<8.凶暴力士>
アングラ・ファイトとは、アンダーグラウンド・ファイト、つまり地下格闘技のことだ。非合法に行われている、金を賭けた格闘技試合のことである。
それは、好きな連中が自由気ままに戦っているわけではない。ちゃんとした組織が統括し、開催している大会である。
大会を運営するのは、UFA(アンダーグラウンド・ファイト・アソシエーション)という組織だ。
「アンダーグラウンド」といっても、実際に地下で行われているわけではない。某大手企業のCEOが無償で提供している、巨大な倉庫が会場となる。
試合は毎週金曜から日曜までの3日間、夜の10時頃から開催される。
1対1の戦いで、1日に4試合から6試合が行われる。
会場の中央に、四方をロープで囲ったリングが設置してあり、その中で選手は戦う。
どちらかが失神するなどして戦闘不能に陥ると、それで試合は終わる。
リングの周囲には、観客席が設置してある。観客は入場料を支払い、観戦する。選手に金を賭けるのもいいし、見ているだけでも構わない。
ただし、アングラ・ファイトの観戦に来て、金を賭けない客など皆無に等しい。
アングラ・ファイトは、時間無制限の1ラウンドで行われる。
定められているルールは2つだけ。
1つは試合放棄をしないこと、もう1つは凶器を使わないことだ。
後は、金的を蹴ろうが、ノドを突こうが、とにかく勝てばいい。
勝利数が増えれば、試合の順序が後ろになっていく。最後の試合で赤コーナーから登場するのは、その日の出場者の中で最も強い選手ということになる。
勝利を積み重ねてUFAの評価が高まれば、タイトルマッチへの出場権を獲得し、その時点でのUFA認定チャンピオンと戦うことになる。
試合に勝ち続ければファイト・マネーも上がるし、チャンピオンとして防衛すれば、さらにボーナスも支給される。
アングラ・ファイトに出場するのは、もちろん腕に自信のある猛者ばかりだ。
過去に表の格闘技の世界でトップファイターだった者も、少なくない。
ボクシング、レスリング、空手、柔道、柔術、サンボ、ムエタイ、総合格闘技、その他にも、あらゆるジャンルの格闘技者が、高額のファイト・マネーを求めてアングラ・ファイトのリングに上がる。
*
そのアングラ・ファイトの世界で、1人の新人の活躍が話題となっていた。
その男のリングネームは、地獄山。
名前から想像できるかもしれないが、元は力士だった男だ。
19歳で三途川部屋に入門した彼は、1年後には幕内力士となり、小結、関脇と、順調に出世街道を歩んでいた。
183センチ、162キロの巨体を持つ彼は、角界ナンバーワンの怪力を誇り、近い内に間違い無く横綱も狙える器だと期待されていた。相撲だけでなく、他の格闘技をやらせても超一流選手になる逸材だと高く評価されていた。
しかし、今から1年前に親方の三途川が不審な死を遂げ、所属していた部屋が閉鎖された後、彼は行方知れずになっていた。
その地獄山が、アングラ・ファイトのリングに足を踏み入れたのだ。
1週間前の金曜日、地獄山は初めて試合に出場した。
力士の頃と同じ、まわし姿で彼は戦いに挑んだ。
対戦相手は、元プロボクサーの高塚だった。
高塚はミドル級で日本王座を10度も防衛した男で、2度の世界戦ではいずれも判定で敗れたものの、1度もダウンはしなかったという、打たれ強さには定評のある選手である。
アングラ・ファイトの世界に入ってまだ日は浅いが、4戦で4勝と、その強さを示していた。
試合前のオッズでは、高塚が勝つと予想する観客が多かった。
表の世界では、相撲から総合格闘技に転身した選手が、ことごとく無残な姿をさらしていたからだ。
その高塚と地獄山の試合は、あっけなく終わった。
試合開始と同時に、地獄山は一気に突進した。
高塚は、相手の勢いに驚きながらも、右ストレートを放った。
アングラ・ファイトでは、選手は五指を自由に動かせる薄革の専用グローブを着用する。それは選手の拳を保護するためのものであり、殴った際に与えるダメージは素手で戦うのと変わりない。
ボクサーが素手で殴った場合、その威力は相当なものがある。ミドル級のパンチともなれば、並の人間なら、当たり所が悪ければ一発で死んでしまうほどの破壊力だ。
だが、地獄山は胸元にパンチを食らいながら、ビクともしなかった。
彼は突進した勢いを全く緩めず、強烈な右の張り手を食らわせた。
その1発で、試合は終わった。
高塚はまるで紙人形のように吹っ飛び、そのまま昏倒してしまったのである。
「弱いなあ、弱すぎるぜ」
地獄山は残忍な笑みを浮かべ、高塚を踏み付けた。
鮮烈なデビュー戦を飾った地獄山は、翌日も試合に出場した。
これは異例のことである。
通常、アングラ・ファイターは1つの試合を戦った後、最低でも1週間は間を空けるものだ。
何しろ過酷な戦いなので、かなりの疲労が溜まるし、負傷することだって少なくない。疲労を取るためには休養が必要となるし、負傷すれば治療の時間が必要だ。
だからUFAは、同じファイターの試合を同じ週に2日以上マッチメイクするようなことはしない。
しかし、地獄山はUFAに直訴して、開催日には全て自分の試合を組むよう要求したのである。
選手が希望するのであれば、UFAがそれを拒む必要は無い。
特に、デビュー戦で圧勝した地獄山は注目されているので、出場した方が客も喜ぶ。
そういうわけで、地獄山は2日連続で試合を行った。
まあ、1戦目で全くダメージを受けていないので、疲労は無かっただろうが。
今度の相手は、柔道で世界選手権の優勝経験を持つ牧山だった。
牧山は高塚と違い、地獄山を掴みに来た。柔道家なので、捕まえて倒し、寝技に持ち込もうとしたのだ。
狙い通りに地獄山を捕まえた牧山は、払い越しを仕掛けようとした。
しかし牧山が投げを打とうとしても、地獄山は微動だにしない。
地獄山は鼻で笑ってから、牧山の腰に両手を回した。そして両腕に力を込め、サバ折りを牧山にお見舞いした。
牧山は腰の骨を砕かれ、背中の側に折り畳まれるようにしてリングに崩れ落ちた。
またも地獄山は完勝を収めたわけである。
さらに次の日も、地獄山は試合に出場した。
今度は、空手の元全日本王者を左右の張り手でノックアウトした。
3戦とも、全て1分以内の勝利であった。
*
そして翌週の金曜日。
またも地獄山は試合に出場した。
今回の相手は、総合格闘家の長西である。
長西はプロレスから総合格闘技に転進した男だ。プロレス時代はパワーファイターで鳴らし、ヴァーリトゥードの大会では勝率8割を誇った実力者だ。
ゴングが鳴ったと同時に長西は飛び出し、地獄山に低いタックルを見舞った。
だが、地獄山は土に根を下ろした大木のように、ピクリとも動かない。
地獄山は、無防備になった長西の背中に強烈な両方の張り手を落とした。
「うっ」
長西は、うつ伏せの状態でマットに倒れた。
地獄山は、すぐに次の攻撃を繰り出さず、じっと長西を見下ろしている。
長西はマットに手を突き、起き上がろうとした。
彼が顔を上げようとした時、地獄山の右手がヌッと伸びてきた。
そのまま地獄山は長西のノドを掴み、グイッと自分の胸元に引き寄せる。
「げぐぅぅ……」
長西はノドを締め付けられ、苦しそうにうめいた。
「また今日も、歯応えの無い相手だったな」
地獄山は長西のノドを掴んだまま、彼を頭上高く持ち上げた。
「これで終わりだ」
そう言うと、地獄山は長西を頭からマットに思い切り叩き付けた。
「ふぐっ」
長西はマトモに受け身を取ることも出来ず、後頭部を強打した。
そして、リング中央に大の字になった状態で失神した。
試合時間は52秒。
地獄山は、またも1分以内で相手選手をノックアウトしてしまったのである。
*
地獄山が控え室に戻ると、1人の女が待っていた。
「今日も快勝だったわね」
艶っぽい声で、女が声を掛けた。
長い付けまつ毛に濃いアイシャドウ、かなり派手な化粧をしている。
素顔は分からないが、少なくとも化粧を施した状態での容姿はかなりのものだ。
鍔の広い黒の帽子を被り、指には大きな宝石のついた指輪を幾つもはめている。上から下まで、衣装はシャネルで揃えている。
22歳の地獄山より、その女は随分と年上だ。
端から見れば、ちょっと変わった母と息子のようでもある。
ただし、異様に色気のある母親ということになるだろうが。
しかし実際のところ、2人は親子の関係ではない。
「また相手に何もさせなかったわね。さすがだわ」
女は、地獄山に抱き付いた。
「当然さ、俺を誰だと思ってるんだ」
地獄山は女を軽々と持ち上げ、尻を撫でた。
「もう、試合が終わったばかりなのに、早速エッチな気持ちになってるわけ?ダメよ、こんな所で発情しては」
女は注意する言葉を発したが、表情は嬉しそうだ。
「あんな試合じゃ、物足りないんだよ。お前ともう1試合、いや、3試合か4試合ぐらいは戦いたいぜ。どうだ、絵麻」
地獄山は、いやらしい笑みを浮かべた。
彼が絵麻と呼んだのは、地獄山の親方、亡くなった三途川の妻だった女である。
「このまま、ホテルに直行するか」
「ダメよ。あたし達の関係が表沙汰になったら、2人とも困るでしょ」
「俺は別にいいぜ」
地獄山は、絵麻の乳を揉みながら言った。
「困った人ね、全く」
その時、控え室のドアをノックする音がした。
「誰か来たわよ」
絵麻が小声で言った。
「ちぇっ、誰だよ」
地獄山は不服を漏らしながら、絵麻を下ろした。
絵麻は乱れた衣服を慌てて整え、地獄山から離れた。
「入っていいぞ」
地獄山が言うと、ドアが開いて1人の男が入って来る。
「なんだ、お前かよ」
地獄山は相手を見た途端、露骨に不快な表情になった。
入ってきたのは、高原首相の秘書・松岡だった。
「御苦労さん。今日も完勝だったな」
ヒューゴ・ボスのスーツを着た松岡が、すました顔で言った。
「松岡よ、せっかく絵麻といい感じだったのに、邪魔するなよ」
金色のまわしに両手を置きながら、地獄山は文句を言った。
「それは悪かったな」
松岡は冷淡な口調で言葉を返す。
「だが、その女と仲良くするのなら、どこか他でやれ。私だから良かったが、他の奴に目撃されて、いらぬ噂など立てられたくはないだろう?」
「俺は別に構わないぜ。そんな噂を立てる奴らは、1人残らずぶっ殺してやるからな」
「強がりはやめておくんだな」
言い終わりに被せるように、松岡はピシャリと告げた。
「お前の無差別な殺しに関しては、もう高原総理も助けてくれないぞ」
「そうよ、勘弁してよ」
絵麻が、地獄山をなだめるように言った。
「分かってるさ。冗談だよ」
地獄山は、絵麻を見つめた。
「俺だって、やたらと人を殺したくなるほど馬鹿じゃない。心底から殺したいと思ったのは、三途川の野郎だけさ」
「それなら、いいんだがな。お前には、もう少しアングラ・ファイトの世界で勝ち進んでもらわないと困るのでな」
松岡は、地獄山を見据えた。
「ああ、任せておけ。高原総理に、ちゃんと借りは返すさ」
地獄山も、松岡を凝視した。
*
まだ三途川が存命だった頃から、地獄山は絵麻と不倫関係にあった。
2人の関係は、地獄山が幕内に上がった頃から始まり、ずっと逢瀬を重ねていた。
しかし今から1年前、三途川にそのことを知られてしまった。
絵麻が地獄山を寝室に連れ込んでいるところへ、仕事の予定が変更になった三途川が急に戻ってきたのである。
ベッドにいる両名を見た三途川は激怒し、絵麻に手を上げた。
それを目にした地獄山はカッとなり、いきなり三途川に殴り掛かった。
彼は三途川が気を失っても構わず、何十発もの張り手を食らわせた。
絵麻が必死の形相で止めに入り、ようやく地獄山は我に返った。
しかし気付いた時には、既に三途川は死亡していた。
絵麻は、すぐさま地獄山の後援会会長だった黒川に連絡を入れた。
黒川から相談を受けた高原が裏から手を回したため、三途川は事故死ということで処理された。
そして高原は、地獄山に身を隠すよう命じ、マンションを用意してやった。
高原が地獄山を助けたのは、もちろん無償の援助ではない。「何かの時には使えるだろう」という考えで、地獄山の殺人を揉み消してやったのである。
そして、その「何かの時」がやって来た。
高原は地獄山に対して、アングラ・ファイトに出場し、圧倒的な力を見せ付けて勝ち続けるよう命じたのである。
「このまま行けば、もうすぐチャンピオンになれそうだぜ」
地獄山は、自信満々で松岡に言った。
「チャンピオンの試合を見たが、あれなら簡単に勝てる。次の試合ぐらいには、UFAもタイトルマッチに俺を出場させるだろう」
「順調に行けば、そうなるだろうな」
「闇の格闘技と聞いたから、最初はどれほどのものかと思っていたんだがな。実際にやってみると、大した奴はいないな」
「油断はするなよ。お前には、勝ち続けてもらわねば困るのだ。それも、誰も太刀打ち出来ないと思わせるほどの圧倒的な強さを見せてな」
松岡は、釘を刺した。
「ああ、分かってるさ」
面倒そうに、地獄山が言う。
「しかし、どうして俺がアングラ・ファイトで勝ち続けなきゃならないんだ?それが高原総理と、何か関係があるのか?」
地獄山は尋ねた。
彼は、今回の仕事の目的を知らされていないのだ。
「理由は知らなくていい。お前はただ、戦って、そして勝てばいいのだ」
松岡は、地獄山と目も合わさずに言った。
「そうかい、そうかい。俺みたいな下っ端には、トップ・シークレットは教えられませんってか」
地獄山は、松岡を睨み付ける。
「いいじゃないの、地獄山。ちゃんと報酬も貰ってるんだしさ。それに、理由を知っても知らなくても、どうせ戦うんでしょ」
絵麻が、2人の会話に割って入った。
「まあ、そりゃそうだけどな」
地獄山は、表情を緩めた。
「そうだな、目的なんか、どうでもいいか」