られたりしないよう、最大限の注意を払う。
「書き終わった人はこちらへ移動を」
皆が続々と書き終え、全員が書き終えたのを確認すると、案内役と思しき青髪の女性が話し始める。
「さて、これで皆さんは正式にアリシディア学園の生徒となりました、これから新入生の皆さんには転移魔法陣を使って学園の第七アリーナへ移動していただき、全員がそろった後、入学式並びにエキシビションマッチ。それが終わり次第、寮へと案内させていただきますね」
「「「はいっ」」」
女子生徒であろう少女の言葉に全員が頷く。
「それでは出発致しましょうか」
そんな新入生たちの様子を見た少女は満足そうに手を叩くと、進行方向に向け迷うことなく歩き始める。
「……?」
一瞬、視線がフィデスの方へ向いた気がした。
「でも、案内役がイディス先輩だなんて……」
「そんなに有名人なのか?」
その道中、三人は雑談に興じていた。
「ええ!!イディス先輩と言えば雑誌にも特集される程の美人で、魔法と戦技両方で【深層へと至りし者たち】入り。生徒会長も2年連続で勤めていて、学園でも知らない人はいない程の有名人よ!!」
「あぁ、確かファンクラブもあったよねぇ~?」
「勿論!!私も入っているわ!!」
「そ、そうなのか……」
鬼気迫る勢いで説明され、フィデスは1歩後ずさる。
『深層へと至りし者達』というのは、学園内で最強の十人にのみ与えられる称号。
どうやら、イディスという人は相当に有名人だったらしい。
「いや~、でも知らない人なんていたんだねぇ、フィオってもしかして天空都市の有名な人誰も知らないの?」
「言われてみれば調べたことはないな」
そもそもフィデスは天空都市に来たのは復讐を遂げるためであって、武勇を競い合うためではない。
当然その道程の中で強さは必須条件のため戦う可能性はあるのだろうが、調べているほど興味があるかと言われれば、無い。
「ん?ところでリューネ。フィオって?」
「いやぁ、フィデスってなんか呼びにくいからあだ名でも作ろっかなって~?」
どう?と言わんばかりに首を傾げるリューネにフィデスは悩む。
「いや、別に構わないけど。フィオって女みたいじゃないか?」
「そんな事ないよぉ〜。良いと思うけどなぁ、フィオ」
「そう、か?まぁ、リューネが良いなら構わないけど」
フィデスの答えにぱっと花が咲いたような笑みを浮かべるリューネ。
「ホント?じゃあお礼に私のことも好きな風に呼んでいいよ~?」
「いや、好きな風に呼んでいいって言われても……」
「ええ~、なんかないのぉ?」
リューネはフィデスのあまり嬉しくなさそうな態度に、少し不満ですとでも言うように頬を膨らませる。
「うーん、じゃあ俺のは最初を取ったから、リューネは逆にしてティリュ、とかどうだ?」
「少し呼び辛いけど、良いねぇ。ティリュ…ティリュかぁ~」
リューネは嬉しいのか満面の笑みで飛び跳ねている。
その様子にフィデスもつられて微笑んでいると、偶然こちらを見ていたハクアと目が合った。しかし、一瞬こっちを見たハクアはぷいっとそっぽを向いてしまう。
「……?」
今まで、普通に話していたのに急にどうしたというのだろうか。
フィデスが首を傾げていると、直後、ハクアが小さく口を開く。
「……良いわよ」
「ん?何か言ったか?」
だが、あまりに声が小さく、フィデスは思わず聞き返してしまう。
それが間違いだと気づいたのはその直後だった。
「だから、私にも何か呼び名を付けさせてあげても良いわよって言ってるの!」
突然発せられた鼓膜を破らんばかりの大声に、フィデスは驚き一歩後ずさってしまう。
「ど、どうしたんだよ急に……!?」
「別に急じゃないわ。それで、付けるの付けないの?」
「分かった。付ける、付けるからそんな睨まないでくれって」
そんな答えを聞いて、少し落ち着いたのか髪を書き上げる動作をしてバツが悪そうにプイっと顔を背けるハクア
「別に睨んでないわ」
小声で反論するのはせめてもの抵抗なのだろう。
(どう呼ぶべきか……ハク……シア……)
フィデスは咄嗟に思考を巡らせ、ハクアが気に入りそうなあだ名を考える。
「じ、じゃあ、リーフェンシアの最後を取って、シアなんてどうだ?」
心の中でフィデスは冷や汗を流していた。最初をそのままあだ名にするといまいちしっくりくる名前が思い浮かばなかったので、咄嗟に思いついたのが最後の二文字を取るという安直なものだった。
「おお〜、センス良いねぇ、フィオ」。
「っそ、そうね、あなたがそう呼びたければそう呼べば良いんじゃない」
だが、幸いにも気に入って貰えたようで、少し恥ずかしそうに顔を背けるハクア。
もしかして、一人だけあだ名をつけてもらえなくて拗ねていたのか?とは口が裂けても言えないフィデスだった。
「さて、それでは一度ここで止まって下さい」
やがて、他愛ない雑談をしていた一行は大きな広間のような場所へ到着する。
「ここは転移場。今から皆さんには二人組を作って学園の校舎へ転移魔法を使って移動してもらいます」
イディスがそう言うのと同時に、各所から声が上がる。
皆初めての魔法に興奮しているという事だろう。
どこかから「先輩とは組めませんか!!」と言う声も聞こえてきたが、答えるもの誰も居なかった。
「ティリュ、一緒に組まない?」
「うん、シア~」
横で二人が嬉しそうに手を握る。
仕方ないと言えば仕方ないのだが、どうするべきだろうか。
「はぁ、誰かに声をかけて――――――」
「――――――フィデス・オービット君」
その時、ふと背後から声を掛けられる。
誰かと思い背後へ視線を向けるが、そこに立っていたのは意外な人物だった。
「……イディス先輩?」
フィデスの言葉に目の前、長い青髪を靡かせた生徒、イディスが頷く。
「フィデス・オービット君、お友達と組もうとしていたところ申し訳ないのですけれど、毎年主席の子は連絡事項が有るので私と移動する事になっていまして」
「そ、そうなんですか……」
小さく微笑む先輩にフィデスは首肯する。
初めて聞いたが、ここで先輩が嘘を吐く理由はないだろう。
ハクアに凄い人だと聞かされたせいか、少し緊張してしまうのは気のせいではないだろう。
「それでは、グループは組めたようなので出発致しましょう」
数分後、イディスの言葉に場が鎮まる。
一言で場の雰囲気を制してしまう所は流石という他ないだろう。
「最後に使用方法ですが、順番に2人組で並び、前の人がいなくなってから30秒程間隔を開けてから次の組は出発して下さい。この魔法の魔法名は【座標入替】。魔法陣の上に立ってテレポートと言えば起動します。ここにある10の魔法陣は全て使用することが出来ますので、後半の方の方々は待ち時間が多少発生致しますが、また学園で集合致しましょうね」
そして、話し終わったイディスは、視線をフィデスに戻すと、唐突に手を引いた。
「それではフィデス君、行きましょうか」
「はっ、はい」
イディスに手を引かれていくフィデスに、回りからは羨望と嫉妬、そして殺意の籠った視線がフィデスに向けられる。
仕方ないとはいえ、やはりハクアの言う通り先輩は相当な人気が有るらしい。
背後から「な、何でフィオが……!!」という声が聞こえてくるが、聞こえなかったことにした方が良いだろう。
二人はそのまま魔法陣の中に入ると「「テレポート」」と魔法を起動し、二人は魔法陣の中へ消えていった。
後に続く男子達の間で黒髪の男子生徒襲撃計画が建てられたのは余談である。
フィデスはテレポート移動中、不思議な感覚に襲われていた。周り一面から色が抜け落ちているような感覚。さながら絵の具を垂らす前の白いキャンパスのようだった。そして、その場に色がついている存在、自分ともう一人、生徒会長のイディスのみが立っているのである。
(これが座標入替か……)
範囲指定した二点間の座標を入れ替え、座標に乗っている人や物を瞬間移動させる。
初めて見たが、これは正に魔法文明の象徴だろう。
「どうかしら?魔法都市の魔法は」
「はぁ、なんというか…凄いですね」
フィデスの感想に、イディスが小さくクスリとほほ笑む。
恐らく、毎年同じような回答を聞いているのだろう。
(しかし、改めてみると……)
綺麗で透き通るような鮮やかな青の長髪に、左右の髪を白いリボンで結い、後ろ髪を黒のリボンで結んでいる、水晶のような青い瞳をした少女。
まるで妖精の様にさえ見えるその姿は、ファンクラブが出来ているのも納得という者だろう。
「どうかしましたか?」
「い、いえ、すみません」
まじまじと見つめ過ぎたのだろう。
視線に気づいたイディスがフィデスへと微笑みかける。
妖艶ともとれるような彼女の表情に、フィデスは見惚れる、という感情を始めて理解した気がした。
「そうですか。何かあったら言ってくださいね」
「は、はい」
イディスの慈愛に満ちた笑みにフィデスはほとんど反射的に小さく頷く。
淑女然とした話し方の相手はどうも緊張してしまう。
「それと本題ですが、フィデス君は今年度の主席のため、新入生代表として入学式でのスピーチ、並びにエキシビションマッチを行っていただきます」
「エキシビションマッチ?」
「はい、毎年主席の生徒には、生徒会所属の生徒と戦っていただくことになっています」
「それは、勝っても問題ないんですか?」
「ええ、勿論。とはいえエキシビションマッチの目的は基本的に新入生達に学園の上位陣の実力を体感して頂くことが目的ですので、新入生が勝つことはほとんどありませんよ」
イディスは胸元に抱えたファイルを取り出すと、フィデスに手渡す。
今時、情報を実物で渡すことは珍しいが、何か事情があるのだろう。
フィデスがファイルを開くと、そこに映っていたのは不機嫌そうな表情の一人の男子生徒の写真と軽いプロフィール。
「デイトリウム・ヘミトリア……」
魔法ランク32位戦技ランク79位、【境界を越えし者】入りしている高等部の3年生。
二つ名は【氷竜騎士】。
使用するメイヴは槍型。
適性は氷。
「氷魔法師か……」
入学してから初めに戦うのが氷魔法師とは、何か運命のようにさえ思えてくる。
「大丈夫そうですか?」
「はい。ありがとうございます」
「良い返事ですね、他に何か質問はありますか?」
「そうですね、人の情報って聞いても大丈夫ですか?
「……まあ、構いませんけど」
フィデスの言葉に、イディスが初めて困惑の色を見せる。
質問の糸を理解しかねているのだろう。
フィデスが学園都市に入学した目的は復讐。
この天空都市に在籍しているというヘリオスへの。
「誰か、人でも探しているのですか?」
「あ、いえ、そういう訳じゃありません。ただちょっとした知り合いで、ヘリオスって人を知っていますか……?」
「ヘリオス……もしかして五芒星同盟評議会15席【永久凍土】ヘリオス・リンドヴィルですか?」
イディスの言葉に、フィデスが頷く。
五芒星同盟評議会は、この天空都市の建設と共に現存する五大国、アリシディア公国、インヴィリオ帝国、フェリミオス騎士王国、サリヴィエット魔法国、ヴァルキュローズ戦王国によって構成された平和維持議会。
その構成は各国3名の評議員と、それを支える多くの加盟員から成り立っている一方、その実、評議員に成るには現評議員に対して武力で勝利しなければならず、五ヶ国の戦力均衡機関とも呼ばれていると聞いたことが有る。
「ヘリオス・リンドヴィル、約六年前に評議員に成った魔法『永久凍土』の開発者ね。称号も開発した魔法と同じ【永久凍土】。データベース程度の情報しかないけれど、大丈夫ですか?」
「はい」
「わかりました、それなら……」
そう言うと、イディスが一つの画面を開く。
「これが……」
「先ずは最初から説明させて頂きますね。ヘリオス・リンドヴィルはインヴィリオ帝国、厳密には同じ大陸にある小国『大和国』という国の出身の魔法師です。使用するメイヴは刀型……」
メイヴは魔法師ならば魔法を、戦闘師ならば戦技をしようするために必要な魔力の中継武器。
「在学中は総合戦闘ランク、アリシディアで言う戦闘、魔法ランクのようなものね。在学中のランクは【深層へと至りし第一者】、はっきり言って化け物ね」
「イディス先輩でも勝てないんですか?」
「勝てる可能性が無いとは言いませんが……限りなくゼロに近い事は確かですね」
「……そうですか」
(戦技と魔法両方最上位でも勝てないのか。それだけ1位が、いや、評議員が別格なのか……)
フィデスはイディスの言葉に、小さく頷くと、そのまま僅かに思考に耽る。
どうやら復讐への道はフィデスが思っていたより、更に険しい物らしい。
それでも。
「……フィデス」
「会長?」
その時、突然、感じた今までとは違う色の視線に、フィデスは首を傾げる。
「その、久し振りね」
「えっ……?」
会長は何を言っているのだろうか。
突然の有り得ない告白に、頓狂な声を上げてしまうフィデス。
すると、その反応に忘れていると思ったのかイディスが小さく首を傾げる。
「もしかして、覚えていない?」
「……」
フィデスの沈黙を肯定と受け取ったのか、微かにイディスの表情が曇る。
覚えていないが、もしかして相当仲が良かったのか。
否、例えそうだとしてもフィデスは髪色が変わっているはず。
「あの、俺達って――――――」
「ん、どうしたのかしら?私と一緒のお風呂に入って楽しそうにはしゃいでいたフィデス・オービット君」
「……!?」
フィデスが固まる。
非常に不味い予感がしたためだ。
「お、俺達って、知り合いなんでしたっけ?」
「ふふっ、まだ思い出せないのかしら?一人だと寂しいからと一緒のベッドで寝たこともあったのに」
イディスがクスリと微笑む。
何だかよく分からないが、これ以上話させると、もっと変なエピソードばかりが出てきそうだ。
(これは、どうにかしないと……)
フィデス・オービットは昔の記憶が無い。
6年だろうか。
日時に明確な線が存在するわけではないが、姉と訓練して、過ごして、いつの日からか記憶が曖昧になっている。
「あの時のフィデス君はカッコよかったわ。将来は私と結婚するなんて言って……」
「ああ……」
まずい。どんどん話が深くなっていく。
「そうそう。昔フィデス君が私のベッドに潜り込んできたことが有るのだけれど――――――」
「……お、思い出した!」
そして、気付くとフィデスはイディスの話を遮り、声を上げていた。
「あら、ようやく思い出してくれたの?」
「あ、ああ。思い出したよイディス」
(やばいな、これでもう後には引けなくなった……)
フィデスは、背中を伝う冷や汗と僅かな罪悪感を抱きながら、この後の振る舞いを考える。
幼馴染だと言うなら敬語は変だろう。
だが、初対面の貴族、もとい学園の先輩兼生徒会長相手にいきなりため口を使うのも。
「イディスだなんて、水臭い。昔みたいにディーと呼んで欲しいわ」
「わ、分かったよ、ディー」
「……ふふっ、何かしらフィデス君」
イディスが嬉しそうにほほ笑む。
どうやら、その心配はなさそうだ。
「でも、思い出して貰えたようで嬉しいわ。私の事も……あの約束の事も……」
「……ああ」
フィデスは小さく頷くと、イディスが僅かに照れたように頬に手を当てる。
「ふふっ、少し照れるわね。フィデスが私の婚約者になるなんて……」
「えっ……!?」
フィデスが思わず頓狂な声を上げる。
「もしかして、覚えていない?私とフィデス、二人がもう一度再開したら結婚しようって……」
「……俺、そんな事言ったか?」
「ええ、引っ越しの日、別れが寂しくて泣いている私の涙を拭って……」
「子供の頃の話だよな?」
記憶の無い時期など、学年にしてみれば初等部に上がった前後の頃だ。
まだ物心ついて直ぐの少年が、そんなことを口走っていたのだとしたら、昔のフィデスは最早今とは別人と言って差し支えないのかもしれない。
というより、その頃の約束を律儀に覚えている辺り、イディスもイディスと言わざるを得ない気もするが。
「さて、軽い冗談は置いておいて……フィデス、私はいつまでも待っているわ。」
「……約束をか?」
「ええ。何年でも、何十年でも……時が満ちるまで……」
「……そうか」
聞き覚えの無い約束と彼女の言葉。
昔のフィデスが何を思いこの約束を結んだのか。
一体二人は何の約束を結んだのか。
目を背けるわけにはいかないのだろう。
これは、記憶を無くしたフィデスの罪なのだから。
(……イディスとの約束か)
記憶を遡っても見つからない、記憶の欠損部。
失った、否、在ったかどうかすらも分からない過去の記憶。
どうでもいいと思っていたが、まさかフィデスの記憶が必要とされる日が来るとは。
(絶対に思い出さなきゃな……)
流されたとはいえ一度ついてしまった嘘だ。
バレないようにイディスの幼馴染を演じ、無くした記憶の欠片を取り戻さなければならないだろう。
「それじゃあ、もう直ぐ到着だから、向こうに付いたら歩きながらスピーチの練習でもしましょうか」
「……ああ」
(学園に入学して早々もうやる事が増えるなんて……前途多難だな……》
数分後、光の空間を抜けたフィデスはイディアと雑談を交えながらスピーチの練習に励み、その少し後に到着したハクアとリューネ(主にハクア)に質問攻めにあったのは言うまでもない事だ。
銀髪に赤いリボンのハクア・リーフェンシア。深緑の髪に白のカチューシャのリューネ・ティレッタ。覚えていただけると嬉しいです。
そしてフィデスの外見が予想より少し女っぽくなってしまった・・・
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