<23.店内戦闘>
「仕事を変えたんですか?」
江里杉は、目を丸くした。
ピカソ・トリガーのレジに、芭皇が立っていたからだ。
「いや、変えたわけじゃなくて、ちょっと手伝うことにしただけさ」
芭皇は手に持っていた物を、さりげなくレジの下に隠した。
「別に、バイト料は払ってないよ」
安藤が、奥の休憩室から腰を上げる。
休憩室と言っても、店より一段高くなった4畳の和室に、座布団が一枚置いてあるだけの質素な空間だ。
「ちょっとした事情があって、こいつがしばらく店にいることになったんだ」
「そうなんですか?」
「ああ」
江里杉が向き直ると、芭皇が短く答えた。
芭皇は昨日の午後から、ピカソ・トリガーにいる。
営業時間にレジで立っているだけでなく、店で寝泊まりをしている。
それは、カウント乃木との戦いに備えた作戦だ。
「本当は迷惑なんだよな。この店、オレだけで充分にやっていけてるし」
安藤は言う。
ただし、本気で迷惑に思っているわけではなく、冗談めかして言ったのだが。
「だけど、俺が来たことで、ようやく休憩室を使うことが出来たんだからな。そこは感謝してくれないと」
芭皇も合わせるように、冗談めかして告げる。
「そんなの、嬉しくも何ともないぜ」
安藤は苦笑する。
確かに、休憩室は、それまで一度としてマトモに使われたことが無かった。何しろ店員は安藤だけなので、普段は奥に引っ込んで休憩することなど無いからだ。
いや、正確に言うと、来店する客はほとんどいないので、営業時間の大半は休憩時間だと言ってもいい。ただ、普段の安藤は、わざわざ休憩のために奥へ引っ込むことはなく、レジの横に座ってノンビリしているのだ。
「それにしても芭皇さん、お金を貰わないで、ここの仕事を手伝ってるんですか?」
江里杉が、妙な顔をした。
「まあ、ボランティアみたいなものかな」
芭皇は、レジに手を付いて言った。
「何がボランティアだよ。ただの迷惑な押し掛け店員だよ。大体、そんな姿の店員がどこにいるんだ」
作務衣姿の芭皇を見て、安藤がしかめっ面をする。
「お前、それ一着しか持ってないのかよ」
「そんなことは無い。一応、服は5着持っているんだ」
「だったら、別の服に着替えてくれよ」
「別の服は無い。同じ作務衣を5着持っているんだ」
「何だよ、そりゃ」
「あの、良く分かりませんけど、いつまで続けるんです?」
江里杉は戸惑いながら尋ねる。
「それは、俺にも良く分からないんだ。あっちの都合次第だから」
芭皇は淡々と答えた。
「あっちって、どっちです?」
「まあ、あっちだな」
芭皇は、店のドアを指差した。
「あっち、ですか?」
「もしかしたら、明日には終わるかもしれない。明後日になるかもしれない。ひょっとすると、こうやって喋っている1分後には、終わるかもしれない」
「はあ……?」
江里杉は、訳が分からないといった表情だ。
「まあ、いいじゃないか」
安藤が会話に割り込んだ。
「そんなことより江里杉、今日は目当てのブツはあるのか?」
「いえ、今日は特に」
江里杉は、手を横に振った。
「というより、今日はちょっと寄っただけなんですよ。すぐに行かなきゃいけない所があるので」
「寄っただけって、あんまりアダルトDVDショップの客が言うセリフじゃないよな」
芭皇は苦笑いを浮かべる。
「そうだぞ。別に、無理をしてまで来る必要なんて無いんだから」
安藤も同調した。
「いやあ、無理はしてませんよ。ただ、定期的にピカソ・トリガーに来ないと、何だか生活のリズムが狂うような気がするんですよ」
江里杉は、冗談とは思えない調子で言った。
「アルコール中毒ならぬ、ピカソ・トリガー中毒だな」
「しかも、かなりの重症患者らしいぞ」
芭皇と安藤は、哀れむような顔で江里杉を見つめた。
「ちょっと、やめてくださいよ。そんなんじゃありませんから」
口を尖らせ、江里杉が言い訳する。
「ただ、ちょっと店長の顔が見たかっただけですよ」
「じゃあ、安藤中毒だな」
「それも違いますって。もういいですよ、じゃあ、僕は行きますから」
「おいおい、えらく忙しい奴だな」
「これから、マッチョ桜井ファンクラブの会合があるんですよ」
「マッチョ桜井って、どこかで聞いたな」
芭皇が思い出そうとする。
「あれだよ、あれ」
安藤は、ドアの方向を指差した。
マッチョ桜井が、ポスターの中でポーズを決めている。
「ああ、そうか。えっと、パンク演歌の歌手とか言ってたな?」
「そうです、そうです。ちゃんと覚えてるじゃないですか」
江里杉が嬉しそうに2度、うなずいた。
「もうすぐ新曲も発売されるし、それに合わせて地方を回ったりするので、ファンクラブ会員も色々と忙しいんですよ。安藤さん、新曲のポスターが届いたら、またここに貼って下さいね」
「ああ、分かった、分かった」
安藤は、軽くあしらうように答えた。
「そうだ、この近くにも、マッチョ桜井さんが歌いに来る予定が入ってるんですよ。もし良かったら、店長や芭皇さんも来てください」
「俺達が?」
芭皇は、安藤と顔を見合わせる。
「ええ、是非とも」
満面の笑みで、江里杉が誘う。
「そうだな。まあ、考えておくよ」
芭皇は困った表情で、そう言った。
「詳しい場所や時間が分かったら、お知らせしますよ。それじゃあ、また」
江里杉は、そう言い残して店から出て行った。
「あいつは、色々な意味で重症だな」
安藤は江里杉の背中を見送り、呆れた様子で言った。
「まあ、前向きに生きているんだから、それはいいことさ」
芭皇はドアに視線を向けたまま、そんな言葉を口にした。
「前向きねえ」
安藤は失笑する。
「そうさ。俺達みたいに、無作為に毎日を過ごしているよりは、遥かにマシさ」
「おい芭皇、オレは無作為に生きてないぞ。この店の経営も、UFAの運営も、色々と考えてやっている。お前だって、無作為になんか生きてないとオレは思うぞ」
「今だけを考えれば、俺も無作為ではないかもしれんな」
芭皇は穏やかに言った。
「一応、目的を持って生きているとは言えるだろう。襲ってくる敵を倒すという目的をな。そう考えると、カウント乃木には感謝すべきなのかもしれんな」
それから、彼はレジの下に手を伸ばして、先ほど隠した物を取り出した。
殺し屋時代に使っていた武器、破田である。
「この武器を、また使うことになるとは思わなかったな」
芭皇は、複雑な表情で破田を見つめる。
「しかし、なぜ殺し屋が来る?」
安藤は尋ねる。
「お前、そいつを差し向けた人物に心当たりはあるのか?」
彼は芭皇から「殺し屋を倒すために協力してほしい」と聞かされ、店での居候を承諾した。だが、詳しい事情は知らされていない。
「俺にフラれた輩が黒幕さ。たぶん、他の奴には渡したくないから、俺を殺してしまおうという考えなんだろう」
芭皇は軽い調子で答える。
彼は、高原の心中を見透かしていた。
「ってことは、恋愛関係のもつれで命を狙われてるのか?」
「まあ、近いと言えば、近いかな」
「つまり、お前は今回の殺しの依頼主も分かってるってことか」
「ああ、見当は付いている」
「それで本当に、雇われた殺し屋はカウント乃木なのか?」
安藤は立ち上がり、休憩室を出ながら尋ねた。
芭皇の殺し屋時代に仲介人を務めていた安藤は、カウント乃木と直接の面識は無かったが、名前や噂だけは耳にしていた。
「ああ、間違い無い。カウント乃木だ」
芭皇は深くうなずく。
「断言したな」
「奴だからこそ、わざわざ自分の存在を俺に知らせるような行動を取ったんだ。他の殺し屋なら、いきなり俺を狙ってくるだろう」
「それは、乃木が正々堂々と勝負をしたがっているということだろうな」
「いや、違うな」
「違う?」
「ああ。あいつはただ、格好を付けたがっているだけさ」
芭皇は、口元を緩めた。
「とにかく、あいつは形から入りたがる奴なんだ。そういう所は、面白いと言えば面白い。悪い言い方をすれば、愚かしいということになるが」
「だが、射撃の腕は超一流だ」
「そうだな。1キロ離れた場所からでも、正確にターゲットを狙撃することが出来るほどの腕を持っている」
「人間離れした能力だぜ。凄いな」
「まあな、ちょっと羨ましいよ。何しろ、俺なんて5メートル先の標的でさえ、100発撃って1つも当たらないぐらいだからな」
「それは逆の意味で凄いな」
「早く銃を諦めて正解だったよ」
「だが、不思議なものだよな。それほどの射撃の腕を持つ乃木が、ナンバーワンの称号をお前に奪われたってのは。それだけ、お前が驚異的な殺し屋だったってことだな」
「いや、そうじゃないさ」
芭皇は、静かに否定した。
「俺が奴より優れているとか、そういう問題じゃないだろうな。奴には、決定的な弱点があった。きっと、それが本物のナンバーワンになれなかった原因さ」
「弱点?」
「ああ。どうやら、奴は未だに気付いていないようだがな」
「その弱点って、何なんだ?」
「いずれ分かるさ。奴が現れたら、説明しなくても一目瞭然だ」
「だが、来るかな?」
安藤は言いながら、ドアの方を気にした。
「来るさ。そのために、ここを選んだ。奴を倒すには、閉鎖された空間で待ち伏せするのが最善の策だ」
「外から狙撃されないのか」
「ポスターなどの障害物が多いから、ドアや窓を通して中を見ることが困難だ。だから奴はきっと、店内の様子を確かめるために姿を現す」
「遠くから狙撃せず、接近戦を挑んでくるということか?」
「いや、あくまでも遠距離からの狙撃を狙うはずだ。ここに来るのは、偵察のためさ。接近戦が苦手というわけじゃないが、奴の美学として、ここで襲撃することよりも、遠くからの狙撃を選ぶ。偵察が目的だから、奴は必ず変装してやって来る」
「つまり変装を見破る必要があるってことか。しかし、そんな面倒なことをするかな?ここに標的がいるんだから、見つけたらその場で殺せばいいじゃないか」
安藤が疑問を呈する。
「さっきも言ったが、格好を付けたがる男だからな、奴は」
静かな口調で、芭皇が説明する。
「乃木は、接近戦は格好が悪いという考えを持っている。それに、接近戦では俺に勝てないことを、奴は理解しているはずだ」
「そのために、お前が閉鎖された空間を選ぶのは良く分かったよ」
安藤が言う。
「しかし、ここじゃなくてもいいだろ。どこかホテルに泊まるとか、他に幾らでも適した場所があるんじゃないか」
「ホテルに泊まるような無駄な金は無い」
芭皇は、キッパリと言った。
「大体、今になってそんなことを言い出すなよ。ここに泊めてくれることを、お前は承知したんじゃないか」
「そりゃあ、お前にはアングラ・ファイトのことで助けてもらったし、ここに泊めることをOKはしたさ」
安藤は、そう言いながら、ビデオが並ぶ棚の方に足を進めた。
特に目的があったわけではなく、何となくの行動である。
「だけどなあ、もし乃木との戦いになった時、誰か客がいたら迷惑が掛かるしなあ」
「それは心配しなくてもいいんじゃないか。どうせ客なんて、ほとんど来やしないんだから。今日だって、まだ江利杉しか見てないぞ」
「たまたまだよ。多い時は、もう少し来るんだよ」
安藤は、言い訳じみたことを口にする。
「それに、その数少ない客が来ている時に、たまたま乃木が現われる可能性だってあるじゃないか。その場合は、どうするつもりなんだよ」
「可能性がゼロとは言わないがな。まあ、もしも客が巻き添えを食らったら、運が悪いと思って諦めてもらうしかないな」
芭皇は、冗談めかして物騒なことを言った。
「お前な、そんな薄情なことを言うなよ」
「大丈夫だ。俺も奴も、無関係の人間を巻き添えにするほど愚かではない。少なくとも俺がそういう人間でないことを、お前は分かっているはずだ」
「それは、そうだが。しかし、来るなら来るで、早く現れて、さっさと終わらせてほしいよな。いつまでも緊張したまま待ち続けているなんて、体に良くないぜ」
「何なら、休憩室で眠っていても構わないぞ。いっそのこと、俺に店を任せて家に帰ってもいいし」
「そんなこと、出来るわけがないだろうが。お前が店のDVDを全て把握してるわけでもないのに」
「確かに、俺が分かるのは、自分の撮った作品だけだな」
「そうだ、それで思い出した」
安藤は指をパチンと鳴らした。
彼は棚を見回し、1本のDVDを抜き出す。
「これなんだが」
そう言って、安藤は芭皇に向かってポンとDVDを放り投げた。
「おい、商品は大切に扱えよ」
芭皇はDVDを右手でキャッチして、それに視線を落とした。
「これは、俺が撮った奴だな」
それは、発売されたばかりの『パンスト万歳』シリーズ第11弾のDVDだった。
「それ、評判が良くてな。テントの中というシチュエーションが受けたのかなあ。オレにはサッパリ分からんが。それで、次の第12弾も同じような感じで頼むよ」
安藤は軽く告げる。
「お前さ」
芭皇は呆れた顔で、ため息をついた。
「どうしたんだよ芭皇、その態度は」
「こんな態度にもなるさ。そういうことは、これから戦おうとしている時に言うべきことじゃないだろう」
「じゃあ、いつ言うんだよ」
「それは例えば、乃木を倒してから言うとか」
「いつになるか分からないから、今の内に言っておこうと思ったのさ」
「それにしたってなあ」
芭皇は左手に持っている破田の柄で、DVDをコンと軽く叩いた。
その時、店のドアが開いた。
誰かが入って来たのだ。
芭皇は、そちらに視線を向けた。
少し遅れて、安藤もドアの方を見る。
安藤の目は、訪れた男の姿を確認した。
寝癖のついた頭で、スカイブルーのトレーナーを着ている中年男だ。
それを確認したのとほぼ同時に、安藤の顔の横をDVDが飛んでいった。
芭皇が、持っていた『パンスト万歳』シリーズ第11弾を、その男に向かって投げ付けたのである。
男からすると、ドアを開けた瞬間に、何かが目の前に急接近して来たことになる。
全く予期していなかった事態に、その男は不意を突かれた。
「ぬわっ」
男は、素っ頓狂な声を発する。
しかし、それでも男は素早い反射神経を見せた。
顔面目掛けて飛んで来るDVDを、右手で払い落としたのだ。
だが、DVDが視界から消えたと同時に、目の前に作務衣を来た男が迫って来た。
もちろん、芭皇である。
芭皇はドアから入って来た男の顔を見て、素早くDVDを投げ付けた。
そして破田を逆手で抜いて腕を振り上げ、一気にダッシュしたのだ。
男は、体を強張らせた。
刃が自分の顔を狙っていることを、瞬時に理解した。
左右いずれかに顔を移動させ、それを避けるべきだと考えた。
だが、考えたところまでが、彼の限界だった。
それを動きに変換するには、時間が足りなかった。
(逃げなければ)
と、男が心でつぶやいた時には、既に破田の先端が額に触れていた。
芭皇は飛び込んだ勢いを緩めず、男の額に破田を突き刺した。
グサッ。
「……むうっ……」
男は唇を閉じたまま、ノドの奥でうめく。
立ったままの姿勢で、体全体を小刻みに震わせる。
「ぐあぁ……」
うめきながらも中年男は倒れず、憎しみに満ちた目で芭皇を見つめる。
芭皇は左手で自らの顔をガードしつつ、破田を男の額から引き抜いた。
赤黒い血が額からブシュッと吹き出し、芭皇がかざした左の掌に飛散する。
安藤は動揺した表情を浮かべ、芭皇へと歩み寄る。
「ど、どういうことだ?」
芭皇は男から目を離さず、冷静に告げる。
「こいつが乃木だよ」
そう、その男こそ、カウント乃木だった。
「……変装してきたのに、どうして分かった?」
乃木は、かすれた声で尋ねた。
「冥土の土産に教えてやろう」
そう言って芭皇は一歩下がり、乃木を指差した。
「お前は、あまりにも変装が下手すぎる」
「……ば、馬鹿な……」
「マトモに考えてみろ。そんなに人殺し丸出しの怖い目付きで、アダルトDVDショップに入ってくる奴はいないぞ。その時点で怪しさたっぷりだ」
芭皇は、ズバリと指摘した。
「……そんなはずは……。完璧に、大学浪人中だが性欲が我慢できないオタク男に変装したはずなのに……」
乃木は目を大きく見開き、愕然とした。
そして、その言葉を言い終わると、膝からガクリと崩れ落ち、うつ伏せに倒れた。
絶命したのである。
「えらく細かい設定で変装したんだな」
芭皇は、床に倒れた乃木を見下ろした。
「しかし、その設定は年齢的に無理がありすぎるぞ」
「そうだなあ」
安藤が、腕組みをして同意した。
「どう見ても、不気味なオッサンだからなあ。浪人生の変装は無茶だ。何浪なんだよ」
「俺の言っていたことが、これで分かっただろ?」
「ああ、確かに、弱点が一目瞭然だな」
「格好なんて付けずに、いきなり俺を狙っていれば、こんなことにならなかっただろうに。もしかしたら、俺は簡単に射殺されていたかもしれないのに。バカな奴だよ」
やや哀れむように言ってから、芭皇は考え込んでしまった。
「どうした、何かあるのか」
安藤が問う。
「いや、どうしようかと思ってな」
「何が?」
「こいつの処理さ。殺したのはいいが、死体の始末まで考えていなかった」
「おい、困るな、そんなことじゃ。ずっと店の玄関に放っておくわけにはいかないぞ」
安藤が文句を言う。
「極楽園まで持って帰れば、夕食の材料に使えるんだがな。そこまで運ぶか」
「いいよ。しょうがない、こっちで処理してやるよ」
「構わないのか?」
「ああ、スナッフ・フィルムの製作者にでも渡すよ。一応、そういう需要はあるからな」
「すまんな」
「だが、これでアングラ・ファイトの借りは返したからな。もう店で殺し屋を待ち伏せるのは勘弁してくれよ」
そう言って、安藤は床を指差す。
「見ろ、血だらけだ。これは後始末が大変だぞ。また殺し屋と戦うなら、今度はどこか他でやってくれよ」
「ああ、分かっている。ここで待つのは、今回だけだ」
芭皇は、手に付着した返り血を見つめながら言う。
「向こうがそのつもりなら、今度はこっちから行ってやるさ」




