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<4.蹴撃秘書>

 格闘技道場“太陽館”の本部会館。

 そこには、80畳の広さの修練場がある。

 その修練場が今、緊張感に包まれていた。

 高原の私設秘書・松岡洋介が紺の道着に身を包み、練習生に稽古を付けているのだ。

 多くの練習生が正座で見守る中、指名された1人が松岡と対峙している。

 松岡は27歳と若く、顔立ちの整った男だ。スタイルも良く、まるでファッション・モデルのようにも見える。ただし、ファッション・モデルと大きく違うのは、全く笑顔を見せず、無愛想だということだ。


 「遠慮せず、本気で掛かって来い」

 松岡は、落ち着いた口調で練習生に言った。

 「てえぃっ!」

 練習生は勢い良く右足から踏み込み、正拳突きを松岡の胸部に入れようとした。

 だが、彼の拳は、松岡に当たらなかった。

 松岡は体を捻って相手の攻撃をかわし、同時に右足を高く上げて蹴りを見舞った。

 ヒュッ。

 空気を断ち切る音。

 松岡の蹴りが、練習生の右側頭部に飛んだ。

 そして命中する寸前、ギリギリの位置で、足はピタッと止まった。


 「今のが本気の勝負なら、お前は今頃、畳に這いつくばっているな」

 松岡は、冷徹に言った。

 「は、はい」

 練習生の顔は、青ざめていた。

 「よし、後は師範代に任せる」

 そう言って松岡は修練場を去り、会館の奥へと足を向けた。


 *


 松岡は、首相の私設秘書であると同時に、高原が創設した太陽館の師範でもある。

 太陽館は、空手と中国拳法を組み合わせた新しい格闘術“太拳道”を教える道場ということになっている。

 実際、一般の練習生は何も知らず、普通に格闘技を学ぶために通っている。

 しかし、それは表向きの顔でしかない。

 これまでは既存の殺し屋を雇って闇の仕事を任せていた高原が、自前で殺し屋を育成するという目的で創設したのが、太陽館なのだ。


 師範を務める松岡は、かつては高原の下で汚い仕事を一手に引き受けていた男だ。人殺しを躊躇無く遂行できる残忍な精神と、屈強な男も簡単に始末できる実戦格闘術の腕前を持ち合わせている。

 私設秘書となってからは、殺しの仕事を担当することはほとんど無くなったが、しかし松岡の実力は鈍っていない。

 彼は素質を見込んだ連中を選抜し、徹底的に鍛え上げて一人前の殺し屋に育て上げようとしている。

 太陽館の師範代と準師範は、全員が高原の“裏社会のボディーガード”としての顔も持っている。まだ単独で仕事を担当したことは無いが、複数での殺人は全員が経験している。


 *


 「入ります」

 松岡は、ノックして館長室のドアを開けた。

 そこには、椅子に深く腰掛けている高原と、その横で机に寄り掛かって立っている黒川の姿があった。

 高原は太陽館の館長であり、黒川は名誉理事長を務めている。

 ただし、黒川は太陽館創設の真の目的を知らない。


 「よお、松岡君、やっとるね」

 黒川は陽気な態度で松岡に近付き、握手を求めた。

 「どうも」

 松岡は、無表情で軽く会釈したが、やんわりと握手は拒否した。

 「元気そうで、何よりだ、うむ」

 差し出した手の処理に困った黒川は、誤魔化すように、そんなことを言った。

 その様子を、高原は足を組み、無言で見つめている。

 黒川が太陽館に来ることは、ほとんど無い。今回は、高原に招かれて訪れたのだ。内密の話があると言われたので、秘書も同行させていない。高原の車に乗せられ、詳しいことは何も聞かされずに、ここへ来たのだった。


 「ところで、内密の話というのは何かね。松岡を呼び寄せたのは、彼も関係があるということかな?」

 黒川が尋ねる。

 自分が太陽館に呼ばれた理由を、彼は何も知らない。

 そして、これから何が起きるのかも。

 「松岡、あれは装着しているな?」

 高原が黒川の質問を無視するかのように、そんな言葉を発した。

 「ええ、このように」

 松岡はうなずき、足元を指差した。

 修練場では裸足だった松岡が、今は黒い靴を履いていた。

 スポーツシューズや革靴などではなく、カンフーシューズのようなものだ。


 「道着に靴かね。変な格好だな」

 黒川は小さく笑った。

 「しかし、普通の靴ではないんですよ」

 高原は、合わせるように微笑した。

 ただし黒川とは違い、それは冷酷な笑みだ。

 「松岡、見せてくれ」

 「はい」

 松岡は、両足を踏ん張るように力を込めた。

 すると靴の先から、矢尻のような鋭利な刃がシュッと出現した。


 「なんだね、そりゃ」

 黒川が、覗き込むように体勢を低くした。

 「見ての通りですよ。靴の先に刃が付いているんです。つまり、武器になるんですよ。牙刺靴がしかと言います」

 高原は、黒川の背中を眺めながら説明した。

 「武器というより、凶器だな。しかし、身を守るにしては物騒すぎないかね。これじゃあ、まるで人を殺すための道具だよ」

 黒川は、冗談めかして言った。

 「そうですよ、人を殺すための道具です」

 高原は平然と告げ、足を組み替える。

 「ははっ、そうかい」

 黒川は、冗談だと思い込んでいた。

 しかし振り返り、高原の顔を見て、本気だということを理解したらしい。

 一瞬にして、黒川の表情が強張る。


 「人を殺すって、そんな道具、どういうつもりなんだ?」

 「先生、分かり切ったことを聞かないでください。人を殺す道具は、人を殺すために使うのですよ」

 「人を殺す?何のために?誰を殺す気だ」

 黒川は、本気でその答えの見当が付きかねていた。

 「鈍い人ですね」

 松岡が、無表情でつぶやく。


 「ねえ、先生」

 高原は黒川の質問には答えず、作ったような穏やかな声を発する。

 「先生は、強大な権力をお持ちです」

 「んっ?なんだ、いきなり」

 黒川は戸惑った。

 「私が日本の総理になれたのも、黒川先生のお力添えがあってのことです」

 「今さら、何を言い出すんだ」

 「しかし、もう用済みなんですよ」

 高原は、冷淡に言い放った。


 「何だと?」

 「先生は、私の計画に反対の意志を示しておられる。どうやら、これからは全面的な協力を期待できそうにありません。むしろ放っておけば、反対の立場で動く可能性も高い。そうなると、あなたが権力者だという事実は、私にとっては邪魔なだけなのですよ」

 「そんなことを、本気で言っているのか」

 黒川は、立腹していた。

 「ええ」

 高原は、すました顔で述べた。

 「ところで先生、先程の質問ですが」

 「先程の質問?」

 「ええ、何のために、誰を殺すのかとお尋ねになりましたよね」

 「ま……まさか……」

 黒川の目が、大きく見開かれた。

 「どうやら、ようやく答えがお分かりのようですね」

 高原は不敵に笑った。


 「やはり鈍い人だ。そんな人が長年に渡って政界を牛耳っていたから、日本はダメになってしまったのですよ」

 「貴様……儂を殺す気か」

 黒川は、高原を睨み付けた。

 「邪魔者は排除する。それが私のやり方ですから」

 高原は黒川を真っ直ぐに見据え、そう告げる。

 「今まで儂が、どれだけ貴様を手助けしてきたか。その儂を殺すというのか」

 「これまでの尽力には感謝しています。ですから、先生は特別扱いです」

 「特別扱いだと?」

 「ええ、そのために松岡を呼んだのです。彼が手を下すなんて、普通では無いことですよ。相手が先生だからこそ、松岡にやらせるのです」

 「ふざけたことを。大体、こんな所で儂を殺したら、どうなるか分かっているのか。警察が捜査すれば、すぐにバレるぞ」

 「警察など、どうにでもなります。そうでなければ、無実の連中を逮捕させるなんて無理ですよ」

 「無実の?」

 黒川は、その言葉が意味することを、すぐに察知した。


 「では、まさか外国人組織の犯罪というのは?」

 「なるほど、全てにおいて鈍いわけではなさそうですね」

 高原は、馬鹿にしたように言う。

 「そうです、先生が思った通りですよ。あれは全て、でっち上げです」

 「何のために、そんなことをする必要があるんだ」

 「もちろん、テロの脅威が高まっているのだと認識させ、私の計画を進めやすくするためですよ。何しろ事実を示さなければ、国民を納得させるのは難しいですからね」

 「き、貴様、政治家として恥ずかしくないのか。何の罪も無い人々を陥れているんだぞ」

 「野望のためには、ある程度の犠牲も仕方がないのですよ」

 高原は鼻で笑った。


 「完全に腐っているな。地獄に落ちるぞ」

 黒川は、吐き捨てた。

 「では先に地獄に落ちて、私が行くのを待っていてください」

 高原は、目で松岡に合図した。

 それに気付いた黒川は、慌てて振り返った。

 だが、それは彼にとって、少なくとも命を守るという意味においては、何の意味も無い動きだった。

 振り返った1秒後に、彼は即死した。


 最後に黒川が見たのは、迫り来る影だった。

 それは、松岡の牙刺靴だ。

 黒川が振り返ると同時に、松岡が上段回し蹴りを放ったのだ。


 その蹴りは、確実に黒川の右のこめかみにヒットした。

 靴の刃が肉を突き刺す。

 黒川の口が、大きく開いた。

 だが、そこから悲鳴が漏れることは無かった。

 松岡が刃を抜き、足を床に下ろす。

 同時に、黒川の体は膝から崩れ落ちた。


 「政治に関しては熟練でも、裏の世界に関しては素人だったな」

 高原は、冷めた視線を黒川の死体に落とした。


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