<9.椎菜殺踊>
「目的は、1つよ」
谷屋椎菜は、キッパリと言った。
彼女は27歳。切れ長の目に大きめの唇、栗色に染めたショートボブの髪。
純血の日本人だが、どこかハーフにも見える、ワイルド系の美人である。
「アタシがここに来た目的は、たった1つなの」
椎菜は、茶色の革手袋をはめた両手を腰に当て、足を肩幅に広げて立っている。
「ああ、そんなことは言わなくても分かってるさ」
坂口治正は、いやらしい笑みを浮かべた。
彼は関東全域を縄張りとする指定暴力団・蝕東会の会長である。
そして、ここは湘南にある坂口の別荘だ。
2人は寝室にいる。
坂口はベッドの上に寝そべり、オーディオセットの近くに立つ椎菜を見ている。彼は、裸の上に白のバスローブ一枚を羽織っただけという姿だ。前をはだけているため、局部は丸出しの状態である。
「さあ、早く、こっちにおいで」
坂口は、もう待ち切れないといった表情で、手招きをした。
還暦を迎えた坂口だが、まだまだ性欲は盛んであった。
「俺の大きな息子が、お前と遊びたくてウズウズしてるぞ」
坂口は股間を触りながら、分かりやすい下ネタを口にした。
「そうね、アタシもウズウズしてるわ」
冷めた目で、椎菜が坂口を見据える。
「おお、そうだろうとも」
坂口は嬉しそうにうなずいた。
彼は、椎菜の「ウズウズ」が自分とは違う意味だと気付いていない。
「さて、と」
そう言って、椎菜は黒のロングコートを脱ぎ捨てた。
コートの下は、豹柄のノースリーブに茶色のミニスカート、黒の網タイツという服装だ。
首からは、銀色に塗られた筒型のペンダントがぶら下がっている。腰のベルトには、豹の顔の形状をした大きめのバックルが付いている。
166センチ、48キロ。
上からサイズは、88、56、88。
弛みの無いヒップライン、キュッと締まった足首。
「いいねえ、そそるねえ」
坂口は、胸を揉みしだく仕草をした。
「じゃあ、そろそろ始めましょうか」
椎菜はコートのポケットからiPodを取り出し、再生ボタンを押してボリュームを大きくした。
笠置シヅ子の『ジャングル・ブギー』が流れ出す。
「こういうのが、趣味なのか?」
坂口は、やや戸惑った様子を見せた。
彼の疑問を無視するかのように、椎菜は体を軽く動かしてリズムを刻んだ。
そして音に合わせて、彼女はワイルドなダンスを始めた。
「なるほど、ストリップでもやってくれるのか。これは嬉しい趣向だな」
坂口は相好を崩し、拍手した。
椎菜は無表情で踊りながら、立ち上がるよう坂口に手で指示した。
「俺にも踊らせようというのか?」
坂口は、自分を指差して尋ねた。
「いやあ、俺は無理だよ」
そう言いながらも、坂口はベッドから立ち上がる。
しかし坂口は、一緒にダンスを踊ることは出来なかった。
なぜなら、椎菜の目的がダンスではなかったからだ。
椎菜は坂口から目を離さず、バックルに右手を伸ばした。
そして中に隠してあった、マッチ箱程度の大きさの糸巻きを取り出した。
糸の先端には、小さな鉛の重りが付いている。
「踊りもいいが、そろそろ別の運動をしようや」
坂口はニヤニヤしながらベッドを下り、椎菜に近付こうとする。
その瞬間、椎菜は重りの付いた糸を坂口に向かって投げた。
シュルルルッ。
糸が空中に伸びる。
そして坂口のペニスに巻き付く。
「へっ?」
坂口は、自分の体に何が飛んで来て、どうなったのか、すぐには理解できなかった。
だが、椎菜が糸を軽く引っ張ったことで、坂口は少なくとも股間が締め付けられている
ことは理解した。
「いたたたたっ!」
坂口は、悲鳴を上げた。
「そりゃあそうよ。痛くしてるんだから」
椎菜は、音楽に合わせるように糸をクイッと引っ張った。
坂口の男根が、ギリギリと締め付けられる。
「な、何をするっ!貴様、何のつもりだ」
坂口は、凄みを利かせて怒鳴った。
ただし、その姿はものすごく情けなかった。
「何のつもりですって?だから、さっき言ったでしょ、目的は1つだって」
椎菜は、冷ややかに笑う。
「俺のペニスを弄ぶのが目的か?俺はこういう性的な趣味は無いぞ」
「バカね、アタシだって無いわよ」
「だったら、どういう目的だ?」
「あなたを殺すのが、アタシの目的よ」
「何だと?」
坂口の顔が硬直した。
「貴様、誰の差し金だ」
「さあね。それは、あの世でゆっくり考えてちょうだい」
椎菜は、左手を胸元に伸ばし、筒型のペンダントを持った。
そして筒を口に当てて坂口に向け、勢い良くフッと息を吹いた。
筒の中から、吹き矢が発射される。
それは坂口のノドに突き刺さった。
「のぎょっ!」
坂口は、意味不明なうめき声を上げた。
その直後、彼の体から完全に力が抜ける。
坂口は白目を剥き、前方にバタンと倒れた。
椎菜は坂口に歩み寄り、座り込んで彼の心臓が止まっていることを確認する。
「いやあ、見事な殺しだ」
ドアの方から、パチパチという拍手の音が聞こえた。
「誰っ?」
椎菜は素早く振り向き、身構える。
「おいおい、慌てるな。オイラさ」
そこに立っていた男が、軽い調子で手を振った。
「なんだ、茶留か。驚かせないでよ」
椎菜は、ホッと息をついた。
その男の名は、地阿利茶留。
黒い山高帽に燕尾服、ダボッとしたズボンに黒いドタ靴という格好で、チタン製のステッキを持っている。
チョビ髭を生やした、身長149センチの小柄な男である。
「あなた、いつの間に入ってきたの」
椎菜は、そう言いながら立ち上がった。
「ついさっきね」
「相変わらず、気配を消すのは得意のようね」
「それだけが取り柄でね」
「でしょうよ。人間、何か1つぐらい取り柄が無くてはね」
椎菜は、皮肉たっぷりに言った。
「おいおい、ひどいなあ。同じ諜報員じゃないか」
キツいことを言われても、茶留はヘラヘラと笑っている。
「その言い方、やめてちょうだい。あなたは諜報員かもしれないけれど、アタシは殺し屋なの。何度も言ってるはずよ」
「だけど、それは君が勝手に主張してるだけで、公式には諜報員だからなあ」
「公式も非公式も無いでしょ。そもそも、アタシ達の活動が非公式なんだから」
「まあ、そう言われたら、そうなんだけどさ」
茶留は小さく笑う。
椎菜と茶留は同じ組織に属しており、諜報員という肩書きで働いている。だが、椎菜は自分が殺し屋だということに、強いこだわりを持っている。
「そんなことより、何の用よ。こんな所まで来たからには、何か用があるんでしょ」
「ああ、その通りさ。実は、ボスが君に、頼みたいことがあるらしいんだよ」
「殺しの仕事ね。今度は、誰が標的なの?」
椎菜の目付きが、鋭くなった。
「いや、違うよ」
茶留は、あっさり否定した。
「人に会うのさ」
「何よ、それ?」
椎菜は拍子抜けした。
「簡単に言うと、ボスの使者ってところかな」
「そんなの、殺し屋のやる仕事じゃないわ」
不満そうな顔で、椎菜は口にする。
「だけど、この役は、君が適任だろうって」
「アタシが適任?そうボスが言ったの?」
「ああ。そして、君はきっと引き受けるだろうと言ってたよ」
「どういうことかしら」
椎菜は首をかしげる。
「まあ、ボスに会って、詳しく話を聞けばいいんじゃないかな」
「そうね。断るにしても、とにかくボスに会って話を聞かないと」
椎菜は、糸巻きをバックルに戻した。
その様子を、茶留はジッと見つめている。
「何よ、ジロジロと見て」
「いや、そんな変な武器を使わなくても、普通にピストルでも使えばもっと簡単に殺せるのに、と思ってさ」
「ピストルは使わないわ」
椎菜は、キッパリと言った。
「銃器類は使わないのが、アタシのポリシーなの」
「どうして、そんなポリシーを持ってるのさ」
「それはね、アタシの憧れている伝説の殺し屋、殺人王と呼ばれた男が、絶対に銃を使わなかったからよ。だからアタシも同じように、銃は使わない」
「君が憧れる殺し屋って、前にも言ってた、芭皇邪九のことだろう?」
「ええ、そうよ」
椎菜は、うなずいた。
「アタシがこの世界に入ったのも、彼のようになりたかったからよ」
「でも、会ったことは無いんだよね」
「残念ながら、一度も無いわ。アタシが足を踏み入れた頃には、彼は既に殺し屋の世界から姿を消していたから」
「じゃあ、彼が今、どこでどういう風に生活しているのかも、知らないわけだ」
「そりゃあ、そうよ」
「是非とも会ってみたいだろうね」
「もちろん」
「ふうん」
そう言って、茶留は含み笑いを浮かべる。
「何よ、気持ち悪いわね」
椎菜は、額に皺を寄せた。
「いやいや、別に何でもないよ」
茶留は、まだニヤニヤしながら、そう言った。
「それにしても、その芭皇邪九は、どうして銃を使わなかったんだろうね」
話を反らすように、茶留が疑問を投げ掛けた。
「きっと彼にとって、銃を使わないことが、殺し屋としての誇りだったのよ」
椎菜は、確信に満ちた顔で言った。




