<5.組長決断>
「素人の皆さんに迷惑を掛けるなと、前にも言ったはずだぞ。もう忘れたのか」
鷹内陸は、険しい顔で怒鳴った。
彼は、ここ3年で急激に勢力を伸ばした鷹内組の初代組長である。
角刈りで銀髪、テクノカット。キリッと太く吊り上がった眉。
額と頬には、うっすらと切り傷の跡が残っている。
身長は182センチで、ガッシリとした体付き。
黄色のシャツに黒のジャケット、エナメルの靴という服装だ。
36歳、乙女座のB型である。
「いいか、オレの組織に入ったからには、素人の皆さんに迷惑を掛けるのは御法度だ」
鷹内は、ドスの効いた声で言った。
怒られているのは、緑色のTシャツを着たロン毛の男だ。
Tシャツには、“人間”という文字が大きく書かれている。
彼は、茂戸欧次。
1週間前に、鷹内組に加わったばかりの新人である。
茂戸は、鷹内の運転手を務めている。
「すみません」
茂戸は頭を下げた。
鷹内が叱り付けたのは、こういう経緯だ。
彼は茂戸の運転するジャガーで、組事務所へと向かっていた。その途中、信号が赤だったので、茂戸は車を停車させた。
1人の老婆が、目の前の横断歩道をトボトボと歩いていった。しかし歩みが遅いため、信号が青になっても彼女は渡り切ることが出来なかった。
それにイライラした茂戸は車を降りて老婆に駆け寄り、「早くどけろ」と怒鳴った。
老婆は怯えた表情で、必死に道を渡り終えた。
そこへ鷹内が車から降りて来て、茂戸を叱ったのだ。
「お婆さんは、そんなに早く走れないのが当然なんだ。それを無理に急がせて、ケガでもしたらどうするんだ。お年寄りには優しく接しろ。大体、少しぐらいのことだ。お婆さんが横断するまで待てないのか」
「だ、だけど組長」
茂戸は反論しようとしたが、すぐに鷹内の声が被さった。
「だけど、じゃない。前にも言ったはずだ。素人の皆さんには、迷惑を掛けるなと」
「す、すみません。忘れてました」
茂戸は、また頭を下げた。
「学習能力の無い奴だな、全く」
鷹内は、嘆くように言った。
「いいか、我々は暴力団員じゃない。極道なんだ。そのことを肝に命じておけ」
鷹内は言い含めるように、そう告げる。
そこは、彼のこだわりなのである。
マスコミは基本的に鷹内組を“新興暴力団”として扱っているが、鷹内はその呼称をひどく嫌っている。
本人曰く、自分の組は“任侠団体”らしい。
「さあ、事務所に戻るぞ」
「わ、分かりました」
茂戸が慌てて返事をした。
その時、前方から1台の改造バイクが爆音を鳴らして走って来た。
バイクには、ノーヘルで特攻服を着た、いかにも暴走族という若者が乗っている。
それを見た鷹内は、素早くジャケットの胸元からベレッタM92FSを取り出した。
「組長、何を……」
茂戸が問い掛けた言葉は、途中で止まった。
言い終わる前に、鷹内がバイクに向けて発砲したからだ。
弾丸は若者の胸部に命中し、バイクは転倒して道を滑った。
けたたましい音が辺りに響く。
若者は道を激しく転がり、電柱に頭からぶつかった。
グシャッという粉砕音がした。
若者の頭はグチャグチャになり、そのままピクリとも動かなくなった。
当然、即死である。
「よし」
鷹内は軽くうなずき、平然とベレッタをしまい込んだ。
「あ、あの」
茂戸は、ためらいながらも、口を開いた。
「どうした?」
「いえ、あの、さっき組長は、素人には迷惑を掛けるなと」
「ああ、その通りだ」
「じゃあ、今のは……」
「珍走団は別だ。お前も、もしフラストレーションが溜まったら、珍走団は自由に殺して構わないぞ。それは許す」
鷹内は、サラッと言った。
「は、はあ」
茂戸は反応に困った。
そこへ、後ろから何者かが、カタコトの日本語で声を掛けてきた。
「タ、タカウチさん」
呼び掛けられて、鷹内が振り向く。
「ああ、ソウォジじゃないか」
そこには、在日イラク人のソウォジが立っていた。
ソウォジは、鷹内組が管理する民族楽器店の店長だ。
「どうしたんだ。今日は確か、店は休みだったな」
「タカウチさん、ちょっと相談したいことがある」
ソウォジは、かなり深刻そうな様子を見せた。すぐ近くで死体が転がっているのに、そちらは全く気にも留めていない様子だ。
「相談?店のことか」
「違う、そうじゃない。もっと大変かもしれない」
「分かった。だったら事務所で話すか」
「それがいいと思う」
「だったら、今から一緒に行こう」
鷹内は、車に乗るようソウォジを促した。
「茂戸、行くぞ」
「しかし組長、あの男は、どうするんですか」
困惑した表情で、茂戸は若者の死体を指差す。
「放っておけばいい」
「しかし、警察が動いたら困ったことになるんじゃありませんか」
「心配するな。珍走団の1人や2人死んだところで、警察はマトモに捜査などしない。特に最近の警察は、他のことで手一杯のようだからな」
鷹内は、真顔で告げる。
「さあ、分かったら事務所に戻るぞ」
「は、はい」
茂戸は、慌てて車に戻った。
*
「さて、ソウォジ。どうやら、簡単な相談ではなさそうだな」
鷹内はソファーにどっかりと腰を下ろし、向かいに座ったソウォジに話し掛けた。
そこは、鷹内組事務所の組長室である。
部屋には組長用の事務机と椅子、来客を迎えるためのソファー1組と背の低いテーブル、本棚や金庫などがある。
事務所は、組が所有する8階建てビルの7階にある。ちなみに、8階は倉庫になっており、6階から下は組が管理する会社や店舗が入っている。
「ええ、大きな相談です、タカウチさん」
ソウォジは身を乗り出し、そう言った。
「悪いな、ソウォジ。ちょっと話は待ってくれるか」
鷹内は、話し始めようとしたソウォジを制した。
それから、ドアの近くで立っている茂戸に呼び掛けた。
「おい、何をしている?」
「はっ?」
茂戸は、首を前に突き出した。
「オレがさっき、目と顎で合図を送ったのが分からなかったのか」
「目と顎で合図?」
「部屋を出て行けと合図を送ったんだ」
「ああ、そうだったんですか。すみません。気が付きませんでした」
茂戸は、手をポンと叩いた。
しかし、すぐに首をかしげて質問してきた。
「でも、なぜ出て行くんですか」
「なぜって、お前な」
「はい」
鷹内は、あまりに鈍い茂戸の態度に、少し苛立った。
しかし、それでも茂戸は、間の抜けた顔でボーッと突っ立っている。
「理由はいいから、早く出て行け」
鷹内は怒鳴りたくなるのを抑えて、低い声で命じた。
「はい、分かりました」
茂戸は脳天気に返事をして、組長室から出て行った。
「やれやれ、疲れる奴だ」
鷹内は、大きく息を吐いた。
本当ならば、あんな男はすぐにでも辞めさせたいと鷹内は思っていた。
そもそも、組に入れることにも乗り気ではなかった。
しかし、幹部を務めている青田の親戚ということで、青田に懇願されたため、仕方なく雇ってやったのだ。
鷹内は、義理と人情には厚い男を自負しているので、可愛い子分の頼みを冷たく断ることが出来なかったのだ。
茂戸は一流大学の東知大を卒業した後、定職に就かずにブラブラしていたらしい。それが、急に青田の所に現れ、ヤクザになりたいと言い出したのだという。
「何となく格好良く見えるから」
というのが、ヤクザになろうと思った理由らしい。
それを聞いた時点で、鷹内は嫌な予感はしていたのだが、思っていた以上のバカだった。
学歴が高くても、バカな奴は大勢いる。いずれ茂戸はとんでもない失態をやらかすのではないかと、鷹内は危惧している。青田には申し訳無いが、茂戸には近い内に辞めてもらおうと、鷹内は思っていた。
「あの、タカウチさん」
ソウォジが、茂戸のことで考え込んでしまった鷹内に声を掛けた。
「ああ、すまんな。ちょっと別のことで気を取られてしまって。それでソウォジ、相談というのは?」
鷹内は、ソファーに深く座り直した。
「タカウチさん、最近、イデ会のシティミ会長が捕まったの、知ってますか」
「ああ、知ってるさ。トルコ料理店の店長だったな。テロ組織のリーダーだと新聞が書いていたが、見当違いも甚だしいな、全く」
鷹内は、複数の在日外国人を雇っていることもあって、イデ会がテロ組織ではないことを承知していた。
「タカウチさんは信じてくれても、警察はイデ会をテロ組織として見ています。他のメンバーも、いずれ捕まるかもしれません。私も、イデ会の1人です。たぶん、捕まります」
ソウォジは、伏し目がちに言った。
「大丈夫だ、オレが守ってやる」
「だけど、相手は警察です。無理です」
ソウォジは不安そうに顔を上げ、首を横に振った。
「警察が怖くて、極道がやってられるか」
鷹内は堂々と言い放った。
「だけど、警察のバックには、高原総理が付いています。それでも、大丈夫ですか」
ソウォジは、懇願するような視線を送った。
「そうだな、問題は、警察よりも高原だ」
鷹内は、深くうなずく。
「それでもタカウチさん、大丈夫ですか」
「以前から、高原に関しては手を打たねばならないと思っていた。お前に頼まれたのは、いい機会だ。何とかしよう。任せておけ」
「タカウチさん、あなた、いい人だ」
ソウォジは立ち上がり、握手を求めた。
「ありがとうございます。タカウチさんの言葉、信じます。ワタシ、捕まりませんね?」
「ああ、捕まらない。絶対に逮捕させない」
鷹内は握手に応じ、そう約束する。
「良かった。助かります」
ソウォジは安堵の表情を浮かべた。
「それじゃあワタシ、相談はそれだけです。明日は仕事ですから、もう帰りますね」
「ああ、そうした方がいい」
鷹内は、ソウォジの肩をポンと叩いた。
「助かります。助かります」
ソウォジはドアの所まで行き、お辞儀を繰り返した後、部屋を出て行った。
すると、ソウォジと入れ違いで、茂戸が部屋に入ってきた。
「組長、何だったんですか、彼の相談って」
茂戸は軽い調子で聞いた。
しかし、鷹内は茂戸の質問を無視し、腕を組んで考え込んだ。
「問題は……高原だな……」
鷹内は硬い表情で、ポツリと言う。
「高原?高原って、どこの高原です?」
茂戸は、またも尋ねる。
鷹内は顔を上げ、茂戸を見た。
「……なあ、茂戸。お前、高原首相に対して、どんな印象を持っている?」
「ああ、高原って、総理大臣のことだったんですか。印象って、まあ、イケてますよね。ああいう人が日本の首相をやってるってのは、誇りに思えますよ」
「やはり、お前のような奴だと、そういう印象になるんだな」
鷹内は、納得した表情を浮かべた。
「それが、どうかしたんですか」
「いや、いいんだ。お前の言葉を聞いて、オレの決意が強くなったよ」
鷹内は茂戸から視線を外し、つぶやいた。
「やはり、奴を総理大臣の椅子に座らせておくわけにはいかないな」